止まり木旅館の若女将

山下真響

文字の大きさ
上 下
41 / 82
止まり木旅館の住人達

世間話

しおりを挟む
◇忍

 今日も、少々トラブルがあったようだが、お客様は一応無事にお帰りになった。だから今夜も、粋と卓球の練習をする約束をしている。当初は『打倒、楓さん!』ということで始めた練習だったが、最近はすっかり世間話するためにやっているようなものだ。世間話といっても、俺達にとって世間とは止まり木旅館内だけのこと。結局のところ、身内の噂話だ。

 粋との待ち合わせは、いつも、庭にある楓の木の下。卓球台がある場所にすればいいんだが、ちょっと一息入れるには、やはり屋外が良い。

 庭師になりたての頃、まだなかなか従業員として馴染み切れなかった俺は、よくここで1人、鍛練をしていた。身体は、鍛えておくに越したことはないからだ。あまりにも平和な旅館。もし、この穏やかな空間が危険に晒されたとすれば、きちんと守れるように。ここは、楓さんの大切な大切な城だからな。

 粋が、縁側で靴を履いて、こちらへやってきた。今日は、やる気がない日らしい。手には酒の瓶とグラスがある。


「今日はやっぱりやめましょう」

「そうだな」


 粋に日本酒を教えたのは、俺だ。粋は、この手のものを知らなかったらしい。そういや初めは、「お酒って、神殿で出てくる甘ったるいアレでしょ?」とか言ってたな。アレって何だよ、アレって。そんな曖昧な説明しかできないから、翔もお前の言う『アレ』の仕入れができなかったんだ。

 乾いた地面に座って、互いのグラスに酒を注ぐと、しばらくは何もしゃべらず、ちびちびとやった。今日もお互い、楓さんにこきつかわれ……じゃなくて、良いご指導を受けて、がんばったんだから、これぐらいはいいだろう。

「あの子とは絡んでます?」

 粋は、眼鏡を外して、作務衣の袖先でレンズを拭った。

「いや。おじさんには興味ないんだろ。お前は? 眼鏡外して近づいたら、相手してもらえるんじゃないか?」

 粋は、基本的に書物とインテリア狂で、垢抜けない黒縁眼鏡を愛用しているオタク感全開の男だ。けど、一度眼鏡を外すと……それなりに見栄えするんだよな、これが。日焼けしない白い肌に、ウェーブがかかった緑色の髪。いいとこの坊ちゃんってな形(なり)だ。
 仕事中、興奮しすぎて、たまにレンズを曇らせているのを見かける。コンタクトにすれば?って言っても、無理の一点張り。眼鏡は彼のアイデンティティを構成する重大な要素であり、これ無くしては、粋が粋たるを得ないそうだ。大袈裟な奴。


「そこまでして、新しい風を取り込もうとは思わないんです」

「賢明だ。俺も見ててかなりイライラしてるよ。そうだな、研修の一環っていう名目で、もう少しまともな動きができるようにしてやりたい。何もない所で転ぶとか、意味が分からん」

「忍さんにかかったら、か弱い美少女がボディビルダーみたいになりそうですね」

「うわっ……見たくねぇ」


 粋が持ってきたのは、切子グラス。手の中でくるくる回すと、旅館の廊下からの灯りを反射してキラキラ光った。
 あの子は、慣れない環境なのに、目まぐるしく表情を変えながら、楽しそうに研修生活を送っている。ちょっと見ただけで、根っからの悪人でないことは分かっていた。もしそうだったら、とっくに排除していただろう。仕事の覚えも悪い方じゃないみたいだし、あれでも頑張ってるんだろうけれど。でもなぁ……


「巴さんも、けっこうイライラしてるみたいですよ」

「お局様は、どう出てくるのかねぇ。お手並み拝見といくか」

「ですね」


 その時、少し離れたところから、変な声が聞こえてきた。

「旅館は絶対、潰させな~い。ちょっと可愛い顔だけど~、私は許してあげませ~ん。私は、あんなへまはしな~い。調子に乗るな、小娘よ! 私も欲しいな、あのフィギュア! 負けるな、私! いざ、成敗!」

 もしかしなくても、その正体は楓さん。木の幹に藁人形をくくりつけて、それに向かって竹刀をブンブン振り回し、歌うように悪態をついている。おい、千景さんには、人気のない所でやるように言われたんじゃなかったか? あの手の獲物は経験がないためか、太刀筋は、型もへったくれもあったもんじゃない。
 いやいや、そんなことより、相当やられてるみたいだな、あの子には。主の心労は、家臣がなんとかして差し上げたいが、なかなか打つ手が思いつかない……。何せ、楓さんの身内らしいから、変な手は使えないし。

 粋は、楓さんの気迫に少し怯えた様子で、眼鏡をかけ直していた。

「さすがに、成敗は駄目でしょ。悪霊退散!ぐらいにしておかないと」

 ついに悪霊認定か……。粋、楓さんよりお前の方が酷いと思うぞ? でも確かに、取り憑かれて苦労しているという点では当たっているかもしれない。

 今、一番気になっているのは、いつになったらあの子の研修が終わるのか?だ。まさか、ずるずると居座って、うちの従業員なんかにならないよな?

 楓さんには、あまり近寄らない方が良さそうな感じがしたので、俺達はこそこそと旅館の中に戻った。部屋に戻る途中、大浴場から礼の叫び声が聞こえてきたけれど、あれは何だったんだろうな? どうせ、しょうもないことだろう。俺には関係ない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

美咲の初体験

廣瀬純一
ファンタジー
男女の体が入れ替わってしまった美咲と拓也のお話です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...