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止まり木旅館の若女将
閑話 粋の話
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楓さんによると、次のお客様は所謂(いわゆる)お殿様らしい。城持ち大名とかいうお偉いさんだそうだ。
そこで、楓さんの三味線と巴さんの鼓に合わせて密さんが踊り、礼くんはお付きの者として侍ることが決まった。僕はいつも通り裏方。今回のお客様は、忍さんが元いた世界からの方なので、彼にアドバイスをもらいながら部屋の準備を進めている。
忍さんによると、お殿様と言えば、脇息(きょうそく)と呼ばれる肘置きのような物が必需品らしい。座布団の隣にそれを置かないと、様にならないし、お殿さまのお殿様たる威厳を保つためには、これがないと始まらないそうだ。お殿様って、肘がだるくなりやすい職業なのかな? 書庫にあった資料にイラストがあったけれど、特別な物には見えなかったけどな。
ともかく、現在、止まり木旅館の納屋には、脇息とやらは置いていない。となると、翔さんの出番だ。僕は、翔さんに仕入れを依頼するために、従業員控え室を目指した。
そして、到着したのだけれど、中から何やら声がする。
「翔、ダメ……そんなところ、私……」
「ダメとか言いながら、いいんだろ?」
「んん、あんっ……もっと、してほしい」
「気持ち良いなら、良いってちゃんと言えばいいのに」
「だって、こんなこと……こんな所でしちゃ……」
たぶんこれは、翔さんと巴さんの声だ。二人とも止まり木旅館では古株で、けっこう仲が良い。二人とも楓さんのことが大好きだから、楓さんの話題でよく盛り上がっているようだ。
でも、今日の二人の様子は少し違う。こんな閉鎖的な場所で長年過ごしてきたのだし、ついに一線を越えたんだろうか?! 巴さんの声がすごく色っぽくて、思わずこちらの身体が反応しそうになる。
本来ならば、回れ右するべきだったのかもしない。でも、どうしても中の様子を見たくなってしまった。僕は、そっと音を立てないように入り口の襖を少し開けて、隙間から中を覗こうとした。
「粋、覗きはいけねぇな」
なんと翔さんは、僕がここに居ることに気づいていたらしい。僕は、まだ何も見てないのに、「ごめんなさい」を連呼して立ち去ろうとした。けれどその時、ガラッと音を立てて襖が全開に。
「コソコソしてどうした? 普通に入ってくればいいだろ?」
「あれ? シてたんじゃないんですか?」
僕の声に、一瞬、妙な間が開いた。翔さんも巴さんも、キョトンとしている。
「粋、もしかしてお前……」
「えっと、違うんです! そういうわけじゃないんです! 許してくださーい!!」
「何か、勘違いしてないか? ま、そこに座れよ」
翔さんが無駄にいい笑顔で近づいてくる。僕は仕方なく、部屋の入り口付近に小さくなって正座した。しかし、これが運の尽き。
「痛いです! 痛いです! 無理です!!」
「勝手にいかがわしい想像した罰な?」
翔さんは、巴さんの肩揉みをしていたのだ。そして現在、僕は、身体のあちこちのツボを指圧されて、虐げられている。
「粋、このこと、楓に言うなよ?」
「なぜですか?」
翔さんは、片方の口角をあげて、にやりとした。
「俺、泊まりの女性客にも指圧サービスをすることがあるんだけど、楓も粋と同じ勘違いしてるみたいなんだ」
「そうなんですか? でも、わざわざ隠す必要もないような……」
「だめだめ! 勘違いさせたまま、ヤキモキさせておく方が絶対面白いじゃん! バラす時は、絶妙なタイミングを選ぶつもりだから、勝手なことするなよ?」
黒い……。この人も、めっちゃ黒い……!! 楓さんにとって翔さんは特別だっていうこと、翔さんも気づいているみたいだ。なのに、女心を弄んでおいて、大丈夫なのだろうか? 楓さんも、翔さんに負けず劣らずの黒さがあるから、返り討ちにあわなければいいけれど。
「もし言ったら……あのこと、バラすから」
え、どれのことだろう……。茶碗を割ったことだろうか? それとも、この前夕飯に出てきたピーマンの煮浸しを、こっそり潤さんに代わりに食べてもらったことだろうか? 心当たりが多すぎて困る。
「私からも、お願いね!」
巴さんからも、念押しされてしまった。
「だって、私が勤務時間中、翔にマッサージされていたと知ったら、きっとあの子、拗ねるでしょ?」
確かにそうかもしれない。楓さんが大荒れになると、夕飯が珍味ばかりになりそうだし、うっかり口が滑らないように気をつけないと。
「はい、絶対言いません!」
「それでいい」
その時、足にある『三里のツボ』にギュッと強い力が加えられた。
「痛っ!!! まだ何もしてないのに、酷いじゃないですか!!」
「ちょっとツボに入れただけなのに、いちいち騒ぐな。むしろ、喜べ。後で効くから」
近くでは、巴さんがほほ笑みを浮かべて佇んでいる。見てないで、助けてくださいよー。
「でも、なんで楓さんにはしてあげないんですか?」
翔さんは、指圧の手を止めて、急に無表情になった。
「……たぶん、意識しすぎて無理。抑えが効かない気がする」
抑えって、理性のことですか? 翔さんは、興が冷めたのか、やっと僕を解放してくれた。
僕も、やられっぱなしというのは面白くない。
よし、良いことを思いついた! 翔さんに嫌がらせのような親切をしてみよう。こういうことは、研さんに相談した方がいいかな。密さんも、わりと力になってくれそうな気がする。
なんだか、わくわくしてきた。
こうして僕は、肝心の脇息のことをすっかり忘れて、風呂場を清掃している研さんの元へと向かったのだった。
そこで、楓さんの三味線と巴さんの鼓に合わせて密さんが踊り、礼くんはお付きの者として侍ることが決まった。僕はいつも通り裏方。今回のお客様は、忍さんが元いた世界からの方なので、彼にアドバイスをもらいながら部屋の準備を進めている。
忍さんによると、お殿様と言えば、脇息(きょうそく)と呼ばれる肘置きのような物が必需品らしい。座布団の隣にそれを置かないと、様にならないし、お殿さまのお殿様たる威厳を保つためには、これがないと始まらないそうだ。お殿様って、肘がだるくなりやすい職業なのかな? 書庫にあった資料にイラストがあったけれど、特別な物には見えなかったけどな。
ともかく、現在、止まり木旅館の納屋には、脇息とやらは置いていない。となると、翔さんの出番だ。僕は、翔さんに仕入れを依頼するために、従業員控え室を目指した。
そして、到着したのだけれど、中から何やら声がする。
「翔、ダメ……そんなところ、私……」
「ダメとか言いながら、いいんだろ?」
「んん、あんっ……もっと、してほしい」
「気持ち良いなら、良いってちゃんと言えばいいのに」
「だって、こんなこと……こんな所でしちゃ……」
たぶんこれは、翔さんと巴さんの声だ。二人とも止まり木旅館では古株で、けっこう仲が良い。二人とも楓さんのことが大好きだから、楓さんの話題でよく盛り上がっているようだ。
でも、今日の二人の様子は少し違う。こんな閉鎖的な場所で長年過ごしてきたのだし、ついに一線を越えたんだろうか?! 巴さんの声がすごく色っぽくて、思わずこちらの身体が反応しそうになる。
本来ならば、回れ右するべきだったのかもしない。でも、どうしても中の様子を見たくなってしまった。僕は、そっと音を立てないように入り口の襖を少し開けて、隙間から中を覗こうとした。
「粋、覗きはいけねぇな」
なんと翔さんは、僕がここに居ることに気づいていたらしい。僕は、まだ何も見てないのに、「ごめんなさい」を連呼して立ち去ろうとした。けれどその時、ガラッと音を立てて襖が全開に。
「コソコソしてどうした? 普通に入ってくればいいだろ?」
「あれ? シてたんじゃないんですか?」
僕の声に、一瞬、妙な間が開いた。翔さんも巴さんも、キョトンとしている。
「粋、もしかしてお前……」
「えっと、違うんです! そういうわけじゃないんです! 許してくださーい!!」
「何か、勘違いしてないか? ま、そこに座れよ」
翔さんが無駄にいい笑顔で近づいてくる。僕は仕方なく、部屋の入り口付近に小さくなって正座した。しかし、これが運の尽き。
「痛いです! 痛いです! 無理です!!」
「勝手にいかがわしい想像した罰な?」
翔さんは、巴さんの肩揉みをしていたのだ。そして現在、僕は、身体のあちこちのツボを指圧されて、虐げられている。
「粋、このこと、楓に言うなよ?」
「なぜですか?」
翔さんは、片方の口角をあげて、にやりとした。
「俺、泊まりの女性客にも指圧サービスをすることがあるんだけど、楓も粋と同じ勘違いしてるみたいなんだ」
「そうなんですか? でも、わざわざ隠す必要もないような……」
「だめだめ! 勘違いさせたまま、ヤキモキさせておく方が絶対面白いじゃん! バラす時は、絶妙なタイミングを選ぶつもりだから、勝手なことするなよ?」
黒い……。この人も、めっちゃ黒い……!! 楓さんにとって翔さんは特別だっていうこと、翔さんも気づいているみたいだ。なのに、女心を弄んでおいて、大丈夫なのだろうか? 楓さんも、翔さんに負けず劣らずの黒さがあるから、返り討ちにあわなければいいけれど。
「もし言ったら……あのこと、バラすから」
え、どれのことだろう……。茶碗を割ったことだろうか? それとも、この前夕飯に出てきたピーマンの煮浸しを、こっそり潤さんに代わりに食べてもらったことだろうか? 心当たりが多すぎて困る。
「私からも、お願いね!」
巴さんからも、念押しされてしまった。
「だって、私が勤務時間中、翔にマッサージされていたと知ったら、きっとあの子、拗ねるでしょ?」
確かにそうかもしれない。楓さんが大荒れになると、夕飯が珍味ばかりになりそうだし、うっかり口が滑らないように気をつけないと。
「はい、絶対言いません!」
「それでいい」
その時、足にある『三里のツボ』にギュッと強い力が加えられた。
「痛っ!!! まだ何もしてないのに、酷いじゃないですか!!」
「ちょっとツボに入れただけなのに、いちいち騒ぐな。むしろ、喜べ。後で効くから」
近くでは、巴さんがほほ笑みを浮かべて佇んでいる。見てないで、助けてくださいよー。
「でも、なんで楓さんにはしてあげないんですか?」
翔さんは、指圧の手を止めて、急に無表情になった。
「……たぶん、意識しすぎて無理。抑えが効かない気がする」
抑えって、理性のことですか? 翔さんは、興が冷めたのか、やっと僕を解放してくれた。
僕も、やられっぱなしというのは面白くない。
よし、良いことを思いついた! 翔さんに嫌がらせのような親切をしてみよう。こういうことは、研さんに相談した方がいいかな。密さんも、わりと力になってくれそうな気がする。
なんだか、わくわくしてきた。
こうして僕は、肝心の脇息のことをすっかり忘れて、風呂場を清掃している研さんの元へと向かったのだった。
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