止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の若女将

口が滑っちゃった

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 ん……? これは、どういうこと?
 私は、いつものように女将の部屋で台帳を開いていた。そこには、こんなことが書かれていたのだ。

 名前:ツン・ワーリン
 性別:女性
 年齢:三十二歳
 世界:テイベル
 国:ヘンピーン
 職業:染色師
 職業レベル:八十二
 アレルギー:あんかけチャンポン、音痴な歌声、思春期の男の子
 危険レベル:0(ゼロ)
 備考:宿(やど)り木ホテルからの紹介

 備考欄は、たまに現れることがある。でも、宿り木ホテルって……何? 初めて聞く名前だ。しかも紹介とは、どういうことだろう。
 ともかく、お客様の到着時刻はまもなくだ。私は、玄関先で待機することにした。



 そして、予定時刻ちょうど。止まり木旅館の門は、いつものようにすっと開かれた。立っているのは女性二人。……二人?! 情報では、一人だけだったはず。では、もう一人は誰なのだろう?
 他の従業員も、その人数に驚いて警戒したのか、一気に物々しい雰囲気になる。私は、忍くんに守られるようにして、二人に近づいた。

「ようこそおいでくださいました」
「はじめまして! 楓さんよね?! 私、宿り木ホテルの梓(あずさ)と申します!!」

 白シャツに丈が短めのタイトスカート、首元に赤いスカーフを巻いている女性が、元気に返事してくれた。

「あの……はじめまして? 梓さん。」
「梓でいいよ! 数少ない同業者なんだから、もっと仲良くいこうよー」
「同業者、でございますか?」
「あれ、知らないの? あ、翔もいるじゃない。久しぶり!」

 え? 翔の知り合いなの?! 私、この人、全然知らないんだけど!!
 翔は、梓さんを睨んだ。手甲から何かが飛び出てるから、威嚇していると言った方が正しいのかもしれない。

「くれぐれも、余計なことしゃべるなよ」 
「分かってるって! あなたの楓さんに、変なことを吹き込むわけないでしょ?」
「どうだかな? あんたはあまり信用ならん」

 何やら親しげに会話する二人。私、置いてけぼりなんですけど……?!
 私が、あたふたしていると、忍くんが切り出してくれた。

「それで、本日はどのようなご用件でいらっしゃったんですか? うちは、初めてのことですので、ご説明いただきたいのですが」

 すると梓さんは、「そうだった!」とばかりに、ポンっと手を打って話し始めた。
 彼女によると、止まり木旅館は、そもそも短期滞在を目的とした高級宿泊施設らしい。そして、梓さんが勤めている宿り木ホテルは、庶民向けの長期滞在を目的としているお宿とのこと。時の狭間に紛れ込んでしまった私達のお客様は、自動的に宿泊施設を割り当てられて、辿り着く仕組みになっているそうだ。
 ちなみに、止まり木旅館と宿り木ホテル以外にも似たような施設が存在するらしい。

「でも、うちは、結局帰れなくなって、従業員になるケースもありますから、その自動振り分けって、あまり精度が良くないんじゃ……」

 私は、ふと浮かんだ疑問を投げてみた。

「そう! そうなのよ!! 今回もそのケースなの。いつもだったら、ま、なるようになるかーと思っちゃうんだけど、今回ばかりはそうも言っていられなくてね」

 梓さんは、隣に立つ女性のお腹を優しく撫でた。

「臨月らしいのよ。うちも、これまでいろんなお客様を泊めてきたわ。体長十五メートルの魔族の男とか、三年もいたのよ?! ほんと、邪魔だったわ! あ、でもね、体長五センチの女の子も、扱いが大変だったわね。小人族って言うの? うっかり小さすぎて、踏んづけちゃったりするのよ。覚えているだけでも十回は踏んだけど、生きてるのよね、それが! なかなかしぶとい生命力だったわ。もっと鋭いピンヒールで踏みつけるべきだったかしら……。楓さんも、気をつけた方がいいわよ!」

 何をどう気をつけたらいいのでしょうか……。私は、すっかり梓さんの勢いに負けてしまっている。
 巴ちゃんは、気を利かせて折り畳み椅子を運んでくると、妊婦のお客様に座るよう勧めてくれていた。さすが、優秀。

「つまり、私たちのような宿泊施設では、お医者様もいないし、出産に対応できないから、早く元の世界に帰ってもらわなければならないということですね?」
「そう、そういうこと!」
「分かりました。止まり木旅館のお客様として、おもてなしさせていただきます!」

 私は、瞬時に決断した。だって、梓さんはかなり性格のキツイ方のようだから、お客様が気の毒になってきたんだもの。
 さて、止まり木旅館の実力、見せてあげるよ!!

「じゃ、私はこれで! あ、それとも、私も残った方がいいかな? 千景(ちかげ)さん、あの糞ババアのところに行っちゃったから、今、女将って一人だけなんでしょ?」
「梓!! あんた、それは……!!」

 翔が、梓さんに向かって吠えた。同時に二本の苦無が彼女に向かって飛んだが、梓さんは、それを指でパシッと挟んで受け止める。

「ごめん、ごめん! ちょっと口が滑っちゃった!」

 梓さんは、テヘペロすると、妊婦さんに向かってちょこんと頭を下げた。そして、こちらにヒラヒラ手を振りながら、門を開けて出て行ってしまった。

「……ねぇ、何なの?!」

 お客様の前だということは分かっている。だから、本来はこんなに声を荒げてはならない。けれど、これは放っておけないことだ。

「翔! 後でいいから、ちゃんと説明して!!」
「二人だけの時に、話す」

 そう言うと、翔は足早に旅館の中に入っていってしまった。
 千景というのは、死んだ母さんの名前。梓さんの話じゃ、まるで……まだ生きてるみたいじゃないの。





 私は、『生の妊婦さん』とお会いするのが初めてだった。当然、どんなことに気をつけたり、お助けして差し上げればいいのかも分からない。
 そこで、巴ちゃんに尋ねると、女官時代に同僚の出産をお手伝いしたことがあるとか! でも喜んだのは束の間。チェ国は、医者や医学などが存在せず、身体の不調は全て祈祷で治すという思想だったらしく、アテにならない迷信しか知らないそうだ。残念。
 しかし、ここで、私は良いことを思いつく。急いで翔の部屋へ向かった。
 ノックしたが、部屋の主は不在。私は、胸元から鍵を取り出して、入らせてもらった。そして、部屋のちゃぶ台の上に置かれているタブレット型端末の電源を入れる。 
 起動を待つ間、部屋の中を見回した。
 壁際は、全て本棚と収納で埋まっている。私には何に使うのか分からないような物もあった。れいの扉は半開き。そこからは、太い電源コードの束と太いパイプが数本、あちら側からこちら側へと伸びていた。パイプはそのまま、翔の部屋の外へと伸びている。止まり木旅館は、実は別の世界と常に繋がっていたのかと思うと、何だか拍子抜けだ。
 私は、雑誌を数冊購入した。『お急ぎ便』というものがあって、なんと注文した本日中に届くというのだ。画期的! とは言え、配達されるのは、扉の向こうに見える部屋の中だけどね。
 注文が終わって、扉の隙間から向こう側を覗いた。打ちっぱなしのコンクリートの壁で囲まれた部屋だ。何やら大きな機械がいくつも置かれていて、その機械が稼働している低い音が鳴り響いている。翔は、これが何のための物なのか、そして、そこが、どこの世界のどんな場所に存在しているのか、全て分かっているのだろう。
 私は、知らないことが多すぎる。なのに、なんで、好きになっちゃったのかしら。




「そんなに動いて大丈夫なんですか?」
「はい。この時期になると、しっかり動いた方が赤ちゃんが身体の下の方に降りてきて安産になるらしいんです。出産って体力も要りますから、こうやって軽く鍛えておくといいんですよ」
「そうなのですか。でも、どうか、ご無理なさらないようお願いしますね」

 妊婦さんは、お庭を早歩きでお散歩中だ。
 彼女は、すぐに止まり木旅館を気に入ってくださった。宿り木ホテルも悪い所ではなかったそうだが、長期滞在中のお客様間における人間関係が複雑すぎて、ストレスを感じていたらしい。そして、やはり、梓さんのノリについていくことができなかったとか。けれど、梓さんの上司である支配人の男性は、さらにアクの強い方だそうで。できればもう、宿り木ホテルとはあまり関わりたくないなと思ってしまった。

「あの……ご出産は初めてなのですか?」
「いえ、二人目なんです」

 妊婦さんは、愛おしそうに自分のお腹を撫でた。

「上の子は十二歳になったので、近くにある大きな街へ出稼ぎに行っているんです。夫は……」

 急に黙り込んでしまった。私は、無理に聞いてはいけないような気がして、話題を変えてみた。

「お腹の赤ちゃんは女の子ですか? 男の子ですか?」
「今回は男の子なんです」
「では、お名前の候補も決めてらっしゃるんでしょうか?」
「それが……」

 また黙り込む彼女。……しまった。もっと違う話をすれば良かった。

「楓さんは、ご結婚されているのですか?」

 え?

「いえ、まだです」
「すみません、あの飛び道具がお得意な彼が旦那様なのかと思ってました」

 翔のことね……。私、翔に対する態度だけ、おかしかったのかしら? 気をつけなくちゃ。

「では……お父様とは、仲良いですか?」
「父は……知りません」

 母さんは昔、「私は神様と結婚したのよ! だから、あなたは神の子なんだから!」とか言っていたけれど、あれは絶対に嘘だ。

「あら……、ごめんなさい」
「いえいえ、気になさらないでください。父という存在に憧れる時期もありましたが、その分、母が大切に育ててくれましたので」

 妊婦さんは、散歩の足を止めた。

「この子は、父親と会えないかもしれません」

 彼女は、空を見上げる。遠く、遠くを見ていた。

「会わせてあげたいのですか?」

 しばらく返事がなかったので、私は答えられないことを尋ねてしまったのだと思った。もう随分歩き回ったし、一度休憩を勧めようかと思った時、彼女はこちらを振りかえった。

「会わせてやりたいんです。……いえ、会いたいんです。私も」
「では、生まれてくる赤ちゃんのお名前は、旦那様のお名前にちなんだものになさってはいかがですか? 親から、名前に含まれる文字や音の一部を引き継ぐ地域だってあるのですよ」

 妊婦さんはしばらく俯いて、考えこんでいた。そして、彼女が顔を上げた瞬間、パシャンという水音がした。
「お客様?!!」

 昨夜届いた雑誌の受け売りだが、これはもしかすると『破水』かもしれない。こうなると、感染症などの危険を考えて、さっさと産んでしまわなければならないそうだ。しかも、お腹の赤ちゃんは二人目。恐らく、分娩までの時間はそれほど多くは残されていない。
 どうしよう……。これほど早くにお産が進むとは考えていなかったので、止まり木旅館で出産となる場合の準備がまだほとんどできていないのだ。しかも、お医者様もいなければ、医療設備もない。詰んだ……。

「楓さん、大丈夫。私、もう決心したから」

 その時、奇跡が起きた。

「良かった!!! お客様、お帰りの扉が開きました!」

 私は、扉の手前まで彼女に付き添った。

「お世話になりました」

「こちらこそ、この度はご利用ありがとうございました。もう二度とお会いすることがありませんよう、そして、無事のご出産を従業員一同お祈りしております」
 私は、扉の向こうへ消えていくお客様を見送った。晴れ晴れとした、とても美しい『母』の笑顔だった。





 夜になって、私は女将部屋を出たところにある縁側で、お琴を弾いていた。空には満月が浮かんでいる。

「これ、祝い事の歌でしょ?」

 研さんは、手酌でお酒を飲んでいた。飾りっ気のない浴衣を着て、髪を結わずに下ろしていると、ミステリアスな雰囲気がますます強くなる。

「今頃、元気な男の子が生まれているんじゃかいかな?と思いまして」
「間に合って良かったね」
「えぇ、ほんとに」

 私も研さんと飲もうかと思って、指から琴爪を外した時、急にバタバタという足音が聞こえてきた。

「あら、そんなに慌ててどうしたの?」

 翔だった。お客様がお帰りになってから、ずっと姿が見えなくて探していたのに。今まで、どこにいたのよ?!

「これが、静かに黙ってられるわけないだろ!?!!」

 何やら、たくさんの数字が印字された紙が、目の前に突きつけられた。

「一日でこんな大金使う馬鹿がどこにいる?!! ちょっとは、金のことを考えろ!!」

 えっと……実はね、雑誌以外にもいろいろお買い物しちゃったんだ。
 いつも着物しか着ないから、可愛い洋服とかいっぱい着てみたかったし、ハンドミキサーとかがあれば、お菓子づくりも楽勝でしょ? それから、健康食品っていうのがあってね、すっごく身体に良さそうなことが書いてあったの。今なら、二十箱買えばおまけに五箱もついてくるんだって! もう、買うしかないよね!
 そう言えば、美顔器っていうのも買ったかも。これでもう、顔が丸いとは言わせないぞ!!
 一番大きいのは車かな。軽自動車だったら、敷地内にも置けるかな?と思ったのよ。え? どこへ乗っていくのかって? ……あ、ここって、止まり木旅館以外何もないんだった!! 乗る機会無いじゃん……
 後は、何買ったんだったっけ? 画面を指でちょんちょんするだけで買えちゃうから、あんまり覚えてないのよね。

「……お前、もしかして金額見ながら買わなかったのか?」
「ごめん、忘れてた。いくらだったの?」
「ここ、見て!」

 私は、紙の一番下に書かれてあった数字に目を落とした。

「さ、三百万円?!!」

 嘘でしょ?! そんなに?! さすがに拙いわ。こんな大金、どうやって用意したらいいのかしら?!

「また、あの糞ババアに叱られるじゃないか!! っとに、仕入れ係って損だよな」

 糞ババア? 誰それ? 翔は、タブレット型端末の説明の時に、とある筋から援助を受けてるって話していたけれど、そのことかしら? でも、その単語、最近誰かも言っていたような……

「とりあえず! もう勝手に買い物するのは禁止!!」

 そう言うと、翔は大股でこちらに近づいてきて、私の浴衣の胸元に手を突っ込み、隠し持っていた彼の部屋の鍵を取り出してしまった。なぜ、胸元にあるって分かったのかしら?!

「ななななな何すんのよ?!!」
「心配するな。無いものは、触りようがないし」

 なんですって?! 翔なんて、大っ嫌い!!
 そして、肝心の聞きたかった話は聞けないまま、私は翔から逃げるようにして、部屋の中へと戻ったのだった。

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