止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の住人達

大丈夫だよ

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◇潤

 仕入れ係が礼になってからは、以前以上に記録グッズが豊富になった。筆記用具だけでも、万年筆、筆ペン、ボールペン……と多岐に渡っていて、色や太さまで幾種類もある。だから、鉛筆なんて、卒業した。

 椿さんが来てからは、これがさらに顕著になったと思う。彼は、案外物知りのようだ。礼は『お試しに』と言って、椿さんに勧められた物を仕入れてきてくれる。世の中には、こんな便利な物がたくさんあっただなんて……。礼や粋曰わく、魔法がある世界ではもっと便利なものもあるらしい。でも、止まり木旅館ではそんな不思議な力は使えないからな。あっても意味がない。
 
 僕は、中でも、タブレット型端末が気に入っている。撮影、録音、文章としての記録……。これまで、ひたすらノートに書き込んでいたのが馬鹿らしくなってくる。これで、めでたく、ペンだこともおさらばできるかもしれない。
 
 止まり木旅館は、楓さんの母君が居るという日本という国から電気や水道、ガスを引いているそうだ。同時にインターネットというものにも接続できるようになっていて、自分の部屋でタブレット型端末を起動し、ブラウザを開くと、様々な情報も得ることができる。
 
 といっても、日本という国がある世界の情報に限る。できれば、僕の出身世界の情報が欲しいのだけれど……。ま、贅沢は言うまい。あそこは、まだここまで発展していないから、情報の発信なんて無理だろうしな。

 さて、そんなこんなで、最近良いサービスを発見した。こっそり撮らせていただいている写真やビデオなどは、クラウドという別空間に保存できるようなのだ。こうしておけば、もしこの端末を楓さんに取り上げられて壊されてしまっても、データは消えない。いわゆるリスク対策である。おじさんはこういうところ、ぬかりないのさ。

 それから、これまでノートに記録していた情報をデータベースとしてまとめ始めた。いずれは、止まり木旅館の書庫にある情報も、こういう形にまとめ直したら良いと思うのだ。場所を取らないし、検索機能があるのもおいしい。

 ……と、最近は新しいおもちゃに夢中になっていたわけだが、もちろん新たな情報も順調に仕入れている。今は、翔さんの部屋の外。廊下で聞き耳を立てている。中は、楓さんと2人きりのはずだ。今夜は、絶対に大切な話がなされると踏んでいる。あくまで、勘だけれど。

 また翔さんに、部屋へ強制送還されるかな?と思いつつ、30分が過ぎた。今夜はまだ見つかっていないらしい。聞こえてくる声は、途切れ途切れ。内容は、想像で補って把握するしかない。

「……そうだったの」

 楓さんの声には、力がない。何かショックな真実が明らかになったのだろうか。

「だから……俺と楓が望んでも、できないかもしれない」

 できない?! 何が、できないんだろう?

「翔は……望んでいるの?」

 頼む。無言にならないでくれ。こっちからは、何がどうなってるのか分からないんだ。

「でも、その前に、教えてほしいの」

 楓さんは、何を知りたいんだろう。

「******、どう思ってるの?」

 駄目だ。全部聞こえなかった。その直後、衣擦れの音。続いて、畳に何かが倒れる音が……。

 しばらくして囁き声がしたが、これまた聞き取れない。けど、これは、たぶん……あれだな。うんうん。一歩進んだってことだろう。そうあってほしい。これでも、2人のことは応援しているのだ。

「……分かったわ。翔がちゃんと*****してくれるの、待ってる」

 んん? 何の約束してるんだ? 肝心のところが聞こえなかった。
 その時だ。背後に気配を感じた。

「こんなところで、何してるんですかー?」

 つ、椿さんだった。頼むから静かにしてくれ!! 今、良いところなんだ!!
 
 しかし、僕の願いも虚しく、翔さんの部屋の襖は勢いよく開かれた。……って、あれ? 開けたのは、椿さん?!

「翔さーん、今日の業務報告しに来ましたー。あれ? 楓さん? 相変わらず仲良しですねー。中途半端なことしてないで、さっさと結婚しちゃえばいいのにー」

 言いやがった!! たぶん、止まり木旅館の誰もが思ってることだけど!! だからって、そこまではっきり言うことないでしょう?!

 翔さんは、額に手を当てて溜め息をついていた。楓さんの顔は、ほんのり赤い。やっぱり、そういうことをしていたのかな?

「研修生なら研修生らしく、報連相をしっかりやれって言ったのは翔さんですよ?」

 椿さんは、今夜も平常運転だ。うん。僕は、だんだん彼にも慣れてきたかもしれない。ちょっとズレてたり、常識はずれだったりするけれど、悪気はないんだよな。


「……お前、『空気を読む』っていう言葉、知ってるか?」

「知ってるも何も、それを学びにきたようなものですよ~? これからもよろしくお願いしますね!」


 椿さんは、へらっと笑った。これで翔さんをかわせるところは、すごい。……と、人のことを羨ましがっている場合ではない。さっさと退散せねば。

「潤さん」

 ……逃げそびれた。


「は、はい?!」

「どこまで聞いた?」

「肝心なことは、何も」

「……お前は、どう思った?」

「え?」

「こればかりは、まだ皆に言わないでほしい。そう簡単に受け入れてもらえるとは、思えないんだ」

「翔。私は、大丈夫だよ」

「楓……それって……」


 見つめ合う翔さんと楓さん。いつの間にか、2人の世界に……。あのー、他にも人がいるんですよー。

「何か思い詰めてるみたいですけど、細かいことなんて気にしてたらキリがないですよ? それに、そんな暗い顔をしていたら、お客様に失礼になります!」

 椿さんは、手を腰に当てて、ふんぞり返った。客に失礼って、あなたに言われたら、世も末ですね。

「……椿さんも、いつか、見つかるといいわね」

 あれ? 言い返さない? それどころか、この時の楓さんは、日頃の腹黒さなんて微塵も感じられない程、たおやかで、すごく美しかった。
 ……写真、撮っておけばよかったな。
 






【後書き】
翔:
で、今日の報告は?

椿:
朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、巴さんに着物を着付けてもらってー……

翔:
馬鹿。それは、小学生の作文か? 仕事の報告だけでいい。

椿:
仕事でしたら、今日もいつもと変わらなかったんですけど……1つ、アドバイスもらえませんか?

翔:
どうした?

椿:
そんな、大したことじゃないですけど。……どうやったら、無表情な人間と人形を見分けられるんでしょうか。

翔:
反省の仕方が間違ってるぞ。
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