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止まり木旅館の住人達
世間話
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◇忍
今日も、少々トラブルがあったようだが、お客様は一応無事にお帰りになった。だから今夜も、粋と卓球の練習をする約束をしている。当初は『打倒、楓さん!』ということで始めた練習だったが、最近はすっかり世間話するためにやっているようなものだ。世間話といっても、俺達にとって世間とは止まり木旅館内だけのこと。結局のところ、身内の噂話だ。
粋との待ち合わせは、いつも、庭にある楓の木の下。卓球台がある場所にすればいいんだが、ちょっと一息入れるには、やはり屋外が良い。
庭師になりたての頃、まだなかなか従業員として馴染み切れなかった俺は、よくここで1人、鍛練をしていた。身体は、鍛えておくに越したことはないからだ。あまりにも平和な旅館。もし、この穏やかな空間が危険に晒されたとすれば、きちんと守れるように。ここは、楓さんの大切な大切な城だからな。
粋が、縁側で靴を履いて、こちらへやってきた。今日は、やる気がない日らしい。手には酒の瓶とグラスがある。
「今日はやっぱりやめましょう」
「そうだな」
粋に日本酒を教えたのは、俺だ。粋は、この手のものを知らなかったらしい。そういや初めは、「お酒って、神殿で出てくる甘ったるいアレでしょ?」とか言ってたな。アレって何だよ、アレって。そんな曖昧な説明しかできないから、翔もお前の言う『アレ』の仕入れができなかったんだ。
乾いた地面に座って、互いのグラスに酒を注ぐと、しばらくは何もしゃべらず、ちびちびとやった。今日もお互い、楓さんにこきつかわれ……じゃなくて、良いご指導を受けて、がんばったんだから、これぐらいはいいだろう。
「あの子とは絡んでます?」
粋は、眼鏡を外して、作務衣の袖先でレンズを拭った。
「いや。おじさんには興味ないんだろ。お前は? 眼鏡外して近づいたら、相手してもらえるんじゃないか?」
粋は、基本的に書物とインテリア狂で、垢抜けない黒縁眼鏡を愛用しているオタク感全開の男だ。けど、一度眼鏡を外すと……それなりに見栄えするんだよな、これが。日焼けしない白い肌に、ウェーブがかかった緑色の髪。いいとこの坊ちゃんってな形(なり)だ。
仕事中、興奮しすぎて、たまにレンズを曇らせているのを見かける。コンタクトにすれば?って言っても、無理の一点張り。眼鏡は彼のアイデンティティを構成する重大な要素であり、これ無くしては、粋が粋たるを得ないそうだ。大袈裟な奴。
「そこまでして、新しい風を取り込もうとは思わないんです」
「賢明だ。俺も見ててかなりイライラしてるよ。そうだな、研修の一環っていう名目で、もう少しまともな動きができるようにしてやりたい。何もない所で転ぶとか、意味が分からん」
「忍さんにかかったら、か弱い美少女がボディビルダーみたいになりそうですね」
「うわっ……見たくねぇ」
粋が持ってきたのは、切子グラス。手の中でくるくる回すと、旅館の廊下からの灯りを反射してキラキラ光った。
あの子は、慣れない環境なのに、目まぐるしく表情を変えながら、楽しそうに研修生活を送っている。ちょっと見ただけで、根っからの悪人でないことは分かっていた。もしそうだったら、とっくに排除していただろう。仕事の覚えも悪い方じゃないみたいだし、あれでも頑張ってるんだろうけれど。でもなぁ……
「巴さんも、けっこうイライラしてるみたいですよ」
「お局様は、どう出てくるのかねぇ。お手並み拝見といくか」
「ですね」
その時、少し離れたところから、変な声が聞こえてきた。
「旅館は絶対、潰させな~い。ちょっと可愛い顔だけど~、私は許してあげませ~ん。私は、あんなへまはしな~い。調子に乗るな、小娘よ! 私も欲しいな、あのフィギュア! 負けるな、私! いざ、成敗!」
もしかしなくても、その正体は楓さん。木の幹に藁人形をくくりつけて、それに向かって竹刀をブンブン振り回し、歌うように悪態をついている。おい、千景さんには、人気のない所でやるように言われたんじゃなかったか? あの手の獲物は経験がないためか、太刀筋は、型もへったくれもあったもんじゃない。
いやいや、そんなことより、相当やられてるみたいだな、あの子には。主の心労は、家臣がなんとかして差し上げたいが、なかなか打つ手が思いつかない……。何せ、楓さんの身内らしいから、変な手は使えないし。
粋は、楓さんの気迫に少し怯えた様子で、眼鏡をかけ直していた。
「さすがに、成敗は駄目でしょ。悪霊退散!ぐらいにしておかないと」
ついに悪霊認定か……。粋、楓さんよりお前の方が酷いと思うぞ? でも確かに、取り憑かれて苦労しているという点では当たっているかもしれない。
今、一番気になっているのは、いつになったらあの子の研修が終わるのか?だ。まさか、ずるずると居座って、うちの従業員なんかにならないよな?
楓さんには、あまり近寄らない方が良さそうな感じがしたので、俺達はこそこそと旅館の中に戻った。部屋に戻る途中、大浴場から礼の叫び声が聞こえてきたけれど、あれは何だったんだろうな? どうせ、しょうもないことだろう。俺には関係ない。
今日も、少々トラブルがあったようだが、お客様は一応無事にお帰りになった。だから今夜も、粋と卓球の練習をする約束をしている。当初は『打倒、楓さん!』ということで始めた練習だったが、最近はすっかり世間話するためにやっているようなものだ。世間話といっても、俺達にとって世間とは止まり木旅館内だけのこと。結局のところ、身内の噂話だ。
粋との待ち合わせは、いつも、庭にある楓の木の下。卓球台がある場所にすればいいんだが、ちょっと一息入れるには、やはり屋外が良い。
庭師になりたての頃、まだなかなか従業員として馴染み切れなかった俺は、よくここで1人、鍛練をしていた。身体は、鍛えておくに越したことはないからだ。あまりにも平和な旅館。もし、この穏やかな空間が危険に晒されたとすれば、きちんと守れるように。ここは、楓さんの大切な大切な城だからな。
粋が、縁側で靴を履いて、こちらへやってきた。今日は、やる気がない日らしい。手には酒の瓶とグラスがある。
「今日はやっぱりやめましょう」
「そうだな」
粋に日本酒を教えたのは、俺だ。粋は、この手のものを知らなかったらしい。そういや初めは、「お酒って、神殿で出てくる甘ったるいアレでしょ?」とか言ってたな。アレって何だよ、アレって。そんな曖昧な説明しかできないから、翔もお前の言う『アレ』の仕入れができなかったんだ。
乾いた地面に座って、互いのグラスに酒を注ぐと、しばらくは何もしゃべらず、ちびちびとやった。今日もお互い、楓さんにこきつかわれ……じゃなくて、良いご指導を受けて、がんばったんだから、これぐらいはいいだろう。
「あの子とは絡んでます?」
粋は、眼鏡を外して、作務衣の袖先でレンズを拭った。
「いや。おじさんには興味ないんだろ。お前は? 眼鏡外して近づいたら、相手してもらえるんじゃないか?」
粋は、基本的に書物とインテリア狂で、垢抜けない黒縁眼鏡を愛用しているオタク感全開の男だ。けど、一度眼鏡を外すと……それなりに見栄えするんだよな、これが。日焼けしない白い肌に、ウェーブがかかった緑色の髪。いいとこの坊ちゃんってな形(なり)だ。
仕事中、興奮しすぎて、たまにレンズを曇らせているのを見かける。コンタクトにすれば?って言っても、無理の一点張り。眼鏡は彼のアイデンティティを構成する重大な要素であり、これ無くしては、粋が粋たるを得ないそうだ。大袈裟な奴。
「そこまでして、新しい風を取り込もうとは思わないんです」
「賢明だ。俺も見ててかなりイライラしてるよ。そうだな、研修の一環っていう名目で、もう少しまともな動きができるようにしてやりたい。何もない所で転ぶとか、意味が分からん」
「忍さんにかかったら、か弱い美少女がボディビルダーみたいになりそうですね」
「うわっ……見たくねぇ」
粋が持ってきたのは、切子グラス。手の中でくるくる回すと、旅館の廊下からの灯りを反射してキラキラ光った。
あの子は、慣れない環境なのに、目まぐるしく表情を変えながら、楽しそうに研修生活を送っている。ちょっと見ただけで、根っからの悪人でないことは分かっていた。もしそうだったら、とっくに排除していただろう。仕事の覚えも悪い方じゃないみたいだし、あれでも頑張ってるんだろうけれど。でもなぁ……
「巴さんも、けっこうイライラしてるみたいですよ」
「お局様は、どう出てくるのかねぇ。お手並み拝見といくか」
「ですね」
その時、少し離れたところから、変な声が聞こえてきた。
「旅館は絶対、潰させな~い。ちょっと可愛い顔だけど~、私は許してあげませ~ん。私は、あんなへまはしな~い。調子に乗るな、小娘よ! 私も欲しいな、あのフィギュア! 負けるな、私! いざ、成敗!」
もしかしなくても、その正体は楓さん。木の幹に藁人形をくくりつけて、それに向かって竹刀をブンブン振り回し、歌うように悪態をついている。おい、千景さんには、人気のない所でやるように言われたんじゃなかったか? あの手の獲物は経験がないためか、太刀筋は、型もへったくれもあったもんじゃない。
いやいや、そんなことより、相当やられてるみたいだな、あの子には。主の心労は、家臣がなんとかして差し上げたいが、なかなか打つ手が思いつかない……。何せ、楓さんの身内らしいから、変な手は使えないし。
粋は、楓さんの気迫に少し怯えた様子で、眼鏡をかけ直していた。
「さすがに、成敗は駄目でしょ。悪霊退散!ぐらいにしておかないと」
ついに悪霊認定か……。粋、楓さんよりお前の方が酷いと思うぞ? でも確かに、取り憑かれて苦労しているという点では当たっているかもしれない。
今、一番気になっているのは、いつになったらあの子の研修が終わるのか?だ。まさか、ずるずると居座って、うちの従業員なんかにならないよな?
楓さんには、あまり近寄らない方が良さそうな感じがしたので、俺達はこそこそと旅館の中に戻った。部屋に戻る途中、大浴場から礼の叫び声が聞こえてきたけれど、あれは何だったんだろうな? どうせ、しょうもないことだろう。俺には関係ない。
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