4 / 4
第4話 街のはずれのダンスパーティー
しおりを挟む
たったひとつの出来事で世界が激変するのにそう時間はかからない。
そして僕だけが取り残されたと思ったけれど。
一緒に取り残された人がいるのなら、それも悪くないのかもしれない。
アカデミーの一室で僕は追試をしていた。
逃げることなく腕の中であくびをする青い猫は、囁き(改)により顕現した精霊だ。
実験は成功したのだけれど、彼は僕と積極的に話そうとはしなかった。
「一つお願いがあるのだけれど」
『聞かぬ。貴殿は我と話すよりも先にやることがあろう』
子猫の姿に不釣り合いな渋い声で精霊がうそぶく。
猫らしいといえば猫らしいきまぐれな様子は、精霊の本来の性質なのか、囁き(改)の性質なのか。
「頼みたいのはそのことなんですが……」
『ほう。研究よりも惚れたおなごに想いを伝えることを優先しようというか。なれば我らもやぶさかではないぞ』
精霊に言われるまでもない。
研究よりも恋情を優先するようになるとは自分でも驚いている。
僕は僕を置いていった世界をソフィアさんと一緒に歩きたいのだ。
§
客のいない書店で、とことこと箒がステップを踏む。
遊んでいるようにしか見えないが、持ち主の魔女にだけは何を言っているのか伝わってくるのだ。
「顕現に成功したようだねぇ」
箒は柄の部分を曲げて頷くとダンスに満足したのか、通路を掃き始めた。
「そう、囁きに必要なのは、愛なのさ」
ふぇっふぇ、と呟いて、自らが始まりの魔女と呼ばれるようになった時に受けた夫からのプロポーズの言葉を思い返しながら、はたきでほこりを落としていく。
床に落ちたほこりを踊るように集めていく箒は、若い二人の門出を祝うかのように軽やかだった。
§
囁きの改良に成功して以降、ローワンさんは論文執筆に忙しいと言って書店に寄ることはなかった。
バゲットを持参して昼食を一緒に食べてはいたけれど。
もう私も仕事のついでという口実を投げ捨ててアカデミーを訪れていたのだ。
エミリーや店長には随分と冷やかされた。
そうして二人で過ごす時間がお昼ご飯だけになってしばらく経った頃。
今日は街中がそわそわしている。
豊穣を祝う祭りの日なのだ。
見せたいものがあるというローワンさんに連れ添って、夕暮れ時に街のはずれに移動した。
中心部を避けているということは祭りの出店や出し物を一緒に見て回ろうということではない。
「お祭りに誘ってくれたのかと思っていたのですが、どこまで行くのですか?」
「ここです。少しだけ待ってもらえますか」
夕焼け空がだんだんと暗さを増していった。
もともと準備していたのか、日が暮れると同時に陰に隠れていた精霊猫ちゃんが何匹も空を飛び始めた。
光る猫ちゃんが飛び回るのを眺めていた私に、ローワンさんは胸ポケットから箱を取り出して、こう言った。
「これをもらってくれませんか」
手にした箱をぱかりと開けると、ローワンさんの瞳に似た深緑のガーネットがあしらわれた指輪が光っていた。
形だけ口だけの婚約ではなく、雰囲気を作ったうえで渡される婚約指輪だ。
わかっていてもつい軽口をたたいてしまう。
「ローワンさんも流行に乗ったということですね」
「僕が流行に疎いのは知っているでしょう?」
頷く私は手を差し出した。
ローワンさんはゆっくりと指輪をつけてくれた。
指輪が輝く手の甲に口づけをしてくれたローワンさんは、やっぱり犬みたいで。
くすぐったくて、でもうれしくて。
左手の薬指にはめてもらった指輪は、羽ペン並みに軽いのかもしれないけれど、確かに私たち二人の想いを背負った確かな重みを感じさせた。
世間ではきっと羽ペンみたいな重みしかなくなった婚約というステータスが、私たちの間ではしっかりと価値を保っていた。
「婚約成立ですね」
「よかった。緊張しました」
少し背伸びして顔を寄せると、ローワンさんから唇を合わせてくれた。
そのまま彼の方に倒れ込んで抱き着いた。
街のはずれにいても中心部からは音楽が響いてくる。
数匹の光る子猫が飛び回る中、聞こえてくる音に合わせて二人だけで静かに踊り続けた。
完
そして僕だけが取り残されたと思ったけれど。
一緒に取り残された人がいるのなら、それも悪くないのかもしれない。
アカデミーの一室で僕は追試をしていた。
逃げることなく腕の中であくびをする青い猫は、囁き(改)により顕現した精霊だ。
実験は成功したのだけれど、彼は僕と積極的に話そうとはしなかった。
「一つお願いがあるのだけれど」
『聞かぬ。貴殿は我と話すよりも先にやることがあろう』
子猫の姿に不釣り合いな渋い声で精霊がうそぶく。
猫らしいといえば猫らしいきまぐれな様子は、精霊の本来の性質なのか、囁き(改)の性質なのか。
「頼みたいのはそのことなんですが……」
『ほう。研究よりも惚れたおなごに想いを伝えることを優先しようというか。なれば我らもやぶさかではないぞ』
精霊に言われるまでもない。
研究よりも恋情を優先するようになるとは自分でも驚いている。
僕は僕を置いていった世界をソフィアさんと一緒に歩きたいのだ。
§
客のいない書店で、とことこと箒がステップを踏む。
遊んでいるようにしか見えないが、持ち主の魔女にだけは何を言っているのか伝わってくるのだ。
「顕現に成功したようだねぇ」
箒は柄の部分を曲げて頷くとダンスに満足したのか、通路を掃き始めた。
「そう、囁きに必要なのは、愛なのさ」
ふぇっふぇ、と呟いて、自らが始まりの魔女と呼ばれるようになった時に受けた夫からのプロポーズの言葉を思い返しながら、はたきでほこりを落としていく。
床に落ちたほこりを踊るように集めていく箒は、若い二人の門出を祝うかのように軽やかだった。
§
囁きの改良に成功して以降、ローワンさんは論文執筆に忙しいと言って書店に寄ることはなかった。
バゲットを持参して昼食を一緒に食べてはいたけれど。
もう私も仕事のついでという口実を投げ捨ててアカデミーを訪れていたのだ。
エミリーや店長には随分と冷やかされた。
そうして二人で過ごす時間がお昼ご飯だけになってしばらく経った頃。
今日は街中がそわそわしている。
豊穣を祝う祭りの日なのだ。
見せたいものがあるというローワンさんに連れ添って、夕暮れ時に街のはずれに移動した。
中心部を避けているということは祭りの出店や出し物を一緒に見て回ろうということではない。
「お祭りに誘ってくれたのかと思っていたのですが、どこまで行くのですか?」
「ここです。少しだけ待ってもらえますか」
夕焼け空がだんだんと暗さを増していった。
もともと準備していたのか、日が暮れると同時に陰に隠れていた精霊猫ちゃんが何匹も空を飛び始めた。
光る猫ちゃんが飛び回るのを眺めていた私に、ローワンさんは胸ポケットから箱を取り出して、こう言った。
「これをもらってくれませんか」
手にした箱をぱかりと開けると、ローワンさんの瞳に似た深緑のガーネットがあしらわれた指輪が光っていた。
形だけ口だけの婚約ではなく、雰囲気を作ったうえで渡される婚約指輪だ。
わかっていてもつい軽口をたたいてしまう。
「ローワンさんも流行に乗ったということですね」
「僕が流行に疎いのは知っているでしょう?」
頷く私は手を差し出した。
ローワンさんはゆっくりと指輪をつけてくれた。
指輪が輝く手の甲に口づけをしてくれたローワンさんは、やっぱり犬みたいで。
くすぐったくて、でもうれしくて。
左手の薬指にはめてもらった指輪は、羽ペン並みに軽いのかもしれないけれど、確かに私たち二人の想いを背負った確かな重みを感じさせた。
世間ではきっと羽ペンみたいな重みしかなくなった婚約というステータスが、私たちの間ではしっかりと価値を保っていた。
「婚約成立ですね」
「よかった。緊張しました」
少し背伸びして顔を寄せると、ローワンさんから唇を合わせてくれた。
そのまま彼の方に倒れ込んで抱き着いた。
街のはずれにいても中心部からは音楽が響いてくる。
数匹の光る子猫が飛び回る中、聞こえてくる音に合わせて二人だけで静かに踊り続けた。
完
0
お気に入りに追加
7
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。
ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」
はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。
「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」
──ああ。そんな風に思われていたのか。
エリカは胸中で、そっと呟いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。
Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。
それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。
そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。
しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。
命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─?
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる