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止まり木旅館の若女将
閑話 礼の話
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なんでバレたんだろう。
先日、楓さんは、珍しく風邪を引いて、お客様の対応をすることができなかった。粋さんから出された咄嗟のハンドサインに頷いたのは、研さん、潤さん、密さん、そして僕。看病の役割を巡って喧嘩しているフリをし、見事、翔さんを楓さんの部屋に入れることに成功した。
最後の仕上げとばかりに、部屋の出入り口である障子が開閉できないように細工。これで、二人を後押しするという偉業を成し遂げ、めでたしめでたし!となるはずだったのだけれど……
「きびきび動け!」
僕は今、翔さんが仕入れた物を厨房や納屋に運ぶ作業を行っている。もちろん、罰として。確かに、障子の裏につっかえ棒を仕込んだのは僕だけど、発案は粋さん。せめて、連帯責任にしてほしかった。いくら男でも、これほど多くの荷物を素手だけで運ぶのは大変なのだ。
「そろそろ休憩しません?」
「甘ったれるな! これはいつも俺一人でやっていることなんだからな?」
止まり木旅館の裏ボスは、いろんな意味でタフらしい。僕は、大人しく、小麦粉やお米の袋を肩に担いで歩き始めた。
僕も元の世界では、魔剣士として道場の師範代をやっていたぐらいから、それなりに身体はできている。だから、本来はこれぐらい余裕……のはず。
「はーい、がんばりまーす」
止まり木旅館の従業員になる儀式は、案外簡単なものだった。元居た世界ならば、神に祈りを捧げるとか、『試しの石』を握って色の変化を見るとかしそうなものだ。でも実際は、ただ名前を決めて、名前を書いた木札を壁に掛けるだけだった。
だれど、本当の儀式はこれだけではない。楓さんが知らない、裏儀式が存在するのだ。
「翔さん、終わりました!」
「よーし、あがっていいぞ。汗かいただろ。風呂にでも行ってこい」
それは……翔さんに対して、ある誓いを立てる儀式だ。
僕は、流れる汗を腕で拭いながら大浴場へ向かった。
「研さん、まだ清掃中ですか?」
「こんな時間に珍しいね。もう終わってるよ。入っておいで」
「今日は、内湯を薬湯にしているよ。ごゆっくり」
「ありがとう」
誓いの内容。それは、楓さんの敵にならないこと。そして、翔さんに刃向かわないことだ。
これって、誓いという言葉を借りた脅しのように聞こえるかもしれない。けれど、翔さんは楓さんのためになることしかしないのは、会った時から分かっていた。それに、従業員皆の雰囲気は良好。だから、刃向かわないっていうのは、楓さんを守るためのものだっていうこと。同時に止まり木旅館を守っていくために必要なことなんだと、すぐに理解できたんだ。
でも、なぜ密さんは儀式をパスできたのだろうか。未だに謎。
浴場は湯煙で霞んでいて、少し見通しが悪い。いつも通りにかけ湯をすると、首までしっかり湯に浸かった。
「あ、翔さん。お疲れ様です」
「お疲れ」
翔さんもやってきた。ザブンと大きな音を立ててお湯に入り、湯船のへりにもたれかかるようにして、天井を見上げている。
「翔さん、やっぱりこの前のは余計でした?」
「んー……微妙」
そんなことを言いながらも、その横顔は、ちょっとだけ頬が緩んでいる気がする。なんだ。結局喜んでるんじゃないか。じゃ、また隙あらば、仕掛けてみるとするか。
風呂から上がると、研さんからフルーツ牛乳が振る舞われた。いつもは、怪しげな研さん特製ドリンクなんだけど、今日は違うらしい。何か良いことでもあったのかな?
ここ、脱衣所には、書庫程の量ではないが、たくさんの本が所蔵されている。浴場からの湿気を受けないように、本棚のスペースはガラスの壁で仕切られていて、客も従業員も自由に読むことができる。
この前、楓さんに見せた妹シリーズは、ここから拝借したものだ。つまるところ、楓さんにあまり見つかりたくない類の情報がここに集積されているというわけ。ここの秘密を死守している研さんは偉い!
「翔、頼んでたDVD、まだ入荷してないの?」
研さんが尋ねた。
「後二、三日ってとこかな」
ここには、少しだけど、本と一緒にDVDも置いてある。見るのは、さすがに各自の部屋。誰かと見るのは微妙なのもあるし。
止まり木旅館は、本当に閉鎖的な空間だ。だから、娯楽の提供に関しては、翔さんも割りと寛容なのだ。
「ねぇ、翔。あの時、本当は触ったの?」
突然、研さんが真面目な顔をして切り出した。
「……何を?」
「楓さん、すっごく取り乱してた。あれでも女の子なんだから、そりゃあ、いきなり胸触られたら怒るだろうね」
え?! 何だって?! 僕の知らない間にそんなことがあっただなんて……!! 早く潤さんに知らせなきゃ!!
翔さんは、おもむろに自分の右の手のひらを開き、じっと見つめた。
「触ったつもりだったんだけど、何の感触もなかったんだ」
静まりかえる脱衣所。憐れ、楓さん。
先日、楓さんは、珍しく風邪を引いて、お客様の対応をすることができなかった。粋さんから出された咄嗟のハンドサインに頷いたのは、研さん、潤さん、密さん、そして僕。看病の役割を巡って喧嘩しているフリをし、見事、翔さんを楓さんの部屋に入れることに成功した。
最後の仕上げとばかりに、部屋の出入り口である障子が開閉できないように細工。これで、二人を後押しするという偉業を成し遂げ、めでたしめでたし!となるはずだったのだけれど……
「きびきび動け!」
僕は今、翔さんが仕入れた物を厨房や納屋に運ぶ作業を行っている。もちろん、罰として。確かに、障子の裏につっかえ棒を仕込んだのは僕だけど、発案は粋さん。せめて、連帯責任にしてほしかった。いくら男でも、これほど多くの荷物を素手だけで運ぶのは大変なのだ。
「そろそろ休憩しません?」
「甘ったれるな! これはいつも俺一人でやっていることなんだからな?」
止まり木旅館の裏ボスは、いろんな意味でタフらしい。僕は、大人しく、小麦粉やお米の袋を肩に担いで歩き始めた。
僕も元の世界では、魔剣士として道場の師範代をやっていたぐらいから、それなりに身体はできている。だから、本来はこれぐらい余裕……のはず。
「はーい、がんばりまーす」
止まり木旅館の従業員になる儀式は、案外簡単なものだった。元居た世界ならば、神に祈りを捧げるとか、『試しの石』を握って色の変化を見るとかしそうなものだ。でも実際は、ただ名前を決めて、名前を書いた木札を壁に掛けるだけだった。
だれど、本当の儀式はこれだけではない。楓さんが知らない、裏儀式が存在するのだ。
「翔さん、終わりました!」
「よーし、あがっていいぞ。汗かいただろ。風呂にでも行ってこい」
それは……翔さんに対して、ある誓いを立てる儀式だ。
僕は、流れる汗を腕で拭いながら大浴場へ向かった。
「研さん、まだ清掃中ですか?」
「こんな時間に珍しいね。もう終わってるよ。入っておいで」
「今日は、内湯を薬湯にしているよ。ごゆっくり」
「ありがとう」
誓いの内容。それは、楓さんの敵にならないこと。そして、翔さんに刃向かわないことだ。
これって、誓いという言葉を借りた脅しのように聞こえるかもしれない。けれど、翔さんは楓さんのためになることしかしないのは、会った時から分かっていた。それに、従業員皆の雰囲気は良好。だから、刃向かわないっていうのは、楓さんを守るためのものだっていうこと。同時に止まり木旅館を守っていくために必要なことなんだと、すぐに理解できたんだ。
でも、なぜ密さんは儀式をパスできたのだろうか。未だに謎。
浴場は湯煙で霞んでいて、少し見通しが悪い。いつも通りにかけ湯をすると、首までしっかり湯に浸かった。
「あ、翔さん。お疲れ様です」
「お疲れ」
翔さんもやってきた。ザブンと大きな音を立ててお湯に入り、湯船のへりにもたれかかるようにして、天井を見上げている。
「翔さん、やっぱりこの前のは余計でした?」
「んー……微妙」
そんなことを言いながらも、その横顔は、ちょっとだけ頬が緩んでいる気がする。なんだ。結局喜んでるんじゃないか。じゃ、また隙あらば、仕掛けてみるとするか。
風呂から上がると、研さんからフルーツ牛乳が振る舞われた。いつもは、怪しげな研さん特製ドリンクなんだけど、今日は違うらしい。何か良いことでもあったのかな?
ここ、脱衣所には、書庫程の量ではないが、たくさんの本が所蔵されている。浴場からの湿気を受けないように、本棚のスペースはガラスの壁で仕切られていて、客も従業員も自由に読むことができる。
この前、楓さんに見せた妹シリーズは、ここから拝借したものだ。つまるところ、楓さんにあまり見つかりたくない類の情報がここに集積されているというわけ。ここの秘密を死守している研さんは偉い!
「翔、頼んでたDVD、まだ入荷してないの?」
研さんが尋ねた。
「後二、三日ってとこかな」
ここには、少しだけど、本と一緒にDVDも置いてある。見るのは、さすがに各自の部屋。誰かと見るのは微妙なのもあるし。
止まり木旅館は、本当に閉鎖的な空間だ。だから、娯楽の提供に関しては、翔さんも割りと寛容なのだ。
「ねぇ、翔。あの時、本当は触ったの?」
突然、研さんが真面目な顔をして切り出した。
「……何を?」
「楓さん、すっごく取り乱してた。あれでも女の子なんだから、そりゃあ、いきなり胸触られたら怒るだろうね」
え?! 何だって?! 僕の知らない間にそんなことがあっただなんて……!! 早く潤さんに知らせなきゃ!!
翔さんは、おもむろに自分の右の手のひらを開き、じっと見つめた。
「触ったつもりだったんだけど、何の感触もなかったんだ」
静まりかえる脱衣所。憐れ、楓さん。
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