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22嫌われちゃった
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城外演習なんて言うものだから、私はてっきり遠くへ行くものだと思いこんでいた。前日は遠足さながら、鞄にいろいろな荷物を積み込み、わくわくしてなかなか寝付けなかったのもお約束。
そして、当日。前日から下準備をしてあった朝ごはんのサンドイッチをクレソンさんと仲良く食べて、いざ北門前に集合! って、あれ? なんで先輩方はみんな軽装備なの?
「エース、白昼堂々と夜逃げか?」
「違います!」
ディル班長が私の全身と大きな鞄をじろじろ見つめる。
「今日って演習ですよね? もしどこか知らないところに迷い込んじゃって帰れなくなったりしたら困りますから、着替えとかオヤツをたくさん用意しておいたんです」
ディル班長は呆れた顔のまま、クレソンさんに視線を移した。クレソンさんは、少し俯いて笑いを噛み殺そうとしている。あれ、私、また何か間違えた?
「エース、クレソンから聞かなかったのか? 俺達は門衛。城外って言っても、緊急時にはすぐに持ち場へ戻れるよう、遠くへ行ってはならない規則があるんだ」
「そうだったんですか。では、今日はどこへ?」
「そこだ」
ディル班長が指差したのは、北門の外。門のすぐ前は跳ね橋になっている。敵襲があった際は、橋の高さををぐーんっと高くして、門から侵入されるのを防ぐ造りになっているのだ。そして門の下は堀になっていて、淀んだ水が入っている。
「もしかして」
「そう。そこの堀で演習だ。もし水中に敵が潜んでいた場合、城へ入られる前に殲滅するのも我ら第八騎士団第六部隊の使命。その際、俺たちも水へ落っこちることもあるから、定期的に水中訓練も行っているんだ」
私は、すぐには声が出なかった。嘘だと言ってほしい。そんな気持ち。
私は、魔物がうようよいそうな北の森などに行くのだと思いこんでいた。私が転移してきたのは初めから王都ハーヴィエルだったので、まだ他の場所のことを全然知らない。だから、森への道中、この世界の町並みをたくさん見るのをすっごく楽しみにしてたのに!
「でも、演習の時のご飯は食堂じゃないって……だからてっきり遠くへ行くものかと」
「あぁ、それはな、緊急時は食堂も閉まってしまうから、その時に自分達で食いつなぐ訓練も兼ねてるんだぞ。なかなかよく考えられてるだろ?」
なるほど。ディル班長の話は理解できるけれど、とにかく残念でならない。
「っていうか、クレソンさんはなぜ教えてくれなかったんですか?」
「せっかくスイーツっていう名前のオヤツを作ってくれているんだから、止めるのも勿体ないと思っちゃって」
実は昨夜、パウンドケーキを焼いたのだ。魔道具のオーブンから甘い香りが漂っていたから、それでバレていたのだろう。それから、スイーツはお菓子の名前ではない。甘めのお菓子やデザートの総称だ。機会があれば、まずはそこから教えてあげなくちゃね。
すると、ディル班長がいきなり突っかかってきた。
「菓子? エースがまた何か作ったのか? 作るときは俺を呼べと言っただろ」
そんなの聞いてない。ディル班長は、私に裁縫系の乙女趣味を暴露してから、やけに馴れ馴れしくなってしまった。私をすっかり同類だと思ってるみたいたけれど、私、本当は正真正銘の乙女ですから。とも言えずに口籠る。
と、そうこうしているうちにオレガノ隊長から招集がかかり、城外演習が開始した。
◇
まずは、水中や堀の向こう側に敵がいると仮定しての演習。城の内側にいる私達は、みすみす姿を晒して敵の的になる必要はない。となれば、まず、すべきことはコレだ。
「北班、構え!」
「はい!」
「投石!」
物が高速で飛行する時の風切り音がいくつも重なり合い、それは戦場にいるかのような轟音となる。
そう。これは、城の壁に開けられた穴、通称「殺人孔」からの攻撃だ。もちろん、エリート武装集団である第八騎士団第六部隊は、ほとんどの人が大なり小なり魔術が使えるのだけど、魔力量が減ると倒れてしまうことから、いざという時まで温存しておくのが基本。となると、元々弓などの飛び道具を嗜んでいない隊員は遠距離攻撃の術がない。
そこで登場するのが石である。石ならば城の敷地内にたくさん転がっているし、有事の際は破壊された建物などの破片もそれに代わる。初めは私も、石ころ投げなんて幼稚な遊びが戦いに使えるのかと半信半疑だった。でもこれが、案外強力な戦法なのである。
「ちっ、当たらねぇ!」
「いや、当たってるけど跳ね返ってくるんだよ」
「やっぱ、あの結界はヤバイな」
現在、私、敵さん役を任されています。跳ね橋の真ん中に立って、先輩方からの攻撃を一身に受けるだけ。けっこう、怖い。
って聞くと、一方的に虐められてるみたいだけど、そうではない。私はタラゴンさんとの一戦以降、常に自分自身へ結界をかけているから、全く当たらないのだ。ミントさんが、日頃からこうやって鍛えておけば、いざという時に役に立つと教えてくれたので実践してるんだけど、早速その恩恵を受けている形だ。初めは常時結界張っておくのが辛かったけれど、今は寝ている間でも解けることはない。ただ、ちょっと気を抜くと体が白い光を放ってしまうので、そう見えないように最低限の薄い結界を張るように気をつけている。
「よーし、そろそろ投石はもういいぞ。エース、ご苦労」
オレガノ隊長が、ようやく的役を御免させてくれた。ふぅ。結界があると分かっていても、集中砲火みたいなのを浴びるのは軽くトラウマになりそうだった。
「では、次はお待ちかね。水中訓練だ!」
隊長の声に先輩方は歓声を上げる。ほら、あんな感じ。アイドルのコンサートで、ステージからの呼びかけに応える少しむさくるしい重低音の和音。
先輩方は早速騎士服の上着を脱ぎ始めた。着衣泳って、服が重くて大変だものね。ここまでは私も想定済み。後は、どうやって私が脱がすに済ませるかだ。これには良い策を考えてきたので、たぶん大丈夫なはず。
その時、既に上半身裸になったクレソンさんがやってきた。他の人の裸はあまり気にならないのに、クレソンさんだとなぜか気恥ずかしくなってしまう。もっと見たいような、見たくないようなでもどかしい。
「エース、これ飲んで」
「え?」
「いいから早く。それとも、口移しで飲まされたい?」
こんなところでキス沙汰は困る。私はクレソンさんから受け取ったキャンディのようなものを慌てて口に放り込んだ。ちょっと苦い。胸元が妙に熱くなって、少し体が怠くなってきた。まさか、病欠になれるお薬?
「エース、気分は悪くない?」
「なんだか熱いし怠いです」
「そっか……訓練の間だけ我慢してね。これはエースを守るために必要なものだから」
私は意味がよく分からないので、曖昧に頷き返しておいた。
「では、全員堀へ入れ!」
オレガノ隊長の指示に従って、橋から次々に隊員達が水の中へ飛び込んでいく。私も思いっきり飛び込んだ。
ただし、球状の結界を纏った上で。
結界は水を通さないし、中の空気のおかげで水面にプカプカと浮かぶことができる。つまり、私は濡れない。だから、脱がなくていい!
「エース……」
「こいつはやる気があるのか、無いのか分からんな」
何となくこういう演習には不参加っぽいコリアンダー副隊長まで、魔術は全く使わずに水の中へ入っている。
「ちゃんと、水中にも潜れますよ?」
私が重心を低くしたら、結界ごと水の中に沈み込んでいく。普通に息もできるから安心だ。オレガノ隊長は
私の方を向いて、頭をポリポリ掻いている。
「……まぁ、いいか。お前ら、ここ北門から西門まで泳ぐぞ。付いて来い!」
すると、全員が犬かきの要領で、少しずつ水中を進み始めた。日本にはもっと早く泳げる方法が普通にあったし、犬かきはどことなく格好が悪いので残念な気持ちになってしまう。私は、水面から首だけ出した状態で、その最後尾をついていく。
「エース、大丈夫?」
クレソンさんが心配そうに眉を下げている。
「たぶん、大丈夫」
実は、クレソンさんから貰ったキャンディを食べて以来、体の様子がおかしいのだ。熱がどんどん上がってきて、視界がゆらゆらする。でもクレソンさんが私に変なものを渡すわけがないし、これはどういうことだろう。身体のあちらこちらの関節も痛くなってきた。もしかして、風邪?
そして、あまりのしんどさに意識を飛ばしかけた瞬間、パリンッとガラスが砕けるような音が耳元でした。
「エース!」
クレソンさんの顔が遠のいていく。結界が解けてしまったのだ。私は水の中へ沈み込んでいく。もがいて浮上する体力もない。頭の中が真っ白になって、ただ両腕を水面の方へ伸ばし落ちていく。
◇
再び意識を取り戻したのは、北門の跳ね橋の上だった。噎せて、何度も口から水を吐き出す。
「エース!」
クレソンさんの声。気づいたら、私はクレソンさんに後ろから抱きしめられていた。
「助けてくださったんですね。ありがとうございます」
「もう喋らなくていい。こんな高い熱で……」
クレソンさんは私よりも辛そうな顔をしている。ふと見ると、ラムズイヤーさんとディル班長も付き添ってくれていた。
「大丈夫か?」
「エース、お前、水が駄目だったんだな」
いえ、女の子用の水着を着たら、普通にすいすい泳げる自信はある。でも今は体調不良だから、無理かな。と、ぼんやりしていたら、二人はこんなことを言い出した。
「とりあえず服を脱がせよう。濡れたままだと気持ちが悪いだろうし」
「そうだな」
不味い。不味すぎる。
ここで脱がされたら、女の子だってバレてしまう。でもここには、私の正体を知る人は誰もいないから誰にも助けてもらえない。その上、抵抗したり、走って逃げたりする元気も無い。朦朧とする頭に鞭打って秘策がないか考えてみるけれど、何も思い浮かばなかった。ピンチ!
私の究極の焦りをよそに、ディル班長が私の上着をするすると脱がしてしまう。と同時に、私の腕を握るクレソンさんの手に力が込められる。そしてラムズイヤーさんが私のシャツのボタンを全て外して、その下に着ていたTシャツを捲りあげようとした、その瞬間。
「え?」
クレソンさんが、私を抱き上げて駆け出した。
「クレソンさん?」
どうして泣きそうな顔をしているの? クレソンさんは必死の形相で城の敷地内を走り抜けていく。すれ違った侍女さんや他の騎士さんもびっくりしている。そして辿り着いたのは、騎士寮にある私達の部屋だった。
助かった。間一髪だった。
ここまで来れば、もう大丈夫。
クレソンさんは、ベッド脇のカーテンを乱暴に開けると、そこへ私を横たえる。日頃から体を鍛えている彼でも、さすがに人間一人を運ぶのは辛かったのか、床に座り込んでゼイゼイ息を切らせていた。髪や体から水がポタポタ滴り落ちて、床には小さな水たまりができそうだ。
でも、なんでクレソンさんは私を人目につかないところへ助け出してくれたのだろう。私がゆっくりと体を起こすと、クレソンさんは立ち上がって私のベッドの端に腰を掛けた。
「エース」
「クレソンさん」
カッコ良い人って、濡れるとさらに色気が増すらしい。ちょっと目のやり場に困ってしまう。
「ごめんな」
「え? いえいえ、謝られることなんて何もないです。それより、ありがとうございました」
クレソンさんは首を横に振った。そして、まじまじと濡れ鼠になった私の体を見つめる。
「薬、エースには効かなかったみたいだ」
「あのキャンディ、お薬だったんですね」
すると、クレソンさんがわたしの首筋に手を当てた。熱を測ってるのかな? と思っていたら、そうではない。その手が少しずつ移動して、Tシャツの胸元まで下がってくる。そこには、ミントさんからもらった下着で押しつぶしているとは言え、明らかに丸みを帯びた膨らみがあった。クレソンさんの手が、それを包み込むようにして、触れる。
クレソンさんの顔が赤くなった。
私の体温もさらに上がる。
そっか。
バレてたんだ。
これ以上は誤魔化せない。ちゃんと言わなきゃ。
「クレソンさん。実は、私……」
「エース!」
急に大声を出すものだから、驚いてしまった。私とクレソンさんの目がピタリと合う。クレソンさんの目は、とても悲しそうだった。
「エース。やっぱり君は、騎士団なんかにいるべきじゃない」
「え?」
「守られる側でいるべきだ」
クレソンさんは再び立ち上がると、こちらに背を向ける。
「今日はここで休んでて。隊長には僕から話をつけておく」
部屋の扉が閉まった。
寝室がすごく広く感じる。
未だに濡れたままの体。気化熱でどんどん体温が下がる。突き刺さるような寒さ。
私、嫌われちゃったのかな。
そして、当日。前日から下準備をしてあった朝ごはんのサンドイッチをクレソンさんと仲良く食べて、いざ北門前に集合! って、あれ? なんで先輩方はみんな軽装備なの?
「エース、白昼堂々と夜逃げか?」
「違います!」
ディル班長が私の全身と大きな鞄をじろじろ見つめる。
「今日って演習ですよね? もしどこか知らないところに迷い込んじゃって帰れなくなったりしたら困りますから、着替えとかオヤツをたくさん用意しておいたんです」
ディル班長は呆れた顔のまま、クレソンさんに視線を移した。クレソンさんは、少し俯いて笑いを噛み殺そうとしている。あれ、私、また何か間違えた?
「エース、クレソンから聞かなかったのか? 俺達は門衛。城外って言っても、緊急時にはすぐに持ち場へ戻れるよう、遠くへ行ってはならない規則があるんだ」
「そうだったんですか。では、今日はどこへ?」
「そこだ」
ディル班長が指差したのは、北門の外。門のすぐ前は跳ね橋になっている。敵襲があった際は、橋の高さををぐーんっと高くして、門から侵入されるのを防ぐ造りになっているのだ。そして門の下は堀になっていて、淀んだ水が入っている。
「もしかして」
「そう。そこの堀で演習だ。もし水中に敵が潜んでいた場合、城へ入られる前に殲滅するのも我ら第八騎士団第六部隊の使命。その際、俺たちも水へ落っこちることもあるから、定期的に水中訓練も行っているんだ」
私は、すぐには声が出なかった。嘘だと言ってほしい。そんな気持ち。
私は、魔物がうようよいそうな北の森などに行くのだと思いこんでいた。私が転移してきたのは初めから王都ハーヴィエルだったので、まだ他の場所のことを全然知らない。だから、森への道中、この世界の町並みをたくさん見るのをすっごく楽しみにしてたのに!
「でも、演習の時のご飯は食堂じゃないって……だからてっきり遠くへ行くものかと」
「あぁ、それはな、緊急時は食堂も閉まってしまうから、その時に自分達で食いつなぐ訓練も兼ねてるんだぞ。なかなかよく考えられてるだろ?」
なるほど。ディル班長の話は理解できるけれど、とにかく残念でならない。
「っていうか、クレソンさんはなぜ教えてくれなかったんですか?」
「せっかくスイーツっていう名前のオヤツを作ってくれているんだから、止めるのも勿体ないと思っちゃって」
実は昨夜、パウンドケーキを焼いたのだ。魔道具のオーブンから甘い香りが漂っていたから、それでバレていたのだろう。それから、スイーツはお菓子の名前ではない。甘めのお菓子やデザートの総称だ。機会があれば、まずはそこから教えてあげなくちゃね。
すると、ディル班長がいきなり突っかかってきた。
「菓子? エースがまた何か作ったのか? 作るときは俺を呼べと言っただろ」
そんなの聞いてない。ディル班長は、私に裁縫系の乙女趣味を暴露してから、やけに馴れ馴れしくなってしまった。私をすっかり同類だと思ってるみたいたけれど、私、本当は正真正銘の乙女ですから。とも言えずに口籠る。
と、そうこうしているうちにオレガノ隊長から招集がかかり、城外演習が開始した。
◇
まずは、水中や堀の向こう側に敵がいると仮定しての演習。城の内側にいる私達は、みすみす姿を晒して敵の的になる必要はない。となれば、まず、すべきことはコレだ。
「北班、構え!」
「はい!」
「投石!」
物が高速で飛行する時の風切り音がいくつも重なり合い、それは戦場にいるかのような轟音となる。
そう。これは、城の壁に開けられた穴、通称「殺人孔」からの攻撃だ。もちろん、エリート武装集団である第八騎士団第六部隊は、ほとんどの人が大なり小なり魔術が使えるのだけど、魔力量が減ると倒れてしまうことから、いざという時まで温存しておくのが基本。となると、元々弓などの飛び道具を嗜んでいない隊員は遠距離攻撃の術がない。
そこで登場するのが石である。石ならば城の敷地内にたくさん転がっているし、有事の際は破壊された建物などの破片もそれに代わる。初めは私も、石ころ投げなんて幼稚な遊びが戦いに使えるのかと半信半疑だった。でもこれが、案外強力な戦法なのである。
「ちっ、当たらねぇ!」
「いや、当たってるけど跳ね返ってくるんだよ」
「やっぱ、あの結界はヤバイな」
現在、私、敵さん役を任されています。跳ね橋の真ん中に立って、先輩方からの攻撃を一身に受けるだけ。けっこう、怖い。
って聞くと、一方的に虐められてるみたいだけど、そうではない。私はタラゴンさんとの一戦以降、常に自分自身へ結界をかけているから、全く当たらないのだ。ミントさんが、日頃からこうやって鍛えておけば、いざという時に役に立つと教えてくれたので実践してるんだけど、早速その恩恵を受けている形だ。初めは常時結界張っておくのが辛かったけれど、今は寝ている間でも解けることはない。ただ、ちょっと気を抜くと体が白い光を放ってしまうので、そう見えないように最低限の薄い結界を張るように気をつけている。
「よーし、そろそろ投石はもういいぞ。エース、ご苦労」
オレガノ隊長が、ようやく的役を御免させてくれた。ふぅ。結界があると分かっていても、集中砲火みたいなのを浴びるのは軽くトラウマになりそうだった。
「では、次はお待ちかね。水中訓練だ!」
隊長の声に先輩方は歓声を上げる。ほら、あんな感じ。アイドルのコンサートで、ステージからの呼びかけに応える少しむさくるしい重低音の和音。
先輩方は早速騎士服の上着を脱ぎ始めた。着衣泳って、服が重くて大変だものね。ここまでは私も想定済み。後は、どうやって私が脱がすに済ませるかだ。これには良い策を考えてきたので、たぶん大丈夫なはず。
その時、既に上半身裸になったクレソンさんがやってきた。他の人の裸はあまり気にならないのに、クレソンさんだとなぜか気恥ずかしくなってしまう。もっと見たいような、見たくないようなでもどかしい。
「エース、これ飲んで」
「え?」
「いいから早く。それとも、口移しで飲まされたい?」
こんなところでキス沙汰は困る。私はクレソンさんから受け取ったキャンディのようなものを慌てて口に放り込んだ。ちょっと苦い。胸元が妙に熱くなって、少し体が怠くなってきた。まさか、病欠になれるお薬?
「エース、気分は悪くない?」
「なんだか熱いし怠いです」
「そっか……訓練の間だけ我慢してね。これはエースを守るために必要なものだから」
私は意味がよく分からないので、曖昧に頷き返しておいた。
「では、全員堀へ入れ!」
オレガノ隊長の指示に従って、橋から次々に隊員達が水の中へ飛び込んでいく。私も思いっきり飛び込んだ。
ただし、球状の結界を纏った上で。
結界は水を通さないし、中の空気のおかげで水面にプカプカと浮かぶことができる。つまり、私は濡れない。だから、脱がなくていい!
「エース……」
「こいつはやる気があるのか、無いのか分からんな」
何となくこういう演習には不参加っぽいコリアンダー副隊長まで、魔術は全く使わずに水の中へ入っている。
「ちゃんと、水中にも潜れますよ?」
私が重心を低くしたら、結界ごと水の中に沈み込んでいく。普通に息もできるから安心だ。オレガノ隊長は
私の方を向いて、頭をポリポリ掻いている。
「……まぁ、いいか。お前ら、ここ北門から西門まで泳ぐぞ。付いて来い!」
すると、全員が犬かきの要領で、少しずつ水中を進み始めた。日本にはもっと早く泳げる方法が普通にあったし、犬かきはどことなく格好が悪いので残念な気持ちになってしまう。私は、水面から首だけ出した状態で、その最後尾をついていく。
「エース、大丈夫?」
クレソンさんが心配そうに眉を下げている。
「たぶん、大丈夫」
実は、クレソンさんから貰ったキャンディを食べて以来、体の様子がおかしいのだ。熱がどんどん上がってきて、視界がゆらゆらする。でもクレソンさんが私に変なものを渡すわけがないし、これはどういうことだろう。身体のあちらこちらの関節も痛くなってきた。もしかして、風邪?
そして、あまりのしんどさに意識を飛ばしかけた瞬間、パリンッとガラスが砕けるような音が耳元でした。
「エース!」
クレソンさんの顔が遠のいていく。結界が解けてしまったのだ。私は水の中へ沈み込んでいく。もがいて浮上する体力もない。頭の中が真っ白になって、ただ両腕を水面の方へ伸ばし落ちていく。
◇
再び意識を取り戻したのは、北門の跳ね橋の上だった。噎せて、何度も口から水を吐き出す。
「エース!」
クレソンさんの声。気づいたら、私はクレソンさんに後ろから抱きしめられていた。
「助けてくださったんですね。ありがとうございます」
「もう喋らなくていい。こんな高い熱で……」
クレソンさんは私よりも辛そうな顔をしている。ふと見ると、ラムズイヤーさんとディル班長も付き添ってくれていた。
「大丈夫か?」
「エース、お前、水が駄目だったんだな」
いえ、女の子用の水着を着たら、普通にすいすい泳げる自信はある。でも今は体調不良だから、無理かな。と、ぼんやりしていたら、二人はこんなことを言い出した。
「とりあえず服を脱がせよう。濡れたままだと気持ちが悪いだろうし」
「そうだな」
不味い。不味すぎる。
ここで脱がされたら、女の子だってバレてしまう。でもここには、私の正体を知る人は誰もいないから誰にも助けてもらえない。その上、抵抗したり、走って逃げたりする元気も無い。朦朧とする頭に鞭打って秘策がないか考えてみるけれど、何も思い浮かばなかった。ピンチ!
私の究極の焦りをよそに、ディル班長が私の上着をするすると脱がしてしまう。と同時に、私の腕を握るクレソンさんの手に力が込められる。そしてラムズイヤーさんが私のシャツのボタンを全て外して、その下に着ていたTシャツを捲りあげようとした、その瞬間。
「え?」
クレソンさんが、私を抱き上げて駆け出した。
「クレソンさん?」
どうして泣きそうな顔をしているの? クレソンさんは必死の形相で城の敷地内を走り抜けていく。すれ違った侍女さんや他の騎士さんもびっくりしている。そして辿り着いたのは、騎士寮にある私達の部屋だった。
助かった。間一髪だった。
ここまで来れば、もう大丈夫。
クレソンさんは、ベッド脇のカーテンを乱暴に開けると、そこへ私を横たえる。日頃から体を鍛えている彼でも、さすがに人間一人を運ぶのは辛かったのか、床に座り込んでゼイゼイ息を切らせていた。髪や体から水がポタポタ滴り落ちて、床には小さな水たまりができそうだ。
でも、なんでクレソンさんは私を人目につかないところへ助け出してくれたのだろう。私がゆっくりと体を起こすと、クレソンさんは立ち上がって私のベッドの端に腰を掛けた。
「エース」
「クレソンさん」
カッコ良い人って、濡れるとさらに色気が増すらしい。ちょっと目のやり場に困ってしまう。
「ごめんな」
「え? いえいえ、謝られることなんて何もないです。それより、ありがとうございました」
クレソンさんは首を横に振った。そして、まじまじと濡れ鼠になった私の体を見つめる。
「薬、エースには効かなかったみたいだ」
「あのキャンディ、お薬だったんですね」
すると、クレソンさんがわたしの首筋に手を当てた。熱を測ってるのかな? と思っていたら、そうではない。その手が少しずつ移動して、Tシャツの胸元まで下がってくる。そこには、ミントさんからもらった下着で押しつぶしているとは言え、明らかに丸みを帯びた膨らみがあった。クレソンさんの手が、それを包み込むようにして、触れる。
クレソンさんの顔が赤くなった。
私の体温もさらに上がる。
そっか。
バレてたんだ。
これ以上は誤魔化せない。ちゃんと言わなきゃ。
「クレソンさん。実は、私……」
「エース!」
急に大声を出すものだから、驚いてしまった。私とクレソンさんの目がピタリと合う。クレソンさんの目は、とても悲しそうだった。
「エース。やっぱり君は、騎士団なんかにいるべきじゃない」
「え?」
「守られる側でいるべきだ」
クレソンさんは再び立ち上がると、こちらに背を向ける。
「今日はここで休んでて。隊長には僕から話をつけておく」
部屋の扉が閉まった。
寝室がすごく広く感じる。
未だに濡れたままの体。気化熱でどんどん体温が下がる。突き刺さるような寒さ。
私、嫌われちゃったのかな。
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