止まり木旅館の若女将

山下真響

文字の大きさ
上 下
22 / 82
止まり木旅館の若女将

人間ですよね?

しおりを挟む
 私は今、厨房で、本日のお客様に召し上がっていただくお夕飯の下ごしらえをしている。
 隣では、粋くんが一人、奮闘中。甘いものが食べたいと言うので、レシピを教えてあげて、自分で作ってもらっているところなのだ。

「案外、簡単なんですね!」

 甘味を作ると、母さんのことを思い出す。私も今の粋くんのように、母さんからお菓子やお料理を習ったものだ。
 母さん……。日記帳が見つかって以来、以前よりも増して、母さんのことを考える時間が増えた。実は私、母さんの死に目には会えていない。

「粋くん、分量は正確に計ってね」
「はーい。何度も言われなくても分かってますよ~」
「ほんとに?」

 その日、私は、背中に大きな黒い羽をつけた男性(別名、堕天使とも言う)のお客様が、冥界にお帰りになるのを見送っていた。
 その後、報告のために女将部屋へ向かうと、そこには翔と巴ちゃんが抜け殻のようになって座りこんでいたのだ。

「よくかき混ぜないと、固さにムラが出るからね」
「楓さん、心配しすぎ。ちゃんとやってますから!」

 明らかに様子がおかしい二人。どうしたのかと尋ねると、返ってきた答えは……

「ねぇ、これ、泥水みたいに見えるんですけど」
「そりゃ、粋くん。あなたが普通のお砂糖じゃなくて、黒糖が良いって言ったからよ? 黒糖の方が、高いんですからね! 今更文句言わないで」

 母さんは、女将部屋の入り口の引き戸の辺りで、突然光に包まれながら消えてしまったそうだ。

「この前、一日で三百万円分も買い物した楓さんに、金銭感覚を説かれるとは……」
「だって、あれはね!……ごめん、何を言っても言い訳にしかならないわね。悪かったわよ。でも、おかげで、この前美味しいチーズケーキを食べられたでしょ?」

 私は、母さんがどこかの世界に行ってしまったのかと思った。でも翌日、翔が書庫から持ってきてくれた本に、こんなことが書かれてあった。
 時の狭間の住人の死とは、肉体が光に包まれながら消えてなくなるものだと。
 手がかりが何も無い以上、私はそれを信じるしかなかった。だってここは、普通の場所じゃない。人生の終え方が、そんな形であったとしても不思議ではなかった。

「ハンドミキサーは、元々そんなに高くないし、利用価値があるから、まだいいですよ。自動車、どうするんですか? 大きすぎて、旅館に持ち込めなかったって聞きましたよ?」
「大丈夫。翔が仕入れに活用してくれるって言ってたから」
「でも、自動車って、免許が要るんじゃなかったかな? この前テレビで、教習所っていう場所のこと言っていたような……」
「……翔なら、たぶん何とかしてくれるはず」

 でも、遺体が残らないというのは、割りと堪(こた)えるものだ。やはり、亡くなったという実感がわきにくいし、直接お別れや思いを告げることもできないのだから。
 その日と次の日は、喪に服したけれど、その次の日からはいつも通りお客様がいらっしゃって、止まり木旅館は通常通りに営業。けれど、私はなかなか立ち直れなくて、皆にすごく迷惑をかけてしまった。

「あ、こら! 粋くん、これはもう固まり始めているから、指なんか突っ込んだら、綺麗に仕上がらないわよ!」
「楓さん……僕、失敗しました」
「どうしたの? 何か味が変だったの?」
「寒天パウダーと塩、間違えちゃいました」
「え? 私も味見してみるわね。……からっ!!」

 やれやれ。せっかく母さんの思い出を振り返っていたのに、何やってるのよ?!

「だって、塩が大さじ三杯も入ってるんですから。当たり前ですよ!」
「大さじ三杯は黒糖だけよ! 寒天パウダーは四グラムだけって、レシピの紙に書いてあるでしょ? それに、やらかした本人が堂々と言うな!」

 その後、塩辛い黒糖入り牛乳寒天は、私の手によって寒天パウダーを追加され、そっと冷蔵庫に仕舞われたのだった。
 なんで棄(す)てなかったのかって? そりゃ、誰かに食べさせるために決まってるじゃない! スイーツと思わせておいて、塩辛い。絶対、びっくりさせられるよね! うふふ。
 さて、そろそろお客様がお越しになる時間。気を取り直してお迎えに参りましょう。





「彼女、ほんと綺麗な身体でね。触ると、ツルツルすべすべなんですよ!」

 本日のお客様は、一見すると普通の疲れたサラリーマンだった。ちょっとくたびれたスーツをお召しだが、靴だけは丁寧に磨かれている。ずり落ちてくる銀縁眼鏡を何度も指で持ち上げては、彼の『パートナー』について熱弁を振るっていらっしゃるのだ。

「そして、その素晴らしい美肌をお持ちの彼女は、体調が優れないのですね?」
「その通り! 彼女には、ある草が必要でね。とある文献によると、これを煎じて飲めばどんな病気も治るらしいんだ」

 うわぁ、胡散臭さい。それって、偽薬効果ぐらいしかないんじゃないの?!
 私が、顔を引きつらせそうになっている間、お客様は胸ポケットから取り出したメモ帳にサラサラと絵を描き始めた。

「これです! これが必要なんです! ずっと探していたら、ここに辿り着いたんですよ。だったら、絶対、ここにありますよね?!」
 え、そんなこと言われても……。私は、サラリーマンに絵を見せてもらった。
「これって……ヨモギ?」

 彼の絵は大変写実的で、分かりやすかった。葉っぱの形状と言い、葉の裏や茎に生えている綿毛と言い……。サラリーマンによると、葉っぱの裏は白っぽいそうだ。しかも、葉っぱを千切ると良い香りがするそうだから、ヨモギの可能性が高い。
 私は、忍くんを呼んで、事情を説明した。

「たぶん、それはヨモギでしょうね。うちに有りますから、摘んできます」

 忍くんの姿は、一瞬のうちに掻き消える。さすが元隠密だ。





 しばらくすると、忍くんは、竹籠いっぱいにヨモギを入れて、私のところへ戻ってきた。

「こんなにたくさん!! ありがとうございました!!」

 サラリーマンは、大喜び。だからって、ジャンプまですることないのに。

「お探しの物が見つかって、良かったですね。どうぞ、お持ちになってください。」

その次の瞬間、無事に扉が出現した。

「お帰りの扉が開きました」

 彼が扉の前に進み出た時、私はどうしても気になることがあって、一つお尋ねしてみた。

「あの、お客様のパートナーでいらっしゃる方は……人間ですよね?」
「何を言っているんだい?! オットセイだよ!!」

 えー?! まさかの動物? しかも海洋生物ですか?! どうやって家で飼育してるのよ?!

「……この度はご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、従業員一同お祈りしております」

 私は、お客様に戸惑った顔を見られないように、慌ててお辞儀した。





「楓さん、オットセイって、ヨモギ食べても大丈夫なんですかね?」
「さぁ……? 普通は魚とか食べるんでしょうけどね」
「余計に体調が悪化しないといいんですけどね」
「なんだか、心配ね」

 忍くんは私を縁側に座らせると、顔を覗き込んできた。

「俺は、楓さんの方が心配です」
「……ごめんね」

 結局、翔には避けられっぱなしで、知りたいことを尋ねることはできていない。でも止まり木旅館には、私の事情に関係なく、次から次へとお客様がお越しになるのだし、私はできるだけ気丈に振る舞うよう心掛けていた。でも、長年私のことを慕ってくれている人の目は、簡単に誤魔化すことができないようだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...