止まり木旅館の若女将

山下真響

文字の大きさ
上 下
58 / 82
止まり木旅館の住人達

ごめんね

しおりを挟む
◇楓

 導きの神の登場は、それからすぐのことだった。密さん、仕事が早すぎるよ。報告とか、もっとゆっくりでいいのに……。

 ともかく、現れた神は、すっかり止まり木旅館の従業員仕様になっていた。長い薄紫の髪を後ろで結い上げて、茜色の品の良い着物をきっちりと着込んでいる。

「どう? 懐かしいでしょ?」

 懐かしいって、そんじょそこらの女子よりも綺麗な女装のことですか? 頼むから、娘よりも胸を盛るのはやめてくれ。


「でも、ここに居ることが他のお宿に知られたらまずいんじゃ……。今は桜ちゃんもいるのに!」

「いやいや。これまでずっと居たはずの『研』っていう従業員が、忽然と姿を消したことの方が怪しいよ。この閉鎖的な時の狭間では、逃げ場なんてないはずなのにね。だから、こうやって復帰して、楓の傍にいるのが一番なんだよ」


 予想外にも、正論で返されてしまった。確かに一理はある。でも、研さん(まだお父さんと呼ぶ気にはならないの。)がいることで、翔との時間が少なくなりそうな予感も……。そもそも、研さんは、どこまで私達を認めてくれているのだろうか。もし、完全に反対しているならば、早急に追い出さねばならない。翔とは、あの2人を追い出すことを約束したものの、新たに変なの3人も迎え入れていることが知れれば、きっとすごい勢いで叱られてしまいそうだ。どうしよう……。

 よし、こうなったら覚悟を決めるしかない。その時、私の中で1つのアイデアが思い浮かんだ。


「分かりました。ですが、条件があります」

「なぁに?」

「男湯の脱衣場、立入検査をさせていただきます! 私の予想では、私に知られたくない何かを隠しているような気がするのよね。ちょうど良い機会だから、暴かせてもらいます!!」

「か、楓……世の中には知らない方が良い事もたくさんあるんだよ?」

「そんなに、危険な物を保管してあるんですか?」


 何も、タダで受け入れることはないと思ったのだ。あそこの事は、従業員の男衆も揃って口を割らないものだから、随分前からとても気になっていた。聞き出すなら、今がチャンス!

「……私だけのことではないから、話せないよ」

 え? 止まり木旅館滞在がかかってるのに、話してくれない? それ程までに大きな秘密があそこにはあるのだろうか。もちろん、こっそり夜中や朝方に忍び込むこともできるかもしれない。でも、それが皆にバレて、皆からの信頼を失ってしまうのは絶対に嫌だ。だから、正攻法でいきたかったのに。

「じゃぁ、せめて、何をやっているのかぐらい教えてください。何か、研究してたんでしょ?」

 そもそも、研さんは何やら研究っぽいことをしているから、こんな名前になったのだ。でも、何の研究をしていたのかは分からないままだった。

「あぁ、あれは、いろんな効能の入浴剤を作ってたんだよ。良い物ができたら、千景の旅館の土産コーナーで売ってもらおうかと思ってね」

「それ! それだわ! 研さん、その売上は止まり木旅館に納めてください! 運営資金に使います!」

「楓、金(きん)が足りていないのかい? それならば、また万智さんに……」

「違うんです。研さんに用意してもらったお金は、今のところ足りていますけれど、ずっと頼り続けるのは嫌なんです。そろそろ、ちゃんとまともな方法で手に入れたお金で、旅館運営する時期に来てると思うんですよね」

「それって、客からも金をとるのかい?」

「それは全く考えてません。だから、時の狭間発の何かを外の世界に出していきたいんです。もちろん、研さんだけじゃないですよ。他の皆にも、何か売れるものを考えてもらいます!」


 実は、前々から考えていたことだ。止まり木旅館は、これまで住んでいた所から完全に切り離されて、お金の心配なんてすることなく、落ち着いて滞在することができる場所。疲れた羽を休め、また飛び立っていくことができる、魂を再生するためのお宿なのだ。そのためには、お迎えするお客様のために、何か別の方法で稼がなくてはならない。

 仕様上、時の狭間から外の世界への人が移動することはできない。でも、物ならばできる。私は、これを利用できないかと考えていた。

 幸いというか、止まり木旅館の従業員はちょっと変わった人達ばかりだ。それぞれの持ち味を出した何かを外に出していくことで、この狭いお宿に閉じ込められている狭苦しさも少しは緩和するのではないだろうか。

「ごめんね」

 その時、研さんは、すっとその姿を変えた。なんと、導きの神の姿に戻ったのだ。

「楓は……外の世界に行きたいのだね」

 喉がきゅっと閉まるような心地がした。外の世界に行きたい……? 私が? そんなこと、考えたこと……もちろん過去にはあるけれど、今はそんなことない。ここに居たからこそ、翔に、そして皆と出会えた。ここには戦争もなければ、飢饉もない。どこよりも平和な場所。ここより良い場所なんて、あるわけがない。だから、今更外の世界に行きたいだなんて……。

「私は……」

 なのに、うまく声が出ないのは、何故?

「楓。また、私のせいだね」

 導きの神は申し訳なさそうに眉を下げて、肩をすくめた。

「でも、楓達の事は、ちゃんと考えてあるからね。だから、もう少し待っててね」

 彼は、私の方へ手を伸ばした。

「え……」

 驚いたことに、その手は私の胸を突きぬけて、身体の中にすうっと吸い込まれていったのだ。痛みはない。でも、なんなのだろう、この感覚は。温かで穏やかなものが心の泉から湧きい出て、それが潮流となって全身を駆け巡る。たちまちほっこりとした心持ちになって、さっきまであんなに刺さくれていたことが嘘のようだ。
 私は、導きの神の顔をそっと見上げた。

「これは、楓にもできることだよ」

 導きの神は、ようやく私の身体から自身の手を引き抜いた。
 私にもできること? とても信じられない。だって今のは……まさしく『神業』だった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...