止まり木旅館の若女将

山下真響

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止まり木旅館の若女将

帰る気ないから

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 次のお客様はどんな方だろうか。私が台帳を開いてみると、次のようなことが書かれてあった。

 名前: コルド・クーラーファン
 性別: 男性
 年齢: 二十八歳  
 世界: アツイゾ
 国: ホッテスト
 職業: 道場師範代
 称号: 氷の魔剣士
 アレルギー: 幼女の涎(よだれ)、エリマキスパイダーの糸、小説家の卵
 勤務先: ムシブロ道場
 危険レベル: 三

 珍しく、危険レベルが三もあるお客様だ。たいてい、0なのだけれど、魔剣士というだけあって、攻撃的なところもあるのかもしれない。でも、うちの従業員は皆タフだから、特別に何かを備える必要はないだろう。
 アレルギーについては、ちょっとよく分からないものも混じっているが、問題なし。
 このようにして、他の項目にばかり気を取られてしまっていた私は、とても重要なことが書かれているのを見過ごしてしまったのである。




 旅館の門の扉が開いたので、私はお出迎えをしようとした。

「ようこそおいでくださ……きゃ!! お客様?!」
「楓さん! 久しぶり!! わぁ、全然大きくなってないねー!」

 扉から敷地内に入ってきたお客様は、私に向かって突進してきたあげく、私を軽々と持ち上げてしまったのだ。この年になって高い高いをされるなんて、恥ずかしすぎる。
……ん? 今、この方、楓さんって呼んだ?! しかも、大きくなってないって何のこと!?

「楓さん、どうしたの? もしかして、忘れちゃった?」

 私は、まだ彼に名乗ってはいない。でも彼は、私の名前を知っている。つまり、以前止まり木旅館に来たことがある? いや、ありえない。

「あの……お客様?」
「そんな余所余所しい呼び方やめてよ。前みたいに、コルドでいいから!」

 あ……!!!コルド様?! え、もしかして、あの小汚い格好なのに寝顔が天使で失礼なガキンチョ?!!
 でも目の前の男性は、完全に大人で、剥き出しの太い腕には勲章のような古傷がいくつも入っている。私よりもずっと背が高くて、紺地に金縁の立派なロングコートを肩から引っ掛けていた。
 え、これがあのコルド様だなんて、嘘でしょ?! でも、目元になんとなく面影が……。
 つまり、こういうことか。コルド様は、止まり木旅館初のリピーター!

「楓さん。僕、あの時の約束を果たしにきたんだ。今夜、一緒に温泉入ろ?」

 覚えてる。残念ながら、覚えてる。確かにそんなことを話していたわね。でも、コルド様は、こんなに大きくなっちゃったんだよ? それに、すごく……男前なんだもん。さすがに拙いよ……!

「おおおおおお客様、そそそそんなの困ります!」

 ちょっと動揺してしまって、少し声が裏がえってしまった。思わず、顔が熱くなってしまう私。それを見たコルド様は、ふっと鼻で笑った。

「何、本気にしてんの?! 楓さんみたいにぺしゃんこ体型な子、誘うわけないじゃん。全然目の保養にならないし!」
「……コールードーさーまーー?!」

 んぐぐぐぐ。言いおったな、突然進化のガキンチョ悪魔め!! 急に成長して戻ってきたからって、全然カッコ良くなったとか思ってないんだからね!
 爪が食い込む程に固く握りしめた拳を振り上げなかった私を誉めてほしい。
 私は、先程から背後で殺気を放っている翔の方を振りかえった。

「翔、それはダメ」

 翔は、肩に担いでいた忍くんの園芸用大型スコップを地面にグサッと突き刺した。そして私と目が合うと、ちょっと気まずそうにしてそっぽを向いた。
 気持ちは分かる。でもね、たとえ失礼なことを言われたとしても、お客様はお客様なのだ。私は、気を取りなおして、コルド様に向き直った。

「それでは、お部屋にご案内いたします」
「いいよ、いいよ、そんな気を遣わなくて」

 コルド様は、へらっと笑った。

「僕、帰る気ないから。今日から、ここの従業員になるね。よろしく!」

……はい?! 今、なんとおっしゃいました?!





 従業員控え室は、熱気でむせ返っていた。

「俺は、認めない!」
「楓さんを守るんだ!」
「良いんじゃないの? こき使うかもしれないけど」
「まずは人体実験に付き合ってもらおうかな」
「同士になれたら、嬉しいです」
「ノートの在庫、確認しなきゃな」

 基本的に本人の意向が第一であるし、多数決の結果も優勢であったため、コルドくんの従業員入りは決定してしまった。私としては、せめて一ヶ月はお客様としてお過ごしいただいて、お帰りの扉の出現を待ちたかったのだけれど。一度従業員になると、辞めることができないというブラックっぷりも説明したけれど、コルドくんの決意は固かった。

「分かりました。コルド様は今日からうちの従業員です。では、早速手続きを進めたいのだけれど、名前はどうしましょうか」

 止まり木旅館では、お客様が従業員になる場合、改名していただくことになっている。元の世界にいた自分と決別してもらう意味もあるが、一番の理由は呼びやすさ。カタカナの長ったらしい名前は、和風旅館に似合わないというのもある。
 参考に、他の従業員の名前の由来を紹介しておこう。
 忍くんは、元隠密だから、その職業に縁のある名前だ。確か元々は、雲隠段蔵(くもがくれだんぞう)正成(まさなり)だったと記憶している。正直、どこからどこまでか姓で、どこからが名前なのか分からない。
 研さんは、元々の名前を書くとしたら、『KEN(けん)』となる。顔立ちの系統は、私と同じ民族に通ずるところもあるのだけれど、もう少し目鼻立ちがはっきりしている。お客様としていらっしゃった時は、性別や国が不明で、職業は秘密と表示されていた。そんな方なのだけれど、何かを試したり、研究したりするのがお好きとのことだったので、『研』の文字をあてることになったのだ。
 粋くんは、こちらに来る前は、建築・インテリア関連の設計の仕事をしていた。止まり木旅館では、前職の経験を活かして、こざっぱりとして垢抜けたセンスある美的感覚『粋(いき)』を極めたいとのことで、名前に使われることになった。元の名前? ……忘れたわ。ボケたとか言わないで。覚えにくい名前っていうのもあるものなのよ。
 潤くんの名前は、決めるのにけっこう苦労したのを覚えている。結局、元の名前『JOHN(ジョン)』の響きに近い名前ということで、これに決定した。お片付け係なので、旅館を美しく潤してほしいという私の願いも込められている。潤くんが来てからというもの、私の手荒れは随分マシになった。後は、あのメモ癖さえなければ完璧なのにね。
 翔は、私が六歳の頃にはもうここに居たし、巴ちゃんも古株で、名前については私の母さんがつけたのだと思う。だから、由来については知らない。
 さて、コルドくんの名前は、どんなものが良いだろうか。

「やっぱり、コールドだから『冷』かな?」
「ちょっと単純すぎません?」

 私の提案に、粋くんは首を傾げる。すると、いつの間にか難しい漢字をたくさん習得している潤くんから、こんな案が出た。

「じゃぁ、同じ『れい』でも『礼』は?」
「あ、それいいわね! 今後は、私にもお客様にも失礼のないように、礼を尽くすことができる人になってもらわないとね!」
「楓さん、そこまで根にもってたんだ……」

 ふくれっ面になるコルドくん。拗ねていると、なんだか幼い雰囲気になる。

「当たり前じゃない! か弱き乙女の心をへし折っておいて何を言ってるの?!」

 途端に、部屋の中が静まり返った。……へ? 私、変なこと言ったかしら? その時、部屋の引き戸がゆっくりと開いた。

「あ、飛流芽さん! 申し訳ございませんが、こちらは従業員の控え室ですので……」

 飛流芽さんは、上品にほほ笑む。

「妾も従業員になろうかの」

 近頃、飛流芽さんは、止まり木旅館の仕事をさりげなく手伝ってくれている。細やかな気遣いができる上、彼女の優雅な舞はお客様に好評だ。しかし、懸念事項もある。れいの悪い癖だ。

「飛流芽さん。長期滞在になってしまい、なかなかお帰りになれないのは、誠に申し訳ございません。ですが、もうしばらくお客様としてお過ごしいただくことで、私共にチャンスをいただけませんでしょうか?」
「楓。妾がなかなか帰らぬのは、そなたのせいではない。そういう運命なのじゃ」

 翔は、何かを見極めるかのように、飛流芽さんの方をじっと見つめた。

「神のお導きということですか?」

 飛流芽さんは、ちょっと表情を引き締めて、こくりと頷いた。

「……決意は固いようですね。分かりました。飛流芽さんのお名前も決めましょう」

 飛流芽さんのお名前は元々漢字だけれど、三文字もある。やはり、他の従業員に合わせて、一文字の名前に変えることとなった。
 まず、皇女というご身分から、『姫』が有力候補に上がった。しかし、これでは一人だけ身分が上のような感じがして思わしくない。そこで、『ひめ』から連想して『秘密』の『密(みつ)』に決定した。雨乞いの舞など、どこか不思議な能力を内在している彼女は、スピリチュアルで、何か大きな秘密を秘めているかのように感じられるからだ。

「では、密さんは、今後もお客様にご披露する舞などを担当してくださいね。礼くんは……ひとまず修行から始めましょうね」
「ええ?! すぐに仕事くれないの?」
「まずは、他の従業員から止まり木旅館のことを教わること。いいわね?!」

 うふふ。精々苦労してちょうだい。だって、あなたが望んだことなのよ? たぶん、うちの従業員は皆スパルタだと思うけれど、がんばって! 私の気が晴れたら、若女将付きとして、細々したお仕事をやってもらうからね。
 私は、新たな従業員の名前を木札に書いて、部屋の壁の長押に引っ掛けた。

「母さん、ごめん」

 またお帰りいただくことができなかった。あまりこの札の数は増やしたくないし、増やすべきじゃない。でも、止まり木旅館に居たいと言われることは、嬉しくもある。
 どこか複雑な気持ちで、私は並んだ木札を見上げていた

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