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01(完)
しおりを挟む肩より少しみじかい亜麻色の髪をなびかせた椎橋(しいはし)が、校門の近くを颯爽と歩いていた。向こうも俺に気づいたのか、歩みをゆるめると女の子たちが見たら失神しそうな魔性の笑みをこちらに向けた。
「おはよう、泉ちゃん」
「はよっす」
今日も椎橋は爽やかなオトコマエだ。最初のころは耐性がなくて、この笑顔に俺の心臓はいかんともしがたい状態だったけれど、人間の「慣れ」というものは実にありがたい。今では嫌味な野郎だぜ、憎いぞこんちくしょうっ程度で済ますことができるのだ。そんな椎橋といっしょにくだらない話をしながら、校門を抜け昇降口に入る。下駄箱を開くと、白い手紙が上履きの上に置いてあった。
「なんだ、コレ」
「手紙……、だね」
椎橋をかるく見みたあと、迷いつつもおそるおそる手紙を開いた。
<大事な用があります。今日のお昼休みに屋上で待ってます。 枝谷(えだや)>
これは立派な呼びだしだ。よくある下駄箱シチュエーションでは、告白があるが、あいにく通っているこの高校は男子校。女の子がセキュリティーの厳重な校舎に入ることはないと考えると、送り主は男しかいない。ということは「果たし状」一択。何かしら恨まれるようなことをしたのだろうかと考えを巡らせていると、椎橋が俺の手紙を奪って読んだ。
「枝谷って、枝谷先輩の事じゃないのかな」
固まっている俺の横で、椎橋がつぶやいた。
「知ってるのか」
「この人サッカー部の副部長でしょ。忙しいのに生徒会役員も兼任してるはずだよ」
「へえ」
全く知らない。しかし、そんな人間に呼び出されるようなことをしたのだろうか。会ったこともないのに想像もつかない。椎橋は先輩を知らないという疎い俺に呆れたのか、ため息を一つつくと俺を見た。
「泉ちゃん……ちょっとこっち来て」
接点がない人間にどうして呼び出されるのか見当もつかずに悩み続ける俺は、椎橋に腕をつかまれて校舎裏へと連れて行かれたのだった。
■ □ ■
空は快晴のはずなのに、校舎の影に入ったせいか肌寒い風が吹いた。
「枝谷先輩に会ってどうするの」
「え、どうするの……って」
突然何を言い出すのだろう。俺が先輩に呼び出されて、いちゃもんをつけられて挙げ句の果てにはボコボコにされるかもしれないのを心配してくれているのだろうか。俺も実に心配だ。女の子に手紙をもらった経験すらないのに、男から果たし状なんて。
「泉ちゃん」
「ん? なに」
「だから、告白されたらどうするのって訊いてるんだよ」
は? 告白?
「何言ってるんだよ、男が男に告白なんか」
「告白されてもちゃんと断るんだよ」
「おい、椎橋?」
近づいてきて両肩を捕まれる。目をそらすことは許されない力強さがある。いつも笑っている顔が真顔になると怖く見えるのだと初めて知った。
「断ること。好きな人以外とはつき合えませんって」
むっとした。仮に告白だとして、それを断ること事態、別に間違ってないとは思うのだが、椎橋に指示されていると思うと少し腹が立った。
「なんでだよ」
「どうしてだと思う」
疑問に疑問を返されて、面食らった。そんなわけのわからない挑発にますます反抗心がわく。
「わかんないね」
肩から手を放されたとおもったら移動して、今度は腕を強く掴まれる。
「泉ちゃん、」
「だいたいラブレターってのが考え過ぎなんだよ。そういう嗜好の奴がいたって、ごく少数だろ、そんなの」
ちょっとおかしいんじゃねえのと、変な心配をする椎橋を振りはらって俺は教室へと向かった。
「泉ちゃん……!」
俺は切羽詰まったような椎橋の呼び声を無視をして。
■ □ ■
昼休みを告げるチャイムが鳴った。椎橋と気まずくなって、屋上に行きにくくなっていたけれど、例の手紙を握りしめながら教室を出て約束の場所へ向かう。
「早かったな」
その人は、見たことのある人だった。椎橋の言っていた通り、朝礼の時によく壇上に上がって何かを言っていた生徒会の人だ。背は椎橋よりは低そうだけれど、俺よりは断然背も高く体格も良い。
「あの……用ってなんでしょうか」
及び腰になっているので、端から見れば滑稽に見えるだろう。そんな態度を俺にとられて先輩は驚いたようだった。
「もしかして勘違いされたかな。あれ、ラブレターってやつなんだけど」
にこやかに見えるが、少し苦笑気味だ。
「果たし状じゃ……」
「違う違う。いやあ、俺の書き方が悪かったみたいだな、ごめん。泉野くん、俺は君のことが好きなんだ。俺と付き合ってくれないか」
本当にラブレターだった。男の俺に先輩が告白なんて、どうしたらいいかわからない。
――ちゃんと言うんだよ。
真っ白になった頭に浮かんできたのは椎橋に言われた言葉だった。
「あ、あのっ。俺好きな人以外とはつき合えませんっ」
上擦った声を出してしまった俺を見て、先輩はくすくすと笑った。
「本当に君は素直だな。そういうところが好きなんだけど……」
好き? 好きって……女の子でもないかわいくもない男の俺を?
「泉野の好きな人って、誰か訊いても良いか」
そんな人間いないのに訊かれてしまった。よく考えてみれば、その断り方は変だと気づかなくてはいけなかったのに、そっくりそのまま言ってしまった。だいたい俺は色恋沙汰には興味がなくていままで過ごしてきた。ここだけの話、初恋もまだじゃないのかと思う。
「え、……と」
「椎橋なんだね」
「え」
意味がわからずに動揺した俺を見て、先輩はそれが答えだと勘違いをしたのか「そうか」とつぶやいた。
そして予期せぬ事態が起こった。
「せっ、先輩っ?!」
先輩がいきなり俺を抱きしめてきたのだ。
「どうせ無理だってわかっていたさ。これくらいはさせてくれ」
男なんかに抱きしめられて何が嬉しいものか。友情の抱擁でもない、別の意味を持ったそれはとても気分のいいものではなかった。
「昼休みつぶさせて悪かったな」
告白劇はあっという間に幕が下りて、先輩は屋上から退場した。腰が抜けた俺は、そのままズルズルと床にへたり込んだ。
――告白されてもちゃんと断るんだよ。好きな人以外とはつき合えませんって。
好きな人って誰だよ。先輩は椎橋だって言うし。なんで俺が友達のことをそんな目で見なきゃならないんだ。……そういえば椎橋の好きな人って聞いたことがない。椎橋の好きな女の子のタイプってどんな子だろう。俺は、雲がちらほら浮かぶ空を眺めながら椎橋のことを考えていた。きっとあいつは優しいから好きな子はとことん甘やかしまくるんだろう。怠くなって床に寝ころんだ。心地よい風が眠気を誘った。
■ □ ■
うっかり寝過ぎてしまい、気がつくとグラウンドで運動部の練習が始まっていた。すでに放課後だ。行くなと言われたのに行った上、授業にも出ていなかったら椎橋に何を言われるかわかったもんじゃない。俺は急いで教室に向かう。いつもだったら、気にも留めなかっただろう。けれど俺は気づいてしまった。音楽室の扉が半開きになっていたことに。
「僕は先輩のことが好きなんです……」
ここでも告白劇が行われていた。さっきのことが頭を過ぎり、俺は人様の恋愛模様に興味深々で音楽室の向こうを覗いた。中では小柄な男子生徒が、長身の男に抱きついていた。……相手の男もそれに合わせるように抱きしめかえしていた。あのシルエットは見覚えがあった。
(……しいはし?)
「僕も好きだよ」
心臓が止まるかと思った。好きな子が、いたんだ。自分がそうだから、俺にも、恋の心得とやらを教えてくれたってわけだったのか。一歩一歩と足が退がる。俺はどうしたらいいのかわからず、とにかくその場から逃げた。いつもは一緒に下校する椎橋を置いて、教室へ行き通学鞄を掴むと脱兎のごとく学校を出た。がむしゃらに走った。家には帰りたくなくて、近くの誰もいない公園に入る。
(何動揺してんだよ、俺)
肩で息をして乱れている呼吸を整えようと古錆びたブランコに乗った。何が僕も好きだよ、だ。
(俺はおまえの言ったとおりに断ったのに)
なのにお前は好きな奴といちゃついてんのかよ。腹が立って仕方がなかった。いまは何も知らなくてもつきあい始めたら、もしかしたら先輩を好きになるかもしれなかったじゃないか。椎橋の秘密を知って、当てつけでつきあってみても良かったんじゃないかと汚いことを考える。
(好きな人以外とは付き合いません、か……)
ふと、下を向いて見ていた地面に影が映る。
「先輩に何か嫌なことでもいわれたの、泉ちゃん」
こいつはなんで俺の居場所が分かるんだよ。
「ちゃんをつけて呼ぶな」
今一番会いたくないやつだった。顔も会わせたくないので不貞腐れてそっぽを向いた。
「……泉野、それで告白は断ったの」
真剣な声で名前を呼ばれたことに驚いて、顔を合わせないようにしていたのに椎橋を見てしまった。
「そんな顔しないでいいよ」
椎橋のさっきのことが頭にちらついて、嫌みの一つや二つ言ってしまいたくなる。
「受けたよ」
嘘をついた。今回のことはお前には一切、関係ないんだ。いつも俺が椎橋の言うとおりになると思うなよ。
「僕は断ってくれって言ったよね」
「俺は断るなんて言ってない」
「無断で授業は休むし、先に帰っちゃうし、告白だって断ってくれない。……泉ちゃんはいつからそんな悪い子になったの」
「悪い子って……、お前は俺の親父か、お袋か」
「嘘はついちゃいけないでしょう、やっぱり」
「何のことだよ」
「しらを切るということは嘘をついたからだね、本当にわかりやすいんだから」
何が分かりやすいだ。わかったようなことばかり言いやがって。
「うるせーよっ、椎橋に俺の人間関係に干渉される筋合いはない!」
「ま、とりあえず帰ろうか」
椎橋が俺の肩に手を添えたのに、あのシーンが脳裏によみがえった。
「さわんな! お前は別の奴のところに行けばいいだろっ!」
「何のはなし、」
「しらばっくれてるのは椎橋の方だな。俺の人間関係には口出ししておいて自分はちゃっかりと後輩くんと付き合ってんだからな」
「僕が後輩と? 後輩の誰と」
「告白しあってるのを見たんだからな」
睨みつけてやると呆れたように溜め息をついた。いつもはあこがれるこの余裕な感じが今はムカついてたまらない。
「告白しあってる、ねえ。……まさか泉ちゃん今日の放課後、三田沢(みたざわ)くんと話していたのを聴いてたの」
俺はついうっかり、言うつもりもないことを口走ってしまったことに気がついてしまった。これじゃあ俺がまるで。
「なら話が早いね。三田沢くんが好きなのは枝谷先輩だよ」
「嘘つけよ。好きだっていってだだろ」
「まったくどこまで僕を疑えば気が済むのかな。泉ちゃんには、僕のために断ってくれって頼んだんだよ」
「……椎橋のためって何だよ」
あたりは日が暮れだして少しずつ暗くなっていた。突然、街灯がちかちか光りだした。
「好きだよ」
椎橋はまっすぐに俺を見ている。
「僕は泉ちゃんが好きだ。三田沢くんとは今日の事件で知り合った仲だった。彼は生徒会の一員でもあるんだ。……この意味わかるよね」
わかんねえよ。
「あの屋上で起きた出来事は僕たちにとって事件だったんだ。三田沢くんは枝谷先輩から恋の相談を受けていた。泉ちゃんたちを心苦しそうに見ていたからピンときて僕から話しかけた。大丈夫だよ、って」
泉ちゃんは断ってくれるって信じていたから。どうして、そんなことをさらりと言ってのけるのだろう。
「まあ、僕も授業出なかったんだけどね。さ、本当に帰ろうか遅くなっちゃうよ」
「……椎橋、」
普段通りの笑顔だ。お前、今俺のこと好きって言ったよな。なんでそんなに平然としていられるんだ。 困惑して何も言い出せない俺に椎橋は笑う。
「いいんだよ、片想いって言うのはそういうことなんだから」
そういうことってなんだ? なんなんだよ。返事は訊かないのか。……わかってるってことなのか。
(どういうつもりなんだよ、訳わかんねえよ……)
先輩に抱きしめられたとき気色悪いと思った、俺の好きなやつが椎橋だと決めつけられて、ダチのことそんな目でみるなんてありえないと。椎橋は違ったんだ、先輩が俺に思っていたことや、してきたことを俺にしたいと思っているのだろうか。たとえばそれを椎橋にされたとしたら、俺はどう思うのだろう。
(わかんねえよ……男同士だぜ……)
先を行くあいつの背中を見ながら恋ってなんだろう、と俺は呆然と立ち尽くしながら考えていた。
終
2023/01/22:改稿
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