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109懺悔されちゃった
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エルフの里は、一言で説明するとアートで溢れていた。村全部が石や木を使った工芸品で出来ていると言っても過言ではない。それが、森の中という立地とナチュラルにマッチしている。至るところに動物や植物がモチーフになった彫り込みが多く、窓辺には鮮やかで緻密な柄の織物のカーテンが揺れていた。足元の石畳にすら、お花を象った細かな模様がびっしり入っていて、村自体が芸術品のよう。もちろん、ゴミやガラクタなんて見たらないし、とても整頓された美しさだ。
さらに驚いたのは、エルフ族はミントさん並みの美男美女ばかりだったということ。彼らがこういった森の奥深くに隠れ住む理由の一つはこれなんじゃないかと思ったり。だって、そうでしょ? 王都みたいな所に行けばいろんな人がいるから、ミントさんみたいに強くて肩書もなけりゃ、どこかへ攫われてしまいそうだよ。
「よく戻ってきたな、ミントよ」
結界を広場に下ろして外に出ると、集まっていた方々から口々に歓迎の言葉をもらった。その後、突然人垣が割れて現れたのは、大変威厳のあるご老人だ。
「私はここへ帰ってきたんじゃないわ。お役目を果たしに来ただけよ」
急に喧嘩腰になるミントさん。ちょっと子供っぽい。ご老人はかなり身分のありそうな方だけど、こんな物言いをして大丈夫なのかな?
「まだ言うか、小娘よ。ゆくゆくはエルフ族の長となる身。森の外へ出てから幾年月が経った? そろそろ自覚をもっても良い頃合いだと思うのだがの」
「森の外に出たのは、ただの我儘じゃないわ。ほら、こうして連れてきたのだから」
ご老人は私達を一瞥すると、小さくため息を漏らした。
「ともかく長旅ご苦労だった。歓迎の宴の用意はできている。」
少し小柄な彼は、背中を丸めたまますぐに踵を返し、人垣の中に消えていった。
「ミントさん、さっきのは」
「この村の長よ。以前は私の師匠が長だったんだけど、高齢で亡くなっちゃって、私が継ぐ予定だったけれど私は私でしなきゃいけないことがあったし」
うーん。ミントさんにもいろいろ事情があるのね。
「ね、お腹空かない? とりあえず、向こうに行きましょ!」
私達はエルフ族の皆さんに誘導されて、別の広場へ移動していった。
◇
エルフの里。ここ、天国だわ。料理が、本当に美味しいの! 慣れた王都風の食事や和食は全く出てこない。どちらかと言えばワイルド系な素材をそのまま焼く、煮るといった大雑把な料理がほとんどなのだけど、なぜか食べるとすごく元気が湧いてくるのだ。
「不思議ですね」
里の長に尋ねてみると、ニコニコとその理由を教えてくれた。
「この辺りの植物は世界樹の影響を色濃く受けている。街の植物よりも含まれる魔素が多く、それが魔術師であるそなた達の体に良い効果をもたらしているのであろうの」
長も、さっきまでの不機嫌さはどこへやら。私に王都でのミントさんの様子を尋ねたり、私にエルフの里の話をしてくれたりと、饒舌になっている。私は飲めないけれど、お酒の力もあるのかな?
そこへオニキス王子が話に加わってきた。
「エース、ミネラール王国にもそういう場所があるんだよ。一度来てみないかい?」
この人、やっぱりフレンドリーすぎるよ。普通の旅装をしていると、王子とは思えないフランクさ。ついでに言えば、諦めも悪い。
「いえ、自国に良い場所があるのに、わざわざ他所に行こうとは思いません」
その手には乗らないぞ! とばかりに、軽く睨んで牽制してみせる私。今はクレソンさんもいないので、彼にとっては私をスカウトするチャンスなのかもしれないが、あいにく私はこの国が大好きだ。他に行こうとは考えていない。
「でも、もし、我が国とハーヴィー王国が戦争状態になって、うちが勝てば、君を人質として貰い受けることはできそうだよね」
これには、カチンっときてしまった。私は不敬になるかもと思いつつ言い返すことに。
「万に一つも無いことを言われましても。私とクレソンさんがいるのにハーヴィー王国が負けるですって?」
「そうだね。確かに君たち二人は強い。だからこそ、欲しいし、本当は敵になんてしたくないな」
「でしたら、今後とも程よい距離感を維持しましょう? それに、もしもの時は私が人質なんてもってのほかです。もっと良い方をそちらにお送りしますよ」
そりゃぁ、もちろんニゲラ団長だ。彼ならば、ハーヴィー王国の功労者として泊がついているので、何かと理由をこじつけてやる。私、やっぱりあの人の目とかが怖いし、どこか信用ならないのよね。
私は決定的なことを言わずにほほ笑んで誤魔化すと、そっと宴の輪を抜け出した。
さて、ここエルフの里は、王城と連絡を持てる最後の場所になりそうなのだ。なので私は、クレソンさんに手紙を書くことにした。
結界から机と紙とペンを出す。インクはまだ慣れないけれど、味わいがあるので、上手に書けるようになりたいな。
クレソンさん、元気にしてるかな。って、別れてからまだ半日も経っていないのだけれど。あの後クレソンさんは、地方を回ってから王都に帰還するはずだ。各地でクレソンさんが王として受け入れられることを切に願いつつ、私は今の心境をつづりはじめた。
それにしても、私達の旅は、ここからどうすれば良いのだろう。第一の目的地に着いたものの、次のヒントが何も無い。マリ姫様やミントさんは知っているのかなぁ?
私はあてがわれてきた長のお屋敷の一部屋で、一人ため息をつく。ぽつんっと浮かぶ頭上のカンテラが少し揺れて、私は背後に何かを感じた。
「エース、お疲れ様」
「ミントさんこそ。すみません、勝手に抜けてきちゃいました」
「大丈夫よ。皆飲んで、できあがってるし」
あ、そういうミントさんもけっこう飲んでたけど、酔わないんですね。さすがだわ。
「ねぇ、エース」
ミントさんは、私の向かい側のソファに座った。ちょっと緊張した面持ち。
「はい」
畏まって返事する。
「懺悔、させてほしいの」
ミントさんの雰囲気から、これは真面目に言っているのだと思う。でも私には思い当たるフシはない。私は握っていたペンを机に置いた。
「私は、本当に昔からあなたがこの世界にやって来るのを待っていたわ。そしてあの日、暴言者ギルドを訪れた薄着のあなたを見て、この人だとピンッと来たの。でも……私はあくまで、あなたを救世主としか見ていなかった」
そう言えばそんなこともあったな。まさか墓参り中に焼き鳥一本だけ握って異世界転移なんて、今考えてもびっくりだよ。来ると分かっていたならば、もっと便利そうなものをたくさんリュックに詰めて持ってきたのにね。
ミントさんは少し俯いたまま、話を続ける。
「でもね、今は違うの。エース……いえ、姫乃さんっていうのよね? 姫乃は一人の女の子で、エルフ族みたいな長命であるわけでもなく、良い意味でごく普通のどこにでもいる女の子だった。ただ、世界樹から選ばれた存在だったというだけで、それ以外は何も特別なところはなかったの」
「その通りだと思います」
そうなの。私は普通の女子高生のはずだった。
「だけど、それに本当の意味で気付かされたのはあなたが城を出た時。騎士を辞めさせられて行方不明になった時だった」
「あの時もお世話になりました。私、もう誰にも会いたくなかったはずなのに、ミントさんがローリエさんのお屋敷に現れたあの瞬間、どれだけ救われたことか」
「私もよ。救世主は世界樹のご加護が強いから、そう簡単には死なない。それにエースは皆から好かれる。そういう素質を持ってるのよね」
ギルドで皆から頼られる姉御をしているミントさんに、そこまで言われると照れくさい。たぶん実際は、私がどうこうではなく、たまたま私の周りは良い人が多いのだ。その筆頭がミントさんだと私は確信している。
「だから心配ないと思っていたけれど、ふと気づいたの。そういう問題じゃないんだって」
「どうしてですか?」
「だってあの時のあなたは、他の誰でもなく、自分自身に殺されそうになっていた。完全に私の盲点だった。そこまで追い詰めたのは、私を含め、この世界全てだと思う。私は、あなたを見出して保護者面してた癖に、あなたの心の内を何も分かっていなかったのよ」
こんな弱気なミントさん、私は知らない。
「ミントさんがそこまで気負わなくても良いような気が……」
「いえ、私が代表して謝罪させて。この里に戻ってきて、改めて自分の役目を思い出せた気がするの。エルフ族は救世主を導くのではなく、救世主の運命を背負ってしまった方と手を取り合って進むべきだって」
私には、その違いがよく分からなかったけれど、ミントさんの顔色は幾分良くなっているような気がした。ずっと私に話したいと思っていたことなのかもしれない。
「エース、世界樹への旅はまだ道半ば。私達は年は離れてるかもしれないけれど、あなたはかけがえのない私の友であり、妹であり、娘なの。必ず、無事に戻ってきてね」
「はい」
ミントさんがこちらにやって来て、私をギュッと抱きしめる。わぁ、やっぱりこの人、巨乳だわ。ふわふわ。
「ねぇ、ミントさん。ところでここからは、どうしたら良いのでしょうか? 世界樹の所へ向かうにはどちらに行けば……」
「村の北の裏手にある森。そこを抜ければ着くと言われているわ」
「言われている?」
ミントさんは頷くと、説明してくれた。その村の北側の森というのは、誰も入れないようにできているらしい。そんなの物理的に突破したらいいじゃない!って思うけど、侵入するとなぜかすぐに森の外へ弾き出されてしまうそうだ。ただ、これには例外があって、森は世界樹の次期管理人と救世主は通してくれるとのこと。ほんとかなぁ?
「たぶんあの森は、世界樹の聖域にあるのだと思うの。そことの境界を守るためにも、おそらくエルフ族の村はこの場所にあるのね」
ふむふむ。
ん? 今、すっごく大事なことを聞いたような。それってつまり、せっかく集まった旅の仲間ともここでお別れってこと?
「ここから先は、マリ姫様と二人旅……」
「その通り。私達、お供はこれ以上ついていけない。ここで、あなたが管理人の引き継ぎの儀式をして戻ってくるのを待ってるわ」
なるほど。今になってようやく、救世主という役回りの重大さに気づいた気がするよ。私は単なる旅の護衛じゃない。マリ姫様と最後の最後まで向き合って、旅立ちを見送る義務と責任があるのだ。
「エース、私も大切な人との別れを経験したことがある。でもこうやって今を生きている、他の大切な人もたくさんいる。辛いと思うけれど、あなたは一人じゃないわ」
「はい」
今度は私が俯く番だった。歯を硬く噛み締めて、涙を堪える。
「ほんとに、どうか気をつけてね。クレソンだけじゃない。私もあなたを愛おしく思う人の一人なのよ」
「ミントさん、ありがとう」
あ、やっぱりもう駄目。涙腺崩壊。
ミントさんは再び私を抱きしめながら、扉の方を見つめた。
「そこのあなた方。盗み聞きしてないで部屋に入ってきてください」
あれ、泣いてたら人の気配を察知できていなかったよ。入ってきたのは旅の仲間達。私が宴を抜けたのに気付いて来てくれたのかな?
まず声をかけてくれたのはマジョラム団長。
「エース、どうやら私は見届ける役目を全うできないようだ。私の代わりに、しかと姫様を見送るように」
「はい」
アンゼリカさんとステビアさんもやって来た。
「姫様は手のかからないお姫様だけど、しっかり守って差し上げてね」
あ、そういえばアンゼリカさんって、一応マリ姫様のお世話係枠で旅について来てくれたんだった! でも彼女は何でも一人でできるから、実際はお世話なんて要らなかったんだよね。たぶんこれは、ラベンダーさんを旅に行かせたくないコリアンダー宰相の思惑が絡んでいたと思われる。
「アンゼリカさんのことはまかせろ!」
ステビアさん……あなた、何のために来たの? と言いたいけれど、一応剣の腕を買われてのことだよね。私が抜けると、旅の一行も防御力も下がる。エルフ族の村にいる限りは滅多なことは起きないと思うけれど、皆のことを守ってほしい。
次はソレルさんだ。彼は、何やら本らしきものを持ってきた。本と言っても手作り臭がすごい。何だろう?
「これ、持っていってくれ。森での生活のノウハウを書いてある。結界があるとは言え、未知の森の女性二人旅は大変だろうから」
「ありがとうございます」
彼のことは、空の上でフッたばかり。少し気まずさもあったけれど、この心遣いが素直に嬉しくて、私はお礼を言った。
そして、最後に皆をまとめたのは、やはりマリ姫様だ。
「皆、聞いて。皆がエースを大切にしてくれる。そのことが何よりも嬉しい。どうかこれからも、エースのことをよろしくね。皆に伝えたい私の最後の願いです」
集まった皆は、全員が笑顔でマリ姫様に頷いてみせた。あのマジョラム団長までだ。
あーもう、また泣いちゃうよ。
皆ありがとう。
特に、マリ姫様には心からありがとう。
こういう時、もっと自分のことを忘れないでとか、もっと勝手になってもいいはずなのに、決してそんな素振りは見せない。マリ姫様。カッコよすぎて、辛い。
それに、悲しい。
私は人生のパートナーとしてマリ姫様を選ぶことはできなかったけれど、それこそかけがえの無い存在だ。そんな人と間もなく永遠の別れなんて。
だけど、がんばるよ。
それがあなたの望み。
私は、救世主として、最後までお供する。
さらに驚いたのは、エルフ族はミントさん並みの美男美女ばかりだったということ。彼らがこういった森の奥深くに隠れ住む理由の一つはこれなんじゃないかと思ったり。だって、そうでしょ? 王都みたいな所に行けばいろんな人がいるから、ミントさんみたいに強くて肩書もなけりゃ、どこかへ攫われてしまいそうだよ。
「よく戻ってきたな、ミントよ」
結界を広場に下ろして外に出ると、集まっていた方々から口々に歓迎の言葉をもらった。その後、突然人垣が割れて現れたのは、大変威厳のあるご老人だ。
「私はここへ帰ってきたんじゃないわ。お役目を果たしに来ただけよ」
急に喧嘩腰になるミントさん。ちょっと子供っぽい。ご老人はかなり身分のありそうな方だけど、こんな物言いをして大丈夫なのかな?
「まだ言うか、小娘よ。ゆくゆくはエルフ族の長となる身。森の外へ出てから幾年月が経った? そろそろ自覚をもっても良い頃合いだと思うのだがの」
「森の外に出たのは、ただの我儘じゃないわ。ほら、こうして連れてきたのだから」
ご老人は私達を一瞥すると、小さくため息を漏らした。
「ともかく長旅ご苦労だった。歓迎の宴の用意はできている。」
少し小柄な彼は、背中を丸めたまますぐに踵を返し、人垣の中に消えていった。
「ミントさん、さっきのは」
「この村の長よ。以前は私の師匠が長だったんだけど、高齢で亡くなっちゃって、私が継ぐ予定だったけれど私は私でしなきゃいけないことがあったし」
うーん。ミントさんにもいろいろ事情があるのね。
「ね、お腹空かない? とりあえず、向こうに行きましょ!」
私達はエルフ族の皆さんに誘導されて、別の広場へ移動していった。
◇
エルフの里。ここ、天国だわ。料理が、本当に美味しいの! 慣れた王都風の食事や和食は全く出てこない。どちらかと言えばワイルド系な素材をそのまま焼く、煮るといった大雑把な料理がほとんどなのだけど、なぜか食べるとすごく元気が湧いてくるのだ。
「不思議ですね」
里の長に尋ねてみると、ニコニコとその理由を教えてくれた。
「この辺りの植物は世界樹の影響を色濃く受けている。街の植物よりも含まれる魔素が多く、それが魔術師であるそなた達の体に良い効果をもたらしているのであろうの」
長も、さっきまでの不機嫌さはどこへやら。私に王都でのミントさんの様子を尋ねたり、私にエルフの里の話をしてくれたりと、饒舌になっている。私は飲めないけれど、お酒の力もあるのかな?
そこへオニキス王子が話に加わってきた。
「エース、ミネラール王国にもそういう場所があるんだよ。一度来てみないかい?」
この人、やっぱりフレンドリーすぎるよ。普通の旅装をしていると、王子とは思えないフランクさ。ついでに言えば、諦めも悪い。
「いえ、自国に良い場所があるのに、わざわざ他所に行こうとは思いません」
その手には乗らないぞ! とばかりに、軽く睨んで牽制してみせる私。今はクレソンさんもいないので、彼にとっては私をスカウトするチャンスなのかもしれないが、あいにく私はこの国が大好きだ。他に行こうとは考えていない。
「でも、もし、我が国とハーヴィー王国が戦争状態になって、うちが勝てば、君を人質として貰い受けることはできそうだよね」
これには、カチンっときてしまった。私は不敬になるかもと思いつつ言い返すことに。
「万に一つも無いことを言われましても。私とクレソンさんがいるのにハーヴィー王国が負けるですって?」
「そうだね。確かに君たち二人は強い。だからこそ、欲しいし、本当は敵になんてしたくないな」
「でしたら、今後とも程よい距離感を維持しましょう? それに、もしもの時は私が人質なんてもってのほかです。もっと良い方をそちらにお送りしますよ」
そりゃぁ、もちろんニゲラ団長だ。彼ならば、ハーヴィー王国の功労者として泊がついているので、何かと理由をこじつけてやる。私、やっぱりあの人の目とかが怖いし、どこか信用ならないのよね。
私は決定的なことを言わずにほほ笑んで誤魔化すと、そっと宴の輪を抜け出した。
さて、ここエルフの里は、王城と連絡を持てる最後の場所になりそうなのだ。なので私は、クレソンさんに手紙を書くことにした。
結界から机と紙とペンを出す。インクはまだ慣れないけれど、味わいがあるので、上手に書けるようになりたいな。
クレソンさん、元気にしてるかな。って、別れてからまだ半日も経っていないのだけれど。あの後クレソンさんは、地方を回ってから王都に帰還するはずだ。各地でクレソンさんが王として受け入れられることを切に願いつつ、私は今の心境をつづりはじめた。
それにしても、私達の旅は、ここからどうすれば良いのだろう。第一の目的地に着いたものの、次のヒントが何も無い。マリ姫様やミントさんは知っているのかなぁ?
私はあてがわれてきた長のお屋敷の一部屋で、一人ため息をつく。ぽつんっと浮かぶ頭上のカンテラが少し揺れて、私は背後に何かを感じた。
「エース、お疲れ様」
「ミントさんこそ。すみません、勝手に抜けてきちゃいました」
「大丈夫よ。皆飲んで、できあがってるし」
あ、そういうミントさんもけっこう飲んでたけど、酔わないんですね。さすがだわ。
「ねぇ、エース」
ミントさんは、私の向かい側のソファに座った。ちょっと緊張した面持ち。
「はい」
畏まって返事する。
「懺悔、させてほしいの」
ミントさんの雰囲気から、これは真面目に言っているのだと思う。でも私には思い当たるフシはない。私は握っていたペンを机に置いた。
「私は、本当に昔からあなたがこの世界にやって来るのを待っていたわ。そしてあの日、暴言者ギルドを訪れた薄着のあなたを見て、この人だとピンッと来たの。でも……私はあくまで、あなたを救世主としか見ていなかった」
そう言えばそんなこともあったな。まさか墓参り中に焼き鳥一本だけ握って異世界転移なんて、今考えてもびっくりだよ。来ると分かっていたならば、もっと便利そうなものをたくさんリュックに詰めて持ってきたのにね。
ミントさんは少し俯いたまま、話を続ける。
「でもね、今は違うの。エース……いえ、姫乃さんっていうのよね? 姫乃は一人の女の子で、エルフ族みたいな長命であるわけでもなく、良い意味でごく普通のどこにでもいる女の子だった。ただ、世界樹から選ばれた存在だったというだけで、それ以外は何も特別なところはなかったの」
「その通りだと思います」
そうなの。私は普通の女子高生のはずだった。
「だけど、それに本当の意味で気付かされたのはあなたが城を出た時。騎士を辞めさせられて行方不明になった時だった」
「あの時もお世話になりました。私、もう誰にも会いたくなかったはずなのに、ミントさんがローリエさんのお屋敷に現れたあの瞬間、どれだけ救われたことか」
「私もよ。救世主は世界樹のご加護が強いから、そう簡単には死なない。それにエースは皆から好かれる。そういう素質を持ってるのよね」
ギルドで皆から頼られる姉御をしているミントさんに、そこまで言われると照れくさい。たぶん実際は、私がどうこうではなく、たまたま私の周りは良い人が多いのだ。その筆頭がミントさんだと私は確信している。
「だから心配ないと思っていたけれど、ふと気づいたの。そういう問題じゃないんだって」
「どうしてですか?」
「だってあの時のあなたは、他の誰でもなく、自分自身に殺されそうになっていた。完全に私の盲点だった。そこまで追い詰めたのは、私を含め、この世界全てだと思う。私は、あなたを見出して保護者面してた癖に、あなたの心の内を何も分かっていなかったのよ」
こんな弱気なミントさん、私は知らない。
「ミントさんがそこまで気負わなくても良いような気が……」
「いえ、私が代表して謝罪させて。この里に戻ってきて、改めて自分の役目を思い出せた気がするの。エルフ族は救世主を導くのではなく、救世主の運命を背負ってしまった方と手を取り合って進むべきだって」
私には、その違いがよく分からなかったけれど、ミントさんの顔色は幾分良くなっているような気がした。ずっと私に話したいと思っていたことなのかもしれない。
「エース、世界樹への旅はまだ道半ば。私達は年は離れてるかもしれないけれど、あなたはかけがえのない私の友であり、妹であり、娘なの。必ず、無事に戻ってきてね」
「はい」
ミントさんがこちらにやって来て、私をギュッと抱きしめる。わぁ、やっぱりこの人、巨乳だわ。ふわふわ。
「ねぇ、ミントさん。ところでここからは、どうしたら良いのでしょうか? 世界樹の所へ向かうにはどちらに行けば……」
「村の北の裏手にある森。そこを抜ければ着くと言われているわ」
「言われている?」
ミントさんは頷くと、説明してくれた。その村の北側の森というのは、誰も入れないようにできているらしい。そんなの物理的に突破したらいいじゃない!って思うけど、侵入するとなぜかすぐに森の外へ弾き出されてしまうそうだ。ただ、これには例外があって、森は世界樹の次期管理人と救世主は通してくれるとのこと。ほんとかなぁ?
「たぶんあの森は、世界樹の聖域にあるのだと思うの。そことの境界を守るためにも、おそらくエルフ族の村はこの場所にあるのね」
ふむふむ。
ん? 今、すっごく大事なことを聞いたような。それってつまり、せっかく集まった旅の仲間ともここでお別れってこと?
「ここから先は、マリ姫様と二人旅……」
「その通り。私達、お供はこれ以上ついていけない。ここで、あなたが管理人の引き継ぎの儀式をして戻ってくるのを待ってるわ」
なるほど。今になってようやく、救世主という役回りの重大さに気づいた気がするよ。私は単なる旅の護衛じゃない。マリ姫様と最後の最後まで向き合って、旅立ちを見送る義務と責任があるのだ。
「エース、私も大切な人との別れを経験したことがある。でもこうやって今を生きている、他の大切な人もたくさんいる。辛いと思うけれど、あなたは一人じゃないわ」
「はい」
今度は私が俯く番だった。歯を硬く噛み締めて、涙を堪える。
「ほんとに、どうか気をつけてね。クレソンだけじゃない。私もあなたを愛おしく思う人の一人なのよ」
「ミントさん、ありがとう」
あ、やっぱりもう駄目。涙腺崩壊。
ミントさんは再び私を抱きしめながら、扉の方を見つめた。
「そこのあなた方。盗み聞きしてないで部屋に入ってきてください」
あれ、泣いてたら人の気配を察知できていなかったよ。入ってきたのは旅の仲間達。私が宴を抜けたのに気付いて来てくれたのかな?
まず声をかけてくれたのはマジョラム団長。
「エース、どうやら私は見届ける役目を全うできないようだ。私の代わりに、しかと姫様を見送るように」
「はい」
アンゼリカさんとステビアさんもやって来た。
「姫様は手のかからないお姫様だけど、しっかり守って差し上げてね」
あ、そういえばアンゼリカさんって、一応マリ姫様のお世話係枠で旅について来てくれたんだった! でも彼女は何でも一人でできるから、実際はお世話なんて要らなかったんだよね。たぶんこれは、ラベンダーさんを旅に行かせたくないコリアンダー宰相の思惑が絡んでいたと思われる。
「アンゼリカさんのことはまかせろ!」
ステビアさん……あなた、何のために来たの? と言いたいけれど、一応剣の腕を買われてのことだよね。私が抜けると、旅の一行も防御力も下がる。エルフ族の村にいる限りは滅多なことは起きないと思うけれど、皆のことを守ってほしい。
次はソレルさんだ。彼は、何やら本らしきものを持ってきた。本と言っても手作り臭がすごい。何だろう?
「これ、持っていってくれ。森での生活のノウハウを書いてある。結界があるとは言え、未知の森の女性二人旅は大変だろうから」
「ありがとうございます」
彼のことは、空の上でフッたばかり。少し気まずさもあったけれど、この心遣いが素直に嬉しくて、私はお礼を言った。
そして、最後に皆をまとめたのは、やはりマリ姫様だ。
「皆、聞いて。皆がエースを大切にしてくれる。そのことが何よりも嬉しい。どうかこれからも、エースのことをよろしくね。皆に伝えたい私の最後の願いです」
集まった皆は、全員が笑顔でマリ姫様に頷いてみせた。あのマジョラム団長までだ。
あーもう、また泣いちゃうよ。
皆ありがとう。
特に、マリ姫様には心からありがとう。
こういう時、もっと自分のことを忘れないでとか、もっと勝手になってもいいはずなのに、決してそんな素振りは見せない。マリ姫様。カッコよすぎて、辛い。
それに、悲しい。
私は人生のパートナーとしてマリ姫様を選ぶことはできなかったけれど、それこそかけがえの無い存在だ。そんな人と間もなく永遠の別れなんて。
だけど、がんばるよ。
それがあなたの望み。
私は、救世主として、最後までお供する。
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