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盲目の青年との出会い

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 ルチルの職場は、王城の資材部だ。

 顔パスで、見上げる程に高い塀に囲まれた敷地内に入ると、広い緑の庭の中を抜けていく。神々しいばかりに白い天然石で築かれた城を横目に、奥へ奥へと進んでいくと、赤いレンガの建物が、整然といくつも立ち並ぶエリアに入った。ここは、王宮内で通称『蔵』と呼ばれる場所である。

「おはようございます」

 仕事用の笑顔で挨拶すると、夜勤上がりらしい『蔵』の警備士達が慌てた様子で敬礼を返してくる。

「目が合った……今日の幸運は使い果たしたかもしれない」
「相変わらず、いい女だよな。やっぱり俺……」
「やめとけ、男爵に睨まれるぞ」
「女神は皆のものだ!」
「いや、正確には英雄伯爵のものだろ?」

 ルチルは、背後で軽く騒ぎが起きているのにも気づかず、事務室へ入っていく。

「おはようございます」
「おはようさん」

 ルチルよりも早くに出勤していたのは、ここ『蔵』の主、資材部長のモリオンだ。燃えるような赤い髪が特徴的な美丈夫である。

 彼は、先帝の愛人の息子、つまり一応王族の端くれだ。今は、兄王への忠誠の証として一代限りの公爵を賜り、王家の臣下となっている。さらには、誰もがやりたがらない、王宮の端にある部署の長というハズレ役を引き受けているのだった。

 これは、モリオンのお人好しな性格にも関係するかもしれない。現に、商人の娘であるルチルを拾って、王宮の文官に据えてしまったのも彼だ。

 今も当時も、親の無い子どもが真っ当に生きる道は、ほとんど無い。ルチルは成人したばかりだったが、商人として自立するには若すぎた。確かに王城へ親の遺産を押し売りにやってきた機転は良かったかもしれないが、多少の小銭を稼いだところで、身元がはっきりしない娘にまともな働き口は約束されていない。

 そこでモリオンは、ルチルが持ち込んだ商品を快く買い取ると同時に、彼女を試すことにした。なぜならば、言葉の端々から豊富な知識があることが分かっていたし、『蔵』は常に人手不足だったからだ。

「石は、好きか?」

 モリオンが尋ねると、ルチルは鼻息荒く大きく頷いた。

「はい。この世で一番、人を助けることのできるものだと思っています」

 この世で、石は人々の生活を支えるインフラとも言える。

 人間は、生まれながらに魔力と呼ばれる見えない波を出すことができるのだが、これは特殊な石という素材を通さない限り、生活に役立つような動力や熱源に変わったりはしない。石なくしては、今は当たり前となっている夜の灯りや遠隔通信、魔導車も使えないのだ。

 しかし、石はどこにでもあるわけではない。魔導効率が良く、劣化がしにくい石は、道端に転がっているわけではなく、産地と呼ばれる山奥の危険な場所に行かないと入手できない。

 そこで、発掘者と呼ばれる職業が存在し、発掘者から石を買い上げて市場に流通させるのが、石商人だ。ルチルは、両親が石商人であることを誇りに思っていた。誰かの役に立つ仕事というのは、やはり胸が張れる。しかも、専門性が高いため、望めばなれるという職でもないのだ。

 ルチルの両親は、発掘者から石を適正価格で流してもらい、さらには特殊な加工をして販売していた。ルチルには、幼い頃から石の見分け方、知識、加工の方法に至るまで、しっかりと教え込まれていたので、モリオンとの会話にも困ることもなく。むしろ、『蔵』の面々の度肝を抜く状態だった。

「石のことならば、私にお任せください」

 モリオンは、この少女に賭けてみることにした。王宮もまた、たくさんの石を集めて、困り事が起きている各地へ石を送り出す役目を負っている。もちろん、王宮内の生活を維持するためにも、たくさんの品質の良い石が必要だった。

 資材部は、建築資材となる木材から武器となる刀剣、果ては中で働く使用人のためのエプロンや食材まで、あらゆる物を扱っている部署だ。しかし、その中でも最も重要視されているのは、石である。モリオンの心はすぐに決まった。

 それから、十二年。身寄りのないルチルを王宮内で働かせるための段取りには、かなり骨が折れたが、こうして信頼できる部下に育ったことは大変喜ばしいことである。

 モリオンは、ルチルに今日の予定を告げると、隣の商談室で待たせていたらしい取引先の元へ行ってしまった。

 ルチルも、手早く自分の鞄を机の引き出しに片付ける。今朝は、昨夜のうちに納品されているはずの、新たな石の状態を見に行かねばならない。注文通りの品かどうか確認するのも、ルチルの仕事の一つなのだ。そして足取りも軽く、事務室を後にしようとしたその時だった。

「やめてください!」

 内心、「またか」と思った。声のする方、窓の外に目をやる。

「やっぱり」

 そこでは、仕立ての良い黒い制服に身を包んだ気弱そうな青年が、最近資材部に異動してきたばかりの少年達に囲まれて、暴行を受けていた。すぐそばでは、資材部副部長であり、ルチルの天敵でもあるキャスパー・ドラブラッド男爵が楽しげにほほ笑んでいる。

 キャスパーは、以前いた財務部でトラブルを起こしたとかで、十年ぐらい前に資材部へ異動してきた男だ。歳は、ルチルよりもニ、三つしか違わないが、あちらの方が上である。もちろん役職も。だが、ルチルがモリオンに重宝されるのが気に入らないらしく、何かと難癖をつけて邪魔建てしてくるのだ。

 正直言って、近づきたくはない。しかし、渦中の青年は、今日に限って護身用の魔導武具を持ってこなかったらしく、完全にやられっぱなし。このままでは、悪ノリした少年達に殺されてしまいそうだ。

 ルチルは、腹をくくった。自分もモリオンに拾われなければ、あの青年と同じ立場だったかもしれない。迫害されて、卑下されて、今頃死んでいたかもしれないのだ。

 窓を開け放って、大声を張り上げる。

「そこ、何やってるの?!」

 少年達は、飛び上がる勢いで一斉にルチルの方を振り向いた。

「げ、お局様だ!」
「やめろよ、それ。先輩方は皆、女神だって崇めてるらしいぞ?!」
「女神なんて、存在しない。あれは、ただの女だ」

 少年達とドラブラッド男爵は口々に悪態をつくと、足早にその場を去っていく。きっと、モリオンにも見られたと思いこんで、逃げの一手に絞ったのだろう。

 ルチルは、外へ出て青年の元へ向かった。

「大丈夫ですか?」

 青年は、うつろな顔のまま、軽く頭を下げてきた。最近、ここ資材部に出入りするようになった、魔導品制作部の人物である。盲目らしく、それを補助するために、周囲への感知力を強化するための特別な眼鏡をかけていた。

 真っ黒なさらさらの髪。これは、かなり魔力が強い証拠だ。十中八九、高位の貴族である。

「目が見えないのに、あんなことされて。怖かったでしょう? もう大丈夫ですよ。ちゃんと追い払いましたから」

 本来は声をかけるなんて、恐れ多すぎてできないような相手だろう。けれど、あまりにも傷ついて見えた。どこか既視感がある。今朝鏡で見た、自分の顔と似ているのだ。

 ルチルは、未だに震えたままの青年の手を、そっと包むように握った。

 すると、青年は雷に打たれたかのように、驚愕の表情を浮かべる。何が起こったのか分からず、同じくびっくりして瞬きを繰り返すルチル。青年は、見えないはずの目を大きく見開き、ルチルをまっすぐ射抜くように見つめていた。そして――――

「もっと、もっと触ってください!」

 青年の手が、ルチルの腕に伸びる。

「ひっ!」

 ルチルは、乙女らしからぬ間抜けな声をあげた。

 気づいた時には、逃げていた。

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