止まり木旅館の若女将

山下真響

文字の大きさ
上 下
44 / 82
止まり木旅館の住人達

楓の敗北

しおりを挟む
◇楓

 里千代様は、足取り軽くお座敷に戻ってらっしゃった。相当我慢してらしたのね。ちょっと申し訳ないことをしてしまったかも。

「楓さん」

 彼女は、凛としていて、物静かなお方だ。そして、大変無表情である。でも、よく観察していれば、多少の感情の起伏がお声や口元から読み取れる。今はどうやら、イライラしておいでのようだ。
 私は「はい」と返事すると、里千代様の方を向いて座り直した。

「私、老舗旅館の孫娘なのです」

 えぇ、存じております。それが何か?

「あなたみたいな方が女将だなんて、私、許せません!」

 は? まさか、そんなクレームがくるとは……。というか、なぜ会って間もないのに全否定?! あなたみたいなロボット女よりは人間味があって可愛らしい自信あるわよ?
 彼女は、説教を始めた。

「特に、その髪!! 何て色で染めているのですか?! 女将ならば、もっと上品で大人しい色であるべきです! そもそも日本人なのですから、元々の黒で十分……あ、白髪が目立たないようにするためにそんな色を……ごめんなさいね、私ったら」

 何、勝手に納得してるんですか?! この色は、地毛です! そして、まだ白髪なんて生えてません!!
 彼女の勢いは、まだ収まらない。

「そして! 翔さんをここに縛り付けているのはあなたですね? 彼は『豊福富庵(とよふくふあん)』でこそ、実力を発揮できるお方。あなたのような下賤で下品で……」

 里千代様は、私の胸元を注視した。

「……そんな方が独占して良いものではありません!」

 絶対、小さいって思ったよね? 絶対に私のこと憐れんだよね? なのに、あえて口に出さないなんて、里千代様は優しいのか何なのかは、私には分からない。とりあえず、身体の奥底から言いしれぬ怒りが湧き上がってきていることだけは確か。
 
 翔が、私に目配せして「俺が対応しようか?」と聞いてきた。いえ、これは、私が売られた喧嘩。私が正々堂々買ってあげるわ!

「彼が止まり木旅館に参りましたのは、私が物心つくか、つかないかの頃のことです。その後も、彼がここから出て行こうとするのを止めたこともなければ、そもそも出て行こうなんてしないものですから……。彼は、共に止まり木旅館に身を捧げ、盛り上げてきた仲間であり、私の家族なのです。これだけ長年一緒に居りましたら、大抵の心の内は互いに分かり合っておりますし、お客様のご心配には及びません。」

 私は、『長年』とか、『分かり合って』の部分は特に強調しておいた。
 
 そりゃあ、私が翔のことを男の人としてちゃんと認識して、好きだって自覚したのは最近のことだけれど。でも、それまでだって、とても大切な家族だったし、そういう意味ではずっと彼に対して愛情を抱いてきたことになる。ぽっと出の彼女なんかに、奪われてなるものか! それに翔もあの日、押し入れの中で、小さい頃からずっと私のことが大切だったって言ってくれたもの。
 私は、勝ち誇ったようにほほえんでしまったが、それはすぐに覆されることになる。


「年月が何ですか? 私、翔さんが空大町(そらひろまち)にいらっしゃる時は、常にボディガードとしてお側におりましたのよ? ですから、彼の好みや癖、何でも知っておりますわ! あなたと何が変わるというの?」

「でも、私には、彼とたくさん過ごしてきた思い出があって……」
 
「それは、あなたがそう思っているだけかもしれないでしょう? でしたら、彼について私よりも知っていることなんて、あるのかしら? 例えば、翔さんがどうやってこのお宿にいらっしゃったのかなど」

「……」

「あら、何も知らないのですね。そんな状態で、彼のことを知っているかのように語るだなんて! それならば、彼は私がいただきます」

「ですが、お客様。連れ帰るとおっしゃられましても、簡単にはまいりません。当旅館からお帰りになるための扉は、お客様ご自身が当旅館にご満足いただけない限り、開かない仕様になってございます」

「……どうしてこんな変な旅館なのに、満足度が高いのかしら。とても理解できないわ」


 里千代様はすくっと立ち上がると、正座で座っている私を冷ややかに見下ろした。

「私、翔さんが手に入るまでは、満足できないと思います」

 そうおっしゃっると、犬を追い払うかのように、手で客室から下がるよう促されてしまった。私は、翔と顔を見合わせた。ここには、翔本人もいるのに、こんな態度で翔の心象が悪くなるとは思わないのだろうか。
 その時、廊下の方から物音が近づいてきた。

「失礼します!」

 返事も待たずにずかずかと座敷に上がってきたのは、椿さんだった。

「楓さん、お客様がいらっしゃったって聞いたのですが」

 ん? お客様ならば、椿さんの目の前にいるわよ? 椿さんは、ようやく気づいたのか、里千代様の方に目を向けた。
 
「わぁ! これ、どうしたんですか?! すっごく良くできた日本人形ですね! もしかして、前のお客様の忘れ物ですか? そうですねー、玄関に飾るには大きすぎるし……やっぱり『遺品展』のコレクションに加えるべきでしょうか……」

 実は、『遺品展』はまだ展示したままなのだ。ちなみに、私の寝間着である浴衣は無事に回収して、いかついおっさんマネキンは倉庫に片付けてある。いや、そうじゃなくて! これは一応人間で、人形じゃありませんから!!
 椿さんは、驚いて微動だにしない里千代様に近づくと、「よっこいしょ」と言って彼女を少しだけ持ち上げた。

「楓さん。これ、けっこう重いですね」

 本当に重いのは、あなたが今しがた犯した罪と、馬鹿さ加減です!

 けれど、彼女を持ち上げられるだなんて、やっぱり男の子だったんだな。里千代さんは、白目を剥いて気を失っている。いかにもお嬢さんっていう感じの方だから、こんな扱いを受けたのは初めてだったのでしょうね。
 
 本来ならば、すぐにでもお客様に椿さんの無礼を謝り倒すところなのだけれど、なかなかそんな気にもなれない私だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

氷と闇の王女は友達が欲しい! 〜寡黙な護衛騎士とのズレた友情奮闘記〜

スキマ
ファンタジー
■あらすじ エヴァーフロスト王国の王女、ノクティア・フロストナイトは、氷と闇の二重属性を持つ神秘的な存在。しかし、その冷たさと威厳から、周りの人々は彼女を敬遠し、友達ができない日々を送っていた。王国の伝統に従い、感情を抑えて生きる彼女は、密かに「友達が欲しい」と願っている。 そんなノクティアに唯一寄り添うのは、護衛騎士のダリオ・シャドウスノウ。彼は影の中から王女を守り続けてきたが、感情表現が苦手なため、まったく友達になる気配はない。だが、ノクティアが友達作りを始めると、彼も影ながら(文字通り)支援することに。 二人の関係は主従か、あるいはもう友達? 王女と護衛騎士が織りなすズレた友情劇は、思わぬ方向に進んでいく。果たしてノクティアは普通の友達を作ることができるのか? 孤独な王女が友情を求める氷と闇のファンタジー・コメディ、開幕!

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

処理中です...