止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の住人達

閑話 止まり木旅館を探して(下)

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「ようこそいらっしゃいました!」

 目の前に現れたのは、若い女性。髪がピンク色です。こんな髪色でお客様の前に出てくるだなんて、教育がなっていないのではないでしょうか。しかし、着ている着物はそれなりの物のように見受けられます。

「こちらは止まり木旅館でございます。私は、女将の楓です」

 彼女は、まさかの女将でした。物腰は柔らかで、決して悪いとは言えませんが、この程度ならば、うちの旅館の足元にも及びませんね。私は、勝った!と思いました。

「森下里千代(もりした さとちよ)様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 え……

 この驚き、どう言葉に表せば良いのでしょうか。まだ名乗ってもいないのに、私の名前をご存知だなんて?! いえ。驚きよりも、気持ち悪さの方が勝っています。

 私は、戸惑いながらも、楓さんの後をついていきました。お庭が存外美しかったので、思わず目を奪われましたが、とりあえず旅館の中に入ります。

 玄関で靴を脱ぐと、スリッパを履いて、周りを見渡しました。純和風旅館といった造りの建物で、掃除は行き届いているようです。これぐらい、最低限のことですけれどね。ですが、飾られていた生け花は見事だったかと思います。

 客室に向かう途中、紺色の作務衣を着た方々を数人お見かけしました。この作務衣、どこかで見たことがあるような。どうやらこの旅館は、様々な人種の方を雇い入れているようです。お顔立ちや髪色などがバラバラですが、皆様にこやかに挨拶してくださって、感じは良い方だと言えます。

 案内された客室は、広すぎず狭すぎずで、居心地の良い広さでした。窓の外には、先程のお庭が見えます。しばらくすると、楓さんとは別の中居さんがいらして、お茶とお饅頭が出てきました。……美味しい。しかも、私の好きな粒餡でした。

 ……さてと。ゆるりとお茶をいただいている場合ではありません。そろそろ、作戦を開始せねば!

 突然のことでしたので、買収に関する契約書などの書類は手元にありません。けれども、ここだって紙とペンぐらいはあるでしょう。今から作ればいいのです。そして、このぱっと見何の変哲もないこの旅館が、どんな秘密を秘めているのか、解き明かさなければなりません。
 では、何から切り出そうかと考えておりましたら……

「森下様、何や悩み事がおありなのですか?」

 よくぞ聞いてくれました! やはり、今1番気になっている……いや、不安になっているのは……
 

「私、思いを寄せている方がおりまして」

「どのような方なのですか?」

「髪が青くて、ここの方みたいな紺色の作務衣を着ていて……」


 すると、楓さんはにっこり笑いました。

「もしかして、このような方ですか?」

 楓さんが部屋の入り口の襖を開けると……

「そうです! この方なんです! ですから、彼は連れて帰らせていただきますね!!」

 そこに立っていたのは、あの彼だったのです! ずっと恋い焦がれていた方。見間違いようがありません。

 楓さんは笑顔のままですが、どこか様子がおかしくなりました。笑顔なのに、すごく怖いのです。お客様を威圧するだなんて、信じられません。
 一方、青い髪の彼は、ちゃんと爽やかな笑顔のままでした。


「『豊福富庵(とよふくふあん)』の孫娘さんですよね。以前、そちらの世界に出入りしていましたので、存じ上げておりました」

「わ、私のことを以前から……!!!」


 何ということでしょう。もしかして、彼も以前から私のことを慕ってくださっていたのでしょうか。
 でも私は『豊福富庵』の孫娘。他の宿の従業員が、簡単に声をかけることができないような、所謂高嶺の花です。彼がこれまで私に近づけなかったのは、無理もありません。


「はい。道を歩けば、後ろをつけていらしたことも度々でしたし、写真もお撮りになっていましたよね」

「気づいてくださっていたのですね……!! もう、感激です!! あの、私、来年から『豊福富庵』で女将修行いたしますので、私と一緒に……」


 はっとして楓さんの方を見ると、既に笑顔は無くなっていました。もしかして、楓さんは……。もし、楓さんもこの方に思いを寄せているのだとしても、こんなふざけた髪色の女将なんて、お呼びじゃないのです。
 楓さんが無表情から、次第に怒りの表情に変化しはじめた時、彼は口を開きました。
 
「お客様、申し訳ございません。私は、ここ、時の狭間の住人。お客様と一緒にそちらの世界へ行くことはできないのです」

 なんですって?! 

「お客様は、私を探してここまでいらっしゃったのだと思います。ですが、そういうことですので……どうぞお引き取りください」

 私は、唖然として、何度も瞬きしながら彼を見つめておりました。彼と楓さんも、じっとこちらを見ています。

 そして、数分が経ちました。沈黙を破ったのは楓さんでした。


「翔!! 言われた通りにしたのに、扉が現れないじゃない?!!」

「これで帰ってくれると思ったんだけどなぁ」

「何呑気なこと言ってるのよ?! 私、この方が従業員になるとか絶対に嫌だからね!」

「もしかして嫉妬?」

「そ、そうだったら、何なのよ?! だって、私、翔の……」

「楓、その続きは夜、2人の時にゆっくり聞かせて? 今はお客様の前だから」


 小声ではありますが、全て丸聞こえです。私は、こんな痴話喧嘩みたいなものを見学するために、あれほどの努力を続けてきたわけではありません。

 それにしても……翔さんとおっしゃるのですね。ようやくお名前が分かったことは、大変嬉しいです。でも、翔さん。女の趣味が悪いですよ?


「あの……」

「「はい!」」

「お手洗いはどちらでしょうか?」


 そう言えば、ずっと我慢していたのです。もう限界。

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