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 裸のまま、抱き寄せて眠った。
 理由は単純で、直貴がそうして欲しそうだったから。
 それにこれは、日曜の朝まで限定の保護のつもりだったから。

 ……そう思うのに、腕の中で丸まる直貴が可愛く見えてしまうのだから、自分は本当に、人としてダメだと思った。

 料理の匂いで目覚める。
 自分の服を着る少年がキッチンに向かっていて、うれしそうにクスクスと笑う。
 なんだっけ、と一瞬考えて、生徒を抱いてしまったのだと思い出した。

「あれ……」
「あ、起きた。おはよう。勝手に卵使っちゃってごめんね」
「……塚原くん」

 振り向いた表情は堅い。
 ややあって、自虐的にふわっと笑った。

「やっぱりきのう限定なんだ。いや、そうですよね。そういう約束でしたし。ご飯食べたら出て行きます」
「いや、違う。追い出したかったとかそういう意味じゃなくて。えーっと……おはよう」

 頭を掻きながら下着を探して履き、彼の髪をするりとなでてから、洗面所へ。
 鏡越しに見ると、照れたように地面の一点を見つめていた。
 バシャバシャと顔を洗い、鈍った思考を無理やり起こす。
 タオルで雑に拭きながら呼んだ。

「直貴」
「えっ?」
「土日はうちに来たらいいよ。その代わり、平日は絶対に出歩かない。約束できる?」

 振り返ると、直貴はじわじわと目を見開いていき、やがてこくんとうなずいた。

「ねえ、先生。下の名前で呼びたいです。土日だけ。先生って思うと縮こまっちゃう」
「うん、いいよ。名前、朋之ともゆき
「知ってますよ」

 当たり前でしょ、と機嫌良さそうに言って、フライ返しを手に取る。
 目玉焼きは既にできていて、僕が起きるのを待っていたらしい。

「眠れた?」

「ちょこちょこ起きちゃったけど、ずっと朋之さんが抱きしめてくれてたから……いや、ずっと抱きしめてくれてるか確認したくて何度も起きちゃったのかも……? どっちかな、分かんない。あはは」

 僕の優しさという名の毒は、子供の睡眠まで妨げてしまうらしい。
 心の中で恩師に謝りながら、この子がやりたい『幸せな朝』に付き合うことにした。

 食卓につき、手を合わせる。
 うまいこと半熟になった目玉焼きは、他人の家で作り続けて極めたものなのだという。
 素直においしいと褒めたら、直貴ははにかみながらパンを喉につまらせた。

「直貴はいつも、休みの日は何してるの?」
「家だと部屋でゲームしてて、あとは普通に、学校の友達と遊んだりもするよ」
「夜は?」
「……家に帰れればラッキー。電気が点いてたら引き返して、誰かの家に泊めてもらう」

 僕はそっと腕を伸ばして、人差し指で頬をなでた。

「うちに来るんだよ、分かった?」
「休日の昼間に来てもいいの?」
「あらかじめ連絡くれれば。外に出てることも多いからね。勝手に来て僕がいなかったら、熱中症で死んじゃうよ」

 笑いながらスマホを取り出し、LINEのバーコードを表示した。

「違う名前で登録して」
「小林太郎にしよ」

 ちまちまと画面を操作しながらうれしそうにする姿を、つい、可愛いと思ってしまった。
 手放しに可愛がってしまっていいのだろうか?
 いや、良くないだろう。
 そう思うのに、僕の名前を呼ぶ艶やかな記憶がチラついて、自分の意志がぐらつく音がする。

「家の事情は、学校の友達は知ってるの?」
「知らない。泊まり歩いてるのとかも」
「担任に言えたの、えらい」
「朋之さんは優しくしてくれそうだと思ったから」

 入力し終えた直貴は、スマホをテーブルの端に寄せて、にっこり笑った。
 うれしそう。楽しそう。
 いつもこんな表情でいてくれたら、どこにでもいる普通の中学生なのになと思う。

「この生活はいつから?」
「虐待っぽいのはちっちゃい頃からで、人の家に泊まるようになったのは小6の終わり」
「じゃあもう、3年くらい?」
「うん。小学生が夜中に新宿ふらついてたらおかしいし、誰かは心配して声かけてくれるから」
「本当に親切な人は、交番に送り届けてくれるんだけどね」
「そしたらダッシュで逃げる」

 何でもない風に言う直貴の伏せた目を見たら、たまらなくなってしまった。

「僕は生徒の何を見てたんだろうな。ごめんね、こんな風になるまで気づかなくて」
「え!? 朋之さんが謝ることじゃない! 全力で隠してたし気づくはずないし」
「……本当に、教員6年やってるけど、今まで見た中で一番酷いよ。男の子が体売り歩いてるって」

 売り歩く、なんて野蛮な表現をしたのは、わざとだ。
 こうでも言わなければ、この子は、自分のしていたことを『お礼』としか思えないだろうから。
 案の定、目を見開く。

「え、そんな、エロとか武器に生きてたわけじゃないよ。そんなキャラでもないし、毎回ってわけじゃないし、そういう展開になったらそうってだけで……」

「一緒だよ。求められたら拒めないんだから」
「でも俺も気持ち良かったし相手が絶対悪いってわけでも……」
「もうかばわなくていいんだよ、その人たちは。直貴の人生に関係ないんだから」

 直貴はハッと顔を上げた。
 そして、顔を歪める。

「……俺、もう、他の家行かなくてもいいの?」
「うん。今すぐ全部切っちゃいなさい」
「でも、朋之さんが無理になったら? 切っちゃって、もしそのあとやっぱりってなった時、頼れる人がいないと」
「無理になりません」

 再びスマホをたぐり寄せた直貴は、泣きながらひとりひとりブロックし、トークルームを削除した。
 残ったのは、家族、クラスメイト、公式アカウント、そして小林太郎。

 直貴は、ずるずると鼻をすすりながら、僕の服の裾を掴んだ。

「あの、6月に出した進路希望調査、あれ訂正して……」
「ん? えーっとたしか、都立が第一志望だったよね?」
「うん。あれ、やめる。中卒で働く」
「どうして? 高校は出ておいた方がいいよ」
「……親から離れたい」

 ふむ、と言って、僕は腕を組んだ。
 至極真っ当な判断だと思ったからだ。

 直貴の成績ならそこそこの高校に行けるので、中卒で人生を決めてしまうのはもったいなくはあるが、親元から通い続けている限り、家の呪縛からは逃れられない。

 泣き止んだらしい直貴は、頬に落ちた涙を手の甲で拭った。
 僕はそっと、頭をなでる。

「……まあ、高校はいつでもいけるからね。卒業して働いて、お金を貯めて通信制に行くとか。色々道はあるし、まずは自立を目指そうか」

「でも、急に進路変えて親にバレない? 他の先生とかに怪しまれるのもやだし」

「教員としては最悪の提案だけど、こんな力技もある。レベルの高い都立1本で受けて、わざと落ちる。とりあえずフリーターへ」
「あ、それいい。ひとりだけ就活対策とかやってたら、友達になんか思われそうだし」

 悪い提案をしたつもりはない。
 卒業まで、安全なうちで保護すればいい。
 自立を促すのは、教員の役目だ。

 しかし、生徒を抱いて、交友関係を絶たせて、持ってはいけない感情を持ち始めてしまっている僕は?

 ……いや、そんなものはひっそりと捨てればいいのだ。
 せっかく元の道に戻りはじめたこの子を、迷わせてはいけない。
 そう思うけれど。
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