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止まり木旅館の住人達
皆いるから、大丈夫
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◇巴
桜ちゃんのお父様とか言う緑の男性を布団に寝かせて30分。もちろんのことだが、起きる気配はない。さて、楓さんはどこに行ったのだろうか。客室から廊下に出てみると、玄関の方からよたよたと歩いてくる楓さんの姿があった。楓さんの様子がおかしい。いや、もっとおかしいものが見える。あれって……あれ、ですよね。
「研さん」
「ただいま」
あの日、楓さんの父親であることが判明した時と同じ、全身白いお召し物を纏(まと)った導きの神。彼がいたのだ。
「元気にしてるみたいだね」
ほほ笑む神。普通こういう時って、「元気にしてた?」って聞くものじゃないの? 何なの、全てお見通しみたいな言い方は。そりゃぁ、神なのだから、何でも知っているのかもしれないけれど。
「楓さん、どうかしたんですか?」
私は、突然現れた導きの神のことも気になるけれど、楓さんのことの方が心配だった。どうにか取り繕っているようだけれど、どこか視点が虚ろで、心ここにあらずといった体だ。
「あ……巴ちゃん、グリーンマンはどうなさってるかしら」
楓さん、どうやらあの方のことを『グリーンマン』と呼んでいるらしい。私も心の中では『緑の男』と翻訳していたから、似たようなものだけれど。でも、心の声がここまで制御できていないなんて、余程のことだ。
「研さん、何かしたの?」
「悪いことは何もしてないよ? ほら、松の間の修繕するから、そこどいて」
導きの神は、涼しい顔で私の前を通り過ぎていった。悪いことはしていないと言うけれど、何かしたのは確かだろう。困ったな。こんな時に限って翔がいないなんて。まだ約束の1か月までは日数がある。それまで楓さんは立ち直れるだろうか。
たぶん私って、元々は、楓さんの姉的な立ち位置なのだと思う。まだあの子が幼い頃から一緒に止まり木旅館で過ごしてきたし、お客様の対応で忙しい千景さんの代わりに勉強やお作法を教えたり、遊んであげたことがたくさんあるから。でも若女将時代からは、一緒に数々の曲者……じゃなくて、様々な事情を抱えたお客様に立ち向かって、ある意味数々の修羅場を潜り抜けてきた同士でもあった。そして今、私はあの子に、どんな形で必要とされているのだろうか。
翔を好きになって、里千代様や椿さんを迎えて、送り出して……。きっと、時の狭間の外の世界に生まれたならば、あまりにも歩みの遅い成長なのかもしれないけれど、あの子なりに『経験』を積んで、大きくなっていっている。けれど、まだ女将になって間もない。私なんて、できることは限られているけれど、やっぱりもう少し傍にいて役に立ち続けたいと思ってしまう。
「楓さん」
私は、楓さんの背中にそっと手を当てた。手って、不思議だ。手は、目に見えない何かを発してると思う。当てるだけで、そこからじんわりと温もりが広がり、人に安らぎを与える。科学的な話では説明できないような、ヒーリング効果がそこにはあるのだ。
しばらくすると、楓さんの眉間がやや緩んできた。
「巴ちゃん」
楓さんの瞳は、不安そうに揺れている。この子にこんな顔されるのは、弱いのだ。
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのかなんて、言った本人の私にも分からない。でも、きっと本当に大丈夫なのだ。そう、あの時だって……。
私は時の狭間の止まり木旅館にやってきて、一度死のうと思ったことがある。ここから元の世界には帰れないし、他の場所に行くこともできない。一生ここに居るのだと思うと、喉が締め付けられるように苦しくなって、ひと思いにすっぱりと終止符を打ちたくなっていた。そして、いよいよ決行しようとしていたその日、楓さんは今と同じ瞳でこちらを見つめていた。そして言ったのだ。
「大丈夫よ」
当時、まだ子供だった彼女から発せられた『大丈夫』。この言葉が、胸の中で無限に響き続けるやまびこのようにエコーを繰り返して、いつしか本当に『大丈夫』と思えるようになったのだ。それ以降、私はあんな気を起こしたことは一度もない。
「楓さん、大丈夫よ」
楓さんは、恐る恐る手を伸ばして、私の着物の袖をきゅっと掴んだ。
「ありがとう」
しばらくしてから発せられたその声は、もう『大丈夫』になっていた。
* * *
緑の男、改めグリーンマンが目覚めたのは、それから5日後のことだった。その間、止まり木旅館は2名のお客様をお迎えし、元の世界にお戻りいただいた。
そして、現在、絶賛親子喧嘩中である。
「私、もう仕入れ係なんて嫌だ! もっと遊びたいの!」
桜ちゃんはまだ幼いながらに仕入れ係という大役に就いている。というのも、本来ならば父親のグリーンマンが担うべきなのだが、この眠り癖?のせいで仕入れがままならないらしい。
「……でも……、眠い……からなぁ……だか……ら……、桜に……仕入れ……しても……らう」
グリーンマンは、桜ちゃんの言葉をのらりくらりと交わしている。話すのがとてつもなくゆっくりで、聞いていてイライラしてくるのは、私だけではないはず。これでは、眠り癖が解決しても、喋り方が問題で仕入れの仕事ができないのではないだろうか。
「あ……」
グリーンマンは、急にはっとした顔になって、上の方を見上げた。
「……これ……知らせに……きた……」
そう言うと、グリーンマンはズボンのポケットから1枚の封筒を取り出した。隣に居た楓さんは痺れをきらしたのか、グリーンマンからその封筒をひったくる。
「楓さん、何の手紙なんですか?」
私は、楓さんが封筒から取り出した紙を覗き込んだ。そこに書かれてあったのは……
『第1回時の狭間懇親会@止まり木旅館』
んんん?? な、何なのこれ?!!!
案の定、楓さんはポカンと口を開けて固まっている。里千代様の性格がコロリと変わった時程の驚きではないのか、かろうじて気絶はしていないものの、大きな衝撃は受けているようだ。
懇親会。それは良いとしよう。でも、『@止まり木旅館』ってどういうこと? 私は、その紙の最後の方に目をやった。書かれていたのは、『金のなる木 管理人』。『金のなる木』って確か……時の狭間チェーンのお宿の名前だ。
桜ちゃんのお父様とか言う緑の男性を布団に寝かせて30分。もちろんのことだが、起きる気配はない。さて、楓さんはどこに行ったのだろうか。客室から廊下に出てみると、玄関の方からよたよたと歩いてくる楓さんの姿があった。楓さんの様子がおかしい。いや、もっとおかしいものが見える。あれって……あれ、ですよね。
「研さん」
「ただいま」
あの日、楓さんの父親であることが判明した時と同じ、全身白いお召し物を纏(まと)った導きの神。彼がいたのだ。
「元気にしてるみたいだね」
ほほ笑む神。普通こういう時って、「元気にしてた?」って聞くものじゃないの? 何なの、全てお見通しみたいな言い方は。そりゃぁ、神なのだから、何でも知っているのかもしれないけれど。
「楓さん、どうかしたんですか?」
私は、突然現れた導きの神のことも気になるけれど、楓さんのことの方が心配だった。どうにか取り繕っているようだけれど、どこか視点が虚ろで、心ここにあらずといった体だ。
「あ……巴ちゃん、グリーンマンはどうなさってるかしら」
楓さん、どうやらあの方のことを『グリーンマン』と呼んでいるらしい。私も心の中では『緑の男』と翻訳していたから、似たようなものだけれど。でも、心の声がここまで制御できていないなんて、余程のことだ。
「研さん、何かしたの?」
「悪いことは何もしてないよ? ほら、松の間の修繕するから、そこどいて」
導きの神は、涼しい顔で私の前を通り過ぎていった。悪いことはしていないと言うけれど、何かしたのは確かだろう。困ったな。こんな時に限って翔がいないなんて。まだ約束の1か月までは日数がある。それまで楓さんは立ち直れるだろうか。
たぶん私って、元々は、楓さんの姉的な立ち位置なのだと思う。まだあの子が幼い頃から一緒に止まり木旅館で過ごしてきたし、お客様の対応で忙しい千景さんの代わりに勉強やお作法を教えたり、遊んであげたことがたくさんあるから。でも若女将時代からは、一緒に数々の曲者……じゃなくて、様々な事情を抱えたお客様に立ち向かって、ある意味数々の修羅場を潜り抜けてきた同士でもあった。そして今、私はあの子に、どんな形で必要とされているのだろうか。
翔を好きになって、里千代様や椿さんを迎えて、送り出して……。きっと、時の狭間の外の世界に生まれたならば、あまりにも歩みの遅い成長なのかもしれないけれど、あの子なりに『経験』を積んで、大きくなっていっている。けれど、まだ女将になって間もない。私なんて、できることは限られているけれど、やっぱりもう少し傍にいて役に立ち続けたいと思ってしまう。
「楓さん」
私は、楓さんの背中にそっと手を当てた。手って、不思議だ。手は、目に見えない何かを発してると思う。当てるだけで、そこからじんわりと温もりが広がり、人に安らぎを与える。科学的な話では説明できないような、ヒーリング効果がそこにはあるのだ。
しばらくすると、楓さんの眉間がやや緩んできた。
「巴ちゃん」
楓さんの瞳は、不安そうに揺れている。この子にこんな顔されるのは、弱いのだ。
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのかなんて、言った本人の私にも分からない。でも、きっと本当に大丈夫なのだ。そう、あの時だって……。
私は時の狭間の止まり木旅館にやってきて、一度死のうと思ったことがある。ここから元の世界には帰れないし、他の場所に行くこともできない。一生ここに居るのだと思うと、喉が締め付けられるように苦しくなって、ひと思いにすっぱりと終止符を打ちたくなっていた。そして、いよいよ決行しようとしていたその日、楓さんは今と同じ瞳でこちらを見つめていた。そして言ったのだ。
「大丈夫よ」
当時、まだ子供だった彼女から発せられた『大丈夫』。この言葉が、胸の中で無限に響き続けるやまびこのようにエコーを繰り返して、いつしか本当に『大丈夫』と思えるようになったのだ。それ以降、私はあんな気を起こしたことは一度もない。
「楓さん、大丈夫よ」
楓さんは、恐る恐る手を伸ばして、私の着物の袖をきゅっと掴んだ。
「ありがとう」
しばらくしてから発せられたその声は、もう『大丈夫』になっていた。
* * *
緑の男、改めグリーンマンが目覚めたのは、それから5日後のことだった。その間、止まり木旅館は2名のお客様をお迎えし、元の世界にお戻りいただいた。
そして、現在、絶賛親子喧嘩中である。
「私、もう仕入れ係なんて嫌だ! もっと遊びたいの!」
桜ちゃんはまだ幼いながらに仕入れ係という大役に就いている。というのも、本来ならば父親のグリーンマンが担うべきなのだが、この眠り癖?のせいで仕入れがままならないらしい。
「……でも……、眠い……からなぁ……だか……ら……、桜に……仕入れ……しても……らう」
グリーンマンは、桜ちゃんの言葉をのらりくらりと交わしている。話すのがとてつもなくゆっくりで、聞いていてイライラしてくるのは、私だけではないはず。これでは、眠り癖が解決しても、喋り方が問題で仕入れの仕事ができないのではないだろうか。
「あ……」
グリーンマンは、急にはっとした顔になって、上の方を見上げた。
「……これ……知らせに……きた……」
そう言うと、グリーンマンはズボンのポケットから1枚の封筒を取り出した。隣に居た楓さんは痺れをきらしたのか、グリーンマンからその封筒をひったくる。
「楓さん、何の手紙なんですか?」
私は、楓さんが封筒から取り出した紙を覗き込んだ。そこに書かれてあったのは……
『第1回時の狭間懇親会@止まり木旅館』
んんん?? な、何なのこれ?!!!
案の定、楓さんはポカンと口を開けて固まっている。里千代様の性格がコロリと変わった時程の驚きではないのか、かろうじて気絶はしていないものの、大きな衝撃は受けているようだ。
懇親会。それは良いとしよう。でも、『@止まり木旅館』ってどういうこと? 私は、その紙の最後の方に目をやった。書かれていたのは、『金のなる木 管理人』。『金のなる木』って確か……時の狭間チェーンのお宿の名前だ。
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