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約束の時間は午後一時半。
ポケットから取り出した時計を確認すると、今は午後一時二十五分。
県警本部長の執務室……つまり、桃実警視監の部屋の前で十束は緊張した面持ちで扉を見つめていた。
隣には、いつもの人を食ったような余裕はどこへやら、珍しく顔を強張らせたユーコが寄り添っている。
事の発端は午前中、十束が事務仕事を片付けている最中のことだった。
桃実と話す機会を作るため、どう動くべきか……まずは、直属の上司である捜査一課長に話を通して、総務課にスケジュールを確認、アポイントメントをとって……。
さしあたって、捜査一課長にどう話を通すべきか……。
すでに捜査の第一線から退いている自分が、生首事件のことで改めてアポをとるにはどんな口実が相応しいだろうか。
仕事をこなしつつ、あれこれと考えを巡らせている十束の肩を、誰かが後ろからポンと叩いた。
「やぁ、十束くん。……怪我の調子はどうだね?」
振り向くとそこには、なにやら含みがありそうな表情を浮かべて捜査一課長が立っていた。
「課長……!」
まるで見計らったような課長の出現に内心度肝を抜かれながらも、十束は当り障りのない応答に努めた。
椅子を引いて十束の隣に腰かけた課長は、何となく上の空で十束の返答を聞き流している様子だった。
普段から当り障りのない無駄話などめったにしない課長がこんな話題を振って来たことになんとなく違和感を覚える。
「課長……何か御用があるんじゃ?」
いつもはストレートに命令を下す課長が珍しく何かを言い淀んでいるのを察して、十束の方から水を向けてみた。
「いや、実は……」
首を軽く振り、一課長は十束の顔をまじまじと見つめた後にやっと用件を切り出した。
「桃実警視監がお呼びだ。君と二人で話したいと」
「は……?」
一瞬、心臓がバクンと跳ね上がった気がした。桃実警視監が、なんだってまた……。
「そうですか……桃実警視監が?」
「なんでも、連続生首事件に関することで質問があるそうだ」
「へえ? 私はもう捜査の第一線からは外れているのに……。一体何を聞きたいんでしょうね?」
課長の疑わしさを含んだ視線がちらちらと投げかけられるのを感じつつも、何とか冷静を装って十束は尋ねた。
「それは私にもわからん。午後一時半に執務室まで来てくれとのことだ」
しっかりやれよ、というつもりか、課長は十束の肩にもう一度手をかけポンポンと叩いた。
課長が部屋を出て行くのを確認した後、十束は急いでスマホを取り出し、ヨミにメールした。
『急きょ、桃実警視監と面談することになった。午後一時頃に県警にくるようユーコに伝えてくれ』
メールを打ちながら、額に冷や汗が浮かんでいることに気づいた。
――これが、全くの偶然と言えるのか? 警視監は何か勘づいているんじゃないのか……?
「私、あの人苦手なんだけど……」
午後一時、県警の入り口にやって来たユーコはなんとなく不機嫌そうだった。
「昨日の話し合いでは、同席してくれる約束だったろ?」
桃実にユーコが『視えている』というなら、その場にいてもらえたほうが何かと話が早い。
乗り気でないユーコを説き伏せ、桃実との面談に来るように約束を取りつけたものの、こうまでとんとん拍子に進むとは思っていなかった。
「何日か先になると思ってたのに。まだ私的には心の準備ができてないのよね」
唇を尖らせてぶつくさと文句をいうユーコを見ながら、十束は大きくため息を吐いた。
「心の準備ができてないのは、俺も同じだよ。……とにかくこうなったら腹をくくるしかないだろう」
時計を一瞥すると、ちょうどきっかり一時半を指している。
とりあえずドアをノックしようと扉に向かって手を伸ばす。
ちらりと脇へ視線をやると、諦めたような表情を浮かべたユーコがそれでもこっくりと頷いて見せた。
「入りたまえ」
ノックの後、深みのある落ち着いた声がそう告げるのを待って十束は恐る恐るドアを開いた。
部屋の中にいるのは桃実警視監一人だけ。
ドアから真正面、部屋の奥には窓を背にして大きなデスクが据え付けられている。
相変わらず一分の隙も無く制服を着込み、背筋をしゃんと伸ばした桃実警視監が椅子に座って十束を見つめていた。
後ろめたいことなど何もないはずなのに、鋭い視線を投げかけられて全身に緊張が走る。
「捜査一課の十束です」
十束の言葉に軽く頷くと、桃実警視監はデスクの前に置かれた二つの簡易椅子を片手で示した。
――課長は『二人で』と言っていたハズだが……。何で二脚?
「かけたまえ。……そこのお嬢さんも遠慮せず座りなさい」
「……!」
一瞬で十束の顔が強張り、ユーコはビクリと身を震わせると慌てて十束の後ろに隠れた。
「……すまない、驚かせてしまったかな」
厳しい表情が崩れ、ほんの一瞬だけ桃実の頬にかすかな微笑みが浮かべられた。
「あの……桃実警視監」
ここまで来たらもう引き返すことはできない。
覚悟を決めて十束は真正面から桃実を見つめた。
「彼女が、視えているんですね?」
「ああ、視えているとも」
一瞬のためらいもなく、桃実は穏やかな表情でそう答えた。
あくまで冷静な桃実の態度に驚きを感じながら、十束はユーコを振り返った。
意を決したようにユーコは十束の影から進み出ると並べられた椅子の片方に腰かけた。
かなり緊張しているのか唇が真一文字に結ばれている。
十束がもう一つの椅子に座った直後、ユーコがおずおずと口を開いた。
「じゃあ警視監さん、私の声は聞こえる?」
「聞こえている。はっきりとね」
「……そう」
複雑そうな表情を浮かべユーコは俯き、視線を落とした。
「あの、連続生首事件に関してご質問があるそうですが……」
それきり黙ってしまったユーコに代わって十束が切り出すと、桃実はゆっくりと頷いた。
「この際だから単刀直入に訊かせてもらうが……そちらのお嬢さんが関わっているんだろう」
桃実の口調は質問というよりは断定に近いものだった。
「……待ってください、彼女にもいろいろな事情があってですね」
青ざめた顔で身をすくませるユーコを庇うように、十束は椅子から立ち上がって弁明を始めようとした。
対する桃実は『落ち着け』と言わんばかりに十束に向けて制するように片手を上げ、視線をユーコに向けた。
その口許にはなぜか優し気な微笑みすら浮かべられている。
ポケットから取り出した時計を確認すると、今は午後一時二十五分。
県警本部長の執務室……つまり、桃実警視監の部屋の前で十束は緊張した面持ちで扉を見つめていた。
隣には、いつもの人を食ったような余裕はどこへやら、珍しく顔を強張らせたユーコが寄り添っている。
事の発端は午前中、十束が事務仕事を片付けている最中のことだった。
桃実と話す機会を作るため、どう動くべきか……まずは、直属の上司である捜査一課長に話を通して、総務課にスケジュールを確認、アポイントメントをとって……。
さしあたって、捜査一課長にどう話を通すべきか……。
すでに捜査の第一線から退いている自分が、生首事件のことで改めてアポをとるにはどんな口実が相応しいだろうか。
仕事をこなしつつ、あれこれと考えを巡らせている十束の肩を、誰かが後ろからポンと叩いた。
「やぁ、十束くん。……怪我の調子はどうだね?」
振り向くとそこには、なにやら含みがありそうな表情を浮かべて捜査一課長が立っていた。
「課長……!」
まるで見計らったような課長の出現に内心度肝を抜かれながらも、十束は当り障りのない応答に努めた。
椅子を引いて十束の隣に腰かけた課長は、何となく上の空で十束の返答を聞き流している様子だった。
普段から当り障りのない無駄話などめったにしない課長がこんな話題を振って来たことになんとなく違和感を覚える。
「課長……何か御用があるんじゃ?」
いつもはストレートに命令を下す課長が珍しく何かを言い淀んでいるのを察して、十束の方から水を向けてみた。
「いや、実は……」
首を軽く振り、一課長は十束の顔をまじまじと見つめた後にやっと用件を切り出した。
「桃実警視監がお呼びだ。君と二人で話したいと」
「は……?」
一瞬、心臓がバクンと跳ね上がった気がした。桃実警視監が、なんだってまた……。
「そうですか……桃実警視監が?」
「なんでも、連続生首事件に関することで質問があるそうだ」
「へえ? 私はもう捜査の第一線からは外れているのに……。一体何を聞きたいんでしょうね?」
課長の疑わしさを含んだ視線がちらちらと投げかけられるのを感じつつも、何とか冷静を装って十束は尋ねた。
「それは私にもわからん。午後一時半に執務室まで来てくれとのことだ」
しっかりやれよ、というつもりか、課長は十束の肩にもう一度手をかけポンポンと叩いた。
課長が部屋を出て行くのを確認した後、十束は急いでスマホを取り出し、ヨミにメールした。
『急きょ、桃実警視監と面談することになった。午後一時頃に県警にくるようユーコに伝えてくれ』
メールを打ちながら、額に冷や汗が浮かんでいることに気づいた。
――これが、全くの偶然と言えるのか? 警視監は何か勘づいているんじゃないのか……?
「私、あの人苦手なんだけど……」
午後一時、県警の入り口にやって来たユーコはなんとなく不機嫌そうだった。
「昨日の話し合いでは、同席してくれる約束だったろ?」
桃実にユーコが『視えている』というなら、その場にいてもらえたほうが何かと話が早い。
乗り気でないユーコを説き伏せ、桃実との面談に来るように約束を取りつけたものの、こうまでとんとん拍子に進むとは思っていなかった。
「何日か先になると思ってたのに。まだ私的には心の準備ができてないのよね」
唇を尖らせてぶつくさと文句をいうユーコを見ながら、十束は大きくため息を吐いた。
「心の準備ができてないのは、俺も同じだよ。……とにかくこうなったら腹をくくるしかないだろう」
時計を一瞥すると、ちょうどきっかり一時半を指している。
とりあえずドアをノックしようと扉に向かって手を伸ばす。
ちらりと脇へ視線をやると、諦めたような表情を浮かべたユーコがそれでもこっくりと頷いて見せた。
「入りたまえ」
ノックの後、深みのある落ち着いた声がそう告げるのを待って十束は恐る恐るドアを開いた。
部屋の中にいるのは桃実警視監一人だけ。
ドアから真正面、部屋の奥には窓を背にして大きなデスクが据え付けられている。
相変わらず一分の隙も無く制服を着込み、背筋をしゃんと伸ばした桃実警視監が椅子に座って十束を見つめていた。
後ろめたいことなど何もないはずなのに、鋭い視線を投げかけられて全身に緊張が走る。
「捜査一課の十束です」
十束の言葉に軽く頷くと、桃実警視監はデスクの前に置かれた二つの簡易椅子を片手で示した。
――課長は『二人で』と言っていたハズだが……。何で二脚?
「かけたまえ。……そこのお嬢さんも遠慮せず座りなさい」
「……!」
一瞬で十束の顔が強張り、ユーコはビクリと身を震わせると慌てて十束の後ろに隠れた。
「……すまない、驚かせてしまったかな」
厳しい表情が崩れ、ほんの一瞬だけ桃実の頬にかすかな微笑みが浮かべられた。
「あの……桃実警視監」
ここまで来たらもう引き返すことはできない。
覚悟を決めて十束は真正面から桃実を見つめた。
「彼女が、視えているんですね?」
「ああ、視えているとも」
一瞬のためらいもなく、桃実は穏やかな表情でそう答えた。
あくまで冷静な桃実の態度に驚きを感じながら、十束はユーコを振り返った。
意を決したようにユーコは十束の影から進み出ると並べられた椅子の片方に腰かけた。
かなり緊張しているのか唇が真一文字に結ばれている。
十束がもう一つの椅子に座った直後、ユーコがおずおずと口を開いた。
「じゃあ警視監さん、私の声は聞こえる?」
「聞こえている。はっきりとね」
「……そう」
複雑そうな表情を浮かべユーコは俯き、視線を落とした。
「あの、連続生首事件に関してご質問があるそうですが……」
それきり黙ってしまったユーコに代わって十束が切り出すと、桃実はゆっくりと頷いた。
「この際だから単刀直入に訊かせてもらうが……そちらのお嬢さんが関わっているんだろう」
桃実の口調は質問というよりは断定に近いものだった。
「……待ってください、彼女にもいろいろな事情があってですね」
青ざめた顔で身をすくませるユーコを庇うように、十束は椅子から立ち上がって弁明を始めようとした。
対する桃実は『落ち着け』と言わんばかりに十束に向けて制するように片手を上げ、視線をユーコに向けた。
その口許にはなぜか優し気な微笑みすら浮かべられている。
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