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26・暗号の答え
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存在の理由が変わると目に映る世界が変わります。帰り道の高速道路からは夜景が見えました。田舎故に光の数は少なくはあるものの、一つ一つの光が「ここにいるよ」と言って瞬くのです。
家の近くまで来ると、夫が運転する車はコンビニの駐車場に入ります。どうしたのだろうと思っていると、止まっていた一台の高級そうな黒いセダンから五十嵐さんが出てきました。ただそれだけなのに、身のこなしが大変スマートに見えました。
「五十嵐、引き取ってくれ」
夫はそう言うと、後部座席のドアを開けます。そこには、黒いノースリーブのドレスワンピースに着替えてはいるものの、髪はしっとりと海水に濡れたままの東さんが、ぐっすりと眠り込んで座っています。頭がおかしな方向に傾いているので、小さな寝息が聞こえていなければ生命を引き取った人のように見えたかもしれません。五十嵐さんは、躊躇いなく東さんを両腕で抱き上げると、彼の車の後部座席に移しました。夫はその隣に彼女のバッグを持っていきます。
私は、密会に向かう酔いつぶれた女優のようだと思いました。そんな妖しく色っぽい雰囲気があったので、私はどことなく居心地が悪くなり、助手席に座ったまま寝たフリをします。
夫はすぐに戻ってきて、運転席に座りました。きちんとシートベルトをつけると、エンジンもつけずにフロントガラスを見つめていました。沈黙が流れます。
「千代子、これからのことを話そう。まずは」
「家に帰りましょう」
私は彼の言葉を引き継ぎました。暗がりの中で、ほのかに夫の口元に笑みが浮かびました。おもしろい事なんて何一つありませんが。
家は、今朝出かけてから何も変わったところは無いはずです。それなのに、すっかり他所の家か、一ヶ月ぐらい空けていたかのような疎外感があります。見渡せば、どこもかも飾り気がありませんから、そのせいかもしれません。玄関の棚も、リビングのテーブルの上も、廊下の白い壁も、空っぽを背負って、重苦しい空気の重圧に耐えるのに必死な様相でした。余計なものは何も無いというミニマルさは洗練された印象をもたらしがちなはずなのに、ここはあまりにも殺伐としていて、殺生沙汰の事件現場を慌てて片付けて清めた後のようにも見えます。いえ、それがその通り事実かもしれません。
夫と私が住む家は、そういう場所でした。
これからのこと。てっきり夫は、何の議論をすることもなく、これまで通り共に一つの家で生活し続けることを望み、主張するものだの考えていました。でも、夫は父とは違うのですね。ちゃんと「話そう」と言ってくれたのです。
私はもう、強すぎる風や、自然災害的な濁流に流されるままでいることは止めようと思います。私は私にどうしたいのかをじっくりと尋ねて、決めて、選択する時がやってきました。
夫は洗面所からバスタオルを持ってきて、未だに湿り気を帯びている私の頭の上に被せました。大きな手がワサワサと私の頭を揉みほぐすように動きます。あぁ、不思議。夫に触れられるとどうしてこうも、力が抜けてしまうのでしょうか。
力まずに済むことは楽ですが、無防備になるのは不安を伴います。できた隙に、すかさず例の暗号が滑り込むからです。夫は今夜も鎖状に連なった長い長い暗号を私の中へ解き放ち、暗号が完全になるのを待っているようでした。私はまた、ポチリぽちりと彼の暗号にイチを足していきます。
ゼロイチゼロイチイチゼロゼロゼロイチゼロという風に。
この暗号が完成したら、何が起こるのか。暗号は暗号のままに、何かを秘めたり、守ったりするのみで、そのまま役目を終えてしまうのか。はたまた、天才的頭脳の夫が一瞬の内に解き明かして、新たなる不完全な暗号が目の前に立ちはだかるのか。
そういった曖昧でリスキーなものは、甘い匂いを放ちます。そして香(かぐわ)しい。
いつの間にか夫は、タオル越しに私を抱きしめていました。私は視界を遮られてはいるものの、手を伸ばして夫の背中を探しあてます。夫は私の肩を捕まえて、地面へめり込みそうな程に力を込めます。私が痛いと言うと、すぐに離してくれました。代わりに手を握って、指と指を絡ませます。カチリと歯車の歯の噛見合わせを点検するかのように、ゆっくりと。
「東さんは大丈夫かな」
足元から這い上がってきた迫り来る恥ずかしさから逃げようと、私は意識的に今の状況と離れたことを口走ります。夫は家の中にも関わらず、明瞭な声で答えました。
「あいつがいるから、大丈夫」
「どうして」
どうして、家の中なのに。どうして、そんな確信めいたことを言えるの。そう聞きたかったのですが、うまく言葉が続きませんでした。取り払われたタオル。目の前にある夫の顔。この人は、深い目をしています。見るに耐えない惨状や自分以外の人の平和な暮らしや幸せをたくさん見てきた瞳。それでも閉じることはせずに、前を向き、今は私だけをその瞳の中に閉じ込めている。そんな彼は、とても優しい顔をしています。
「千代子がいるから」
どれの何に対する答えなのかははっきりしません。けれど、夫は私を全面的に肯定していました。
だからこそ、敢えて私は私の真実を明らかにし、きちんと自分の口で自分を否定せねばなりません。
「私、不倫したの」
夫の様子は全く変わりませんでした。もしかしたら叩かれるかもしれないとも思っていたのに。夫の瞳に映る私が、少し肩を竦めて俯いただけでした。
「僕にどうしてほしいの?」
「もうしません」
「たぶん、そういう問題じゃないんだよ。だって僕達は、お膳立てされただけの、仮初の夫婦だから」
そこで初めて、夫が寂しそうに微笑みます。
「僕は千代子が好き。だと思う。でも千代子はちがう。そうでしょ?」
私は何とも答えませんでした。先程の夫のように無表情を決め込みます。
「好きで結婚したわけでもない。厳密に言えば、政略的に無理やりというわけでもない。ただ僕と千代子は同じ家に家族として住んでいた。それだけだから。だから、僕には何も言う資格がないんだよ」
夫の手が私からすり抜けていくのを必死で繋ぎ止めました。夫は手から力を抜きましたが、再び握り返すことはしません。
「ミヤコちゃんが大丈夫なのはね」
夫の声が唐突に明るくなりました。
「彼女と僕達は違う。僕達もそれぞれに違う。でも彼女との隔たりの方がすっごく大きいんだ。分かるかな?」
私は頷きます。もう行き着くところまで行き着いてしまった私達と、まだこの領域に片足を入れただけの彼女。しかも彼女には元の場所へと繋がる温かい手も差し伸べられている。一方、私達にはあちらへ戻る手立ても切符も何も無い。となると、同じ場所にいる者同士で手を取り合うしかないのです。
夫の手に再び力が入りました。
「僕らは、そう簡単には癒されないし、すぐに何もかも諦めたくなってしまうんだ。でもね、やっぱり生きていたいんだよ」
「私は死にそうに見えますか?」
「そうだね。僕も?」
私は頷きました。そして両手で夫の頬を包みます。手のひらの真ん中辺りで、夫がここにいることを感じます。
「始まってもいなかったのに、こんなことを言うのは変なのですが、やり直せないものでしょうか」
「できるよ」
夫は私の手を解くと、自分の手を私の頭に添えます。二人の顔が焦点が合わないぐらいに近くまで迫り、鼻と鼻が擦れます。私は目を閉じました。
素肌で、夫と夫の布団にくるまります。夫の指が、私の噛み跡だらけの腕をそっと滑っていきました。暗闇の中、皮膚の感覚だけが冴え渡り、目で見ている時以上に夫のことを感じ取ることができます。
「まずは一週間、時間を置こう」
夫がそう提案したものですから、今後のことについての答えは先延ばしになりました。では、それまで何もしないかというと、そうではありません。私達は初めてきちんと向き合って互いの意識を融合させようとしていました。
ゼロイチイチゼロゼロゼロイチゼロイチゼロイチイチ
暗号はほとんど完成しています。私は高級食材になった気分でした。夫がなすままになり、時折私も彼を味わいます。
ゼロイチゼロイチゼロゼロイチイチゼロイチゼロゼロ
「千代子、ゼロって呼んでよ」
「ゼロ」
「もう一回」
「ゼロ?」
私達は修復しなければならないのに、どうしてこうも傷を深めてしまうのでしょうか。けれど私は相手が夫だから、夫の相手は私だから、そうなることを受け入れられるし、許し合えるのです。私はたぶん、夫でなければ駄目なのでしょう。
イチゼロゼロイチイチゼロゼロゼロイチゼロイチゼロ
夫の身体の熱が高まります。私の上にいる夫から雫が二粒落ちてきました。私の涙と混ざりあって、首筋に向かって流れていきます。
最後のイチがゼロとゼロの間にはまりました。金属のような高いキンと響く音が頭の中でこだまします。夫は、はっとした顔をしてこちらを見つめました。
暗号は完成しました。
途端にそのゼロとイチでできた鎖は空中分解して、金箔と銀箔を撒き散らしながらバラバラになってしまいます。頭上の闇に舞い上がるゼロとイチは近くにあるものと結合しながら、あっという間に新たな形状を築いていきました。私と夫は息を飲んでそれを見つめます。そして最後には、一つのセンテンスが出来上がりました。
「あぁ」
夫の驚愕とも感嘆ともとれる溜息が全てを物語っています。私達が共に過ごした季節二つから三つ分の期間、少しずつ積み上げてようやく目に見える形になりました。あまりにもありふれたその言葉は、こうやって私達二人の前へ姿を現すのにこんなにも時間がかかってしまったことは悲しい事実かもしれません。
けれど、現れたのです。ようやく。
なのに、そのセンテンスはもう消えようとしています。せっかく二人から生まれたにも関わらず。きっと、これが暗号の答えなのでしょう。
私達は嗚咽を漏らしながら抱き合いましたが、再びゼロとイチが交わることはありませんでした。
家の近くまで来ると、夫が運転する車はコンビニの駐車場に入ります。どうしたのだろうと思っていると、止まっていた一台の高級そうな黒いセダンから五十嵐さんが出てきました。ただそれだけなのに、身のこなしが大変スマートに見えました。
「五十嵐、引き取ってくれ」
夫はそう言うと、後部座席のドアを開けます。そこには、黒いノースリーブのドレスワンピースに着替えてはいるものの、髪はしっとりと海水に濡れたままの東さんが、ぐっすりと眠り込んで座っています。頭がおかしな方向に傾いているので、小さな寝息が聞こえていなければ生命を引き取った人のように見えたかもしれません。五十嵐さんは、躊躇いなく東さんを両腕で抱き上げると、彼の車の後部座席に移しました。夫はその隣に彼女のバッグを持っていきます。
私は、密会に向かう酔いつぶれた女優のようだと思いました。そんな妖しく色っぽい雰囲気があったので、私はどことなく居心地が悪くなり、助手席に座ったまま寝たフリをします。
夫はすぐに戻ってきて、運転席に座りました。きちんとシートベルトをつけると、エンジンもつけずにフロントガラスを見つめていました。沈黙が流れます。
「千代子、これからのことを話そう。まずは」
「家に帰りましょう」
私は彼の言葉を引き継ぎました。暗がりの中で、ほのかに夫の口元に笑みが浮かびました。おもしろい事なんて何一つありませんが。
家は、今朝出かけてから何も変わったところは無いはずです。それなのに、すっかり他所の家か、一ヶ月ぐらい空けていたかのような疎外感があります。見渡せば、どこもかも飾り気がありませんから、そのせいかもしれません。玄関の棚も、リビングのテーブルの上も、廊下の白い壁も、空っぽを背負って、重苦しい空気の重圧に耐えるのに必死な様相でした。余計なものは何も無いというミニマルさは洗練された印象をもたらしがちなはずなのに、ここはあまりにも殺伐としていて、殺生沙汰の事件現場を慌てて片付けて清めた後のようにも見えます。いえ、それがその通り事実かもしれません。
夫と私が住む家は、そういう場所でした。
これからのこと。てっきり夫は、何の議論をすることもなく、これまで通り共に一つの家で生活し続けることを望み、主張するものだの考えていました。でも、夫は父とは違うのですね。ちゃんと「話そう」と言ってくれたのです。
私はもう、強すぎる風や、自然災害的な濁流に流されるままでいることは止めようと思います。私は私にどうしたいのかをじっくりと尋ねて、決めて、選択する時がやってきました。
夫は洗面所からバスタオルを持ってきて、未だに湿り気を帯びている私の頭の上に被せました。大きな手がワサワサと私の頭を揉みほぐすように動きます。あぁ、不思議。夫に触れられるとどうしてこうも、力が抜けてしまうのでしょうか。
力まずに済むことは楽ですが、無防備になるのは不安を伴います。できた隙に、すかさず例の暗号が滑り込むからです。夫は今夜も鎖状に連なった長い長い暗号を私の中へ解き放ち、暗号が完全になるのを待っているようでした。私はまた、ポチリぽちりと彼の暗号にイチを足していきます。
ゼロイチゼロイチイチゼロゼロゼロイチゼロという風に。
この暗号が完成したら、何が起こるのか。暗号は暗号のままに、何かを秘めたり、守ったりするのみで、そのまま役目を終えてしまうのか。はたまた、天才的頭脳の夫が一瞬の内に解き明かして、新たなる不完全な暗号が目の前に立ちはだかるのか。
そういった曖昧でリスキーなものは、甘い匂いを放ちます。そして香(かぐわ)しい。
いつの間にか夫は、タオル越しに私を抱きしめていました。私は視界を遮られてはいるものの、手を伸ばして夫の背中を探しあてます。夫は私の肩を捕まえて、地面へめり込みそうな程に力を込めます。私が痛いと言うと、すぐに離してくれました。代わりに手を握って、指と指を絡ませます。カチリと歯車の歯の噛見合わせを点検するかのように、ゆっくりと。
「東さんは大丈夫かな」
足元から這い上がってきた迫り来る恥ずかしさから逃げようと、私は意識的に今の状況と離れたことを口走ります。夫は家の中にも関わらず、明瞭な声で答えました。
「あいつがいるから、大丈夫」
「どうして」
どうして、家の中なのに。どうして、そんな確信めいたことを言えるの。そう聞きたかったのですが、うまく言葉が続きませんでした。取り払われたタオル。目の前にある夫の顔。この人は、深い目をしています。見るに耐えない惨状や自分以外の人の平和な暮らしや幸せをたくさん見てきた瞳。それでも閉じることはせずに、前を向き、今は私だけをその瞳の中に閉じ込めている。そんな彼は、とても優しい顔をしています。
「千代子がいるから」
どれの何に対する答えなのかははっきりしません。けれど、夫は私を全面的に肯定していました。
だからこそ、敢えて私は私の真実を明らかにし、きちんと自分の口で自分を否定せねばなりません。
「私、不倫したの」
夫の様子は全く変わりませんでした。もしかしたら叩かれるかもしれないとも思っていたのに。夫の瞳に映る私が、少し肩を竦めて俯いただけでした。
「僕にどうしてほしいの?」
「もうしません」
「たぶん、そういう問題じゃないんだよ。だって僕達は、お膳立てされただけの、仮初の夫婦だから」
そこで初めて、夫が寂しそうに微笑みます。
「僕は千代子が好き。だと思う。でも千代子はちがう。そうでしょ?」
私は何とも答えませんでした。先程の夫のように無表情を決め込みます。
「好きで結婚したわけでもない。厳密に言えば、政略的に無理やりというわけでもない。ただ僕と千代子は同じ家に家族として住んでいた。それだけだから。だから、僕には何も言う資格がないんだよ」
夫の手が私からすり抜けていくのを必死で繋ぎ止めました。夫は手から力を抜きましたが、再び握り返すことはしません。
「ミヤコちゃんが大丈夫なのはね」
夫の声が唐突に明るくなりました。
「彼女と僕達は違う。僕達もそれぞれに違う。でも彼女との隔たりの方がすっごく大きいんだ。分かるかな?」
私は頷きます。もう行き着くところまで行き着いてしまった私達と、まだこの領域に片足を入れただけの彼女。しかも彼女には元の場所へと繋がる温かい手も差し伸べられている。一方、私達にはあちらへ戻る手立ても切符も何も無い。となると、同じ場所にいる者同士で手を取り合うしかないのです。
夫の手に再び力が入りました。
「僕らは、そう簡単には癒されないし、すぐに何もかも諦めたくなってしまうんだ。でもね、やっぱり生きていたいんだよ」
「私は死にそうに見えますか?」
「そうだね。僕も?」
私は頷きました。そして両手で夫の頬を包みます。手のひらの真ん中辺りで、夫がここにいることを感じます。
「始まってもいなかったのに、こんなことを言うのは変なのですが、やり直せないものでしょうか」
「できるよ」
夫は私の手を解くと、自分の手を私の頭に添えます。二人の顔が焦点が合わないぐらいに近くまで迫り、鼻と鼻が擦れます。私は目を閉じました。
素肌で、夫と夫の布団にくるまります。夫の指が、私の噛み跡だらけの腕をそっと滑っていきました。暗闇の中、皮膚の感覚だけが冴え渡り、目で見ている時以上に夫のことを感じ取ることができます。
「まずは一週間、時間を置こう」
夫がそう提案したものですから、今後のことについての答えは先延ばしになりました。では、それまで何もしないかというと、そうではありません。私達は初めてきちんと向き合って互いの意識を融合させようとしていました。
ゼロイチイチゼロゼロゼロイチゼロイチゼロイチイチ
暗号はほとんど完成しています。私は高級食材になった気分でした。夫がなすままになり、時折私も彼を味わいます。
ゼロイチゼロイチゼロゼロイチイチゼロイチゼロゼロ
「千代子、ゼロって呼んでよ」
「ゼロ」
「もう一回」
「ゼロ?」
私達は修復しなければならないのに、どうしてこうも傷を深めてしまうのでしょうか。けれど私は相手が夫だから、夫の相手は私だから、そうなることを受け入れられるし、許し合えるのです。私はたぶん、夫でなければ駄目なのでしょう。
イチゼロゼロイチイチゼロゼロゼロイチゼロイチゼロ
夫の身体の熱が高まります。私の上にいる夫から雫が二粒落ちてきました。私の涙と混ざりあって、首筋に向かって流れていきます。
最後のイチがゼロとゼロの間にはまりました。金属のような高いキンと響く音が頭の中でこだまします。夫は、はっとした顔をしてこちらを見つめました。
暗号は完成しました。
途端にそのゼロとイチでできた鎖は空中分解して、金箔と銀箔を撒き散らしながらバラバラになってしまいます。頭上の闇に舞い上がるゼロとイチは近くにあるものと結合しながら、あっという間に新たな形状を築いていきました。私と夫は息を飲んでそれを見つめます。そして最後には、一つのセンテンスが出来上がりました。
「あぁ」
夫の驚愕とも感嘆ともとれる溜息が全てを物語っています。私達が共に過ごした季節二つから三つ分の期間、少しずつ積み上げてようやく目に見える形になりました。あまりにもありふれたその言葉は、こうやって私達二人の前へ姿を現すのにこんなにも時間がかかってしまったことは悲しい事実かもしれません。
けれど、現れたのです。ようやく。
なのに、そのセンテンスはもう消えようとしています。せっかく二人から生まれたにも関わらず。きっと、これが暗号の答えなのでしょう。
私達は嗚咽を漏らしながら抱き合いましたが、再びゼロとイチが交わることはありませんでした。
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