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第4話 街のはずれのダンスパーティー
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たったひとつの出来事で世界が激変するのにそう時間はかからない。
そして僕だけが取り残されたと思ったけれど。
一緒に取り残された人がいるのなら、それも悪くないのかもしれない。
アカデミーの一室で僕は追試をしていた。
逃げることなく腕の中であくびをする青い猫は、囁き(改)により顕現した精霊だ。
実験は成功したのだけれど、彼は僕と積極的に話そうとはしなかった。
「一つお願いがあるのだけれど」
『聞かぬ。貴殿は我と話すよりも先にやることがあろう』
子猫の姿に不釣り合いな渋い声で精霊がうそぶく。
猫らしいといえば猫らしいきまぐれな様子は、精霊の本来の性質なのか、囁き(改)の性質なのか。
「頼みたいのはそのことなんですが……」
『ほう。研究よりも惚れたおなごに想いを伝えることを優先しようというか。なれば我らもやぶさかではないぞ』
精霊に言われるまでもない。
研究よりも恋情を優先するようになるとは自分でも驚いている。
僕は僕を置いていった世界をソフィアさんと一緒に歩きたいのだ。
§
客のいない書店で、とことこと箒がステップを踏む。
遊んでいるようにしか見えないが、持ち主の魔女にだけは何を言っているのか伝わってくるのだ。
「顕現に成功したようだねぇ」
箒は柄の部分を曲げて頷くとダンスに満足したのか、通路を掃き始めた。
「そう、囁きに必要なのは、愛なのさ」
ふぇっふぇ、と呟いて、自らが始まりの魔女と呼ばれるようになった時に受けた夫からのプロポーズの言葉を思い返しながら、はたきでほこりを落としていく。
床に落ちたほこりを踊るように集めていく箒は、若い二人の門出を祝うかのように軽やかだった。
§
囁きの改良に成功して以降、ローワンさんは論文執筆に忙しいと言って書店に寄ることはなかった。
バゲットを持参して昼食を一緒に食べてはいたけれど。
もう私も仕事のついでという口実を投げ捨ててアカデミーを訪れていたのだ。
エミリーや店長には随分と冷やかされた。
そうして二人で過ごす時間がお昼ご飯だけになってしばらく経った頃。
今日は街中がそわそわしている。
豊穣を祝う祭りの日なのだ。
見せたいものがあるというローワンさんに連れ添って、夕暮れ時に街のはずれに移動した。
中心部を避けているということは祭りの出店や出し物を一緒に見て回ろうということではない。
「お祭りに誘ってくれたのかと思っていたのですが、どこまで行くのですか?」
「ここです。少しだけ待ってもらえますか」
夕焼け空がだんだんと暗さを増していった。
もともと準備していたのか、日が暮れると同時に陰に隠れていた精霊猫ちゃんが何匹も空を飛び始めた。
光る猫ちゃんが飛び回るのを眺めていた私に、ローワンさんは胸ポケットから箱を取り出して、こう言った。
「これをもらってくれませんか」
手にした箱をぱかりと開けると、ローワンさんの瞳に似た深緑のガーネットがあしらわれた指輪が光っていた。
形だけ口だけの婚約ではなく、雰囲気を作ったうえで渡される婚約指輪だ。
わかっていてもつい軽口をたたいてしまう。
「ローワンさんも流行に乗ったということですね」
「僕が流行に疎いのは知っているでしょう?」
頷く私は手を差し出した。
ローワンさんはゆっくりと指輪をつけてくれた。
指輪が輝く手の甲に口づけをしてくれたローワンさんは、やっぱり犬みたいで。
くすぐったくて、でもうれしくて。
左手の薬指にはめてもらった指輪は、羽ペン並みに軽いのかもしれないけれど、確かに私たち二人の想いを背負った確かな重みを感じさせた。
世間ではきっと羽ペンみたいな重みしかなくなった婚約というステータスが、私たちの間ではしっかりと価値を保っていた。
「婚約成立ですね」
「よかった。緊張しました」
少し背伸びして顔を寄せると、ローワンさんから唇を合わせてくれた。
そのまま彼の方に倒れ込んで抱き着いた。
街のはずれにいても中心部からは音楽が響いてくる。
数匹の光る子猫が飛び回る中、聞こえてくる音に合わせて二人だけで静かに踊り続けた。
完
そして僕だけが取り残されたと思ったけれど。
一緒に取り残された人がいるのなら、それも悪くないのかもしれない。
アカデミーの一室で僕は追試をしていた。
逃げることなく腕の中であくびをする青い猫は、囁き(改)により顕現した精霊だ。
実験は成功したのだけれど、彼は僕と積極的に話そうとはしなかった。
「一つお願いがあるのだけれど」
『聞かぬ。貴殿は我と話すよりも先にやることがあろう』
子猫の姿に不釣り合いな渋い声で精霊がうそぶく。
猫らしいといえば猫らしいきまぐれな様子は、精霊の本来の性質なのか、囁き(改)の性質なのか。
「頼みたいのはそのことなんですが……」
『ほう。研究よりも惚れたおなごに想いを伝えることを優先しようというか。なれば我らもやぶさかではないぞ』
精霊に言われるまでもない。
研究よりも恋情を優先するようになるとは自分でも驚いている。
僕は僕を置いていった世界をソフィアさんと一緒に歩きたいのだ。
§
客のいない書店で、とことこと箒がステップを踏む。
遊んでいるようにしか見えないが、持ち主の魔女にだけは何を言っているのか伝わってくるのだ。
「顕現に成功したようだねぇ」
箒は柄の部分を曲げて頷くとダンスに満足したのか、通路を掃き始めた。
「そう、囁きに必要なのは、愛なのさ」
ふぇっふぇ、と呟いて、自らが始まりの魔女と呼ばれるようになった時に受けた夫からのプロポーズの言葉を思い返しながら、はたきでほこりを落としていく。
床に落ちたほこりを踊るように集めていく箒は、若い二人の門出を祝うかのように軽やかだった。
§
囁きの改良に成功して以降、ローワンさんは論文執筆に忙しいと言って書店に寄ることはなかった。
バゲットを持参して昼食を一緒に食べてはいたけれど。
もう私も仕事のついでという口実を投げ捨ててアカデミーを訪れていたのだ。
エミリーや店長には随分と冷やかされた。
そうして二人で過ごす時間がお昼ご飯だけになってしばらく経った頃。
今日は街中がそわそわしている。
豊穣を祝う祭りの日なのだ。
見せたいものがあるというローワンさんに連れ添って、夕暮れ時に街のはずれに移動した。
中心部を避けているということは祭りの出店や出し物を一緒に見て回ろうということではない。
「お祭りに誘ってくれたのかと思っていたのですが、どこまで行くのですか?」
「ここです。少しだけ待ってもらえますか」
夕焼け空がだんだんと暗さを増していった。
もともと準備していたのか、日が暮れると同時に陰に隠れていた精霊猫ちゃんが何匹も空を飛び始めた。
光る猫ちゃんが飛び回るのを眺めていた私に、ローワンさんは胸ポケットから箱を取り出して、こう言った。
「これをもらってくれませんか」
手にした箱をぱかりと開けると、ローワンさんの瞳に似た深緑のガーネットがあしらわれた指輪が光っていた。
形だけ口だけの婚約ではなく、雰囲気を作ったうえで渡される婚約指輪だ。
わかっていてもつい軽口をたたいてしまう。
「ローワンさんも流行に乗ったということですね」
「僕が流行に疎いのは知っているでしょう?」
頷く私は手を差し出した。
ローワンさんはゆっくりと指輪をつけてくれた。
指輪が輝く手の甲に口づけをしてくれたローワンさんは、やっぱり犬みたいで。
くすぐったくて、でもうれしくて。
左手の薬指にはめてもらった指輪は、羽ペン並みに軽いのかもしれないけれど、確かに私たち二人の想いを背負った確かな重みを感じさせた。
世間ではきっと羽ペンみたいな重みしかなくなった婚約というステータスが、私たちの間ではしっかりと価値を保っていた。
「婚約成立ですね」
「よかった。緊張しました」
少し背伸びして顔を寄せると、ローワンさんから唇を合わせてくれた。
そのまま彼の方に倒れ込んで抱き着いた。
街のはずれにいても中心部からは音楽が響いてくる。
数匹の光る子猫が飛び回る中、聞こえてくる音に合わせて二人だけで静かに踊り続けた。
完
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