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エピローグ・もう一人のひとりむすめ
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あたし、東京(あずま みやこ)は三人の人を待っている。
バー『sandali lang(サンダリーラン)』は、先日十三周年を迎えた。ママがいなくなってから、それだけの月日が流れたということだ。
あたしはあれから無事に高校を卒業。でも、卒業式のその席にワラビーの姿は無かった。そして九鬼も。
ワラビーを最後に見たのは、ワラビーのお母さんに会いに行ってからしばらく経った頃。週末の金曜日、いつも通りに学校の授業を終えて、あたしは夜からの店の準備のために慌てて帰ろうとしていた。そんなあたしを珍しくワラビーが引き留める。紡いだ言葉はただ一つ「ありがとう」だけで、あたしはそれまでの一連のことについてかと思い、気にしないようにだけ告げて家路を急いだ。ワラビーが自分から話しかけてくるなんて初めてのことだったかもしれないのに、なぜあたしはその異変に気づかなったのだろうか。
翌週月曜日は欠席で、ワラビーはその週ずっと不在だった。家に行ってインターホンを押しても誰も出ないし、先生に尋ねて回答が返ってきたのはさらに翌週の木曜日。ワラビーは退学したと聞かされた。
ワラビーのことがあまり騒ぎにならなかったのには理由がある。九鬼の奴が失踪したからだ。あいつは存在感はないものの、さすがに無届け欠席が長くなると周囲のクラスメイトも気になるというもの。彼の身内もあまり彼を探す様子は無くて、クラスの女子の一部が体育祭の時の写真を持ち出して人探しポスターを作り始めたが、ほとんど貼られず終いだった。
そして何も解決していないのに、学校内ではあたし以外の誰からもワラビーと九鬼の存在は忘れ去られてしまったのだ。
でもあたしは、九鬼はともかくワラビーはいつか帰ってくる気がしていた。いつ帰ってきてもいいように、今度はあたしがワラビーのために授業のノートを二冊分とった。字も丁寧に書いたし、ワラビーは賢いから問題ないかもしれないけれど、新しく学んだことを説明できるようにあたしもかなり勉強した。あたしの成績は急にあがったので、先生からは褒められて進学しないことを惜しまれて、パパからは痛ましいものをみるかのような目で見られて頭を撫でられた。
あたしにはママがいない。パパの商売も手堅いものではない。このご時世高校ぐらい出ておかないと『何か』あった時に困るのだとパパに言いくるめられたこともあり、こんなあたしでさえ何とか卒業した。だから、おそらくどこの高校も出ずにどこかを彷徨っているだろうワラビーのことが気にかかって仕方ない。
あたしは高校卒業と同時に店に出る時間を少しだけ短くした。他の店でも働くことにしたのだ。パパの知り合いの洋食店だ。高校に行かなくなった分、働ける時間は以前よりも長くなったからちょうど良い。
あたしには夢がある。
あたしはお金を貯めて調理師免許を取りに専門学校へ行きたい。そしていつか、自分の店を持ちたい。『sandali lang』はパパがママを待つために始めた店だ。あたしはワラビーと、もう一人を待つために新しい店をもつ。そう考えることで、あたしは自分の責任を果たしたいと思っていた。逃げているだけかもしれない。でも、それしかできない。あたしには。
イガちゃんは、今でも頻繁に店へ顔を見せてくれる。挨拶はいつもこうだ。
「見つかった?」
「まだ」
あたしとイガちゃんは、ゼロさんのことも探している。ゼロさんがいなくなったのは、ワラビーがいなくなったのとほぼ同時期らしい。ワラビーもそうだけれど、ゼロさんも行方をくらます前にちゃんと職場へ退職届を出していたらしい。変なところだけ律儀な二人は、とてもよく似ているし、あたしはそれこそお似合いの二人だと思っていた。
「ゼロは見つける。千代子ちゃんも。当人達はもう誰からも見つけられたくないかもしれないけれど、それでも見つける。ちゃんと誰かがあいつ達を必要としてるってことを分からさなければならないと思うから」
そう言ってイガちゃんはキツイ酒を少しだけ飲むのだ。
「実は、ロンドン支社に行くことになってさ」
「イガちゃん、英語しゃべれるんだ?」
「来る?」
「あたしが?」
「そう、ロンドンに」
「待つのはどこでも待てる」
「考えさせて」
ワラビーとゼロさんが帰ってくるのはあたしとイガちゃんの居るところだ。その場所に住所はあって無いようなものだけれど、やっぱり四人が出会ったこの街は特別。待つことについては達人級になりかけているあたしに言わせてみれば、やはりここを離れるのは得策ではなかった。
あたしはあの冬、何度もワラビーの家に行った。白い壁に茶色の屋根。何の変哲もない量産型の住宅。今では不動産屋の看板がかかっているので、もう他所の人のものになっているのだろう。二人が帰ってこれる家が無くなったのは、自分でもびっくりするほどショックだった。だからこそ、今度はあたしが二人の帰るところになりたいし、なれると思う。
その冬は、この比較的温暖な街に珍しく雪がたくさん降った。あたしは、きっとワラビーからの便りなのだと思って過ごした。
あぁ、あれから三年。なぜワラビーはあたしに会いに来ないのか。あたしにとっても、ワラビーにとっても、お互いが特別な存在だった。あたし達は全然性格が違うし、もちろん境遇も。でもどこかで繋がっているし、その温かさはかけがえの無いものだった。なのにどうしてと憤る日もある。ひたすらに悲しい日もある。情報収集のために店の客に話したこともあるけれど、中には死んだんじゃないかと言う人もいる。そんな時はこう言ってやるんだ。
「もし死んでたら、あたしが死んだ後にあの世で再会するんだよ。そんで、一緒に高校行き直すんだ。酒も飲むよ」
「あの世でも勉強するのかい?ミヤコちゃんは変わったね」
「そういう時はいい女になったって言って褒めなきゃだめだよ」
次に会う時には、もっと頼りがいのあるあたしでありたい。そう思いながら今日も店に立っている。パパは商店街の会合に行っていて、店を仕切っているのはあたし一人だ。
一人の客に注文の酒を届けてカウンターに戻ろうとしたその時。ふと背中がざわついて、水の匂いがした。あたしはゆっくりと店の入口を振り返る。
ドアベルが鳴った。
<完>
バー『sandali lang(サンダリーラン)』は、先日十三周年を迎えた。ママがいなくなってから、それだけの月日が流れたということだ。
あたしはあれから無事に高校を卒業。でも、卒業式のその席にワラビーの姿は無かった。そして九鬼も。
ワラビーを最後に見たのは、ワラビーのお母さんに会いに行ってからしばらく経った頃。週末の金曜日、いつも通りに学校の授業を終えて、あたしは夜からの店の準備のために慌てて帰ろうとしていた。そんなあたしを珍しくワラビーが引き留める。紡いだ言葉はただ一つ「ありがとう」だけで、あたしはそれまでの一連のことについてかと思い、気にしないようにだけ告げて家路を急いだ。ワラビーが自分から話しかけてくるなんて初めてのことだったかもしれないのに、なぜあたしはその異変に気づかなったのだろうか。
翌週月曜日は欠席で、ワラビーはその週ずっと不在だった。家に行ってインターホンを押しても誰も出ないし、先生に尋ねて回答が返ってきたのはさらに翌週の木曜日。ワラビーは退学したと聞かされた。
ワラビーのことがあまり騒ぎにならなかったのには理由がある。九鬼の奴が失踪したからだ。あいつは存在感はないものの、さすがに無届け欠席が長くなると周囲のクラスメイトも気になるというもの。彼の身内もあまり彼を探す様子は無くて、クラスの女子の一部が体育祭の時の写真を持ち出して人探しポスターを作り始めたが、ほとんど貼られず終いだった。
そして何も解決していないのに、学校内ではあたし以外の誰からもワラビーと九鬼の存在は忘れ去られてしまったのだ。
でもあたしは、九鬼はともかくワラビーはいつか帰ってくる気がしていた。いつ帰ってきてもいいように、今度はあたしがワラビーのために授業のノートを二冊分とった。字も丁寧に書いたし、ワラビーは賢いから問題ないかもしれないけれど、新しく学んだことを説明できるようにあたしもかなり勉強した。あたしの成績は急にあがったので、先生からは褒められて進学しないことを惜しまれて、パパからは痛ましいものをみるかのような目で見られて頭を撫でられた。
あたしにはママがいない。パパの商売も手堅いものではない。このご時世高校ぐらい出ておかないと『何か』あった時に困るのだとパパに言いくるめられたこともあり、こんなあたしでさえ何とか卒業した。だから、おそらくどこの高校も出ずにどこかを彷徨っているだろうワラビーのことが気にかかって仕方ない。
あたしは高校卒業と同時に店に出る時間を少しだけ短くした。他の店でも働くことにしたのだ。パパの知り合いの洋食店だ。高校に行かなくなった分、働ける時間は以前よりも長くなったからちょうど良い。
あたしには夢がある。
あたしはお金を貯めて調理師免許を取りに専門学校へ行きたい。そしていつか、自分の店を持ちたい。『sandali lang』はパパがママを待つために始めた店だ。あたしはワラビーと、もう一人を待つために新しい店をもつ。そう考えることで、あたしは自分の責任を果たしたいと思っていた。逃げているだけかもしれない。でも、それしかできない。あたしには。
イガちゃんは、今でも頻繁に店へ顔を見せてくれる。挨拶はいつもこうだ。
「見つかった?」
「まだ」
あたしとイガちゃんは、ゼロさんのことも探している。ゼロさんがいなくなったのは、ワラビーがいなくなったのとほぼ同時期らしい。ワラビーもそうだけれど、ゼロさんも行方をくらます前にちゃんと職場へ退職届を出していたらしい。変なところだけ律儀な二人は、とてもよく似ているし、あたしはそれこそお似合いの二人だと思っていた。
「ゼロは見つける。千代子ちゃんも。当人達はもう誰からも見つけられたくないかもしれないけれど、それでも見つける。ちゃんと誰かがあいつ達を必要としてるってことを分からさなければならないと思うから」
そう言ってイガちゃんはキツイ酒を少しだけ飲むのだ。
「実は、ロンドン支社に行くことになってさ」
「イガちゃん、英語しゃべれるんだ?」
「来る?」
「あたしが?」
「そう、ロンドンに」
「待つのはどこでも待てる」
「考えさせて」
ワラビーとゼロさんが帰ってくるのはあたしとイガちゃんの居るところだ。その場所に住所はあって無いようなものだけれど、やっぱり四人が出会ったこの街は特別。待つことについては達人級になりかけているあたしに言わせてみれば、やはりここを離れるのは得策ではなかった。
あたしはあの冬、何度もワラビーの家に行った。白い壁に茶色の屋根。何の変哲もない量産型の住宅。今では不動産屋の看板がかかっているので、もう他所の人のものになっているのだろう。二人が帰ってこれる家が無くなったのは、自分でもびっくりするほどショックだった。だからこそ、今度はあたしが二人の帰るところになりたいし、なれると思う。
その冬は、この比較的温暖な街に珍しく雪がたくさん降った。あたしは、きっとワラビーからの便りなのだと思って過ごした。
あぁ、あれから三年。なぜワラビーはあたしに会いに来ないのか。あたしにとっても、ワラビーにとっても、お互いが特別な存在だった。あたし達は全然性格が違うし、もちろん境遇も。でもどこかで繋がっているし、その温かさはかけがえの無いものだった。なのにどうしてと憤る日もある。ひたすらに悲しい日もある。情報収集のために店の客に話したこともあるけれど、中には死んだんじゃないかと言う人もいる。そんな時はこう言ってやるんだ。
「もし死んでたら、あたしが死んだ後にあの世で再会するんだよ。そんで、一緒に高校行き直すんだ。酒も飲むよ」
「あの世でも勉強するのかい?ミヤコちゃんは変わったね」
「そういう時はいい女になったって言って褒めなきゃだめだよ」
次に会う時には、もっと頼りがいのあるあたしでありたい。そう思いながら今日も店に立っている。パパは商店街の会合に行っていて、店を仕切っているのはあたし一人だ。
一人の客に注文の酒を届けてカウンターに戻ろうとしたその時。ふと背中がざわついて、水の匂いがした。あたしはゆっくりと店の入口を振り返る。
ドアベルが鳴った。
<完>
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