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第一章 砂羅万編
第15話 回復
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返事をしたのは、府長の妻だった。豊かな赤い髪を背中に流して、居住まいを正すと、杜夜世の方へ向き直った。
「はい。私にそれをいただけませんでしょうか」
府長は、大きく目を見開いた。
「確かに、優秀な薬師のようだが、本当に信用できるかどうかは、完全に調べがついていない。お前、それでもいいのか?」
「私は、私の立場を心得ております。今日の宴だって、本来ならば妻である私が取り仕切る必要があったはず。なのに……」
「そんなことどうだっていい。これは賭けだ。お前の寿命が延びるか縮むかは、正直私も分からない。分からないから、こんなに困っているのだ」
府長の妻は、イライラして髪をがしがしと掻きなぐっている夫の腕を握った。
「何もしないよりはマシよ。それに、考えてもみて。これまで砂羅万のどんな医者でも導き出せなかった光をこの娘さんは見出してくれたのよ」
府長の妻の顔は、すでに決意が固まっていることを物語っていた。府長は、それを見て、なんとか声を絞り出す。
「それを……妻に処方してくれ」
これが海烈や流星であれば、すぐにその対価を要求していただろう。しかし、杜夜世は府長の妻の憔悴しきった様子を目の当たりにし、できるだけ早く助けたいという気持ちで一杯だった。
杜夜世は、大きく頷くと、傍に控えていた屋敷の執事に飲み水と皿、フォークを準備するように依頼。それらが届くと、回復団子を皿の上で一口大に切り分け、府長の妻の枕元へ水と共に運んだ。
「どうぞ。これを作った私の母は、私よりも優秀な薬師なのです。私も全力を尽くしますから……」
薬師ができることは限られている。薬屋を訪れる者を問診し、その人それぞれに見合った内容と分量の薬を作り、処方する。外的な損傷であればすぐに治すことができないし、不治の病とされている病気にも症状を軽くする薬ぐらいしか用意できない。そんな中で、少しでも『元気に近い状態』を目指すためには、薬師だけでなく、患者本人の心も大切だ。治りたい、治したいという気持ち。杜夜世は、その患者の前向きな気持ちと薬師の本気がぴったりと組み合わさった時、薬は本来以上の効果を発揮すると考えていた。
「私、あなたを信じるわ。治したいの。力を貸してちょうだい」
杜夜世は、府長の妻から受けた言葉に満足し、にっこりとほほ笑んでみせた。
府長の妻は、すぐに団子を口にした。少々パサパサしているので、水を飲みながらだったが、大きな団子はあっという間になくなってしまった。
「爽やかなお味だったわ」
その後、時間が時間だったこともあり、薬師の仕事もお開きになった。が、杜夜世は翌日、府長の妻の様子を確認し、それに応じて薬を処方する必要があるという名目で、そのまま屋敷に留まることになった。実際は、翌日体調が悪化すれば捕らえる必要があると府長が考えていたからなのだが、杜夜世はそれに気づかない。そんなことよりも、外で待たせている流星や、海烈のことを心配していた。しかし、屋敷の使いの者が、杜夜世が屋敷に留まることを伝えに、彼らの元へ走ったことで納得することにした。そして、用意された屋敷の隅の粗末な部屋で、入り口に立つ衛兵の気配に怯えつつ、一夜を過ごした。
* * *
翌日、府長の妻の体調は、杜夜世の想像を超えたものだった。
府長の妻の顔はすっかり血色を取り戻し、頬はほんのりと紅色に染まっていた。年相応の瑞々しさが蘇り、瞳はキラキラと潤んで、その美しさがオーラとなって表れている。まだ関節が重く痛むものの、寝間着から外着に着替えることもできていた。
「本当にありがとうございます」
思わず、「気にすることはない」と返事しようとした府長は、妻が杜夜世に向かって頭を下げているのを見て驚いていた。
「いえ。私は薬師ですから」
はにかんで応じる杜夜世。そこへ、府長の大きな咳払いが部屋に響いた。
「その回復団子をたくさん作って、売ってくれないか? うちの兵達にも食わしてやりたい」
府長は、杜夜世の薬にここまでの効果があるとは思っていなかった。これほどならば、病人向けだけではなく、兵力増強にも役立つのではないかと踏んだのだ。
「もちろん、材料さえ揃えば私でも製薬することはできますが……蛍光梅の咲き始めの蕾を大量に準備することは可能でしょうか?」
その時、府長とその妻は一瞬にして動きを止めた。
蛍光梅とは、杜夜世の住む国からはるか遠く、海を隔てた大陸にある標高数千メートルにも及ぶ大山脈にしか生息していない植物の1つ。幻とまでは言わないが、限りなく幻に近い存在だ。しかも、聖なる光を宿すと言われている咲き始めの蕾だなんて、さらに希少となる。砂羅万ではどれぐらいの値がつくだろうか。ほんの少しの分量であっても、屋敷が立つとまでは言わないが、相当高価なものであることは明らかだ。
そんな材料を使った団子を、ほいほいと出してきた杜夜世。
府長は、ごくりと唾を飲み込んだ。妻をここまで元気にしてくれた。それについて、後悔はない。しかしだ。さすがに、これをタダでというわけにはいかない。あまりにも大きな買い物をしてしまったことを今になって気づき、冷や汗を流すのだった。
「いや……、いい。忘れてくれ。……次だ。次の薬を準備してくれないか」
「かしこまりました。巨象痛節の薬は、希少な材料を使いませんので、手持ちのもので製薬できそうです。このお薬は鮮度が命。すぐに作りますので、このままお待ちください」
希少な材料を使わないと知った府長は、傍目から見ても明らかに胸を撫で下ろしていた。一方、杜夜世はキャリーバッグを開くと、製薬に必要な道具を次々と取り出し始める。その中には、甘楽と共に改良した製薬用の魔道具も含まれていた。
「はい。私にそれをいただけませんでしょうか」
府長は、大きく目を見開いた。
「確かに、優秀な薬師のようだが、本当に信用できるかどうかは、完全に調べがついていない。お前、それでもいいのか?」
「私は、私の立場を心得ております。今日の宴だって、本来ならば妻である私が取り仕切る必要があったはず。なのに……」
「そんなことどうだっていい。これは賭けだ。お前の寿命が延びるか縮むかは、正直私も分からない。分からないから、こんなに困っているのだ」
府長の妻は、イライラして髪をがしがしと掻きなぐっている夫の腕を握った。
「何もしないよりはマシよ。それに、考えてもみて。これまで砂羅万のどんな医者でも導き出せなかった光をこの娘さんは見出してくれたのよ」
府長の妻の顔は、すでに決意が固まっていることを物語っていた。府長は、それを見て、なんとか声を絞り出す。
「それを……妻に処方してくれ」
これが海烈や流星であれば、すぐにその対価を要求していただろう。しかし、杜夜世は府長の妻の憔悴しきった様子を目の当たりにし、できるだけ早く助けたいという気持ちで一杯だった。
杜夜世は、大きく頷くと、傍に控えていた屋敷の執事に飲み水と皿、フォークを準備するように依頼。それらが届くと、回復団子を皿の上で一口大に切り分け、府長の妻の枕元へ水と共に運んだ。
「どうぞ。これを作った私の母は、私よりも優秀な薬師なのです。私も全力を尽くしますから……」
薬師ができることは限られている。薬屋を訪れる者を問診し、その人それぞれに見合った内容と分量の薬を作り、処方する。外的な損傷であればすぐに治すことができないし、不治の病とされている病気にも症状を軽くする薬ぐらいしか用意できない。そんな中で、少しでも『元気に近い状態』を目指すためには、薬師だけでなく、患者本人の心も大切だ。治りたい、治したいという気持ち。杜夜世は、その患者の前向きな気持ちと薬師の本気がぴったりと組み合わさった時、薬は本来以上の効果を発揮すると考えていた。
「私、あなたを信じるわ。治したいの。力を貸してちょうだい」
杜夜世は、府長の妻から受けた言葉に満足し、にっこりとほほ笑んでみせた。
府長の妻は、すぐに団子を口にした。少々パサパサしているので、水を飲みながらだったが、大きな団子はあっという間になくなってしまった。
「爽やかなお味だったわ」
その後、時間が時間だったこともあり、薬師の仕事もお開きになった。が、杜夜世は翌日、府長の妻の様子を確認し、それに応じて薬を処方する必要があるという名目で、そのまま屋敷に留まることになった。実際は、翌日体調が悪化すれば捕らえる必要があると府長が考えていたからなのだが、杜夜世はそれに気づかない。そんなことよりも、外で待たせている流星や、海烈のことを心配していた。しかし、屋敷の使いの者が、杜夜世が屋敷に留まることを伝えに、彼らの元へ走ったことで納得することにした。そして、用意された屋敷の隅の粗末な部屋で、入り口に立つ衛兵の気配に怯えつつ、一夜を過ごした。
* * *
翌日、府長の妻の体調は、杜夜世の想像を超えたものだった。
府長の妻の顔はすっかり血色を取り戻し、頬はほんのりと紅色に染まっていた。年相応の瑞々しさが蘇り、瞳はキラキラと潤んで、その美しさがオーラとなって表れている。まだ関節が重く痛むものの、寝間着から外着に着替えることもできていた。
「本当にありがとうございます」
思わず、「気にすることはない」と返事しようとした府長は、妻が杜夜世に向かって頭を下げているのを見て驚いていた。
「いえ。私は薬師ですから」
はにかんで応じる杜夜世。そこへ、府長の大きな咳払いが部屋に響いた。
「その回復団子をたくさん作って、売ってくれないか? うちの兵達にも食わしてやりたい」
府長は、杜夜世の薬にここまでの効果があるとは思っていなかった。これほどならば、病人向けだけではなく、兵力増強にも役立つのではないかと踏んだのだ。
「もちろん、材料さえ揃えば私でも製薬することはできますが……蛍光梅の咲き始めの蕾を大量に準備することは可能でしょうか?」
その時、府長とその妻は一瞬にして動きを止めた。
蛍光梅とは、杜夜世の住む国からはるか遠く、海を隔てた大陸にある標高数千メートルにも及ぶ大山脈にしか生息していない植物の1つ。幻とまでは言わないが、限りなく幻に近い存在だ。しかも、聖なる光を宿すと言われている咲き始めの蕾だなんて、さらに希少となる。砂羅万ではどれぐらいの値がつくだろうか。ほんの少しの分量であっても、屋敷が立つとまでは言わないが、相当高価なものであることは明らかだ。
そんな材料を使った団子を、ほいほいと出してきた杜夜世。
府長は、ごくりと唾を飲み込んだ。妻をここまで元気にしてくれた。それについて、後悔はない。しかしだ。さすがに、これをタダでというわけにはいかない。あまりにも大きな買い物をしてしまったことを今になって気づき、冷や汗を流すのだった。
「いや……、いい。忘れてくれ。……次だ。次の薬を準備してくれないか」
「かしこまりました。巨象痛節の薬は、希少な材料を使いませんので、手持ちのもので製薬できそうです。このお薬は鮮度が命。すぐに作りますので、このままお待ちください」
希少な材料を使わないと知った府長は、傍目から見ても明らかに胸を撫で下ろしていた。一方、杜夜世はキャリーバッグを開くと、製薬に必要な道具を次々と取り出し始める。その中には、甘楽と共に改良した製薬用の魔道具も含まれていた。
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