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第二章 砂漠編
第1話 上空
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杜夜世と照英は、流星が引く馬車の中にいた。強い日差しが照りつける砂漠の空の上。なだらかな砂の丘陵が地平線の彼方まで続き、そこへ落ちる羽馬馬車の影だけが生き物のように動いて、ここがまだ生者の世界であることを示していた。
馬車の中はたくさんの荷物が積み込まれていた。杜夜世は相変わらずのキャリーバッグと、流星のための物が入った手提げ袋が1つだけ。残りは全て照英の物だ。
照英は砂羅万府長の息子として、扇葉府長との面会を控えている。その際の土産や、取引する物があるため、男性にしては大荷物になってしまった。重量もかなり重くなったため、流星もあまり高く飛ぶことができていない。
「女にしては身軽すぎないか?」
窓の外を見つめる杜夜世に照英は話しかけた。照英は、どちらかと言えば無言でいることが苦手なのだ。
「この鞄、実は魔道具なのです。ですから、見た目よりは多くの物が入るのですよ」
照英は目を見開いた。既に、杜夜世が只の庶民ではないことは分かっている。母親の病を治し、父親である府長とも渡り合い、魔法銃も器用に扱う娘だ。
しかし、魔道具の鞄など聞いたこともなかった。おそらく、杜夜世が実家で独自に創りあげた代物であろうことは聞かずとも知れる。これをさらに改良し流通させれば、商いに変革をもたらすだろう。さらに、状態保存の魔法をかけることができれば、人々の暮らしにも変化をもたらすはずだ。
照英は、なんとかして魔道具に改良する方法を聞き出せないかと、杜夜世を見つめた。
杜夜世は、ほほ笑む。
杜夜世は出発前、屋都姫の侍女に寄ってたかって身支度させられ、今はどこかのご令嬢のような出(い)で立ちだ。
銀の髪は風の強い砂漠に出ても乱れぬように、しっかりと編み込まれて、毛先はさらりと背中へ流れている。出発直前まで羽織っていた白マントは脱いでしまっているため、身体にぴったりと沿った旅装からは白い太ももが覗いていた。照英はそれに誘惑されまいと、できるだけ目を逸らす。
「そう言えば……トヨは、毎晩アイツと一緒だったんだろ? 馬屋には1度も行かなかったそうじゃないか」
「彼は毎日、旅芸人の一座へ通っておりましたので、人間の姿を保てるように毎晩一緒に居る必要があったのです。ご安心ください。府長や奥様にも許可をいただいておりましたので、部屋は2人で使っていました」
それを聞いた照英は、ご安心どころかご乱心寸前になり、今度は完全に杜夜世から顔を背けた。すると、空を駆ける流星の青みがかった鬣(たてがみ)が目に入る。
「見た目以上の阿婆擦れ女だな。特別に、オレもお前の相手をしてやろうか?」
羽馬馬車は静かに駆ける。
風を切る大きな音が鳴り響き、積荷が小刻みに揺れる規則的なリズムは、少しずつ照英を追い詰めていった。
杜夜世からの返事は、無い。
ついに照英は、杜夜世の方へ顔を戻した。
杜夜世は、変わらずほほ笑んでいる。2人の目が合った瞬間、ようやく杜夜世は口を開いた。
「……阿婆擦れにも、阿婆擦れなりの生き方や信念がございます。ですから……お断りいたします。それに照英様。冗談でもそのようなことをおっしゃってはなりません。照英様と釣り合う方が、軍学校で見つかるといいですね。貴族出身の方がほとんどだそうですから、望みは大きいのではないでしょうか」
杜夜世が他人から『阿婆擦れ』と言われるのは、これが初めてではない。阿婆擦れだから根治苦症になったのだと吹聴する者もいるのだ。いまだに根治苦症の原因は解明されておらず、根も葉もない噂だけが巷を跋扈している。
照英からは魔法銃の訓練を受け、杜夜世は彼をすっかり信頼し始めていた。母親の根治苦症を治したいという志にも、胸を打たれるものがあり、味方だ、協力者だと話す照英の言葉は真実だと思っていた。
しかし、照英は杜夜世を阿婆擦れ女だと言った。結局自分は利用されるだけの駒にすぎない。それを思い知らされたことが、『阿婆擦れ』という言葉以上に、杜夜世にはとても悲しかった。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
照英はすぐに声を上げたが、積荷が揺れる音にかき消され、杜夜世には届かない。紫の瞳は、そっと暗くなっていく。
なぜ阿婆擦れなどと言ってしまったのだろう。そもそも、なぜ流星とのことを尋ねてしまったのだろう。どうして目の前の娘は泣きもせず、怒りもせず、ただ静かにほほ笑んでいるのだろう。どうすれば、杜夜世は……
照英の頭の中では様々なことがくるくると回り、焦りが膨らみ、気がついた時には手を杜夜世の方へ伸ばしていた。
その時。
甲高い悲痛な嘶(いなな)きが空を切り裂く。
杜夜世と照英は、一斉に音がした馬車の前方を向いた。どこからか赤い飛沫が勢いよく吹き上がるのが見えて、その刹那、馬車の窓は赤く染まった。同時に、2人の身体が宙に浮き、視界が回転していく。
羽馬馬車は、急落下を始めていた。
馬車の中はたくさんの荷物が積み込まれていた。杜夜世は相変わらずのキャリーバッグと、流星のための物が入った手提げ袋が1つだけ。残りは全て照英の物だ。
照英は砂羅万府長の息子として、扇葉府長との面会を控えている。その際の土産や、取引する物があるため、男性にしては大荷物になってしまった。重量もかなり重くなったため、流星もあまり高く飛ぶことができていない。
「女にしては身軽すぎないか?」
窓の外を見つめる杜夜世に照英は話しかけた。照英は、どちらかと言えば無言でいることが苦手なのだ。
「この鞄、実は魔道具なのです。ですから、見た目よりは多くの物が入るのですよ」
照英は目を見開いた。既に、杜夜世が只の庶民ではないことは分かっている。母親の病を治し、父親である府長とも渡り合い、魔法銃も器用に扱う娘だ。
しかし、魔道具の鞄など聞いたこともなかった。おそらく、杜夜世が実家で独自に創りあげた代物であろうことは聞かずとも知れる。これをさらに改良し流通させれば、商いに変革をもたらすだろう。さらに、状態保存の魔法をかけることができれば、人々の暮らしにも変化をもたらすはずだ。
照英は、なんとかして魔道具に改良する方法を聞き出せないかと、杜夜世を見つめた。
杜夜世は、ほほ笑む。
杜夜世は出発前、屋都姫の侍女に寄ってたかって身支度させられ、今はどこかのご令嬢のような出(い)で立ちだ。
銀の髪は風の強い砂漠に出ても乱れぬように、しっかりと編み込まれて、毛先はさらりと背中へ流れている。出発直前まで羽織っていた白マントは脱いでしまっているため、身体にぴったりと沿った旅装からは白い太ももが覗いていた。照英はそれに誘惑されまいと、できるだけ目を逸らす。
「そう言えば……トヨは、毎晩アイツと一緒だったんだろ? 馬屋には1度も行かなかったそうじゃないか」
「彼は毎日、旅芸人の一座へ通っておりましたので、人間の姿を保てるように毎晩一緒に居る必要があったのです。ご安心ください。府長や奥様にも許可をいただいておりましたので、部屋は2人で使っていました」
それを聞いた照英は、ご安心どころかご乱心寸前になり、今度は完全に杜夜世から顔を背けた。すると、空を駆ける流星の青みがかった鬣(たてがみ)が目に入る。
「見た目以上の阿婆擦れ女だな。特別に、オレもお前の相手をしてやろうか?」
羽馬馬車は静かに駆ける。
風を切る大きな音が鳴り響き、積荷が小刻みに揺れる規則的なリズムは、少しずつ照英を追い詰めていった。
杜夜世からの返事は、無い。
ついに照英は、杜夜世の方へ顔を戻した。
杜夜世は、変わらずほほ笑んでいる。2人の目が合った瞬間、ようやく杜夜世は口を開いた。
「……阿婆擦れにも、阿婆擦れなりの生き方や信念がございます。ですから……お断りいたします。それに照英様。冗談でもそのようなことをおっしゃってはなりません。照英様と釣り合う方が、軍学校で見つかるといいですね。貴族出身の方がほとんどだそうですから、望みは大きいのではないでしょうか」
杜夜世が他人から『阿婆擦れ』と言われるのは、これが初めてではない。阿婆擦れだから根治苦症になったのだと吹聴する者もいるのだ。いまだに根治苦症の原因は解明されておらず、根も葉もない噂だけが巷を跋扈している。
照英からは魔法銃の訓練を受け、杜夜世は彼をすっかり信頼し始めていた。母親の根治苦症を治したいという志にも、胸を打たれるものがあり、味方だ、協力者だと話す照英の言葉は真実だと思っていた。
しかし、照英は杜夜世を阿婆擦れ女だと言った。結局自分は利用されるだけの駒にすぎない。それを思い知らされたことが、『阿婆擦れ』という言葉以上に、杜夜世にはとても悲しかった。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
照英はすぐに声を上げたが、積荷が揺れる音にかき消され、杜夜世には届かない。紫の瞳は、そっと暗くなっていく。
なぜ阿婆擦れなどと言ってしまったのだろう。そもそも、なぜ流星とのことを尋ねてしまったのだろう。どうして目の前の娘は泣きもせず、怒りもせず、ただ静かにほほ笑んでいるのだろう。どうすれば、杜夜世は……
照英の頭の中では様々なことがくるくると回り、焦りが膨らみ、気がついた時には手を杜夜世の方へ伸ばしていた。
その時。
甲高い悲痛な嘶(いなな)きが空を切り裂く。
杜夜世と照英は、一斉に音がした馬車の前方を向いた。どこからか赤い飛沫が勢いよく吹き上がるのが見えて、その刹那、馬車の窓は赤く染まった。同時に、2人の身体が宙に浮き、視界が回転していく。
羽馬馬車は、急落下を始めていた。
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