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食堂で愚痴
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「触ってほしいなんて、どう考えても変態でしょ?」
お昼休みだ。ルチルは、食堂にいた。きのこたっぷりシチューをがっつきながら、今朝の話をしている。目は完全に死んでいた。ちなみに、シチューが不味いわけではない。貴族も満足する味だ。
「別に無底な真似をされたわけではないのでしょう?」
「えぇ」
長机の向かい側に座り、愚痴を聞いているのはセレナという娘。ルチルの職場の後輩だ。
見た目の可憐さからは考えられない程の力持ちで、近年稀に見る「使える」若い女性である。いつもルチルは心の中で「天使」と呼んでいた。こうして、昼間っから骨付き肉を頬張っていなければ、完璧な儚げ美女だ。
彼女が資材部へやってきたのは三年前。その見た目から、自分よりもかなり年下だとルチルは考えているが、実年齢は分からない。判明しているのは、男爵令嬢だということだけ。
貴族でも、その体面を保つためには金がかかるので、子女が働きに出るのは珍しいことではないらしい。きっとセレナの家もそういった事情があるのだろうが、彼女自身はどう見ても夜会でデビュタントを迎えたばかりのような若さ。すっかり大人社会に慣れきっているわけではないはずなのだ。なのに、どこか物腰にこなれ感がある。さらには、一度口を開くとルチルよりも大人びているので、時々どちらが先輩なのか分からなくなる程だ。
だが、そんなセレナの立ち回りに嫌味な感じは無い。ルチルにとっては、すっかり気の合う同僚、否、姉御的な存在となっていた。
「それにしても、いつかどこかの殿方から愛されたいと思ってるのに、異性に手を触れられるだけで逃げるって、ルチル様は本当に面白いわ」
ころころと笑うセレナを、ルチルは軽く睨んだ。彼女は、ルチルの心に秘めた乙女な願いを知っている数少ない人間なのだ。
「そこまで硬派じゃ、さすがに誰とも何も進展しませんわよ?」
そういうセレナはどうなのだ、という質問を飲み込みつつ、ルチルは口先を尖らせる。
「分かってるわ、そんなこと」
三十路を前にして、ルチルは男性経験がない。一般的に言う「交際する」ということをしたことがない。仕事ではたくさんの老若男女と関わっているが、それはまた別の話だ。一歩踏み込んだ関係というのは、想像するだけでも取り乱してしまいそうになる。詰まるところ、女としてかなり拗らせていた。
「じゃ、願い事は諦めますの?」
いや、諦めきれない。しかし、そもそもルチルは、自由に恋愛できるようなご身分ではないのだ。それを知っているのに、唆してくるセレナが少し恨めしい。
「愛されたいって、受け身ばかりなのもいかがなものかしら? 相手がどう思うかではなくて、ルチル様がどう感じるかが大切なのではなくて? 待つばかりではなくて、愛は与えることで、何かが得られることもあるのよ」
さてはセレナ、ルチルの知らないところで、誰か良い人がいるのにちがいない。身分も外見も若さも負けているのだから、張り合うだけ無駄なのに、なぜかハンカチを歯噛みしたい気分になってしまった。
「きっと、皆は知らないでしょうね。あの『蔵の女神』が、こんな風に悩んでるなんて」
裏の通り名。ルチルも薄々知っていたことだが、面と向かって言われると、実情との落差に頭がくらくらしてしまう。
「皆、一度目を検査した方がいいんじゃないかしら。私はこんな見た目だし、庶民だし。しかも、男爵に目をつけられてる」
「そんなステータスのことではないの。ルチル様はいつも、様々な商談を上手く取りまとめてくれる。知識も豊富だし、とても誠実。『蔵』に出入りしている誰もが、その仕事ぶりを信頼しているわ。たぶん、貴族特有のしがらみや損得勘定みたいなのが無いのも、清々しいのよね。それに何より、とても優しい女性だわ」
ここまで褒めちぎられると、ルチルも悪い気はしない。実際、ここまでになるには、かなりの努力が必要だった。
『蔵』の仕事は、石の取引や保管だけではない。その他の品目にも詳しくならなければならず、初めの五年は図書館や他部署にも通い詰めて、かなり勉強した。それがようやく実を結ぶようになって、今がある。
けれど、セレナなんて、ルチルのようながむしゃらな努力を他人に見せつけることもなく、何事もそつなくこなすのだ。
ルチルは、今日何度目かのため息を漏らす。セレナは少し肩をすくめると、自らの器から肉を一欠片掬って、ルチルの皿へ入れた。
「そんな顔なさらないで? ほら、この前だって……あ、噂をすれば!」
ルチルは振り向いて、セレナの視線の先を辿った。職場の後輩、ルビだ。息を切らしながらルチル達の元へやってくる。
「ルチル様、お食事中にすみません!」
「どうしたの?」
ルビは、まだ十八歳の少年だ。今年から資材部で働いている子爵家の三男である。庇護欲をそそられるような、ミルクティー色のくるくる巻いた髪が愛らしい。
「実は、またあの商人がやってきて」
「あぁ、あの商人」
ルチルの顔は、瞬時に強張ってしまった。
実は、その商人、バンデットは、両親在りし日からの因縁の相手なのである。
お昼休みだ。ルチルは、食堂にいた。きのこたっぷりシチューをがっつきながら、今朝の話をしている。目は完全に死んでいた。ちなみに、シチューが不味いわけではない。貴族も満足する味だ。
「別に無底な真似をされたわけではないのでしょう?」
「えぇ」
長机の向かい側に座り、愚痴を聞いているのはセレナという娘。ルチルの職場の後輩だ。
見た目の可憐さからは考えられない程の力持ちで、近年稀に見る「使える」若い女性である。いつもルチルは心の中で「天使」と呼んでいた。こうして、昼間っから骨付き肉を頬張っていなければ、完璧な儚げ美女だ。
彼女が資材部へやってきたのは三年前。その見た目から、自分よりもかなり年下だとルチルは考えているが、実年齢は分からない。判明しているのは、男爵令嬢だということだけ。
貴族でも、その体面を保つためには金がかかるので、子女が働きに出るのは珍しいことではないらしい。きっとセレナの家もそういった事情があるのだろうが、彼女自身はどう見ても夜会でデビュタントを迎えたばかりのような若さ。すっかり大人社会に慣れきっているわけではないはずなのだ。なのに、どこか物腰にこなれ感がある。さらには、一度口を開くとルチルよりも大人びているので、時々どちらが先輩なのか分からなくなる程だ。
だが、そんなセレナの立ち回りに嫌味な感じは無い。ルチルにとっては、すっかり気の合う同僚、否、姉御的な存在となっていた。
「それにしても、いつかどこかの殿方から愛されたいと思ってるのに、異性に手を触れられるだけで逃げるって、ルチル様は本当に面白いわ」
ころころと笑うセレナを、ルチルは軽く睨んだ。彼女は、ルチルの心に秘めた乙女な願いを知っている数少ない人間なのだ。
「そこまで硬派じゃ、さすがに誰とも何も進展しませんわよ?」
そういうセレナはどうなのだ、という質問を飲み込みつつ、ルチルは口先を尖らせる。
「分かってるわ、そんなこと」
三十路を前にして、ルチルは男性経験がない。一般的に言う「交際する」ということをしたことがない。仕事ではたくさんの老若男女と関わっているが、それはまた別の話だ。一歩踏み込んだ関係というのは、想像するだけでも取り乱してしまいそうになる。詰まるところ、女としてかなり拗らせていた。
「じゃ、願い事は諦めますの?」
いや、諦めきれない。しかし、そもそもルチルは、自由に恋愛できるようなご身分ではないのだ。それを知っているのに、唆してくるセレナが少し恨めしい。
「愛されたいって、受け身ばかりなのもいかがなものかしら? 相手がどう思うかではなくて、ルチル様がどう感じるかが大切なのではなくて? 待つばかりではなくて、愛は与えることで、何かが得られることもあるのよ」
さてはセレナ、ルチルの知らないところで、誰か良い人がいるのにちがいない。身分も外見も若さも負けているのだから、張り合うだけ無駄なのに、なぜかハンカチを歯噛みしたい気分になってしまった。
「きっと、皆は知らないでしょうね。あの『蔵の女神』が、こんな風に悩んでるなんて」
裏の通り名。ルチルも薄々知っていたことだが、面と向かって言われると、実情との落差に頭がくらくらしてしまう。
「皆、一度目を検査した方がいいんじゃないかしら。私はこんな見た目だし、庶民だし。しかも、男爵に目をつけられてる」
「そんなステータスのことではないの。ルチル様はいつも、様々な商談を上手く取りまとめてくれる。知識も豊富だし、とても誠実。『蔵』に出入りしている誰もが、その仕事ぶりを信頼しているわ。たぶん、貴族特有のしがらみや損得勘定みたいなのが無いのも、清々しいのよね。それに何より、とても優しい女性だわ」
ここまで褒めちぎられると、ルチルも悪い気はしない。実際、ここまでになるには、かなりの努力が必要だった。
『蔵』の仕事は、石の取引や保管だけではない。その他の品目にも詳しくならなければならず、初めの五年は図書館や他部署にも通い詰めて、かなり勉強した。それがようやく実を結ぶようになって、今がある。
けれど、セレナなんて、ルチルのようながむしゃらな努力を他人に見せつけることもなく、何事もそつなくこなすのだ。
ルチルは、今日何度目かのため息を漏らす。セレナは少し肩をすくめると、自らの器から肉を一欠片掬って、ルチルの皿へ入れた。
「そんな顔なさらないで? ほら、この前だって……あ、噂をすれば!」
ルチルは振り向いて、セレナの視線の先を辿った。職場の後輩、ルビだ。息を切らしながらルチル達の元へやってくる。
「ルチル様、お食事中にすみません!」
「どうしたの?」
ルビは、まだ十八歳の少年だ。今年から資材部で働いている子爵家の三男である。庇護欲をそそられるような、ミルクティー色のくるくる巻いた髪が愛らしい。
「実は、またあの商人がやってきて」
「あぁ、あの商人」
ルチルの顔は、瞬時に強張ってしまった。
実は、その商人、バンデットは、両親在りし日からの因縁の相手なのである。
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