止まり木旅館の若女将

山下真響

文字の大きさ
上 下
57 / 82
止まり木旅館の住人達

眠れる森の

しおりを挟む
「お父さん……私、帰らないから!!」

 桜ちゃんは、大きなお目目を潤ませて、全身緑の男性を睨みつけている。よし、彼のことはグリーンマンと呼ばせていただこう。

 うちの父親は、アレなので、何をやってもふざけてるようにしか見えないから(いや、正真正銘ふざけた神である。)、こんな展開になったことがない。それだけに、この雰囲気は空気がピンと張り詰めていて、肌にビリビリくるものがあった。

 小さな背中を父に向けて、精一杯反抗しようとする少女。一方、いつまでたっても無表情で微動だにせず、ドンと構えているだけの父親。2人の間を乾いた風が通り抜けて、木の葉がパラリと流れていった。

 それから、どれぐらいの時間が過ぎただろうか。

 ふと気づいたら、密さんが庭の白詰草(シロツメクサ)を摘んで、お花の冠をこしらえると、グリーンマンの頭の上に被せたではないか!! 確かに全身緑だし、細身のお方だから似合わないこともない……って、そんな問題じゃないから! 何やってるんですか!!!?

 その時、グリーンマンが、すっと目を閉じた。これはつまり、桜ちゃんの言葉を飲むという意味なのだろうか。それとも、密さんの勝手な行動にお怒りだということだろうか。

 誰も何も言葉を発さない今、私はどのように声をかけたら良いのか分からない。ただ、これから何が起こるのか予想できなくて、ハラハラしていた。すると……


――パタンッ


 グリーンマンが、倒れました。


「大丈夫ですか?!!!!」

 さすがにもう、放ってはおけない。私は慌ててグリーンマンに駆け寄った。ぱっと見たところ、奇跡的に外傷はほとんどなさそうである。私は、なんとか肩をもって抱き起こし、声をかけ続けた。

「しっかりしてください! 痛いところはありませんか? お布団を用意しますので、少しお待ちくださいね! あいにく、緑の布団はございませんが、せめて枕カバーはグリーンに致しますから!」

 これだけ声をかけても、何の反応も示さない。グリーンマンは、目を閉じたまま静かな寝息を立てている。もしかして、何か持病をお持ちなのだろうか。それとも、寝不足や疲労困憊だったとか?! あ、そういえば、前にテレビでこんなこと言ってたよ。倒れてすぐに眠ってしまうのって、当たりどころが悪かったってことじゃ……?!
 そこまで考えて、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた時、桜ちゃんから声がかかった。


「いつものことだよ」

「え?」

「たまにオナラするから、油断して顔は近づけない方がいいよ」

「ええ?」

「たぶん、このまま3日は起きないよ」

「えええ?!!」

「でも、お母さんがチュッてしたら、すぐに起きるよ」


 まさかの、『眠れる森のグリーンマン』でしたか?! でも、あれって、王子様のキスだよね? 魔女のキスじゃなかったよね? そして、すぐに目覚めるのは愛の力ですよね? まさか、あの恐ろしい毒舌の嵐を回避するためとかじゃないですよね?!

「楓さん、粋くんが布団を準備してくれました。みんなでこのお方を客室までお運びしましょう」

 いつの間にか、巴ちゃんが裏で取り仕切ってくれていたようだ。いつもながら彼女はデキル女である。すると、忍くん、潤くん、そして、椿さんとの別れに涙していまだに目が赤い礼くんがやってきて、グリーンマンを神輿のように担ぎ上げると、旅館の中へと運んでいった。
 では、私も彼らの後を追おうとしたのだけれど……


「楓。妾はそろそろお暇(いとま)するとしよう」

「え、密さん、もう帰っちゃうんですか? うち、ちょうど浴場係がいなくなったんでですけど、どうです? 戻ってきませんか?」

「翔が戻ってきたら、楽しみがいがありそう故、考えないこともないが……。よし。そんなに人手が足りないのなら、元浴場係を呼んできてやろう」

「え……それって、もしかして……?!」


 密さんは、いつもの妖艶な笑みを浮かべた。そして、長いお召し物の裾をひらりと揺らしながら、門の扉の向こうへと消えていってしまった。今、旅館の玄関先に残されているのは、女将の私と大きな不安。

 ほぼ間違いなく、元浴場係とは、あのお方のことだろう。最近、あの巻物は、送られてくる文面が気持ち悪すぎて、ずっと引き出しに閉まったままにしてある。会えばきっと、私に無視されていたことによる鬱憤(うっぷん)が爆発して、何をされるか分かったものではない。でもそろそろ松の間の修繕も終わらせたいし、ちょうど良いと言えば良いのだろう。仕方ない。観念して迎え入れよう。

 こんな時、翔ならばどうするだろうか。実は、5日前に『木仏金仏石仏(きぶつかなぶついしぼとけ)』からグジャルダンケルへ向かうという内容のメールが届いたきり、音沙汰が無い。グジャルダンケルは、当たり前だけれどインターネットとやらに接続できないのだから、連絡が来ないのは分かっているのだけど。こんな機会でもない限り、二度と戻れないかもしれない彼の生まれ故郷。ゆっくりしているのかもしれないが、できれば早めに帰ってきてほしい。

 だって、今の止まり木旅館は、前代未聞のカオス状態だから!

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...