47 / 82
止まり木旅館の住人達
大丈夫だよ
しおりを挟む
◇潤
仕入れ係が礼になってからは、以前以上に記録グッズが豊富になった。筆記用具だけでも、万年筆、筆ペン、ボールペン……と多岐に渡っていて、色や太さまで幾種類もある。だから、鉛筆なんて、卒業した。
椿さんが来てからは、これがさらに顕著になったと思う。彼は、案外物知りのようだ。礼は『お試しに』と言って、椿さんに勧められた物を仕入れてきてくれる。世の中には、こんな便利な物がたくさんあっただなんて……。礼や粋曰わく、魔法がある世界ではもっと便利なものもあるらしい。でも、止まり木旅館ではそんな不思議な力は使えないからな。あっても意味がない。
僕は、中でも、タブレット型端末が気に入っている。撮影、録音、文章としての記録……。これまで、ひたすらノートに書き込んでいたのが馬鹿らしくなってくる。これで、めでたく、ペンだこともおさらばできるかもしれない。
止まり木旅館は、楓さんの母君が居るという日本という国から電気や水道、ガスを引いているそうだ。同時にインターネットというものにも接続できるようになっていて、自分の部屋でタブレット型端末を起動し、ブラウザを開くと、様々な情報も得ることができる。
といっても、日本という国がある世界の情報に限る。できれば、僕の出身世界の情報が欲しいのだけれど……。ま、贅沢は言うまい。あそこは、まだここまで発展していないから、情報の発信なんて無理だろうしな。
さて、そんなこんなで、最近良いサービスを発見した。こっそり撮らせていただいている写真やビデオなどは、クラウドという別空間に保存できるようなのだ。こうしておけば、もしこの端末を楓さんに取り上げられて壊されてしまっても、データは消えない。いわゆるリスク対策である。おじさんはこういうところ、ぬかりないのさ。
それから、これまでノートに記録していた情報をデータベースとしてまとめ始めた。いずれは、止まり木旅館の書庫にある情報も、こういう形にまとめ直したら良いと思うのだ。場所を取らないし、検索機能があるのもおいしい。
……と、最近は新しいおもちゃに夢中になっていたわけだが、もちろん新たな情報も順調に仕入れている。今は、翔さんの部屋の外。廊下で聞き耳を立てている。中は、楓さんと2人きりのはずだ。今夜は、絶対に大切な話がなされると踏んでいる。あくまで、勘だけれど。
また翔さんに、部屋へ強制送還されるかな?と思いつつ、30分が過ぎた。今夜はまだ見つかっていないらしい。聞こえてくる声は、途切れ途切れ。内容は、想像で補って把握するしかない。
「……そうだったの」
楓さんの声には、力がない。何かショックな真実が明らかになったのだろうか。
「だから……俺と楓が望んでも、できないかもしれない」
できない?! 何が、できないんだろう?
「翔は……望んでいるの?」
頼む。無言にならないでくれ。こっちからは、何がどうなってるのか分からないんだ。
「でも、その前に、教えてほしいの」
楓さんは、何を知りたいんだろう。
「******、どう思ってるの?」
駄目だ。全部聞こえなかった。その直後、衣擦れの音。続いて、畳に何かが倒れる音が……。
しばらくして囁き声がしたが、これまた聞き取れない。けど、これは、たぶん……あれだな。うんうん。一歩進んだってことだろう。そうあってほしい。これでも、2人のことは応援しているのだ。
「……分かったわ。翔がちゃんと*****してくれるの、待ってる」
んん? 何の約束してるんだ? 肝心のところが聞こえなかった。
その時だ。背後に気配を感じた。
「こんなところで、何してるんですかー?」
つ、椿さんだった。頼むから静かにしてくれ!! 今、良いところなんだ!!
しかし、僕の願いも虚しく、翔さんの部屋の襖は勢いよく開かれた。……って、あれ? 開けたのは、椿さん?!
「翔さーん、今日の業務報告しに来ましたー。あれ? 楓さん? 相変わらず仲良しですねー。中途半端なことしてないで、さっさと結婚しちゃえばいいのにー」
言いやがった!! たぶん、止まり木旅館の誰もが思ってることだけど!! だからって、そこまではっきり言うことないでしょう?!
翔さんは、額に手を当てて溜め息をついていた。楓さんの顔は、ほんのり赤い。やっぱり、そういうことをしていたのかな?
「研修生なら研修生らしく、報連相をしっかりやれって言ったのは翔さんですよ?」
椿さんは、今夜も平常運転だ。うん。僕は、だんだん彼にも慣れてきたかもしれない。ちょっとズレてたり、常識はずれだったりするけれど、悪気はないんだよな。
「……お前、『空気を読む』っていう言葉、知ってるか?」
「知ってるも何も、それを学びにきたようなものですよ~? これからもよろしくお願いしますね!」
椿さんは、へらっと笑った。これで翔さんをかわせるところは、すごい。……と、人のことを羨ましがっている場合ではない。さっさと退散せねば。
「潤さん」
……逃げそびれた。
「は、はい?!」
「どこまで聞いた?」
「肝心なことは、何も」
「……お前は、どう思った?」
「え?」
「こればかりは、まだ皆に言わないでほしい。そう簡単に受け入れてもらえるとは、思えないんだ」
「翔。私は、大丈夫だよ」
「楓……それって……」
見つめ合う翔さんと楓さん。いつの間にか、2人の世界に……。あのー、他にも人がいるんですよー。
「何か思い詰めてるみたいですけど、細かいことなんて気にしてたらキリがないですよ? それに、そんな暗い顔をしていたら、お客様に失礼になります!」
椿さんは、手を腰に当てて、ふんぞり返った。客に失礼って、あなたに言われたら、世も末ですね。
「……椿さんも、いつか、見つかるといいわね」
あれ? 言い返さない? それどころか、この時の楓さんは、日頃の腹黒さなんて微塵も感じられない程、たおやかで、すごく美しかった。
……写真、撮っておけばよかったな。
【後書き】
翔:
で、今日の報告は?
椿:
朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、巴さんに着物を着付けてもらってー……
翔:
馬鹿。それは、小学生の作文か? 仕事の報告だけでいい。
椿:
仕事でしたら、今日もいつもと変わらなかったんですけど……1つ、アドバイスもらえませんか?
翔:
どうした?
椿:
そんな、大したことじゃないですけど。……どうやったら、無表情な人間と人形を見分けられるんでしょうか。
翔:
反省の仕方が間違ってるぞ。
仕入れ係が礼になってからは、以前以上に記録グッズが豊富になった。筆記用具だけでも、万年筆、筆ペン、ボールペン……と多岐に渡っていて、色や太さまで幾種類もある。だから、鉛筆なんて、卒業した。
椿さんが来てからは、これがさらに顕著になったと思う。彼は、案外物知りのようだ。礼は『お試しに』と言って、椿さんに勧められた物を仕入れてきてくれる。世の中には、こんな便利な物がたくさんあっただなんて……。礼や粋曰わく、魔法がある世界ではもっと便利なものもあるらしい。でも、止まり木旅館ではそんな不思議な力は使えないからな。あっても意味がない。
僕は、中でも、タブレット型端末が気に入っている。撮影、録音、文章としての記録……。これまで、ひたすらノートに書き込んでいたのが馬鹿らしくなってくる。これで、めでたく、ペンだこともおさらばできるかもしれない。
止まり木旅館は、楓さんの母君が居るという日本という国から電気や水道、ガスを引いているそうだ。同時にインターネットというものにも接続できるようになっていて、自分の部屋でタブレット型端末を起動し、ブラウザを開くと、様々な情報も得ることができる。
といっても、日本という国がある世界の情報に限る。できれば、僕の出身世界の情報が欲しいのだけれど……。ま、贅沢は言うまい。あそこは、まだここまで発展していないから、情報の発信なんて無理だろうしな。
さて、そんなこんなで、最近良いサービスを発見した。こっそり撮らせていただいている写真やビデオなどは、クラウドという別空間に保存できるようなのだ。こうしておけば、もしこの端末を楓さんに取り上げられて壊されてしまっても、データは消えない。いわゆるリスク対策である。おじさんはこういうところ、ぬかりないのさ。
それから、これまでノートに記録していた情報をデータベースとしてまとめ始めた。いずれは、止まり木旅館の書庫にある情報も、こういう形にまとめ直したら良いと思うのだ。場所を取らないし、検索機能があるのもおいしい。
……と、最近は新しいおもちゃに夢中になっていたわけだが、もちろん新たな情報も順調に仕入れている。今は、翔さんの部屋の外。廊下で聞き耳を立てている。中は、楓さんと2人きりのはずだ。今夜は、絶対に大切な話がなされると踏んでいる。あくまで、勘だけれど。
また翔さんに、部屋へ強制送還されるかな?と思いつつ、30分が過ぎた。今夜はまだ見つかっていないらしい。聞こえてくる声は、途切れ途切れ。内容は、想像で補って把握するしかない。
「……そうだったの」
楓さんの声には、力がない。何かショックな真実が明らかになったのだろうか。
「だから……俺と楓が望んでも、できないかもしれない」
できない?! 何が、できないんだろう?
「翔は……望んでいるの?」
頼む。無言にならないでくれ。こっちからは、何がどうなってるのか分からないんだ。
「でも、その前に、教えてほしいの」
楓さんは、何を知りたいんだろう。
「******、どう思ってるの?」
駄目だ。全部聞こえなかった。その直後、衣擦れの音。続いて、畳に何かが倒れる音が……。
しばらくして囁き声がしたが、これまた聞き取れない。けど、これは、たぶん……あれだな。うんうん。一歩進んだってことだろう。そうあってほしい。これでも、2人のことは応援しているのだ。
「……分かったわ。翔がちゃんと*****してくれるの、待ってる」
んん? 何の約束してるんだ? 肝心のところが聞こえなかった。
その時だ。背後に気配を感じた。
「こんなところで、何してるんですかー?」
つ、椿さんだった。頼むから静かにしてくれ!! 今、良いところなんだ!!
しかし、僕の願いも虚しく、翔さんの部屋の襖は勢いよく開かれた。……って、あれ? 開けたのは、椿さん?!
「翔さーん、今日の業務報告しに来ましたー。あれ? 楓さん? 相変わらず仲良しですねー。中途半端なことしてないで、さっさと結婚しちゃえばいいのにー」
言いやがった!! たぶん、止まり木旅館の誰もが思ってることだけど!! だからって、そこまではっきり言うことないでしょう?!
翔さんは、額に手を当てて溜め息をついていた。楓さんの顔は、ほんのり赤い。やっぱり、そういうことをしていたのかな?
「研修生なら研修生らしく、報連相をしっかりやれって言ったのは翔さんですよ?」
椿さんは、今夜も平常運転だ。うん。僕は、だんだん彼にも慣れてきたかもしれない。ちょっとズレてたり、常識はずれだったりするけれど、悪気はないんだよな。
「……お前、『空気を読む』っていう言葉、知ってるか?」
「知ってるも何も、それを学びにきたようなものですよ~? これからもよろしくお願いしますね!」
椿さんは、へらっと笑った。これで翔さんをかわせるところは、すごい。……と、人のことを羨ましがっている場合ではない。さっさと退散せねば。
「潤さん」
……逃げそびれた。
「は、はい?!」
「どこまで聞いた?」
「肝心なことは、何も」
「……お前は、どう思った?」
「え?」
「こればかりは、まだ皆に言わないでほしい。そう簡単に受け入れてもらえるとは、思えないんだ」
「翔。私は、大丈夫だよ」
「楓……それって……」
見つめ合う翔さんと楓さん。いつの間にか、2人の世界に……。あのー、他にも人がいるんですよー。
「何か思い詰めてるみたいですけど、細かいことなんて気にしてたらキリがないですよ? それに、そんな暗い顔をしていたら、お客様に失礼になります!」
椿さんは、手を腰に当てて、ふんぞり返った。客に失礼って、あなたに言われたら、世も末ですね。
「……椿さんも、いつか、見つかるといいわね」
あれ? 言い返さない? それどころか、この時の楓さんは、日頃の腹黒さなんて微塵も感じられない程、たおやかで、すごく美しかった。
……写真、撮っておけばよかったな。
【後書き】
翔:
で、今日の報告は?
椿:
朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、巴さんに着物を着付けてもらってー……
翔:
馬鹿。それは、小学生の作文か? 仕事の報告だけでいい。
椿:
仕事でしたら、今日もいつもと変わらなかったんですけど……1つ、アドバイスもらえませんか?
翔:
どうした?
椿:
そんな、大したことじゃないですけど。……どうやったら、無表情な人間と人形を見分けられるんでしょうか。
翔:
反省の仕方が間違ってるぞ。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる