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外伝15 茶会のすすめ
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予定では、コトリとカケルの二人が都へ帰ってくるのは夏前の予定だった。思いがけず、大切な元主人と早くに再会できるのは
喜ばしいことのはずなのに、サヨは気持ちが上がらない。
「そうね、旅先で大切なお子を産むわけにはいかないもの」
サヨは、スズがコトリのために馬車を手配して向かわせた話などを聞きながら、曖昧に頷く。それらしい言葉を返してはいるものの、どこか上の空だ。
「カケル様も、さぞお喜びでしょうね」
自分の言葉が自らに突き刺さり、サヨは苦痛に顔をしかめた。
ミズキも、サヨが子を孕めば喜んで祝いでくれるだろうか。それ以前に、今もそういったことを望んでくれているのだろうか。
かつては、婚姻前にも関わらず子ができやしないかとハラハラしていたものだが、今となっては懐かしい話だ。あれは、サヨが夢で見た妄想だったのではないかと思える程に。
チグサは、取り繕いきれないサヨの前に、小さな茶筒を突き出した。目が冴えるような青に、金と白の細かな模様が施されている。宝箱のような美しさだ。
「サヨ様。最近、隣国から手に入ったお茶ですわ。カツの間諜が土産に持ち帰ってきたものです。これを持って、王宮で茶会を催してくださいまし」
「隣国」
わざわざ紫の茶を使わないということは、政治的な意味合いが匂う。サヨは、アイラの顔を思い浮かべた。
王の妃は、それすなわち王宮の女主人でもある。立派な茶会を開いて成功させることは、その権威を周囲に見せつけることができるだろう。それも、サヨ自らが異国の物を取り入れて、寛容な姿勢を見せるともなれば、アイラの持ち味やつけいる隙を、今度こそ潰すことができるかもしれない。
「ありがとうございます。アイラ様への切り札ですね」
サヨは素直に礼を言ったが、チグサはふるりと首を降った。
「いえ、そんな小難しい意味ではないのです。ただ単に、王と珍しいものを楽しんでいただければと思っただけですわ」
チグサは、毒味はしているので安全だと話しながら、サヨの手の中に茶筒を押し込める。
「今日こそここを抜け出して、王宮へお戻りください。そして、真夜中の茶会を王へお誘いしてみては?」
なぜ真夜中でなければならないのか、サヨには分からない。しかし、多忙な彼であれば、そんな非常識な時間でないと、ゆっくり顔を合わせることも叶わないのは確かだろう。
「分かりました」
そうして、セラフィナイトが用意した帝国の媚薬が微量含まれる茶葉が、王夫妻の元へ贈られてしまったのである。
◇
チグサは、サヨを王宮へ送り出すと、どこか疲れたように立ち尽くしていた。そこへ近づく影がある。
「あら、いたの?」
「酷いご挨拶だな」
セラフィナイトは、気配を消したままチグサの後ろに陣取ると、そのまま小柄な彼女を抱きしめた。
「サヨがいなくなって、寂しいんでしょ? お前、女友達はいっぱいいるみたいだけど、上っ面だけの繋がりだもんな」
チグサは、セラフィナイトの腕の皮をつまみ上げると、爪を立てて捻った。
「痛っ」
「別に寂しくないわ。あなたが、いるじゃない?」
「デレた」
セラフィナイトは心底驚いた顔をしている。チグサは、ふんっと鼻を鳴らした。
セラフィナイトには、ずっとサヨと鉢合わせないように、始終気を遣いながら生活してもらっていたのだ。これぐらいの褒美は与えても良いかと思ったのである。
おそらく、サヨがチグサの屋敷にいることで、一番焦っていたのは王、ミズキだろう。セラフィナイトがここに居ることを知る、数すくない人物だ。
セラフィナイトはチグサと想いを通わせているので、一応サヨへの危険は無いものの、宿敵と住まわせるのは良い気がしなかったはず。きっとスズもそれを睨んで、ここへサヨを連れてきたのだろうが、ついぞ王が動くことはなかった。
セラフィナイトは、ソラとアダマンタイトの堺にある山脈の雪解けが落ち着いた頃、ここを出ていくことになっている。チグサは、さらに暖かくなってから、その後を追うことになっていた。
果たして、この男を本当に皇帝の座へ据えることができるだろうか。チグサは、セラフィナイトを見上げた。
「あなたも、たまには役に立つわね。きっとアレがあれば、無理矢理にでも王夫妻は仲直りできるわよ」
チグサは、サヨの横顔を思い出す。同性から見ても、美しい女だ。育ちの良さが、ここかしこに出ていて、共に長時間過ごしても疲れることはない。
しかし、時折突飛な反応をするのだ。まるで、この世に生まれ落ちたばかりの赤子のように、不安と期待に入り混じった表情を浮かべる。肩肘張らず、本音を話す。
彼女の交友関係は広いが、高貴な身分であるにも関わらず、あそこまで人間らしい女人はそういないだろう。それでいて、いざという時は思い切った判断をし、苦難を乗り越える胆力もある。そんな性格が、あの琴姫コトリを支える条件だったのかもしれない。
「えぇ、きっと上手くいくわ」
今度は自身に向けて語りかけた。言霊。祈りと信念を撚り合わせて、幸運と願いを引き寄せるのだ。
喜ばしいことのはずなのに、サヨは気持ちが上がらない。
「そうね、旅先で大切なお子を産むわけにはいかないもの」
サヨは、スズがコトリのために馬車を手配して向かわせた話などを聞きながら、曖昧に頷く。それらしい言葉を返してはいるものの、どこか上の空だ。
「カケル様も、さぞお喜びでしょうね」
自分の言葉が自らに突き刺さり、サヨは苦痛に顔をしかめた。
ミズキも、サヨが子を孕めば喜んで祝いでくれるだろうか。それ以前に、今もそういったことを望んでくれているのだろうか。
かつては、婚姻前にも関わらず子ができやしないかとハラハラしていたものだが、今となっては懐かしい話だ。あれは、サヨが夢で見た妄想だったのではないかと思える程に。
チグサは、取り繕いきれないサヨの前に、小さな茶筒を突き出した。目が冴えるような青に、金と白の細かな模様が施されている。宝箱のような美しさだ。
「サヨ様。最近、隣国から手に入ったお茶ですわ。カツの間諜が土産に持ち帰ってきたものです。これを持って、王宮で茶会を催してくださいまし」
「隣国」
わざわざ紫の茶を使わないということは、政治的な意味合いが匂う。サヨは、アイラの顔を思い浮かべた。
王の妃は、それすなわち王宮の女主人でもある。立派な茶会を開いて成功させることは、その権威を周囲に見せつけることができるだろう。それも、サヨ自らが異国の物を取り入れて、寛容な姿勢を見せるともなれば、アイラの持ち味やつけいる隙を、今度こそ潰すことができるかもしれない。
「ありがとうございます。アイラ様への切り札ですね」
サヨは素直に礼を言ったが、チグサはふるりと首を降った。
「いえ、そんな小難しい意味ではないのです。ただ単に、王と珍しいものを楽しんでいただければと思っただけですわ」
チグサは、毒味はしているので安全だと話しながら、サヨの手の中に茶筒を押し込める。
「今日こそここを抜け出して、王宮へお戻りください。そして、真夜中の茶会を王へお誘いしてみては?」
なぜ真夜中でなければならないのか、サヨには分からない。しかし、多忙な彼であれば、そんな非常識な時間でないと、ゆっくり顔を合わせることも叶わないのは確かだろう。
「分かりました」
そうして、セラフィナイトが用意した帝国の媚薬が微量含まれる茶葉が、王夫妻の元へ贈られてしまったのである。
◇
チグサは、サヨを王宮へ送り出すと、どこか疲れたように立ち尽くしていた。そこへ近づく影がある。
「あら、いたの?」
「酷いご挨拶だな」
セラフィナイトは、気配を消したままチグサの後ろに陣取ると、そのまま小柄な彼女を抱きしめた。
「サヨがいなくなって、寂しいんでしょ? お前、女友達はいっぱいいるみたいだけど、上っ面だけの繋がりだもんな」
チグサは、セラフィナイトの腕の皮をつまみ上げると、爪を立てて捻った。
「痛っ」
「別に寂しくないわ。あなたが、いるじゃない?」
「デレた」
セラフィナイトは心底驚いた顔をしている。チグサは、ふんっと鼻を鳴らした。
セラフィナイトには、ずっとサヨと鉢合わせないように、始終気を遣いながら生活してもらっていたのだ。これぐらいの褒美は与えても良いかと思ったのである。
おそらく、サヨがチグサの屋敷にいることで、一番焦っていたのは王、ミズキだろう。セラフィナイトがここに居ることを知る、数すくない人物だ。
セラフィナイトはチグサと想いを通わせているので、一応サヨへの危険は無いものの、宿敵と住まわせるのは良い気がしなかったはず。きっとスズもそれを睨んで、ここへサヨを連れてきたのだろうが、ついぞ王が動くことはなかった。
セラフィナイトは、ソラとアダマンタイトの堺にある山脈の雪解けが落ち着いた頃、ここを出ていくことになっている。チグサは、さらに暖かくなってから、その後を追うことになっていた。
果たして、この男を本当に皇帝の座へ据えることができるだろうか。チグサは、セラフィナイトを見上げた。
「あなたも、たまには役に立つわね。きっとアレがあれば、無理矢理にでも王夫妻は仲直りできるわよ」
チグサは、サヨの横顔を思い出す。同性から見ても、美しい女だ。育ちの良さが、ここかしこに出ていて、共に長時間過ごしても疲れることはない。
しかし、時折突飛な反応をするのだ。まるで、この世に生まれ落ちたばかりの赤子のように、不安と期待に入り混じった表情を浮かべる。肩肘張らず、本音を話す。
彼女の交友関係は広いが、高貴な身分であるにも関わらず、あそこまで人間らしい女人はそういないだろう。それでいて、いざという時は思い切った判断をし、苦難を乗り越える胆力もある。そんな性格が、あの琴姫コトリを支える条件だったのかもしれない。
「えぇ、きっと上手くいくわ」
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