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止まり木旅館の若女将
パフェに食べられた
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少しだけ開いた障子の隙間から、白い光が一筋、部屋の中に差し込んでいる。止まり木旅館は、潤くんを中心とした従業員皆で日々清掃し、損傷した部分は丁寧に修繕して、大切に使っている。とは言え、長年使っていると、こんな風に障子の閉まりが悪くなって隙間ができるのだ。
若女将の朝は早い。まだ、朝の四時半だ。毎日のことなので、目覚まし時計がなくても起きてしまう。
私は、布団から這い出ると、鏡台の前に座った。鏡に被せてあった布を取り去って、自分の姿を写す。
「変わらないわね」
私は、二十歳ぐらいの頃から、歳をとらなくなった。もちろん、外見的な意味で。亡くなった母さんも、すごく見た目が若かったし、翔もそうだ。
別にいいのよ、これで。やっぱり女である以上、老化とかできるだけ避けたいもの。でも、ある日突然、それまで蓄積していた老化が一気に降りかかってきたら恐ろしいなとは思う。
私は、鏡を見ながら、髪を緩い三つ編みに結った。そして、障子を背に、壁沿いに有る衣桁(いこう)の方へ手を伸ばした。
その時だ。背後から、何かおどろおどろしい気配がぞうっと迫ってきた。
「誰?」
振り向くと、障子の隙間から、青白くて細い指が部屋に差し込まれていた。しかも、うにょうにょと奇妙な動きをしている。薄暗い部屋の中、それはとても人のものには見えない。
「あの、もしかして……?」
たとえ朝っぱらからホラーなことが起こっても、私は取り乱したりしない。
「あぁ、やっぱり。いかがされましたか?」
障子を開けると、その方は立っていた。相変わらず、顔色は悪い。温泉の入浴をお勧めしたいところだが、それも叶わない。
だって、彼はもう、死んでいるから。
「おはようございます」
「おはようございます。あの、朝日を浴びても大丈夫なのですか?」
「はい。ドラキュラじゃありませんから。私はただの死霊です」
「……そうでしたね。従業員の朝食が終わりましたら、お部屋に伺いますので、もうしばらくお待ちいただけませんでしょうか」
「す、すみません……」
彼は、すすすと後ずさると、滑るようにして廊下の彼方へ消えていった。
彼は、昨夜止まり木旅館にいらっしゃったお客様。彼曰く、自称『コミュ障の死霊』だ。
本来、死霊は、現世に大きな心残りがあり、身内や生前仲が良かった間柄の人をあの世へ道連れにすべく、取り憑くという特性がある。書庫にあった資料の受け売りだけどね。
ところが、彼は生前コミュ障だったため、仲の良い友人などがいなかった。恋人なんて、もってのほか。ご両親も早くに他界されたとのことで、身内と呼べる人もいない。つまり、死霊になったものの、取り憑く対象が存在しなくて困っていたのだ。
今回のお客様への対応については、従業員間でも意見が分かれていた。
「楓さんの寝込みを襲うなど、許せん!」
私は、今朝のことを朝食の席で報告した。忍くんは今にもお客様のお部屋へ怒鳴り込みに行きそうな剣幕だ。
「なんか、ややこしそうな人だし、庭にでも埋めてみる?」
「既に死んでるんだから、意味ないんじゃない?」
「やっぱり女と関わらずに死んだのが心残りだったのかな」
「彼、良い研究対象になりそう。できれば長期滞在してほしいかも」
皆、言いたい放題だ。
「でも、本当にお帰りになれるのかしら」
呟いたのは巴ちゃん。器用な箸捌きで、焼き魚の身を口に運んでいる。彼女のようなベテランに言われてしまうと、少し自信がなくなってきた。
「死霊って、未練があるんでしょ? それさえ解消できれば、何とかならないかな」
礼くんの言う通り、お帰りになれるきっかけと言えば、それぐらいしか思いつかない。
「やっぱり、まずは聞き取り調査かしらね」
死霊は、飲み食いをしない。必要ないからだ。しかし、生前好んでいたものであれば、その食べ物の息吹を吸いこんで楽しむことができるそうだ。たどたどしい死霊さんの話をまとめると、そういうことになる。
私は、生前、死霊さんの好物だった、抹茶白玉小豆パフェを作ることにした。甘い物を味わってリラックスした雰囲気になれば、未練に繋がる本音を吐き出してくれるかもしれない。
私は、シジミのお味噌汁の残りをぐいっと一気に飲み干した。
午後三時。おやつ時。私はお盆の上にパフェを乗せて、客室へ向かった。密さんも一緒。彼女も食べてみたいとのことだったので、誘ったのだ。
机の上にパフェを置くと、死霊さんはすぐさま近くにやってきた。
「これです! これなんです!!」
あんた、女子ですか?と突っ込みたくなるようなはしゃぎようだ。どう見ても、おじさんなのだけどね。彼は、パフェの真正面を陣取ると、こちらを向いて目をキラキラさせている。キラキラというか、ギラギラかもしれない。私は慌てて「どうぞ」と言った。
「美味しい……。この風味豊かな抹茶と粒餡が奏でる甘いハーモニー。白玉のもっちりとした食感。とろっと溶け始めたバニラアイスに絡みつく小豆の素朴で優しい味。最高だ!!」
正直、引くわ……。喜んでくれるのはいいのだ。ただ、その喜び方がすごく気持ち悪い。死霊でも、涎って出るのね。私がパフェだったら、鳥肌が立って、一生のトラウマになりそう。隣で、涼しげな顔をしている密さんの気が知れない。
やがて、パフェの息吹を吸い込む死霊さんの身体は、白くなったり、青くなったりしながら淡く発光し始めた。
「楓。ここまでくれば、妾の出番だ」
密さんは、ふと立ち上がると、お召し物の袖をふわっと靡(なび)かせて、ゆっくりと舞を始めた。袖の中から取り出した鈴を両の手に持っている。規則的にシャンシャンと鳴り響く鈴の音は、不思議な音色だ。まるでこの場を清めていくかのような。神聖な空気をまとって、密さんはどんどん神々しくなっていく。
すると、突如、死霊さんの背後にブラックホールのようなものが出現した。
「……お帰りの扉が、開きました?」
ふと見ると、死霊さんは少し背中を丸め、パフェに吸い込まれるようにして、姿が消えてなくなってしまった。え?! 死霊さんがパフェに食べられた?! せっかく扉らしきものが出てきたのに。どうしよう?!
「楓、案ずるな。死霊は、パフェに取り憑いただけだ。さ、帰るべき世界へ返してやろう」
密さんは、落ち着き払ってパフェの器を手に取った。死霊に取り憑かれたパフェとか、触っちゃだめですよー!! っていうか、食べ物に取り憑くって、どうなの?!
でも、私の心の叫びは届かなかった。密さんは、その器をポーンとブラックホールの中に投げ込んでしまったのだ。
「さらばじゃ」
上品な笑みを浮かべて、小さく手を振る密さん。そんな軽いノリでいいの?!
「楓、いつものお見送りはせんで良いのか?」
「しまった……!!!」
「ともかく、帰ってくれて良かったではないか。おや? そんなに残念な顔をして、どうしたのだ?」
「いえ。もし、お帰りになれなかったら、旅館の傍ら、彼が主役のお化け屋敷でも始めようかと思っていたんですが……叶わぬ夢になっちゃいました」
「ここの従業員では、お化け屋敷の客にはならんぞ。肝が座りすぎている」
ごもっとも。
余談だが、その後、私は、抹茶白玉小豆パフェを見る度に、あの気持ち悪い死霊さんの笑顔を思い出してしまい、喉を通らなくなってしまった。以前は、私も好物だったのに……ぐすんっ。
若女将の朝は早い。まだ、朝の四時半だ。毎日のことなので、目覚まし時計がなくても起きてしまう。
私は、布団から這い出ると、鏡台の前に座った。鏡に被せてあった布を取り去って、自分の姿を写す。
「変わらないわね」
私は、二十歳ぐらいの頃から、歳をとらなくなった。もちろん、外見的な意味で。亡くなった母さんも、すごく見た目が若かったし、翔もそうだ。
別にいいのよ、これで。やっぱり女である以上、老化とかできるだけ避けたいもの。でも、ある日突然、それまで蓄積していた老化が一気に降りかかってきたら恐ろしいなとは思う。
私は、鏡を見ながら、髪を緩い三つ編みに結った。そして、障子を背に、壁沿いに有る衣桁(いこう)の方へ手を伸ばした。
その時だ。背後から、何かおどろおどろしい気配がぞうっと迫ってきた。
「誰?」
振り向くと、障子の隙間から、青白くて細い指が部屋に差し込まれていた。しかも、うにょうにょと奇妙な動きをしている。薄暗い部屋の中、それはとても人のものには見えない。
「あの、もしかして……?」
たとえ朝っぱらからホラーなことが起こっても、私は取り乱したりしない。
「あぁ、やっぱり。いかがされましたか?」
障子を開けると、その方は立っていた。相変わらず、顔色は悪い。温泉の入浴をお勧めしたいところだが、それも叶わない。
だって、彼はもう、死んでいるから。
「おはようございます」
「おはようございます。あの、朝日を浴びても大丈夫なのですか?」
「はい。ドラキュラじゃありませんから。私はただの死霊です」
「……そうでしたね。従業員の朝食が終わりましたら、お部屋に伺いますので、もうしばらくお待ちいただけませんでしょうか」
「す、すみません……」
彼は、すすすと後ずさると、滑るようにして廊下の彼方へ消えていった。
彼は、昨夜止まり木旅館にいらっしゃったお客様。彼曰く、自称『コミュ障の死霊』だ。
本来、死霊は、現世に大きな心残りがあり、身内や生前仲が良かった間柄の人をあの世へ道連れにすべく、取り憑くという特性がある。書庫にあった資料の受け売りだけどね。
ところが、彼は生前コミュ障だったため、仲の良い友人などがいなかった。恋人なんて、もってのほか。ご両親も早くに他界されたとのことで、身内と呼べる人もいない。つまり、死霊になったものの、取り憑く対象が存在しなくて困っていたのだ。
今回のお客様への対応については、従業員間でも意見が分かれていた。
「楓さんの寝込みを襲うなど、許せん!」
私は、今朝のことを朝食の席で報告した。忍くんは今にもお客様のお部屋へ怒鳴り込みに行きそうな剣幕だ。
「なんか、ややこしそうな人だし、庭にでも埋めてみる?」
「既に死んでるんだから、意味ないんじゃない?」
「やっぱり女と関わらずに死んだのが心残りだったのかな」
「彼、良い研究対象になりそう。できれば長期滞在してほしいかも」
皆、言いたい放題だ。
「でも、本当にお帰りになれるのかしら」
呟いたのは巴ちゃん。器用な箸捌きで、焼き魚の身を口に運んでいる。彼女のようなベテランに言われてしまうと、少し自信がなくなってきた。
「死霊って、未練があるんでしょ? それさえ解消できれば、何とかならないかな」
礼くんの言う通り、お帰りになれるきっかけと言えば、それぐらいしか思いつかない。
「やっぱり、まずは聞き取り調査かしらね」
死霊は、飲み食いをしない。必要ないからだ。しかし、生前好んでいたものであれば、その食べ物の息吹を吸いこんで楽しむことができるそうだ。たどたどしい死霊さんの話をまとめると、そういうことになる。
私は、生前、死霊さんの好物だった、抹茶白玉小豆パフェを作ることにした。甘い物を味わってリラックスした雰囲気になれば、未練に繋がる本音を吐き出してくれるかもしれない。
私は、シジミのお味噌汁の残りをぐいっと一気に飲み干した。
午後三時。おやつ時。私はお盆の上にパフェを乗せて、客室へ向かった。密さんも一緒。彼女も食べてみたいとのことだったので、誘ったのだ。
机の上にパフェを置くと、死霊さんはすぐさま近くにやってきた。
「これです! これなんです!!」
あんた、女子ですか?と突っ込みたくなるようなはしゃぎようだ。どう見ても、おじさんなのだけどね。彼は、パフェの真正面を陣取ると、こちらを向いて目をキラキラさせている。キラキラというか、ギラギラかもしれない。私は慌てて「どうぞ」と言った。
「美味しい……。この風味豊かな抹茶と粒餡が奏でる甘いハーモニー。白玉のもっちりとした食感。とろっと溶け始めたバニラアイスに絡みつく小豆の素朴で優しい味。最高だ!!」
正直、引くわ……。喜んでくれるのはいいのだ。ただ、その喜び方がすごく気持ち悪い。死霊でも、涎って出るのね。私がパフェだったら、鳥肌が立って、一生のトラウマになりそう。隣で、涼しげな顔をしている密さんの気が知れない。
やがて、パフェの息吹を吸い込む死霊さんの身体は、白くなったり、青くなったりしながら淡く発光し始めた。
「楓。ここまでくれば、妾の出番だ」
密さんは、ふと立ち上がると、お召し物の袖をふわっと靡(なび)かせて、ゆっくりと舞を始めた。袖の中から取り出した鈴を両の手に持っている。規則的にシャンシャンと鳴り響く鈴の音は、不思議な音色だ。まるでこの場を清めていくかのような。神聖な空気をまとって、密さんはどんどん神々しくなっていく。
すると、突如、死霊さんの背後にブラックホールのようなものが出現した。
「……お帰りの扉が、開きました?」
ふと見ると、死霊さんは少し背中を丸め、パフェに吸い込まれるようにして、姿が消えてなくなってしまった。え?! 死霊さんがパフェに食べられた?! せっかく扉らしきものが出てきたのに。どうしよう?!
「楓、案ずるな。死霊は、パフェに取り憑いただけだ。さ、帰るべき世界へ返してやろう」
密さんは、落ち着き払ってパフェの器を手に取った。死霊に取り憑かれたパフェとか、触っちゃだめですよー!! っていうか、食べ物に取り憑くって、どうなの?!
でも、私の心の叫びは届かなかった。密さんは、その器をポーンとブラックホールの中に投げ込んでしまったのだ。
「さらばじゃ」
上品な笑みを浮かべて、小さく手を振る密さん。そんな軽いノリでいいの?!
「楓、いつものお見送りはせんで良いのか?」
「しまった……!!!」
「ともかく、帰ってくれて良かったではないか。おや? そんなに残念な顔をして、どうしたのだ?」
「いえ。もし、お帰りになれなかったら、旅館の傍ら、彼が主役のお化け屋敷でも始めようかと思っていたんですが……叶わぬ夢になっちゃいました」
「ここの従業員では、お化け屋敷の客にはならんぞ。肝が座りすぎている」
ごもっとも。
余談だが、その後、私は、抹茶白玉小豆パフェを見る度に、あの気持ち悪い死霊さんの笑顔を思い出してしまい、喉を通らなくなってしまった。以前は、私も好物だったのに……ぐすんっ。
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