緑との邂逅

山下真響

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緑との邂逅

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 人の魂ほど、神聖で情熱的で強力な動力源は無い。高度に発達した科学技術と神の奇跡に導かれたこの不思議な世界で、それは揺るぎない事実であり、ボクの研究の要でもあった。

 この街は、生気が無い。街は灼熱と乾燥の白い砂漠に囲まれている。あらゆる意味で貧しく、朽ち果てて土に還るのを待ちわびる人ばかりが集まり、空気は常に淀んでいた。そのはずれにボクの小さな研究所はひっそりと佇んでいる。

 ボクは、この街が嫌いだ。
 救いも、何もないからだ。





 それは、ある日のこと。

「今日も寄付はありませんでした」

 助手の女は、抑揚の無い無機質な音質で声を紡ぐ。

 ボクの研究、その目標であり夢であるのは、この街を覆う虚無の世界を緑に変えることだ。緑、すなわち植物は人々にとって恵みの象徴である。

 緑を爆発的に増やすメカニズムや方程式は、幼い頃に発見していた。それを形にするための機械は、細々と委託実験で稼いだ金を叩き、十年近くかけて素材を集めて組み立てた。後は、発動のための動力源を充填するだけである。その動力源こそが人の魂なのだが、そうそう金で買えるものではない事は、初めから分かっていたことだった。

 人の魂は古くては役に立たない。身体から取り出して、輝きが消えぬ新鮮なうちに機械へセットする必要がある。期限はおよそ一両日中といったところか。一度セットしてしまえば三年は保存がきく計算だが、これまで入手できた魂は一つきり。さすがのボクも、いくらこの街が魂を半分捨てている者共の巣窟だからって、殺人をしてまで手に入れたいとは思っていない。となると、寄付を募るしかなく、この三年間で応じてくれたのは匿名希望、年齢不詳の女性の魂が一つきりだった。

「今後は、人工魂の研究に注力するか」

 人工物は同じ魂と名がついていても、比べ物にならないぐらい低質で、動力源とするには物足りない。とは言え、電気をはじめとする一般的なエネルギーよりは力がある。ついでに言えば、かなり高価で、自作も困難だ。

 溜息をつくのにも疲れてきたボクに、助手が一通の手紙を差し出してきた。見慣れた便箋。差出人名は書かれていないが、溜息を増産するには十分だった。

「またか」

 ボクは父子家庭で育った。ボクが家を出て研究に没頭し始めたのは、親父が家に女を連れ込んでからだ。

「開封しないのですか?」

 どうせ中身は毎度同じなのだ。開ける意味など無い。そのまま屑籠に投げ入れた。静かな部屋に乾いた音が耳障りに響く。

 親父の女はボクの家を乗っ取っるだけに飽き足らず、こうして定期的に手紙を寄越してくる。毎度親父が危篤だから帰って来いと書かれているのだが、経験上本当に死にかけていた試しは一度も無い。

「今回こそ行ってみては?」
「うるさい」

 いつもならば、そのまま手紙を無視するところだ。だが、どんな風の吹き回しか、ボクの足は実家へと向いてしまう。何となく行ってやってもいい気がしたのだ。でもそれは、それから二日後の朝のこと。助手がどこか安堵して、何か言いたげな顔をしていたのには、ボクは全く気づかなかった。

 約半年ぶりの実家の中は、人が住んでいるとは思えない程閑散としていて、砂と埃がここかしこに積もっている。親父は、寝室にいた。確かに顔色が白く、体も微動だにしないが、死んでいるわけではないだろう。ボクはそっとその体に手をかざす。ほら。まだ魂を持ってるじゃないか。結局また死んだフリ。こんなことして、ボクが驚いたり悲しんだりすると思っているのだろうか。それとも、自分が可哀想だと悦に浸っているのだろうか。馬鹿馬鹿しい。

 ボクはこの研究を進める中で神殿にも通い詰め、人の魂の状態を確認できる術を身に着けていた。魂がそこに存在するか、無いか。魂としての力があるか、無いか、健常か、など。

 魂特有の黄金の輝きを見据える。目を細め、一瞬ほっとしたような、苛つくような思いを唾と一緒に飲み込む。せっかく来てやったのに親父は何も反応しない。腹立たしさが膨れ上がって、そのまま帰ろうとした瞬間、壁際の空間にホログラムが現れた。

「やっと帰ってきたのに、もう行くのかい?」

 あの女だ。

「お前、なんで親父の側にいないんだよ? 他に男でもできたのか?」

 女の見た目は悪くない。十分にありうることだった。

「何も知らないのはアンタだけさ。こっちにも事情ってものがあるんだよ」

 事情なんて、きっと、たかが知れている。女はまだ何か叫んでいたが、ボクは無視して研究所に戻った。途中、日が高いにも関わらず立ち寄った店で酒を飲んだ。久しぶりですっかり弱くなってしまったのか、三杯飲んだだけで足元が覚束なくなった。

 およそ三時間ぶりか。再会した助手の顔色は先程の親父以上に悪かった。

「実は昨日、寄付があり、受け取ってきました」

 意外にも朗報だった。

「なぜそれを早く言わない? 古くなるといけない。すぐにセットしよう」

 助手は、魂専用の特別な布袋を手に持っている。

「ボクがやる」

 しかし助手は、ボクが伸ばした手を払いのけると、そそくさと機械の方へ小走りで向かってしまった。滑らかな手付きでコントールパネルをいじり、魂充填カートリッジを開け放つ。その鈍色の四角い孔に魂の袋を押し当てた。

 刹那、うめき声が聞こえた。
 驚いた。
 それを発したのはボクだった。

 一瞬のことだった。
 その輝きを、ボクは見た。
 孔から僅かに漏れい出た魂を見た。

 魂は、神聖で情熱的で強力で、さらに、その人物の人となり、生き様、祈り、信念が宿るものだ。
 ボクには分かってしまった。神殿で修行を重ねたこの身だからこそ、はっきりと理解した。

 あれは、親父の魂だ。
 その色、光、オーラ、全てがそうだと語っている。

 では、親父、本当にあの時は死にかけていたのか。でも魂の輝きは健全だった。あれで死ぬなんてありえない。

 答えは助手が持っていた。

「以前、所長がくださった人工魂は、魂受取手配の際にお父上へお渡ししていました。ですが、おそらくもう」

 足が震える。酒のせいではない。天変地異が起きて、突然地面が崩れ落ちたかのように、酷い浮遊感が襲う。目の前がチカチカする。ボクが縋ってきた白い憧憬と、ずっと蓋をしてきた黒い真実が激しく点滅を繰り返す。

 あの親父の中にあったのは、人工物だったのだ。確かに、都会では無茶な延命治療で補助として人工魂が使われることがあるとは聞く。でもあれは、ボクが昔試作したもので、おそらく約半日しか人間の機能を維持することができない出来損ないのもの。そして本物は、今しがた助手によって機械に装填されてしまった。しかも、計算では十人分の魂が必要だったはずなのに、なぜか動力メーターは満タンを示している。

「お父上も、その奥様も、本望だと思います」

 嘘、だろ。
 どれをとっても、嘘にしか思えなかった。
 研究所で、明確にあの女の顔を思い返したのも初めてのことだった。

 寄付された一つ目の魂があの女だったならば、さっきのホログラムは誰だ。

「お父上の奥様は、ご自身の脳内をAIに移し替えて、ずっと所長をご実家でお待ちになってたんですよ」

 この落ちぶれた街でも、確かにその程度の技術は簡単に民間人が扱うことはできるようになっている。というのは知っていたが、頭の理解が追いつかない。女が死んでもなお、親父の側にいたなんて。死を前にして、ボクの研究のために自身の魂をわざわざ寄付する手筈を整え、それをやり遂げていたなんて。ありえない。

 機械の作動ボタンが、準備完了を示す緑で点滅している。

「押してください、所長」
「できない。なぜだ。なんで」
「この半年、所長が研究所に篭もっている間、街では病が蔓延していましたから。亡くなったのはあの方だけではありません。お父上も元よりご病気でしたが、生死の境を彷徨い、弱りきり、もう限界でした」
「なんだよ、それ。それなら、そうと早く教えてくれよ!」
「そういう、約束だったのです」

 はっと息を呑んだ。この助手、約束だけは守る。だが、それはボクとの約束だけではない。

 座り込んだ地面に拳をぶつける。血が滲む。もっと痛くなりたくて。赤が足元に染み込む。

「あいつらも、そこまで弱ってたのなら、普通にさっさと魂を差し出してくれたらよかったんだ。なんで、こんな風に」

 助手は、笑った。

「その答えは、所長がよく分かっているはずです」

 人工魂で作動する超精巧な人型アンドロイド。機械だとは思えないほどに人間臭い笑みだった。

「どうして、お父様の魂の力は、これ程までに強いのでしょうか?」

 彼女の視線の先にはカートリッジがある。あの中に、ある。ボクの夢と、意地と、欲しかったものと、失われたものが。

 アイドリング中の機械の重低音と、ボクの鼓動が重なった。共鳴して大きな波となって、それが押さえきれなくなった時。助手がボクの手を握って引き上げた。立ち上がらされたボク。体が作動ボタンに向かって押しやられた。

「天然の魂は、人から取り出すことはできても、戻すことはできません」

 その通りだ。
 
 もう、ボクにできることは一つしかない。

 指に触れる冷たい感触。しっかりとボタンを押し込む。
 機械がいよいよ唸り声をあげ始めた。様々な歯車が、プログラムが、運命が噛み合って、動き出した。合成という名の新たな出会いや発見と、分解という名の永遠の離別と、進化という名の後ろを振り返らない飛躍が一気に進んでいく。

 一分後、研究所上空へボクの全てが吹き出した。

 神秘的な緑の雨が、砂漠の上に降り注ぐ。柔らかな、命の雨。
 雨を受けた砂の大地が生き物みたいにうねり、蠢いて、空に向かって手を伸ばし始める。増殖して広がっていく。

 あっという間だった。
 見渡す限り、緑の大地。

 これで、動物が住み着くかもしれない。たまには雨が降るかもしれない。何より、食料が取れるようになるかもしれない。

 ボクは爆発した研究所から這い出ると、呆然とその緑を見つめていた。

 助手は隣で事切れていた。爆発の余波で、不具合が起こったのかもしれない。けれど、換えのパーツはもう無い。人工魂も、無い。女が生き返ることはない。

 機械も使命を終えた。
 作動するのは一度きりだ。そういう設計なのだ。

 ここが緑になったら、すぐにでも街を出て行くつもりだった。なのに、体が動かない。胸を手で押さえる。

 綺麗なもので覆っても、消したいものは消すことはできない。見たくないものが無くなるでもない。いつまでも、ここに残ったまま。





 この街が、嫌いなはずだった。
 緑は、救いのはずだった。
 良いことを、しているつもりだった。
 何かを生み出しているはずだった。

 でも、本当は――――。

 溢れ出す記憶を他人事のように眺める。

 ボクは、緑に向かって歩き出した。
 吸い込まれるように。

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