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橘 金春

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 目を開くと、そこは再び暗闇だった。

 十束は闇の中で目を瞬き、両手を動かしが自分のものであることを確認した。

 手を伸ばし、枕元に置いたスマホを探り当て、画面をのぞき込む。

 明るくなった画面に映った日付は九月二十六日、時刻は間もなく深夜一時半。

 スマホの明かりでボンヤリと浮かび上がる室内は、まぎれもなく県警本部の仮眠室であり――弟切の部屋であるわけがない。

 安堵のため息を漏らした後、十束は片手で顔を覆った。

 ――まったく、なんて夢だ……。

 生々しい血の匂いや弟切の背中に突き立てた包丁の手ごたえまで、『夢』の中の出来事はまだハッキリと思い出せる。

 酷く汗をかき、全身が怠い。

 起き上がる気力はないに等しかったが、二度寝をして夢の続きを見るのはもっと恐ろしい。

 無理やり身体を起こすと十束はのろのろとした足取りでシャワー室へ向かった。


 ※※※


 熱いシャワーを浴びてようやく少し落ち着きはしたが、悪夢をみた仮眠室に戻る気はしなかった。

 再びスーツに着替えると、十束は捜査一課のデスクへ戻って椅子に腰かけた。

 タバコでも吸って気分を紛らわせたいところだったが、あいにく禁煙中で持ち合わせがない。

 そもそもS県警本部は所轄庁舎も含めて全屋内で禁煙と決められている。

 手持ち無沙汰で、何気なく開けた机の引き出しには桃味の飴が転がっていた。

 いつ、誰にもらったものかも思い出せなかったが何もないよりはマシ、とばかりに口の中に放り込む。

 優しい甘みと桃の香りが口の中に広がり、夢の中で感じていた血生臭さが薄れていくようだった。

 ――……それにしても訳の分からない、おかしな夢だったな。

 夢の中に出て来たセーラー服の女の子に十束は全く心当たりがない。

 家庭にも学校にも全く問題がなさそうな、ごく普通の女子生徒。

 死の直前まで平凡で穏やかな日々を送っていた彼女が、なぜあんな悲劇に巻き込まれなければならなかったのだろう。

 その上、あの子は死んだ後に――少女連続誘拐殺人犯の弟切の家で、弟切らしき男を包丁で刺していた。

 おおかた、寝る前に聞いた幽霊の話と犯人が見つからないストレスが原因して見た夢なのだろう――考えても仕方のないことだ。

 ギシ、と寄り掛かった椅子の背もたれが音を立てる。

 暗い天井を見上げたまま、十束はそっと手で顔を覆った。

 ――引きずられるな、あれは夢なんだ。ただの、夢だ。

 警察学校を卒業し、数年の交番勤めを経て刑事課に配属されて何年も経つ。その間には凄惨な事件事故現場を何度も見聞きしてきた。

 いくら悲惨な事件事故とはいえ、一つ一つに感情移入していてはあっという間に心身が擦り切れてしまう。

 ましてやあれは夢だ。現実ではないのだから悩むだけ無駄だ。

 無駄、無駄なんだ……自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟いたが、夢の内容が頭から離れない。

 十束を現実に引き戻したのはシンと静まり返った廊下をこちらに向かってくるパタパタと慌ただしい足音だった。

「……十束先輩! ここに居たんですか!」

 息をきらせて部屋に駆け込んできたのは榊だった。

「今、鑑識の方から連絡があって……犯人らしき人物が映っている映像が見つかったそうです!」

「なんだと!」

「俺達にも確認のため来てほしいそうです! 急ぎましょう!」

 興奮した様子の榊の後を追って十束は部屋を飛び出し、鑑識課へ向かう。

 ずらりとモニターやパソコンが並んだ、鑑識課の中でも映像を専門に取り扱う部署の中には、すでに数人の鑑識官と十束とは別のチームの捜査官が待ち構えていた。

 一件目の事件発生からすでに一カ月半以上経過しているのに、警察署前に生首が置かれた連続殺人事件の証拠はまだ一切あがっていない。

 やっと見つけた証拠になるかもしれない映像を前に捜査員たちの期待と興奮が高まる。

「お待ちしてました! こちらです」

 モニターの前に十束と榊が通され、鑑識官が映像の入手場所について手短に説明した。

 映像は二件目の生首が遺棄された交番付近にある店舗の防犯カメラのものだった。

 店の入り口付近を撮影したもので当初は注目されていなかったが、画像を仔細に分析した結果、ガラス張りのショーウィンドウに犯人らしき人物が映っていることが判明したのだ。

 皆が画面を注視する中、映像が再生される。

「……こいつが、そうなのか」

 画面の中では紙袋を手に提げた人物が道を歩いていた。

 犯行時間は早朝――暗い時間帯の上、ガラスに反射した映像のため少し不明瞭だが、持っているのは確かに交番前で発見されたものと同じ紙袋だ。

 服装は暗い色合いのズボンとフード付きパーカー。フードを目深に被っているため、顔はよく見えない。

 だが、ついに犯人の痕跡を目の当たりにした捜査官たちは、興奮冷めやらぬ様子で口々に捲し立てる。

「くそ、顔が見えない!」

「そんなに背が高くないな。成人男性としても小柄なほうだ」

「服装は画像をさらに解析してブランドを割り出して――」

 そんな中、パソコン前に座って映像を再生した鑑識官の肩越しに十束がボソリと呟いた。

「すまないが、もう少し画像を鮮明にすることはできるか?」

「……わかりました」

 鑑識官がキーボードをたたく音、周囲の捜査官たちのざわめき。

 それらの音に混じって、か細い『声』が十束の耳元で囁いた。

『――……て』

 ブウン、とパソコンが唸り、突然モニターが映らなくなった。

 さらに追い打ちをかけるように部屋中の照明が消え、辺りは暗闇に包まれた。

「うわッ!」

「停電か!?」

 慌てふためく捜査員たちの中、十束は再び囁く声を聞く。

『見ないで』

 ……今度はハッキリと聞こえた。

 聞こえてきたのは、夢の中で聞いた少女の声だった。
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