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事故
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ルチルは目を輝かせながらジェットと語り合っていた。楽しくて仕方がない。石についてルチルと対等に渡り合える者は、意外と少ないのだ。
「では、その石の魔導効率はコンゴストンと比べて……え?」
ミシッという不穏な音が聞こえた気がした。ルチルは、ゆっくりと天井を仰ぎ見る。
この棚の上の方にあるのは、価値の低い石がくっついて岩になった状態のものだ。ジャンクと呼ばれている。ロープで棚に括り付けられていたはずなのに、それがまさに今、滑り落ちそうになっているではないか。
「あっ」
岩がルチルの頭上に迫ってくる。
全てがスローモーションで見えた。
『蔵』の事故の多くは、落下物による負傷だ。いつかは自分も被害にあうかもしれないと心配はしていたが、よりにもよって、こんな大岩だなんて。下敷きになった日には、間違いなく命は無い。
ルチルは、石が好きだ。
石に押しつぶされて死ぬのならば、本望だし、それが運命のようにも思えてくる。
ルチルは、咄嗟のことで微動だにできない。どこか悟ったような目で立ち尽くしているだけ。
そこへ、奇跡が起きた。
岩が固い床にぶつかって砕け散る。広い倉庫内に轟音がこだまして、大きく地面を揺らした。
「なんで?」
岩が落下した音がしたのに、いつまでも自分の身に衝撃はやって来ない。いや、それよりも今のルチルの状況だ。
すぐ目の前には、しなやかな黒い高級生地で仕立てられた、魔導品制作部の制服。背中にまわされている腕の温もりがじわりと伝わってくる。大きな手は、ルチルを安心させるかのように、頭を優しく撫でていた。
「ジェット様?」
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
ジェットは、泣きそうな顔でルチルを見つめていた。ちゃんと目が合っている。
「また、助けてくださったんですね。ありがとうございました」
ジェットの感知強化型眼鏡の端から、僅かに煙があがっている。おそらく、この眼鏡は対物感知機能付き護身具という魔導品でもあるのだろう。ジェットは、自分がルチルと密着し、魔導品を発動させることで、ルチルを守ったのだ。
「魔導品のお陰ですよ」
ジェットは照れくさそうに笑う。
貴族が身につけるこの手の魔導品は、小型ながら性能が良い。大岩に何か特殊な光線を発射して、落下の軌道を逸らしたのだろう。
「いえ、この前のバンデットの時と言い、私はあなたに助けられてばかり。もう、どうやって恩返しをすればいいのやら」
未だにジェットから抱きすくめられているのも忘れて、ルチルは困った顔になった。ジェットは、気にしないでとでも言うように小さく首を横に振る。そして、ルチルの右手と自分の右手を重ね合わせた。互いに、ふっと艶かしいため息をつく。
「感じるんです」
「え、あの」
その一言で、ルチルはまたもやパニックを起こしそうになった。今回は逃げるつもりはないが、男性に免疫のないルチルには少々刺激が強すぎる。
「ルチル様」
「はい」
「もう少しだけ、触ってもいいですか?」
「あ、はい」
これだけお世話になっていて、嫌だなんて言えない。そもそも嫌ではないのだ。むしろ、これは役得なんじゃないかとすら思えてくる。ただ、心臓の音がうるさい。
ジェットは目が見えないので、ルチルに触れるのも慎重で、たどたどしい。節くれ立った指が、少しずつルチルの存在を暴いていくかのように、そっと腕の上を滑り、肘にまで到達する。服の上からのことなのに、どこか官能的で、ルチルはぼうっとしてしまった。
ジェットは、しばらくをそれを続けていたが、やがて満足したように頷いた。
「ありがとうございます」
「こんなことで、お役に立てるなら」
「お役に……どころではありません。あなたに触れると、周りのことが見えるようになるんです。いえ、少し違うな。見るんじゃない。感じるんです。僕の人生に突然色がついて、優しく包み込まれる感じがして」
ここで、ルチルは一つ違和感を覚える。
「色、という感覚が分かるのですか?」
「はい。あなたに触れている時だけは分かります。例えば、あなたの髪が朝日を受けて光る湖の煌めきみたいに美しいことや、その瞳の色は一生見つめていても飽きないぐらい綺麗な薔薇色であることも」
外言について、こんなに言葉を飾って褒めてもらったのは生まれて初めてだ。ルチルはスマートにお礼を言うこともできず、あわあわしている。
ジェットは、そんなルチルを愛おしそうに見つめていた。
「実は、生まれた時から目が見えないわけではないんです」
「そうだったんですか?」
それならば、色という概念を知っているのも納得だ。
「はい。よくある話なのですが、ちょっと事情がありまして。僕は公爵家で疎まれている存在なんです」
ルチルは、唐突に始まったジェットの告白に耳を傾けた。
「では、その石の魔導効率はコンゴストンと比べて……え?」
ミシッという不穏な音が聞こえた気がした。ルチルは、ゆっくりと天井を仰ぎ見る。
この棚の上の方にあるのは、価値の低い石がくっついて岩になった状態のものだ。ジャンクと呼ばれている。ロープで棚に括り付けられていたはずなのに、それがまさに今、滑り落ちそうになっているではないか。
「あっ」
岩がルチルの頭上に迫ってくる。
全てがスローモーションで見えた。
『蔵』の事故の多くは、落下物による負傷だ。いつかは自分も被害にあうかもしれないと心配はしていたが、よりにもよって、こんな大岩だなんて。下敷きになった日には、間違いなく命は無い。
ルチルは、石が好きだ。
石に押しつぶされて死ぬのならば、本望だし、それが運命のようにも思えてくる。
ルチルは、咄嗟のことで微動だにできない。どこか悟ったような目で立ち尽くしているだけ。
そこへ、奇跡が起きた。
岩が固い床にぶつかって砕け散る。広い倉庫内に轟音がこだまして、大きく地面を揺らした。
「なんで?」
岩が落下した音がしたのに、いつまでも自分の身に衝撃はやって来ない。いや、それよりも今のルチルの状況だ。
すぐ目の前には、しなやかな黒い高級生地で仕立てられた、魔導品制作部の制服。背中にまわされている腕の温もりがじわりと伝わってくる。大きな手は、ルチルを安心させるかのように、頭を優しく撫でていた。
「ジェット様?」
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
ジェットは、泣きそうな顔でルチルを見つめていた。ちゃんと目が合っている。
「また、助けてくださったんですね。ありがとうございました」
ジェットの感知強化型眼鏡の端から、僅かに煙があがっている。おそらく、この眼鏡は対物感知機能付き護身具という魔導品でもあるのだろう。ジェットは、自分がルチルと密着し、魔導品を発動させることで、ルチルを守ったのだ。
「魔導品のお陰ですよ」
ジェットは照れくさそうに笑う。
貴族が身につけるこの手の魔導品は、小型ながら性能が良い。大岩に何か特殊な光線を発射して、落下の軌道を逸らしたのだろう。
「いえ、この前のバンデットの時と言い、私はあなたに助けられてばかり。もう、どうやって恩返しをすればいいのやら」
未だにジェットから抱きすくめられているのも忘れて、ルチルは困った顔になった。ジェットは、気にしないでとでも言うように小さく首を横に振る。そして、ルチルの右手と自分の右手を重ね合わせた。互いに、ふっと艶かしいため息をつく。
「感じるんです」
「え、あの」
その一言で、ルチルはまたもやパニックを起こしそうになった。今回は逃げるつもりはないが、男性に免疫のないルチルには少々刺激が強すぎる。
「ルチル様」
「はい」
「もう少しだけ、触ってもいいですか?」
「あ、はい」
これだけお世話になっていて、嫌だなんて言えない。そもそも嫌ではないのだ。むしろ、これは役得なんじゃないかとすら思えてくる。ただ、心臓の音がうるさい。
ジェットは目が見えないので、ルチルに触れるのも慎重で、たどたどしい。節くれ立った指が、少しずつルチルの存在を暴いていくかのように、そっと腕の上を滑り、肘にまで到達する。服の上からのことなのに、どこか官能的で、ルチルはぼうっとしてしまった。
ジェットは、しばらくをそれを続けていたが、やがて満足したように頷いた。
「ありがとうございます」
「こんなことで、お役に立てるなら」
「お役に……どころではありません。あなたに触れると、周りのことが見えるようになるんです。いえ、少し違うな。見るんじゃない。感じるんです。僕の人生に突然色がついて、優しく包み込まれる感じがして」
ここで、ルチルは一つ違和感を覚える。
「色、という感覚が分かるのですか?」
「はい。あなたに触れている時だけは分かります。例えば、あなたの髪が朝日を受けて光る湖の煌めきみたいに美しいことや、その瞳の色は一生見つめていても飽きないぐらい綺麗な薔薇色であることも」
外言について、こんなに言葉を飾って褒めてもらったのは生まれて初めてだ。ルチルはスマートにお礼を言うこともできず、あわあわしている。
ジェットは、そんなルチルを愛おしそうに見つめていた。
「実は、生まれた時から目が見えないわけではないんです」
「そうだったんですか?」
それならば、色という概念を知っているのも納得だ。
「はい。よくある話なのですが、ちょっと事情がありまして。僕は公爵家で疎まれている存在なんです」
ルチルは、唐突に始まったジェットの告白に耳を傾けた。
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