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第一章 砂羅万編

第12話 叱責

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 杜夜世(とよせ)がふと気づいた時には、通りを往来する人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていった後だった。いつもならば、まだ人通りが激しく、行商人や露店からの呼び声も響く府庁前はすっかり静まり返っている。杜夜世は一人、ため息をついた。

「やっぱりね」

 杜夜世は、先日野宿した街はずれを目指した。しばらく歩くと、賑やかな通りに出た。すでに、府庁前で金髪の根治苦症女が現れたことが広まっているのだろうか。すれ違う人々はあからさまに杜夜世を避けていく。さすがに噂が広まるのが早すぎないかと思いつつ、ふと足元を見ると、杜夜世のスカートは見るも無残にボロボロで、足からは少し血が出ていた。おそらく、舞台の裏手にある庭の垣根を通り抜けた際、藪の草に引っかかったためだろう。

 杜夜世は、ひたすら歩いた。街はずれに近づくにつれ、夜の闇は深くなり、杜夜世を黒く、黒く染めていく。

 これで良かったのだろうか。杜夜世は自問自答を繰り返す。根治苦症の発作が出たのは杜夜世ではない。それは分かっているのだけれど、自分のこれまでの姿と重ね合わさずにはいられなかった。根治苦症患者は、どこへ行っても疎まれ、避けられる。理解されても、結局は理解のない人々が現れて、全てを失ってしまう。

 杜夜世はずっと、できるだけ目立つことがないように、実家の薬屋の奥で薬を作って細々と暮らしてきた。人前に出れば出るほど、根治苦症であることが明るみに出て、要らぬ混乱を引き起こし、自分の首を、引いては家族の首を絞めてしまうことが分かっていたから。幸運にも、実家が商売をしていた上、薬を切らせる心配のない環境であったことから、コンスタントに薬が飲めるので、実家の店に迷惑をかけることは一切なかった。けれども、いつ自分が根治苦症であることがバレて、実家の店が閉店に追い込まれるのではないかと気が気ではなかったことも事実。

 一方、塁湖(るいこ)は、自ら人目に晒される舞台へと出ていった。杜夜世にはできないことだ。それが危なっかしくも、羨ましくも思った。だからこそ、彼女の負担は少しでも自分が背負いたかったし、あの一座が今後も彼女が帰るべき場所でいられるようにしたかったのだ。

 ようやく杜夜世が目的地に着いた時、空から何かが降りてきた。流星だ。

「杜夜世」

 流星の背には、杜夜世のキャリーバッグと、もう一つ小さな鞄が巻き付けられてあった。

「重かったでしょ」

 杜夜世は、流星の背中から荷物を外した。荷物を外すと、くくりつけていた紐の跡が流星の背中に残っているのが確認できた。少し擦り切れて、赤くなっている。

「痛かったでしょ」

 流星は、自分の羽を広げて、杜夜世の肩を抱いた。

「杜夜世の傷に比べたら、痛くないよ」

 その後、杜夜世は、流星から一座の公演がどうなったのかを聞いた。会場の人々は、一座に根治苦症患者がいないと思い込んでくれたこと。藤華(とうか)の活躍。大盛況に終わり、海烈が府長から話しかけられていたこと。それを杜夜世は、無言で聞いていた。

「ねぇ、杜夜世。もしかして戻らないつもり?」

 杜夜世は、流星のたてがみをそっと撫でた。

「戻れないよ、もう」

 しばらくすると、本格的に根治苦症患者の金髪娘の噂が広がるだろう。砂羅万(さらまん)では、金髪の女が珍しいわけではないが、その他の特徴を捉えた姿絵が広まるとも限らない。これ以上海烈の一座に留まっては、迷惑をかけてしまう。


「ちょっといろいろうまく行きすぎていたの。こんなに簡単にいくなんて、おかしいと思ってたのよ」

「杜夜世、無理に笑わなくてもいいよ」


 その時、街の方から馬の蹄の音が近づいてきた。規則的なその音は次第に大きくなり、やがて白い土煙と共に、その姿が見えた。土馬だ。土馬はただの馬だが、空を飛ぶ羽馬、水面を駆ける水馬と区別するために、このような呼ばれ方をしている。
 土馬には、あの男が跨っていた。

「お前達が行きそうなところなんて、ここぐらいだからな」

 海烈は、小さく笑うと土馬から飛び降りた。

「なぜ、逃げた?」

 杜夜世は、反射的に自分の身体を抱きしめた。背の高い海烈に見下ろされて、完全に居すくんでしまったのだ。海烈の目には、先ほどの笑みなど残っていない。冷徹な一座の座長、そのものだった。

 もちろん、心当たりはある。砂羅万に到着してすぐに寝食を与えられ、一座の中では仮設店舗まで出させてもらい、稼がせてもらった。なのに、何の挨拶も理由も言わずに突然消えてしまったのだ。


「も、申し訳……ございませんでした。それから! ……大変お世話になりました。私は、もう……」

「馬鹿野郎!!!!」

 
 海烈の怒鳴り声は、人気のない静かな夜の森に響き渡った。あまりの大音量と怒気に驚いたのか、木々の枝で休んでいた小鳥までもがバタバタと飛び立って、どこかへ消えてしまった。

「全く分かってない」

 海烈は、流星の羽を払いのけて、杜夜世の肩を掴み、無理やり目を合わせようとする。杜夜世は、なんとか顔を反らせて、歯を食いしばった。引っぱたかれると思ったのだ。しかし海烈は、予想外の行動に出た。

「お前さんの居場所はこんな所じゃないだろう? しみったれた顔をするな。お前は、うちの一座の一員なんだから。ちゃんと……帰って来い。みんな、お前さん達を待ってるんだ」

 海烈は、杜夜世の頭をぽんぽんと撫でた。杜夜世の目からは、つうっと涙が一筋流れる。


「でも……」

「トヨ。お前は強いな。強すぎて、弱い」

「私、全然強くありません。せめて、人並みには強くなりたいけれど、本当に弱いから……」

「自己評価が低すぎるんじゃないか? 今回だって、お前さんのお蔭だ。こんなに盛り上がったのは、初めてだったかもしれない。感謝する」


 杜夜世が泣き止むと、海烈は、上着のポケットから懐中時計を出して時間を確認した。

「実は……急いでてな。リュウ、お前、トヨを背中に乗せて、ちょっと飛んでくれ。トヨが府長に呼ばれてるんだ」
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