43 / 82
止まり木旅館の住人達
閑話 止まり木旅館を探して(下)
しおりを挟む
「ようこそいらっしゃいました!」
目の前に現れたのは、若い女性。髪がピンク色です。こんな髪色でお客様の前に出てくるだなんて、教育がなっていないのではないでしょうか。しかし、着ている着物はそれなりの物のように見受けられます。
「こちらは止まり木旅館でございます。私は、女将の楓です」
彼女は、まさかの女将でした。物腰は柔らかで、決して悪いとは言えませんが、この程度ならば、うちの旅館の足元にも及びませんね。私は、勝った!と思いました。
「森下里千代(もりした さとちよ)様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
え……
この驚き、どう言葉に表せば良いのでしょうか。まだ名乗ってもいないのに、私の名前をご存知だなんて?! いえ。驚きよりも、気持ち悪さの方が勝っています。
私は、戸惑いながらも、楓さんの後をついていきました。お庭が存外美しかったので、思わず目を奪われましたが、とりあえず旅館の中に入ります。
玄関で靴を脱ぐと、スリッパを履いて、周りを見渡しました。純和風旅館といった造りの建物で、掃除は行き届いているようです。これぐらい、最低限のことですけれどね。ですが、飾られていた生け花は見事だったかと思います。
客室に向かう途中、紺色の作務衣を着た方々を数人お見かけしました。この作務衣、どこかで見たことがあるような。どうやらこの旅館は、様々な人種の方を雇い入れているようです。お顔立ちや髪色などがバラバラですが、皆様にこやかに挨拶してくださって、感じは良い方だと言えます。
案内された客室は、広すぎず狭すぎずで、居心地の良い広さでした。窓の外には、先程のお庭が見えます。しばらくすると、楓さんとは別の中居さんがいらして、お茶とお饅頭が出てきました。……美味しい。しかも、私の好きな粒餡でした。
……さてと。ゆるりとお茶をいただいている場合ではありません。そろそろ、作戦を開始せねば!
突然のことでしたので、買収に関する契約書などの書類は手元にありません。けれども、ここだって紙とペンぐらいはあるでしょう。今から作ればいいのです。そして、このぱっと見何の変哲もないこの旅館が、どんな秘密を秘めているのか、解き明かさなければなりません。
では、何から切り出そうかと考えておりましたら……
「森下様、何や悩み事がおありなのですか?」
よくぞ聞いてくれました! やはり、今1番気になっている……いや、不安になっているのは……
「私、思いを寄せている方がおりまして」
「どのような方なのですか?」
「髪が青くて、ここの方みたいな紺色の作務衣を着ていて……」
すると、楓さんはにっこり笑いました。
「もしかして、このような方ですか?」
楓さんが部屋の入り口の襖を開けると……
「そうです! この方なんです! ですから、彼は連れて帰らせていただきますね!!」
そこに立っていたのは、あの彼だったのです! ずっと恋い焦がれていた方。見間違いようがありません。
楓さんは笑顔のままですが、どこか様子がおかしくなりました。笑顔なのに、すごく怖いのです。お客様を威圧するだなんて、信じられません。
一方、青い髪の彼は、ちゃんと爽やかな笑顔のままでした。
「『豊福富庵(とよふくふあん)』の孫娘さんですよね。以前、そちらの世界に出入りしていましたので、存じ上げておりました」
「わ、私のことを以前から……!!!」
何ということでしょう。もしかして、彼も以前から私のことを慕ってくださっていたのでしょうか。
でも私は『豊福富庵』の孫娘。他の宿の従業員が、簡単に声をかけることができないような、所謂高嶺の花です。彼がこれまで私に近づけなかったのは、無理もありません。
「はい。道を歩けば、後ろをつけていらしたことも度々でしたし、写真もお撮りになっていましたよね」
「気づいてくださっていたのですね……!! もう、感激です!! あの、私、来年から『豊福富庵』で女将修行いたしますので、私と一緒に……」
はっとして楓さんの方を見ると、既に笑顔は無くなっていました。もしかして、楓さんは……。もし、楓さんもこの方に思いを寄せているのだとしても、こんなふざけた髪色の女将なんて、お呼びじゃないのです。
楓さんが無表情から、次第に怒りの表情に変化しはじめた時、彼は口を開きました。
「お客様、申し訳ございません。私は、ここ、時の狭間の住人。お客様と一緒にそちらの世界へ行くことはできないのです」
なんですって?!
「お客様は、私を探してここまでいらっしゃったのだと思います。ですが、そういうことですので……どうぞお引き取りください」
私は、唖然として、何度も瞬きしながら彼を見つめておりました。彼と楓さんも、じっとこちらを見ています。
そして、数分が経ちました。沈黙を破ったのは楓さんでした。
「翔!! 言われた通りにしたのに、扉が現れないじゃない?!!」
「これで帰ってくれると思ったんだけどなぁ」
「何呑気なこと言ってるのよ?! 私、この方が従業員になるとか絶対に嫌だからね!」
「もしかして嫉妬?」
「そ、そうだったら、何なのよ?! だって、私、翔の……」
「楓、その続きは夜、2人の時にゆっくり聞かせて? 今はお客様の前だから」
小声ではありますが、全て丸聞こえです。私は、こんな痴話喧嘩みたいなものを見学するために、あれほどの努力を続けてきたわけではありません。
それにしても……翔さんとおっしゃるのですね。ようやくお名前が分かったことは、大変嬉しいです。でも、翔さん。女の趣味が悪いですよ?
「あの……」
「「はい!」」
「お手洗いはどちらでしょうか?」
そう言えば、ずっと我慢していたのです。もう限界。
目の前に現れたのは、若い女性。髪がピンク色です。こんな髪色でお客様の前に出てくるだなんて、教育がなっていないのではないでしょうか。しかし、着ている着物はそれなりの物のように見受けられます。
「こちらは止まり木旅館でございます。私は、女将の楓です」
彼女は、まさかの女将でした。物腰は柔らかで、決して悪いとは言えませんが、この程度ならば、うちの旅館の足元にも及びませんね。私は、勝った!と思いました。
「森下里千代(もりした さとちよ)様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
え……
この驚き、どう言葉に表せば良いのでしょうか。まだ名乗ってもいないのに、私の名前をご存知だなんて?! いえ。驚きよりも、気持ち悪さの方が勝っています。
私は、戸惑いながらも、楓さんの後をついていきました。お庭が存外美しかったので、思わず目を奪われましたが、とりあえず旅館の中に入ります。
玄関で靴を脱ぐと、スリッパを履いて、周りを見渡しました。純和風旅館といった造りの建物で、掃除は行き届いているようです。これぐらい、最低限のことですけれどね。ですが、飾られていた生け花は見事だったかと思います。
客室に向かう途中、紺色の作務衣を着た方々を数人お見かけしました。この作務衣、どこかで見たことがあるような。どうやらこの旅館は、様々な人種の方を雇い入れているようです。お顔立ちや髪色などがバラバラですが、皆様にこやかに挨拶してくださって、感じは良い方だと言えます。
案内された客室は、広すぎず狭すぎずで、居心地の良い広さでした。窓の外には、先程のお庭が見えます。しばらくすると、楓さんとは別の中居さんがいらして、お茶とお饅頭が出てきました。……美味しい。しかも、私の好きな粒餡でした。
……さてと。ゆるりとお茶をいただいている場合ではありません。そろそろ、作戦を開始せねば!
突然のことでしたので、買収に関する契約書などの書類は手元にありません。けれども、ここだって紙とペンぐらいはあるでしょう。今から作ればいいのです。そして、このぱっと見何の変哲もないこの旅館が、どんな秘密を秘めているのか、解き明かさなければなりません。
では、何から切り出そうかと考えておりましたら……
「森下様、何や悩み事がおありなのですか?」
よくぞ聞いてくれました! やはり、今1番気になっている……いや、不安になっているのは……
「私、思いを寄せている方がおりまして」
「どのような方なのですか?」
「髪が青くて、ここの方みたいな紺色の作務衣を着ていて……」
すると、楓さんはにっこり笑いました。
「もしかして、このような方ですか?」
楓さんが部屋の入り口の襖を開けると……
「そうです! この方なんです! ですから、彼は連れて帰らせていただきますね!!」
そこに立っていたのは、あの彼だったのです! ずっと恋い焦がれていた方。見間違いようがありません。
楓さんは笑顔のままですが、どこか様子がおかしくなりました。笑顔なのに、すごく怖いのです。お客様を威圧するだなんて、信じられません。
一方、青い髪の彼は、ちゃんと爽やかな笑顔のままでした。
「『豊福富庵(とよふくふあん)』の孫娘さんですよね。以前、そちらの世界に出入りしていましたので、存じ上げておりました」
「わ、私のことを以前から……!!!」
何ということでしょう。もしかして、彼も以前から私のことを慕ってくださっていたのでしょうか。
でも私は『豊福富庵』の孫娘。他の宿の従業員が、簡単に声をかけることができないような、所謂高嶺の花です。彼がこれまで私に近づけなかったのは、無理もありません。
「はい。道を歩けば、後ろをつけていらしたことも度々でしたし、写真もお撮りになっていましたよね」
「気づいてくださっていたのですね……!! もう、感激です!! あの、私、来年から『豊福富庵』で女将修行いたしますので、私と一緒に……」
はっとして楓さんの方を見ると、既に笑顔は無くなっていました。もしかして、楓さんは……。もし、楓さんもこの方に思いを寄せているのだとしても、こんなふざけた髪色の女将なんて、お呼びじゃないのです。
楓さんが無表情から、次第に怒りの表情に変化しはじめた時、彼は口を開きました。
「お客様、申し訳ございません。私は、ここ、時の狭間の住人。お客様と一緒にそちらの世界へ行くことはできないのです」
なんですって?!
「お客様は、私を探してここまでいらっしゃったのだと思います。ですが、そういうことですので……どうぞお引き取りください」
私は、唖然として、何度も瞬きしながら彼を見つめておりました。彼と楓さんも、じっとこちらを見ています。
そして、数分が経ちました。沈黙を破ったのは楓さんでした。
「翔!! 言われた通りにしたのに、扉が現れないじゃない?!!」
「これで帰ってくれると思ったんだけどなぁ」
「何呑気なこと言ってるのよ?! 私、この方が従業員になるとか絶対に嫌だからね!」
「もしかして嫉妬?」
「そ、そうだったら、何なのよ?! だって、私、翔の……」
「楓、その続きは夜、2人の時にゆっくり聞かせて? 今はお客様の前だから」
小声ではありますが、全て丸聞こえです。私は、こんな痴話喧嘩みたいなものを見学するために、あれほどの努力を続けてきたわけではありません。
それにしても……翔さんとおっしゃるのですね。ようやくお名前が分かったことは、大変嬉しいです。でも、翔さん。女の趣味が悪いですよ?
「あの……」
「「はい!」」
「お手洗いはどちらでしょうか?」
そう言えば、ずっと我慢していたのです。もう限界。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる