止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の住人達

研修員の苦労

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◇翔

 木仏金物石仏(きぶつかなぶついしぼとけ)は、日本の地方都市にある郊外の一軒家といった風な佇まい。つまるところ、ただの民家だ。これと別に客のための宿泊施設があるのかと思い、辺りをうろうろしてみたが何もない。ここも、どこまでも広がる白い砂地と白い霧で囲まれているだけなのだ。

 仕入れ係の柊(ひいらぎ)とは顔を合わせたことがあるが、正直性に合わない。あいつは、常に男装していて、さまざまな世界を訪れては女を侍らせるのが趣味。以前、どこかで顔を合わせた時は、「騎士様ぁああ!!」などと叫ぶフリフリドレスの女共に囲まれて鼻の下を伸ばしていた。そう考えると、弟の椿は随分とまともに見えてくるから不思議だ。椿はそういう趣味はないし、独特の感性とノリがあるものの、意図的に周囲を巻き込もうとすることはないので、まだ可愛げがある。

 そうなると、その親はどんな人物なのだろうか。戦々恐々としてしまうのは仕方がないことだろう。そうは言っても、ここの研修員という形で時の狭間を渡ってきた以上、顔を合わさないわけにもいかない。俺はしぶしぶドアにあったインターホンを押した。

「いらっしゃ~い! 待ってたのよ~!」

 出てきたのは、日本ならばどこにでもいそうなオバさんで、台所仕事をしていたのか、手を手早くエプロンで拭くと、俺の腕を強く引っ張った。

「……止まり木旅館から参りました。翔と申します。今日からお世話になります」

 彼女はおそらく千景さんの妹、千鶴さんだ。こう言っちゃなんだが、似ていない。千景さんはこんなのじゃなくて、ちゃんと美人だからな。ちなみに楓は千景さん似。何が言いたいか分かるか? まぁ、そういうことだ。

「……あの、どうかされました?」

 千鶴さんは、目をキラキラさせて、俺のことを見つめている。いや、オバさんはちょっと……。一応俺は相手もいるし、間に合ってますので。

「なかなか良い素材してるわね!」

 そう来たか! 普通なのは見た目だけだったらしい。きっとこれは、あの姉弟のような目に合う前兆に違いない! ぞぞぞっと背中を寒気が走る。何事も初めが肝心だ。ここはきっぱりとした態度で切り抜けなければ。

「ありがとうございます。これでも仕事はできる方なんで、こちらでもさらに学ばせていただきますね。なんでも、最近事業がうまくいかず、お困りだとか?」

 そもそも椿が止まり木旅館にやってきたのは、木仏金仏石仏の立て直しが目的だ。今は四六時中楓の後をつけ回し、けしからんことに教えを乞うという名目で女子会的なものまで開いている。いくら可愛らしい恰好をしているからって、中身は男だ。楓は完全に警戒を解いているのが、また腹立たしい。でも、こんなことでいちいちイライラしているのがバレると、器の小さい男だと思われそうで癪だ。結局、楓の見守り隊である潤さんに任せることとして、俺は楓から離れたところで仕事していた。

 さて、目の前のオバさんは、途端に背を丸めてそっぽを向いてしまった。話題を逸らすことには成功したらしい。

「客を捌ききれていないんですよね? 今はどんな状況なんですか? 微力ですが、ここにいる間ぐらい何かできればと思っています」

 グジャルダンケルにいくのが、俺の本当の目的だ。でもそれを言うと、どんな反応が返ってくるか分からない。できれば、客のホームステイ先を探すとかいう名目でここから出て、こっそりと里帰りするのが理想的である。

「あなた……」

 千鶴さんは、再びこちらをじっと見つめた。何なんだ、この人は。ちなみに、ドキドキとかは一切しない。俺は歳の差、それも自分よりかなり上の人とかに萌えるタイプじゃないから。

「研修なんて、要らないんじゃないの?」

 当たり前だ。俺を何だと思ってる? 長年健全な運営を続け、奇跡的な高確率でお客様を元の世界へ送り返し続けている止まり木旅館の従業員だぞ。しかも、最近まで忙しい仕入れ係をやっていたんだ。幼い頃から千景さんに仕込まれたおかげで、それなりの作法も身についている。研修なんて、あくまで建前なんだからな。

「いえいえ。こちらには、うちで受け入れていないようなお客様もいらっしゃっているかもしれませんし、勉強させていただきます」

 ここで、帰れと言われるわけにはいかない。それに、もし帰ったら、俺が何か問題を起こして受け入れてもらえなかったと、止まり木旅館の皆に勘違いされる可能性もある。慌てて営業スマイルを顔に張り付けた。


* * *


 止まり木旅館を出て、早くも1週間が過ぎた。千鶴さんの夫は盆栽が趣味で、よく盆栽と語り合っているところを見かける。とても物静かな人だ。おそらく、俺の故郷とも、日本がある世界とも違うどこかの世界からやってきた人なのだろう。髪が水色で、瞳も薄い水色。男性なのに、とても綺麗で儚げな印象なので、どうしてあんなオバさんと結婚したのだろうと不思議になった。だが、そんなことを赤の他人が聞いてもどうせ合点のいくような理由ではないだろうと思い、尋ねずにおいた。

 ちなみに、仕事はぜんぜんできなさそうな雰囲気だ。彼の書斎、いや、事務所の根幹となる部屋は大量の書類がある。一応、顧客管理をしようとしていた名残がある。床に落ちているのは、ホームステイ先選定の資料から、ホームステイ後のアフターフォローに関する報告書など。でもどれも散らかりすぎていて、収集がつかない。窓を開けると、時の狭間特有の柔らかな風に流されて、数枚の書類が部屋の外へ飛ばされていった。ほんの少しのやる気は伺えるものの、これじゃ運営がうまくいっていないのも無理はない。おそらく、椿の空回りなところは父親似なのだろう。

 幸い、柊はずっとこちらに戻ってきていない。できれば顔を合わさずにお暇したいものだ。千鶴さんは、ずっとリビングのソファに寝そべって、たまにお尻をぽりぽりかきながら、ポテチをつまみつつ、昼も夜もテレビを眺めて過ごしていた。よく言えば穏やか。ちょっと言い方を変えれば、変化が無く、つまらない風景。いや、ここははっきりと言ってやろう。

 お前ら、やる気なさすぎ!! 宿泊業舐めるなよ?!!!!

 いい加減鬱憤が溜まってきた。千鶴さんの夫の書斎は随分と片付いたので、そろそろ当初の目的でも果たすべく、動くことにしよう。俺は、千鶴さんのためにコーヒーを淹れて(彼女は人をもてなすということをしない。飲み物を用意するのは、いつも俺だ)、話を切り出した。

「そろそろ、行こうと思うんです」

 コーヒーのカップに角砂糖を3つも入れた千鶴さんは、指に挟んでいた4つ目をポトリとテーブルの上に落とした。

「え?! もう帰っちゃうの?! 翔くんのお料理、もう食べれなくなるの?!!」

 楓ほどではないが、俺だって多少は自炊できる。仕入れがいつも日帰りというわけにもいかないので、出先では自分で作ることもあるのだ。行った先の世界にある食べ物を食べても良いのだが、すっかり止まり木旅館の飯……というか、楓が作る飯に慣れきった腹には、少々キツい物も多いからだ。和食万歳! 酒、塩、酢、醤油、味噌、出汁は人類の宝だ。


「……レシピは、千鶴さんも作れるような簡単なものをいくつか書き置きしておきますので。……って、いや、違うんです。書類整理も終わりましたから、そろそろ新しいホームステイの受け入れ先でも探しに行こうかと」

「翔くんは、ちゃんと仕事して偉いわねぇ!」


 やれやれ。千鶴さんが、仕事さぼりすぎなんだよ。


「……ちょっと心当たりもありますので、行ってきますね。しばらく戻らないかもしれませんが、心配しないでください」

「そうなの? 気を付けていってらっしゃいねー!」

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