第八騎士団第六部隊、エースは最強男装門衛です。

山下真響

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94幻の存在がやってきた

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 どうしよう。足が竦んで動かない。どうにか私を宙に浮かしている結界は維持できているけれど、正直いつまで維持できるだろうか。背中に冷たい汗が伝って、私は死の恐怖を感じていた。

 実は、結界って最強だと思っていた私。こちらの世界にやってきた随分と歳月が過ぎた。白の魔術の発動速度も威力もかなり向上したし、さまざまな技も手に入れた。だから、行く先負け知らずで、天狗になっていたのだ。

 クレソンさん。
 お父さん、お母さん。
 マリ姫様。

 ごめん。

 これは精神的な問題。だから、気を強く持てばいいだけ。そうすればきっとこの結界は復活する。再び大蜘蛛を抑え込むこともできるかもしれない。だけど全て机上の空論で、動いているのは頭の中だけ。呼吸すら止まりそうな程、私の私としての機能が終わりを迎えているようで。

 こんな終わり方をするなんて。
 思ってもみなかった。
 涙だけは、ちゃんと出てくるなんて。情けないよ。悔しいよ。
 
 視界の先にいる大蜘蛛は、機が熟したとでも言いたいのか、纏った禍々しい赤い光をさらに強めてみせた。

 皆、ごめん。

 
 私を乗せた空飛ぶ結界が、ゆるやかに下降を始めた。
 こちらももう、限界か。


 私は、せめてもの抵抗として、そっと目を閉じる。それしか、できなかった。













「え?」

 そう思った時には、私は誰かに抱き抱えられていた。なぜか見覚えのある太い腕。クレソンさんではない。

「エース、よくやった!」
「タラゴンさん」
「無理に喋らなくていい。ここからは冒険者と幻の第九騎士団に任せとけ!」

 幻の? そんな騎士団があったなんて、全然知らないよ。私は事態をうまく飲み込めないまま、タラゴンさんのされるがままに、近くにあった岩影に押し込められ、身を潜めることになる。気づいたら、すぐ近くから鬨の声があがった。騎士達の声。馬が地面を蹴る音が地面を揺らし、猛スピードでこちらへやってくるのが肌で分かる。

 私の横を様々な色の騎士服に身を包んだ騎士達が駆け抜けたのは、あっという間だった。騎士服は、どれも違えど、くすんだ色。それが今は、虹をまとった流星に見える。思い思いに、それぞれが得意とする魔術や魔剣を振りかざし、大蜘蛛に向かって突進していく。

「奴はエースの結界を破る時に体力を消耗している! 叩くなら今だ!」

 これは、オレガノ隊長の声。嘘。王都を絶対に離れられないはずの第八騎士団第六部隊が、こんな辺境に駆けつけているというの?! 途端に、私の中で何かのスイッチが入った。

 事前に申し合わせがあったのか、騎士達は整然としたまま、いくつかの騎馬隊に別れ、目標を取り囲むように散っていく。大蜘蛛は私に気を取られすぎていたのか、騎士達の出現には直前になるまで気づけていないようだった。赤い光を一層強めて、前の二本の足を振り上げようとするも動かない。否。その二本がいつの間にか無くなっていたのだ。残ったのは青く鋭い光の残像。あれはきっと氷に属する魔術が展開されていたにちがいない。大樹のように力強く太い足が切り離され、地面に何度かバウンドした後動かなくなった。その間、二、三秒。

 しかし、やられてばかりの大蜘蛛ではない。足が騎士達の攻撃を受けて動けないとなると、次は魔術だ。奴の口元付近の赤い光が次第に青に変わっていく。これは、火炎放射の前兆。あれが至近距離で放たれては、いくら騎士だってひとたまりもない。束になってかかっても屍の山ができるたけだ。

「危ない!!」

 私も、いてもたってもいられなくなって立ち上がり、現場に向かって腕を伸ばす。精神力が一度枯渇すると、使える魔力量も著しく低下する気がする。なので、もう気力だけが頼り。私は、私を起動させる!

 皆がこれだけの勇気を振り絞り、危険を犯し、さらには規則も侵して立ち向かっているのだ。私一人が、こんな安全な場所で見ているだけなんてありえない。そんな私を私が許すわけにはいかない!

 体内の魔力の流れに集中する。血管を使って魔力がどんどん手のひらへ集まって来るのが分かる。このゾクゾク感。いける! そして、そろそろ巨大な蜘蛛を丸ごと閉じ込められそうな結界魔術が展開できそうになった時、蜘蛛の目がついに青白く変化した。

 いけない。間に合うか?!

 あ、と思った時には、蜘蛛の口元が少し開いて、中から青い光が溢れ出す。

 しまった。遅かったか。

 と、その時、蜘蛛の光が急激に弱々しくなっていった。なぜ? どうして? 驚いた私が、すっと蜘蛛の口元から奴の背中に視線をずらす。

「まさか」

 そこに立っていたのは、クレソンさんだった。大きな黒い山の天辺に立つ彼は、オレガノ体調のような特殊能力のない私でも、その背負うオーラが金色に輝いているのが分かる。

 数秒遅れて、大蜘蛛からは完全に光が消え失せた。もしかして、討伐できたのだろうか。私は走り出した。先程までの、金縛りにあったような重い体が嘘みたいに軽い。

 クレソンさん。クレソンさん。
 あのね、私――。

 見ると、薄っすらと漂う砂煙の向こうからクレソンさんが。

「クレソンさん!」
「エース!」

 クレソンさんが、全身を使って私を抱きしめてくれる。雑巾みたいにギュウギュウ絞られて痛いはずなのに、彼の匂いが、存在が、これが現実のものだと知らせてくれて、安堵のあまり涙が出る。

「無事で良かった」
「助けに来てくれて、ありがとうございました」
「もっと早く行きたかったのに、ごめんね」
「ううん。クレソンさんも無事で良かった。あの大蜘蛛、倒しちゃったんですね」

 すると、クレソンさんは私から少し身を離して渋い顔をする。

「いや、あれは一時的に奴の生命活動を無効化しただけなんだ」
「それって、死んだってことではないんですか?」

 あの火炎放射が放たれる直前、クレソンさんは他の騎士達の手を借りて蜘蛛の背に一人登り、魔物の核たる魔石がある場所へ王家伝承の宝剣を突き刺したらしい。すると、魔石に何らかの影響が出て大蜘蛛の動きは止まってしまったけれど、あれ程の規模の魔物ともなると時間が経てば魔石が自然に修復され、再び以前の力を取り戻すことになるそうだ。ちょっと生命力強すぎない?!

「正直今の戦力では、あの魔物を葬ることはできない」

 今回は、特殊な任務ということもあり、出発前から各地の騎士団に伝令を飛ばして、有志を集めていたそうだ。クレソンさん、私に交渉事を依頼しただけじゃなく、ちゃんと話し合いどころじゃなくなった時のことも想定して動いてくれていたんだね。

 だけど、寄せ集めの烏合の衆が手強い魔物に挑んでも、すぐに負けてしまうのは目に見えている。そこで、メンバーの士気を高め、一つの軍としての統率がとれるように新たな騎士団としての体裁を作る必要があったとのこと。それが、幻の第九騎士団だ。これは、総帥の権限である緊急命令で創設することができたらしい。私、そんなの全く聞いてなかったのでびっくりだよ。

 何でも、私が旗印になると知った各地の騎士団の騎士達が、夜通し馬で駈けて集まってくれたらしく、期待以上の大所帯になったそうだ。王城の守りの要である第八騎士団第六部隊も、マリ姫様に出動について嘆願書を書き、承諾をもぎ取ってこちらへ来てくれたんだって。私を仲間と思って心配してくれた皆。嬉しすぎて胸がいっぱいになる。今になって、あの時オレガノ隊長が言った「味方を増やせ」の意味が身にしみる。

 じゃ、このまま一気に全員でやっつけてしまえばいいのに。何せ相手は現在仮死状態。まさしくチャンスではないだろうか? でもクレソンさんは首を横に振る。

「そう簡単でもないんだ」

 まず、騎士達は遠方から集まってくれた人ばかりだし、今も死線をくぐり抜けて満身創痍だ。いくら弱っているとはいえ、大蜘蛛という太古から続く種。他にどんな隠し球を持っているかも分からない。このまま剣を振りかざし、魔術を目一杯放ったところで、どこまで歯が立つのかは分からないのだ。急結成した軍には、まともな補給路もなく、戦闘をこれ以上続けるのは本格的に死者を出しかねない状態かも。

 それに、大蜘蛛は火の魔術が得意。つまり、その身体は火の耐性が強いので、焼き殺すことは不可能だ。では、別の場所に封印するとしても、山のような大きさなので、到底動かせそうにもない。私が回復してから結界をかける手もあるけれど、そういえば私は思い入れのある物にしか永い効果のある結界魔術をかけられないので、いずれは綻びが出てしまうだろう。

「それに魔物は忌々しい生き物だけれど、自然界には多少なりとも必要な存在なんだよ。もちろん増え過ぎたり、人の生活を脅かすようなことがあっては困るけどね」

 クレソンさん曰く、城付きの研究者からの情報では、あの大蜘蛛はかなり昔からあの地に存在していて、食物連鎖のトップに君臨していたらしい。だから、下手にそれを討伐してしまうと、どんな影響が出るか分からないので、大変判断が難しいそうだ。一番良いのは、これまで通り人の住むエリアには介入せずに、大人しくしてもらうことだけど……。これ、本当に理想論すぎる。

「で、エースはあの大蜘蛛とは話ができた?」
「一応できましたが……」

 あのことは、ついつい話を濁したくなってしまう。でも、ちゃんと事実を伝えて皆で考えれば何とかなる気がする。幻の騎士団まで登場しちゃうぐらいなのだ。きっとこの先も奇跡は起きる。そう思わせてくれるだけの頼もしさに、クレソンさんが溢れているから、私は彼についていく。

「実は」

 私は正直に全てを伝えた。聞き終えたクレソンさんは、やっぱり難しい顔をしていたし、途中から集まってきたいろんな騎士団の皆さん、強そうな冒険者さんを率いているタラゴンさんも眉間に皺を寄せて押し黙ってしまう。うん、思った通りの反応だよ。

「エース。大蜘蛛は、好きでこんなことをしてるわけじゃないんだよね?」
「そうですね。かなり知能も高そうでしたし、嘘を言っている感じもありませんでした」
「では、何らかの方法で世界樹の管理人が間もなく交代し、この世界に再び正しい秩序とバランスが戻ることを信じさせるしかないな」

 もちろん、王家の人間が大蜘蛛に差し出される以外の方法で、だ。でも、そんな方法あるのかな? クレソンさんは私の不安を察したのか笑みを深める。それも、ちょっと怖いぐらいの素晴らしい笑顔。

「エース、大丈夫だよ。一石二鳥で片付けるからね」

 一石二鳥? 大蜘蛛ってレアな魔物っぽいから、討伐したら特殊な素材が取れるっていう意味なのかな。私は、クレソンさんの意味深な表情に首を傾げながらも、そんな呑気なことを考えていた。

 だから、私はまだ知らなかったのだ。
 私と別行動をしているうちに、クレソンさんのところへ城から早馬が来ていたなんて。そして、もたらされた話のお陰で、ついにとの本格的な対決の火蓋が切って落とされることになろうとは、想像もしていなかった。


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