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01(完)
しおりを挟む俺と犬猿の仲だとまで言われている同級生の笹塚が、突然おかしくなった。どうおかしいかというと、俺を見る目が柔らかくなり、まるで棘のとれた花咲く薔薇のような表情を見せたからだ。
「航(こう)、宿題やってきたか」
ぎょっと驚いたクラスのみんなの視線が笹塚に集まった。航、とは俺の名前だ。それを軽々しく呼ぶことは絶対にありえないことだった。そう、自他ともに認めるほど、笹塚は俺のことを毛嫌いしていた。
席に座っていた俺は、なにが起きたのかわからず、呆然とやつを見上げた。
「どうした、俺の顔に何かついてる?」
「いや……」
あまりにも笹塚の態度が違う。原因を探るために俺はこれから授業が始まるというのに、笹塚を校舎の裏に誘い出した。
「俺とお前が犬猿の仲?」
「昨日までな」
笹塚は首を傾げる。仲が悪いということに納得がいかなかったらしい。でも、俺の真剣なそぶりで、信じてくれたらしい。笹塚は、しばらく考え事をすると、そういえば登校中に目が回って、世界がぐにゃりと歪んだ感覚が自分を襲ったと言った。脳震盪でも起こしたのかと突っ込んだ俺に対して、笹塚はなぜかこの状況を笑う。
「もしかすると違う世界から来たのかもな」
あっけらかんと言った笹塚の、この非現実的な、ありえない答えをしかし、俺は否定することができなかった。むしろ肯ける。つい昨日まで俺のことを嫌っているやつがいきなり笑いかけてくるだろうか。しかも、口調まで違う。
笹塚が二重人格になった、ということも考えられないのだから、とにかくなんでもいい。納得できるものがあるならそれに縋りたかった。
「こっちの俺たちは恋人同士?」
「なわけないだろ、犬猿の仲なんだから……って、」
訝しげにみる俺に、照れくさそうにする笹塚。
「ラブラブだったんだけど」
胃が焼けるように熱い。フザケてるのか? 否、フザケてるわけがない、恋人を呼ぶような甘い声を出すこんな笹塚なんて俺は知らない。焼けた胃が、爛れていくような……虚しさが俺を襲う。
「じゃあ、……向こうの俺に非道いこと言ってるかもな」
「まさか、俺が。航に?」
笹塚の答えにようやく納得がいった。おそらく「あの出来事」を境に<世界が分岐>したようだった。俺の表情で笹塚も理解したらしい。なんて以心伝心なのだろうか。そこに傷ついている自分がいる。
「何が違ったんだろうな……」
「こっちの俺はバカだな、素直になれたら楽だったのにな」
「お前、……いいやつだな」
「航のおかげでな」
その笑顔はまさしく、初めて笹塚に恋したあの笑顔だった。少し泣きそうになった。そして、何日かしたあとすとん、とあいつは帰っていった。
(あの笹塚なんかに逢いたくなかった)
あのやさしい笑顔を。かつて自分にも向けられていた、あの懐かしい微笑みをもう一度見てしまうなんて……。
■ ■ ■
こっちの世界の笹塚が戻ってきたことは、雰囲気ですぐにわかった。笹塚に言わないといけないことがある。相手も同じことを思っていたようだった。向こうの笹塚と話をした同じ場所で、俺たちは最後の対話をするのだ。それはとても虚しいことだった。
「……あの日から、分岐したんだな」
「みたいだな」
やはり向こうで知ってしまったらしい。視線はお互い別の方向を向いている。笹塚の少し話にくそうな態度が、俺からしてみれば些か滑稽に見えた。自分が選択したんだ。以前のように振る舞えばいいと思う。そう、あの日から取り続けていた態度を……。
あの日……、それは、俺が笹塚に告白をした日だった。その時に受け入れてくれたのが向こうの笹塚で。
「てめえなんか視界にうつるな」
と言われたのがこっちの俺だったというわけだった。実にくだらなく、惨めで救いようのない話だった。
(俺たちは、あの日に終わったんだ)
「俺が、違う答えを出していたらあんな風になっていたのか?」
納得していないのは笹塚の方だったらしい。
「知らねえよ……」
あっちの世界は違っていただろう。あっちの世界で俺たちの仲が良いならそれでいい。
「そう、……だよな」
向こうの俺と、こっちの俺の何が違ったのか。それを確かめる術はない。そんな世界があったなんて、……知らない方が良かった。あっちだってこっちだって、俺が笹塚を好きだったことには変わりがない。
俺は笹塚が好きだった、それだけだ。それだけだったのだ。
あの日を境に笹塚が続けた俺への仕打ちは、ゆっくりとそして確実に「笹塚への感情」を見事に打ち砕いていた。
「もうすぐ卒業だろ、それまでは我慢してくれ。視界に入らないよう努力する。悪かったよ、変なことに付き合わせて」
俺は、本当の決別を笹塚に伝えたかったのだ。もう、なんとも思っていないから安心してくれと。この世界の俺たちは、もう交わることがないということを理解してしまったから……。
「じゃあな」
自分から言い放ったとはいえ、なんて捨て台詞だろう。校舎の裏に通った風は、これからやってくる春をひとつも感じさせない冷たい冷たいものだった。
終
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