恋の次は、愛。だから?

かよ太

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 【恋】とは。 「その対象にどうしようもないほど引きつけられ、しかも満たされず苦しくつらい気持ち」――らしい。
 じゃあ、(満たされたらどうなるんだよ)と、そのオレの疑問は、そのまま目の前にある電子辞書に向かう。 この便利なものは、今や学校中の、携帯と同じく学生にとって必須アイテムで、オレもちょっと遅れてようやく入手した。今ではそんな(幼稚な)嬉しさもあいまって、勉強道具というより、部活バカのオレには授業中の暇潰しの相棒として活躍してもらっている。 ――のだが。

 【恋】、 なぜこんな清廉な乙女を意識させるような??単語を、男のオレが引き当てているのかというと目下の悩みが、コレ、

 ――――恋、…だったりするからなのである。



    ■   □   ■



「では、これでいいですか」
 九月も半ば。十月に予定されている体育祭の種目の割り当てを決めた宣言をしたのは、学級委員長の秋田だった。
 学級委員長特有の眼鏡に、成績優秀、おまけに容姿端麗。しかし、そのままの肩書き通りにお固いわけでもなく、意外とおちゃらけ気味な性格で、厭味のないやつとして支持されて学級委員長になった。その上今は生徒会の副会長まで務めている。そんなあいつの美声……(このクラスで誰よりも凛々しくて透き通ったような声を持っている……と勝手に思っている)……に聞き惚れながら電子辞書とにらめっこしていた。

「おい島本、お前はあれでいいわけ」
 身をのりだすように話しかけてきたその声の主は、小声のつもりでも秋田とはまるで違う野太い声をもった隣の席の増山だった。
 部活は野球をしているのだが、その部活では大いに役立っているだろうその声も、ここでは耳打ちするには大きすぎた。しかも、せっかく耳の奥に大事にしまった秋田の美声の余韻が、増山の声に消されるなんて最悪すぎる。よくもやってくれたな、と睨みつけたのが気にくわなかったのか、
「おいおいお前、借り物競走でいいのかよ」
 とまたさらにヤツはずいいと身を寄せてくる。

(ったく、人の気も知らないで!)
 どアップにうつる増山の顔を押し返しながら、しぶしぶ黒板を見ると、たしかにオレの名前が「借り物競走」の下に書いてあった。すごく盛り上がるといわれる学級対抗リレーに参加させられるわけではないからオレとしては文句もない。それに今、秋田は終わりでいいかと聞いてきたのだ。それを掘り返すなんて持っての外だし、他の奴らも帰りたくてうずうずしてるんだぜ。

「島本、なにか問題でもあるのか」
 とつぜんの指名に心臓が跳ねた。秋田の目線が眼鏡を通してこっちに向かっている。増山の声の大きさなんて誰もが認知していることなのに、どうして今日に限って訊いて来るんだ。どうすればいいのかわからずに、下を向いたオレと同時に増山が替わりに声をあげた。

「あーないない、大丈夫だ。気にしないでくれ」
 だが、委員長はそれでは許さなかった。

「島本は、」
「え」
「いま増山が何か言ってたけど、島本はこれでいいのか」
 居心地が悪い。シンとしている教室も厭だし、顔が赤くなっているような気がするのも厭だし。なにより、秋田と視線が合ったのがすっごくいやだ。へへへ、ドンマイとこっちを向いて笑う増山を睨みながら、
「オレも……大丈夫」
 とそれだけを言ったのだった。

 くそやろう~増山、お前のせいだかんな! いっつも余計なことをしてくれる増山め。
 勉学の友に未だに表示されている【恋】、
 ……それは学級委員長、秋田に対して抱いてしまった、あってはならない、とてつもなく不毛な感情のことだった。



   ■   □   ■



 秋に入って五時も過ぎれば、東日本なら陽が傾き終わっているところも少なくない。外はすでに真っ暗だった。教室には部活が終わってロッカー前で着替えをしているオレひとりがいて、他には誰もいない。

「あれ、島本?」
 教室の後ろ扉が開いたと思うとすぐに秋田が第一声をあげた。

「あ、秋田こそ、こんな遅くにどうしたんだよ」
 ちょうど脱ぎ終わったTシャツを落としてしまうほど、動揺をかくせなかった。

「体育祭についての会議がやっと終わったんだ」
「そうか、大変だったな」
 恐るおそる秋田のほうをみる。本当は視線なんか合わせていられないけれど、ここで変な誤解が生じて、秋田に嫌われるのだけは厭だ。歓迎できないのに、やっぱりばっちり眼があってオレはたじろいだ。

「島本は、」
「オレは……。部活終わったから……着替えようと思って。汗かいたからびしょびしょでさ……」
 あはは、と脱いだ汚いシャツを拾い上げてぴらぴらと見せる。だけどそれがいけなかったのか、秋田は少し迷惑そうな顔をした。大慌てでそれを隠したけれど、嫌われた……かもしれない。

「……部活はバスケだったよな」
 落ち込んでいるオレに、自分の席に向かって帰り支度をしながら、話し掛けてくる。

「ああ、そうなんだ。ほらオレってチビの分類に入るだろう。だから次の大会にレギュラーででれるか危なくてさあ」
 それが嬉しくて、ついつい調子に乗りすぎた。秋田にどうでもいいことを暴露している自分に気づいて、急に恥ずかしくなってオレは下を向いた。視線を外したまま、そのままロッカーから着替えを取り出そうと、汗を吸収した服をビニル袋にしまう。
 教室に流れている沈黙が……すごく、怖い。
 帰り支度を済ませた秋田が、新しいシャツを着なおそうとしている俺に話しかけてくる。

「島本ってさ、ここのところ教卓に上がる俺をみてるよな」
「!?」
 ――――ばれてる。

「それに、眼が合うと恥ずかしそうに、今みたいに下なんか向いたりして」
 秋田はいつの間にかオレの真後ろに立っていた。振り返ることができない。
 ……顔をあわせることが、怖い。 責められているのだろうか。
 いや、当たり前だ。男に見つめられるというのは屈辱でもなんでもないだろう。気色悪いと言われても仕方ないことにようやく気がついた。だけど、オレは肯定も否定もできなかった。できるはずもなかった。身体の全てが総動員して秋田に集中しているせいで、まるで金縛りにあった状態になってしまったのだ。また訪れた沈黙をさえぎるように、秋田が声を出した。

「ここ、真っ赤」
「……っ!」
 いきなり秋田はオレの背筋を指でゆっくりとなぞってきた。オレより十センチは背が高いから、ロッカーに手をついて被さるように訊いてくる。

「なあ、こんなこととか……想像した、」
 耳元に吹きかけるような姿勢で放たれる美声。秋田が本当に間近にいることを否が応でも意識してしまう距離だし、それに加えて肩口に顔を埋めてくるのだから、始末が悪い。反射的に、身体が震えた。

「し、してない……」
 かぶりを振るオレが怯えていることに気づいているはずなのに、秋田はそのまま耳にもう一度息を吹きかけるようにオレを誘う。耳が、厭になるくらい熱くなってくる。

「なんでだよ、俺をみてただろ、」
 神様仏様に誓ってオレはそんな妄想は抱いていない。なんでこんなことを想像するに至れるのか聞きたいくらいだ! まあたしかに普通の高校男児じゃあ、そんなことを想像しないのは純情は滑稽であるかもしれないけれど。だけど男に、同級生にそんな感情を持って、そこまで到達するものなのだろうか。オレは、教卓にいる秋田を見られるだけで満足していたのだ。それなのに、
「なあ。島本」
 ロッカーについていない方の手は、なんとオレの股間に忍びよっていたのだ。どうして、秋田がオレのもんに手をかけてくるんだよっ。嫌がらせにもほどがある。

「おい! もう、止めろっ! 悪かった。 悪かったから。もう見ねえか……うっ!」
「……だめだ。声は出すな」
 秋田はオレの口を塞ぎ、体操着の上から二三度リズムをつけて掴んできた。

「…うむ……ううんっ」
 他人に触られて気持ちが悪いはずなのに、それに応えはじめる。その反応に気分を良くしたのか、服の上からの攻撃はやめてあろうことか、勢い良くパンツの中に手を突っ込んできた。

「…な、やメ、…っ!」
「動くなって。中学校のときとか、友達とかとやっただろう」
 なんだよそれ。そんなこと、誰がするんだよ!  痴漢だぞ。これは立派な痴漢行為だぞ! わかってんのかよ! おい! 犯罪だっ!

「……っ、」
「濡れてきてるぜ……」
 どうして。どうして。どうして…… 秋田の息が耳元にかかる。こいつも興奮しているのか、ときどき尻に固いものがあたってくるそれが、また恐怖心を煽ってくる。

「ん、! ……あっ、やめろ……っ」
 なんで秋田が興奮してんだよ!

「イきそうだな。 いや、もう少しか……」
 膝ががくがくして立っていられない。

「――――ッツ!!」
 オレは秋田の手に吐精していた。

「島本、このタオル借りるぜ、明日洗って返すからさ……」
 平然と、そして淡々と秋田はオレのロッカールームから汗を拭ったタオルを引き出して手を……拭いた。

「……なんで……こ、な…」
 ほんの少し、悔し涙が出てきた。秋田はそんなオレをあやすように頭を撫でて囁いてくる。

「俺が島本を好きだから」
「え、」
 その返答に驚いて、秋田の眼とあってしまった。秋田はいつものように優しく笑っていた。

「眼が合うのは、お互いに意識しあうって証拠だろう」
 う……そんなの知らない。秋田が俺を好きだって?

「なあ、島本は俺のことどう思ってる。好きだからこんな顔をするんだろ」
「……どんな顔だよ」
「俺を誘ってる顔だよ。真っ赤になっちゃってさ」
「あ、あのなー……オレは……」
 ロッカーに押さえつけてキスをしてきた。

「ずっと……そう、ずっとだ。我慢してきたのに、裸なんて見せる島本がいけないんだ」
「お、オレは――! ちゃんと説明したっ!」
 それに、上半身じゃないか。

「なんだよ、ずっと恥ずかしそうに赤らめていたくせに。茹で蛸みたいだったんだぜ。……押さえきれるわけないだろ」
 まさか……さっきのTシャツに眉を顰めていたのはそういうことだったのか?

「そ、そんなの仕方ないだろっ」
「……何が仕方なかったんだよ」
 ふいに切り替えされて驚いた。どうしようかじっくりと考える暇もなくて、
「……恋、してたんだよ、ずっと。お前にっ!」
 とオレは絶対に恥ずかしいことをさらりと言っていた。秋田は少し驚いた様子だった。

「そんな顔することないだろ……」
「……恥ずかしがりやな、島本が言ってくれるとは思わなかったんだよ」
 秋田はにやりと笑いながら、もう一度キスをしてきた。

「ん、ちょっ……お、いっ…息が出来ね……やめ…っ」
「はいはい。本当にウブって言うか。……さてと、時間も時間だし帰ろうか」
 なんでこいつこんなに余裕綽々なんだよ。帰り支度をし終わって教室の電気を消そうとしたとき、あの言葉が甦ってきた。

 【恋】とは。 「その対象にどうしようもないほど引きつけられ、しかも満たされず苦しくつらい気持ち」

「…なあ、秋田。もしさ、」
「なんだ」
 暗がりで顔が良く見えないが、オレを振り返ったのは気配でわかった。

「もし恋が満たされたときは何になると思う」
「そうだなあ、恋は愛に変わるんじゃねえの」
「……あ、あい~?」
 それを聞いて思わず立ち止まってしまったオレの肩を引き寄せてきた。

「そうそう。恋の次は、愛。だから恋愛」
「……なん、か違う気がする」
「だから、俺とこれから恋愛しようぜ」
 秋田のくさすぎる返答に、バスケットボールをぶつけたいなあと軽くおもいながらも、そしてまたオレたちはキスをしたのだった。





 終
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