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レドメーヌの焦燥
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レドメーヌ・クンツァイトは、とある大きな商家の孫として生まれ育った。
母親は彼を出産してすぐに離婚していたが、裕福な実家に出戻っての生活は何不自由なく、贅沢三昧。かなり甘やかされて育てられていた。そんなレドメーヌに転機が訪れたのは、十歳の時である。
「あなたは、クンツァイト家の息子になるの。いずれは公爵よ」
欲しいものは何でも手に入ったが、唯一得られなかったのは身分。しかし、ここに来てチャンスが舞い込んできた。母親がクンツァイト公爵家へ第二夫人として嫁ぐことになったのだ。
「しかし、あの家には既に男子が」
「そんなもの、居なかったことにしてやればいいわ」
母親は初めから容赦ない態度。レドメーヌはそれに頷くだけ。母親には逆らわない。
公爵家の屋敷へ引っ越す頃には、すっかり義兄を見下して馬鹿にするようになっていた。顔を合わせたことなんて一度もないのにだ。
ジェットと同じ屋敷に暮らすようになってからは、母親の所業がエスカレートしていった。まず屋敷内の使用人が全て入れ替えられて、ジェットの身の回りの世話をする侍女もレドメーヌの母親の手先だ。
しかも、その侍女は仕事をしない。それどころか、ジェットの私物を盗む。食事を出さない。幼いジェットを日頃使われていない狭い部屋に閉じ込める。粗末な服を着せる。
しかし、外へ出かけて他の貴族の目に触れる時だけは、体裁だけ整えて、無視をする。
酷いものだった。
これだけすれば精神的に病んで死ぬのではないか。そうレドメーヌ親子は期待していたが、ジェットはしぶとく生きていた。むしろ、勉強なんてレドメーヌと机を並べて学んでいるのに、ジェットばかりが家庭教に褒められて、ますます忌々しくなるばかりだ。
痺れをきらせたレドメーヌは、母親の実家経由で珍しい毒薬を手に入れた。もちろんジェットの食事に盛るために。完全に殺してしまうと事が大きくなってしまうので、盲目にしてやった。それでも兄ジェットは動じなかったが、屋敷から追い出すことには成功した。
今後ジェットは、本宅に住んでもいないのに、公爵家の嫡男などと名乗れるわけがない。しかも、目が見えないのだから、この先レドメーヌを脅かす存在にはなりえない。レドメーヌはすっかり安心しきっていた。
しかし、学園に入学してから、また目障りなことが増えたのだ。ジェットは一度聞いたことを忘れないし、なぜか体術にも長けていて、魔導品開発のコンテストでは受賞者の常連に。
クンツァイト家の落ちこぼれとは、兄ではなく、本当は弟なのではないか。そんな噂が広まるまで、そう時間はかからなかった。
レドメーヌは、母親の期待を裏切ることは、自分の死と同義だと理解している。彼自身が商売に長けているわけでもなく、頭が良いわけでもなく、周囲の恵まれた環境に生かされているだけなのだから。
そこでレドメーヌは学園内に派閥を作って、できうる限りの嫌がらせをジェットに行った。しかし、とうとうジェットは主席で卒業してしまったのだ。
詰んだレドメーヌは、仕方なく嘘を並べたてることで、父親に頼ることにした。
兄が主席になったのは、レドメーヌのおかげ。ジェットは本当は目が見えないだけでなく、頭も悪いのだが、学園で肩身狭い思いをしないよう、弟である自分がわざと成績を落とす一方、兄に勉強を教え、陰ひなたから支え続けてきた結果なのだと。
「実のところ兄上には、魔導品開発部門に入る程の実力は無いのです。しかし、せっかくの推薦状を無碍にしてしまっては、学園の先生方に失礼ですし、クンツァイト家の名を落とすことにもなりかねません。ですから、私が代わりになりたいと思います」
そうしてレドメーヌは、花形部署への就職をもぎ取り、ジェットは、貴族の次男、三男ばかりが集められた掃き溜め部署、魔導品制作部門へ押し込まれたのである。
しかし、ここでも誤算ばかりだった。魔導品開発部門はエリート集団。ジェットと同等のレベルの高さを誇るため、たちまち知識面でも技術面でもついていけなくなってしまった。
それを誤魔化すために、義兄ジェットの発明を盗もうと部屋に忍び込むものの、何のメモも残されていない。なぜなら、目の見えない彼は、全ての実験の過程やその結果、考察、アイデア、全てを頭の中にしか記録しないからだ。
そんなある日、レドメーヌは資材部へ行った。
個々に研究室が割り当てられていて、人の声はほとんどしない静かな魔導品開発部とは大違い。
警備士がきびきびと出入りの商人をチェックしている。たくさんの手押し車や小型の魔導車が忙しなく行き交い、蔵の職員達も足早に荷物を運んだり、書類を片手に声を張り上げていた。
すごい活気に圧倒されてしまう。
レドメーヌは、先輩に依頼された消耗品を探しに来ていた。本来であれば、部門付きの事務員がこういったことを手配するのだが、たまたま長期休暇に入っていて不在のため、仕方がない。
しかし、慣れない場所。皆、レドメーヌには見向きもしない。誰に声をかけたら良いかも分からないことに、焦りと不満、不安が膨れ上がっていく。
その時だ。
「どうかなさいました?」
気づけば、薄い金色をした髪の女が側に立っていた。見るからに貴族の血が薄そうな見た目。レドメーヌ自身も髪色が薄い青なので、長年のコンプレックスになっているのだが、その上を行く庶民臭さがあった。
「庶民がこんなところで何をしている。僕を誰だと思ってるんだ!?」
内心、かなりホッとしているにも関わらず、口から出たのは暴言で。女は一瞬眉をひそめたが、すぐに淑女らしいカテーシーをキメて、名を名乗った。
「クンツァイト様、お初にお目にかかります。私は部長モリオンの娘にございます。どうぞ、ルチルとお呼びくださいませ」
ちゃんと公爵家の息子として扱われたこと。それだけで溜飲が下がる。レドメーヌは、モリオンにこんな大きな娘がいただろうかと首を傾げながらも、手にしていた書類を乱暴に突き出した。
「これを出せ。今すぐにだ!」
「かしこまりました。魔導潤滑油のメノータイプですね。在庫はたっぷりございます。ボトルの形式はどうなさいますか? 火気厳禁ですから、防火性の高いファイプレブ仕様の物をおすすめしたいのですが、すぐに使い切るのでしたら、ライウェイ仕様の物に必要分だけお入れして研究室までお運びすることもできます」
レドメーヌは呆気にとられてしまった。まさか、こんな専門用語がポンポン飛び出てくるとは。
一見少女のような儚さなのに、口を開けると芯の強いしっかり者の印象になる。しかも、笑顔が素晴らしい。美女を見慣れているはずのレドメーヌが、口をポカンと開けて魅入ってしまう程に。
ルチルは、公爵家の息子が相手だというのに、媚びもしなければ、恐れもしない。かと言って、開発部門の男なのに遣いに出されていることを馬鹿にして見下すこともなく。ただ、しゅくしゅくと真摯に仕事をし、丁寧に対応しているのだ。
世の中に、こんな女がいるなんて、知らなかった。
「ど、どちらでもいい」
「承知いたしました。では、いつもターニャ様が仕入れていらっしゃる半分の量をファイプレブの小型の瓶に分けてお持ちします」
レドメーヌは、そう言えば自部署の事務員の名前がターニャだったことを思い出す。
「お前が持ってくるのか?」
「いえ、城内の専門の配送人が責任を持ってお運びしますので、ご安心ください」
蔵には、そのような役目を持った者もいるらしい。とにかく、この日はレドメーヌにとって初めてのことばかりだ。
ルチルは、用は済んだとばかりに会釈すると、その場を立ち去ってしまった。すぐに、少し離れた場所にいた同僚らしき男たちに声をかけている。
レドメーヌは、もやもやした。
この気持ちが何なのか自覚したのは、その日の夜のことだ。
けれど、相手は王弟モリオンの娘。つまり公爵令嬢にあたる。それこそ、高嶺の花だ。彼女を手に入れることは、兄を踏み台にして次期公爵になることよりも、ずっと難しいことに思えた。
それでも、あの髪色を思い出すと、やはり自分には相応しくないのだと思える。自分には貴族の血が流れていない。結婚するならば、生粋の貴族で、髪色は濃い娘でなくては。
さもないと、母親が許さないだろう。
そう言い聞かせていたのに、レドメーヌはずっと、密かにルチルへの思いを募らせていた。
あの真っ直ぐなルチルのことだ。兄を虐めるのをやめれば、もっと勉強して魔導品開発部門で活躍できるようになれば、こちらを向いてくれるかもしれない。
そんな妄想をする程に。
でも、全て幻想に終わった。
兄、ジェットと共にいるのを見てしまった。
あの時、自分に向けられていた笑顔が作り物であったことにも気づいてしまった。
何もかもが許せない。
ジェットは、レドメーヌが持っていない貴族の血と、公爵家嫡男という肩書、さらには魔導品発明の才能を持っている。早く死ねばいいのに、盲目であることを悲観するでもなく、毎日のうのうと生きている。
ルチルという女も憎い。思わせぶりなことをしたにも関わらず、よりにもよって義兄なんかを選ぶなんて。こんなことになるのなら、初めから声なんてかけてほしくはなかった。
むしゃくしゃして仕方がないレドメーヌは、ひっそりとジェットの屋敷へと向かう。屋敷は元々使用人が少なくて、夜になると警備も手薄。忍び込んだところで、誰も気づかなかった。
本宅と比べると、ずっと手狭な造りだ。すぐにジェットの私室を見つけ出す。慎重にドアを開けて中へ滑りこむと、水の音が聞こえてくる。ちょうど義兄はシャワー中だった。
一声文句を言って、ルチルを奪い返すことを宣言してやろうと思っていたのに。なぜか興が削がれてしまった。けれど、まだ怒りが収まりきったわけではない。
ふと見ると、近くのテーブルの上に、ジェットの眼鏡があった。感知強化の機能をもつ、大変高価な魔導品で、この世に一つしかないジェットの特別製。
それは、ジェットとレドメーヌの才能の差を見せつけているようで。
レドメーヌは、おもむろに眼鏡を手に取った。
「こんなものが……!」
振り上げたその手。勢いよく床に叩きつけられて飛び散る石と破片の音。
なのに、全てが水の音に飲み込まれて、誰にも聞こえない。
レドメーヌは、唇を震わせたまま、踵を返して出ていった。
母親は彼を出産してすぐに離婚していたが、裕福な実家に出戻っての生活は何不自由なく、贅沢三昧。かなり甘やかされて育てられていた。そんなレドメーヌに転機が訪れたのは、十歳の時である。
「あなたは、クンツァイト家の息子になるの。いずれは公爵よ」
欲しいものは何でも手に入ったが、唯一得られなかったのは身分。しかし、ここに来てチャンスが舞い込んできた。母親がクンツァイト公爵家へ第二夫人として嫁ぐことになったのだ。
「しかし、あの家には既に男子が」
「そんなもの、居なかったことにしてやればいいわ」
母親は初めから容赦ない態度。レドメーヌはそれに頷くだけ。母親には逆らわない。
公爵家の屋敷へ引っ越す頃には、すっかり義兄を見下して馬鹿にするようになっていた。顔を合わせたことなんて一度もないのにだ。
ジェットと同じ屋敷に暮らすようになってからは、母親の所業がエスカレートしていった。まず屋敷内の使用人が全て入れ替えられて、ジェットの身の回りの世話をする侍女もレドメーヌの母親の手先だ。
しかも、その侍女は仕事をしない。それどころか、ジェットの私物を盗む。食事を出さない。幼いジェットを日頃使われていない狭い部屋に閉じ込める。粗末な服を着せる。
しかし、外へ出かけて他の貴族の目に触れる時だけは、体裁だけ整えて、無視をする。
酷いものだった。
これだけすれば精神的に病んで死ぬのではないか。そうレドメーヌ親子は期待していたが、ジェットはしぶとく生きていた。むしろ、勉強なんてレドメーヌと机を並べて学んでいるのに、ジェットばかりが家庭教に褒められて、ますます忌々しくなるばかりだ。
痺れをきらせたレドメーヌは、母親の実家経由で珍しい毒薬を手に入れた。もちろんジェットの食事に盛るために。完全に殺してしまうと事が大きくなってしまうので、盲目にしてやった。それでも兄ジェットは動じなかったが、屋敷から追い出すことには成功した。
今後ジェットは、本宅に住んでもいないのに、公爵家の嫡男などと名乗れるわけがない。しかも、目が見えないのだから、この先レドメーヌを脅かす存在にはなりえない。レドメーヌはすっかり安心しきっていた。
しかし、学園に入学してから、また目障りなことが増えたのだ。ジェットは一度聞いたことを忘れないし、なぜか体術にも長けていて、魔導品開発のコンテストでは受賞者の常連に。
クンツァイト家の落ちこぼれとは、兄ではなく、本当は弟なのではないか。そんな噂が広まるまで、そう時間はかからなかった。
レドメーヌは、母親の期待を裏切ることは、自分の死と同義だと理解している。彼自身が商売に長けているわけでもなく、頭が良いわけでもなく、周囲の恵まれた環境に生かされているだけなのだから。
そこでレドメーヌは学園内に派閥を作って、できうる限りの嫌がらせをジェットに行った。しかし、とうとうジェットは主席で卒業してしまったのだ。
詰んだレドメーヌは、仕方なく嘘を並べたてることで、父親に頼ることにした。
兄が主席になったのは、レドメーヌのおかげ。ジェットは本当は目が見えないだけでなく、頭も悪いのだが、学園で肩身狭い思いをしないよう、弟である自分がわざと成績を落とす一方、兄に勉強を教え、陰ひなたから支え続けてきた結果なのだと。
「実のところ兄上には、魔導品開発部門に入る程の実力は無いのです。しかし、せっかくの推薦状を無碍にしてしまっては、学園の先生方に失礼ですし、クンツァイト家の名を落とすことにもなりかねません。ですから、私が代わりになりたいと思います」
そうしてレドメーヌは、花形部署への就職をもぎ取り、ジェットは、貴族の次男、三男ばかりが集められた掃き溜め部署、魔導品制作部門へ押し込まれたのである。
しかし、ここでも誤算ばかりだった。魔導品開発部門はエリート集団。ジェットと同等のレベルの高さを誇るため、たちまち知識面でも技術面でもついていけなくなってしまった。
それを誤魔化すために、義兄ジェットの発明を盗もうと部屋に忍び込むものの、何のメモも残されていない。なぜなら、目の見えない彼は、全ての実験の過程やその結果、考察、アイデア、全てを頭の中にしか記録しないからだ。
そんなある日、レドメーヌは資材部へ行った。
個々に研究室が割り当てられていて、人の声はほとんどしない静かな魔導品開発部とは大違い。
警備士がきびきびと出入りの商人をチェックしている。たくさんの手押し車や小型の魔導車が忙しなく行き交い、蔵の職員達も足早に荷物を運んだり、書類を片手に声を張り上げていた。
すごい活気に圧倒されてしまう。
レドメーヌは、先輩に依頼された消耗品を探しに来ていた。本来であれば、部門付きの事務員がこういったことを手配するのだが、たまたま長期休暇に入っていて不在のため、仕方がない。
しかし、慣れない場所。皆、レドメーヌには見向きもしない。誰に声をかけたら良いかも分からないことに、焦りと不満、不安が膨れ上がっていく。
その時だ。
「どうかなさいました?」
気づけば、薄い金色をした髪の女が側に立っていた。見るからに貴族の血が薄そうな見た目。レドメーヌ自身も髪色が薄い青なので、長年のコンプレックスになっているのだが、その上を行く庶民臭さがあった。
「庶民がこんなところで何をしている。僕を誰だと思ってるんだ!?」
内心、かなりホッとしているにも関わらず、口から出たのは暴言で。女は一瞬眉をひそめたが、すぐに淑女らしいカテーシーをキメて、名を名乗った。
「クンツァイト様、お初にお目にかかります。私は部長モリオンの娘にございます。どうぞ、ルチルとお呼びくださいませ」
ちゃんと公爵家の息子として扱われたこと。それだけで溜飲が下がる。レドメーヌは、モリオンにこんな大きな娘がいただろうかと首を傾げながらも、手にしていた書類を乱暴に突き出した。
「これを出せ。今すぐにだ!」
「かしこまりました。魔導潤滑油のメノータイプですね。在庫はたっぷりございます。ボトルの形式はどうなさいますか? 火気厳禁ですから、防火性の高いファイプレブ仕様の物をおすすめしたいのですが、すぐに使い切るのでしたら、ライウェイ仕様の物に必要分だけお入れして研究室までお運びすることもできます」
レドメーヌは呆気にとられてしまった。まさか、こんな専門用語がポンポン飛び出てくるとは。
一見少女のような儚さなのに、口を開けると芯の強いしっかり者の印象になる。しかも、笑顔が素晴らしい。美女を見慣れているはずのレドメーヌが、口をポカンと開けて魅入ってしまう程に。
ルチルは、公爵家の息子が相手だというのに、媚びもしなければ、恐れもしない。かと言って、開発部門の男なのに遣いに出されていることを馬鹿にして見下すこともなく。ただ、しゅくしゅくと真摯に仕事をし、丁寧に対応しているのだ。
世の中に、こんな女がいるなんて、知らなかった。
「ど、どちらでもいい」
「承知いたしました。では、いつもターニャ様が仕入れていらっしゃる半分の量をファイプレブの小型の瓶に分けてお持ちします」
レドメーヌは、そう言えば自部署の事務員の名前がターニャだったことを思い出す。
「お前が持ってくるのか?」
「いえ、城内の専門の配送人が責任を持ってお運びしますので、ご安心ください」
蔵には、そのような役目を持った者もいるらしい。とにかく、この日はレドメーヌにとって初めてのことばかりだ。
ルチルは、用は済んだとばかりに会釈すると、その場を立ち去ってしまった。すぐに、少し離れた場所にいた同僚らしき男たちに声をかけている。
レドメーヌは、もやもやした。
この気持ちが何なのか自覚したのは、その日の夜のことだ。
けれど、相手は王弟モリオンの娘。つまり公爵令嬢にあたる。それこそ、高嶺の花だ。彼女を手に入れることは、兄を踏み台にして次期公爵になることよりも、ずっと難しいことに思えた。
それでも、あの髪色を思い出すと、やはり自分には相応しくないのだと思える。自分には貴族の血が流れていない。結婚するならば、生粋の貴族で、髪色は濃い娘でなくては。
さもないと、母親が許さないだろう。
そう言い聞かせていたのに、レドメーヌはずっと、密かにルチルへの思いを募らせていた。
あの真っ直ぐなルチルのことだ。兄を虐めるのをやめれば、もっと勉強して魔導品開発部門で活躍できるようになれば、こちらを向いてくれるかもしれない。
そんな妄想をする程に。
でも、全て幻想に終わった。
兄、ジェットと共にいるのを見てしまった。
あの時、自分に向けられていた笑顔が作り物であったことにも気づいてしまった。
何もかもが許せない。
ジェットは、レドメーヌが持っていない貴族の血と、公爵家嫡男という肩書、さらには魔導品発明の才能を持っている。早く死ねばいいのに、盲目であることを悲観するでもなく、毎日のうのうと生きている。
ルチルという女も憎い。思わせぶりなことをしたにも関わらず、よりにもよって義兄なんかを選ぶなんて。こんなことになるのなら、初めから声なんてかけてほしくはなかった。
むしゃくしゃして仕方がないレドメーヌは、ひっそりとジェットの屋敷へと向かう。屋敷は元々使用人が少なくて、夜になると警備も手薄。忍び込んだところで、誰も気づかなかった。
本宅と比べると、ずっと手狭な造りだ。すぐにジェットの私室を見つけ出す。慎重にドアを開けて中へ滑りこむと、水の音が聞こえてくる。ちょうど義兄はシャワー中だった。
一声文句を言って、ルチルを奪い返すことを宣言してやろうと思っていたのに。なぜか興が削がれてしまった。けれど、まだ怒りが収まりきったわけではない。
ふと見ると、近くのテーブルの上に、ジェットの眼鏡があった。感知強化の機能をもつ、大変高価な魔導品で、この世に一つしかないジェットの特別製。
それは、ジェットとレドメーヌの才能の差を見せつけているようで。
レドメーヌは、おもむろに眼鏡を手に取った。
「こんなものが……!」
振り上げたその手。勢いよく床に叩きつけられて飛び散る石と破片の音。
なのに、全てが水の音に飲み込まれて、誰にも聞こえない。
レドメーヌは、唇を震わせたまま、踵を返して出ていった。
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