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2章 ほんね

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 翌日の放課後。
 俺と達紀は、記入した入部届を持って、職員室を訪れた。
 先生はペーパー顧問で、特段何か指導してくれるわけではないらしい。
 事務的に受け取ってもらい、正式に入部になった。

「ギター買いに行かないとだね」
「何が良いかとか全然分かんない。お金もそんなにないし」
「最初は安い初心者セットで大丈夫。土曜日、買いに行かない?」

 達紀は、少し目線を外して言った。

「デートで」

 その響きにドキッとしてしまって、本当に自分は免疫がないなと思った。
 けど、多分達紀も、同じようなことを思っている。
 俺よりも、言った本人の方が、さらに恥ずかしそうだ。

「きのうね。親に、軽音部に入ろうと思うって話したら、夕飯がお赤飯だった」
「なんで? おめでたいから?」
「そう。碧が自発的に何かしようとするなんて信じられないとか言って。なんかもっと、不良だとか止められるかと思ってたのに、意外だった」

 いままでは、自分が男が好きなのは周りと違うと思っていたから、自信もなくて、目立たないように生きていた。
 積極的に何かやりたいとかも思えなかったし、とにかく祐司さえいれば良いと思っていたから、その平和を乱さないことだけを考えていたと思う。

「良かったね。活動ものびのびできるかな」
「うん。頑張って追いつけるように練習するから」

 大事なものをひとつ失くしてみたら、違うことを始める余裕ができた。
 素直にそう捉えばいいのに、なぜか、失ったものが何だったのかも、同時に噛み締めていたりして。

 自分がよく分からない。
 もう祐司のことはどうでもよくて、確かに達紀に心惹かれてるはずなのに……どうして俺の思考は、そうやって過去へ引きずり込もうとするのだろう。



 そして、約束の土曜日。
 駅前の柱にもたれかかっていると、遠くに達紀の姿が見えた。
 それなりに距離はあるのに、パッと目を惹く。
 周りの女の子たちも振り返って見ているし、華がある人っていうのはこういうことをいうのだろう。

 俺に気づいたらしい達紀は、駆け足でこちらにやってきた。

「おはよう。ごめんね、待たせちゃった」
「いや、待ってないよ。約束より5分早い」

 俺が楽しみにしすぎて、20分以上前に着いてしまっただけだ。
 達紀はすうっと目を細めてうれしそうに笑ったあと、俺の手を引いて、雑居ビルの間の路地に入った。

「ん……? なに?」
「あお、キスしたい」

 直球で言われて、心臓が跳ねる。

「誰かに見られない?」
「でもしたい。なんか多分、デートって響きに当てられちゃったんだと思う。キスしたいばっかり考えながら電車乗ってた」

 達紀が俺を壁際に追い詰めて、俺の側頭部の髪に両手を差し込んだ。
 どうしようもなくドキドキして、自分の服の裾を握りしめる。

 音を立てることもなく、静かに、くちびるが当たった。
 ふに、ふにっと何度か押しつけられて、でもそれだけで気持ちいい。

 達紀は、かすれた小さな声で言った。

「……前田くんだったら良かったのにって思った?」
「思ってないよ」

 別に、良かったのに、とは思っていない。
 けど、祐司とキスしてたらこんな感じだったのかな、とは思ってしまった。

 なんでもかんでも祐司に結びつけてしまうのは、もはや、習慣や思考癖のようなものだ。
 すぐ忘れるには、3年の片思いは長すぎたのだと思う。

 考えを振り払うように、達紀の背中に手を回して、そろっとくちづけた。

 キスは気持ちいい。
 達紀は優しくて好きだ。
 祐司への好意はもうない。

 そう思うのに、どうにもこうにも嫌な考えが頭から離れなくて、何度も何度もキスをした。
 自分はこんな不純な気持ちなのに、達紀は一途な目線でうれしそうにしていて、とてつもない罪悪感に襲われる。

「ん……、ふぅ。たつき……」
「息できなくしちゃいたい。これって、あおのこと好きって思ってる証明になる?」
「分かんない」
「……分かんないのにキスしちゃってごめん。でも、止まんない」

 俺も達紀も、多分、子供なんだと思う。
 気持ちがどうとか、そういうのをちゃんと考えたいのに、衝動がそれを飛び越しちゃう。
 そのくせ、キスに対して、過剰に意味を求めている。

 大人だったらもっと、キスは気軽なものだろうし、でも、お互いの気持ちとかは、ちゃんと大切なものなのだろう。

「ねえ。可愛い、あお」
「言ってくれてうれしい」

 俺は達紀みたいに、直球な質問はできない。
 喉のギリギリのところで、質問が突っかかっている。

――もし、達紀のそばに現れた初めての同胞ゲイが俺じゃなかったら、それでも達紀は、俺のこと好きになってたの?
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