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外伝10 生きて償え
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カンナは、久しぶりに帝都を訪れていた。
四頭立ての箱馬車が忙しなく行き交い、高級料理店や美術品を扱う店が立ち並ぶ道は石畳。歴史を感じさせる趣のある建物に見下されながら、俯きがちに小走りで進んでいく。途中、派手な羽飾りのついた大きな帽子の貴婦人達に睨まれたが、それも仕方がない話。カンナがあまりにもこの場に不似合いなのだ。
顔の凹凸が乏しい元妓女は、目深に黒い布を被り込んでいて、誰から見ても怪しいことこの上ない。それでも、はっきりと顔を見られるよりは安全なのである。
なぜなら、ここのところ帝都では、皇帝の死が極東の小国から放たれた密偵によるものだという噂で持ち切りなのだ。その逆賊と少しでも似たような風貌をしていれば、多少美しかろうと、何をされるか分かったものではない。こうした危険は帝都に入る前から分かりきっていたことだが、カンナには用事があった。いや、用事は建前で、どうしても確認しておきたいことがあるのだ。
「あったわ」
カンナは目当ての建物を探し当てると、裏路地に回り、黒い金属製の扉に手をかけた。鍵はかかっていない。足音を忍ばせ、慎重に中へと滑り込んでいく。
入ってすぐの階段は、地下へ繋がっていた。夜のような暗さの中、微かに聞こえる人の声に聞き耳を立てながら降りていく。
「その暁には、必ずや私を紫の王にしてくださいね。約束ですよ」
ふてぶてしい声は、どこか懐かしくもある。同時に、それは何も変わっていないことの証左でもあり、やはり残念に思うカンナなのであった。
「それは、ワタリ。お前の働き次第だな。あの御方のお役に立てば、そのような僥倖もあるかもしれん」
「では、早く王子の元へ行かせろ!」
「行かせてください、だ。馬鹿野郎。相変わらず、口のきき方も知らないようだな。今夜、改めて身体に叩き込んでやろうか」
「そ、それだけはご勘弁を」
ワタリに高圧的な言葉をかけているのは、カンナの知り合いの商人、ダフォディルである。帝国圏で手広く商売をしていて、成金趣味の服と出張った腹からは、彼がかなり稼いで裕福であることが伺えた。
出会いは、昔、カンナが旅芸人として各地を回っていた際、たまたま巡り合わせで宴会の盛り建て役として踊り子の舞を見せたことだった。なぜか気に入られ、今日の日まで縁があるのだが、おそらくカンナが若い男を定期的に彼へ紹介しているが故の贔屓と思われる。ちなみに、この生業の世界では、彼が男色なのは有名な話だ。
カンナは、そろそろ頃合いかと思い、靴音を立てて彼らに近づいていった。
「ダフォディル商会長」
声をかけると、商人はにっと下衆な笑みを浮かべる。その次の瞬間、夜の躾に怯えてうなだれていたワタリが、ふと頭を上げた。カンナとワタリ。二人の視線が交差する。
「お、お前……!」
ワタリをダフォディルに売ってから、面と向かって顔を合わせるのはこれが初めててになる。何度か、物陰から確認したことがあったが、こうして間近に見ると、思いの外大切に飼われていることが伝わってきた。
奴隷などとは程遠い、艷やかで滑らかな生地で作られた衣を纏っている。似合っているかはさておき、髪も切られたらしく、帝国風にされていた。それを横目にみとめつつ、カンナはダフォディルに微笑みかける。互いに、完全なる商売取引用の表情になっていた。
「よく来たな、カンナ」
「ごきげんよう。帝都は相変わらず華やかですわね」
「そうだな。確実に時代は動乱の時代へ戻った。変化したのは、貴族共の勢力図だけではない。人や物、そして金がめまぐるしく動いている」
「商売人としては、稼ぎ時と」
「そうだ。さて、れいのものは?」
「もちろん、お持ちしましたわ」
そこへ、金属がかち合うような、苦しそうな音が割り入ってくる。
「お前、無視する気か?! よくも私を……!」
ずっと除け者のようにされていたワタリが、痺れを切らせたのだ。暴れようとしたが、足についた鎖がそれを阻んで彼を地面に縫い止めている。
「ワタリ、私の客に何という口をきいているのだ。やはり、自分の立場というものが理解できていないようだな」
「分かっていないのは、お前の方だ。私は、本来ならば一国の王として」
「どの口がそれをほざくか。本当に自覚が無いのはどこの誰だ? 数多の民に手をかけ、むざむざと死なせた罪は、たとえ生まれ直しても消えることはない。それを魂に刻み込んでやるには、アレしかあるまいな」
ダフォディルは怒りを露わにしていたが、やがて気色の悪い笑みでワタリに近づくと、彼の顎に指を滑らせる。
「アレとは……?」
ワタリの声は、あからさまに震えていた。顔色も悪い。きっとこれまでも、さまざまな方法でダフォディルに遊ばれ、いいようにされて、恐れを抱く程に彼の自尊心や、男としての尊厳を奪ってきたのだろう。
「特別に、恥辱と快楽の大舞台を用意してやろう。せいぜい気を失わぬよう、注意することだな」
「そ、そんなこと許されぬぞ! せめて、ひと思いに殺してくれ。頼む!」
もはや、土下座のような格好で懇願するワタリ。しかしダフォディルは、灰汁の強い顔面を、さらにニタつかせるだけだった。
「馬鹿が。生きて、償え」
ワタリが俯くと、足首に絡みついた重い鎖が、再び悲し気な音を立てる。カンナは、音を立てずに溜息をついた。
先程からの遣り取りを見るに、ダフォディルは、亡き皇帝の王子と懇意にしているようである。どうやら、ワタリを王子に宛てがう算段があるようだ。ワタリ本人には希望をもたせるような言い方をしているが、おそらくは悪意そのものだろう。
ダフォディルは、性癖は普通ではないが、商売をさせたら頭は切れるし、その他については、まともな感覚も持ち合わせた男である。カンナから、ワタリの過去については教えられている上、独自の情報網でも彼の悪政や酷い評判が十分に掴んでいるにちがいない。そしてそれを、決して許しはしない厳しさがある。
それを期待して、ワタリを託したのだが、ここに来て、それが今後どのように転ぶかと考えると、一抹の不安が拭えなかった。
これで本当に良かったのか、と。
現在、ダフォディルとは、妓女が使う秘薬を卸している間柄だ。かれこれ付き合いは長いが、政について語る関係にはない。
今や、カンナは紫の人間だ。先日、王宮から送られてきた密書にあった、セラフィナイトを皇帝として擁立する動きを考えると、今目の前にある火種が見過ごせなくなってくる。
もし、元王族であるワタリが、帝国の王子の誰かに気に入られ、知らぬ間に紫が帝国に売られやしないだろうか。これ以上ワタリに悪さをしてほしくないのもある。せっかく立った新国が危機に陥るのも辛い。だが、それ以上に、ワタリが自分の目の届かないところへ、どんどん行ってしまうのが許せない気がした。
カンナは、ワタリの隣でしゃがみこむと、くどいぐらいに妖艶な笑みを浮かべてみせる。
「ワタリ様、死なないでくださいね」
ワタリは、一瞬呆気にとられていたが、すぐにはち切れんばかりの怒りを爆発させた。長い鎖が彼の身体に乱れ打ちして、それでも暴言を吐き続けて、まるで野生の犬のよう。ダフォディルは、仕方なく使用人を呼び、ワタリを奥の部屋へ連れていくよう命じていた。
「さて、どうしようかしら」
カンナは、薬を机の上に置くと、あらかじめ用意されていた金の入った袋を手にとって懐にしまう。
「やはり、あの方にもご相談しようかしら」
ワタリについては、自分でも驚くほどに執着してしまっている。さらには、彼をこの状態に貶めた本人であるにも関わらず、どうにかして救いたいと思ってしまうのだ。
もうこれ以上、手を汚してほしくない。元々そんな大きな器ではないのだから、身の丈にあった暮らしをし、ひっそりと死んでほしい。それをこっそりと見届けたい。そんな気持ちに駆られてしまう。
けれど、今も昔もこれからも、ワタリという駄目な男には、カンナの言葉など真の意味で届くことはないのだろう。それが分かっているからこそ、カンナは、最後の頼みの綱に縋ろうと思うのである。
「一度は死んだという、あのお方ならば、きっと」
カンナは、紫国へ戻ることを決意した。
四頭立ての箱馬車が忙しなく行き交い、高級料理店や美術品を扱う店が立ち並ぶ道は石畳。歴史を感じさせる趣のある建物に見下されながら、俯きがちに小走りで進んでいく。途中、派手な羽飾りのついた大きな帽子の貴婦人達に睨まれたが、それも仕方がない話。カンナがあまりにもこの場に不似合いなのだ。
顔の凹凸が乏しい元妓女は、目深に黒い布を被り込んでいて、誰から見ても怪しいことこの上ない。それでも、はっきりと顔を見られるよりは安全なのである。
なぜなら、ここのところ帝都では、皇帝の死が極東の小国から放たれた密偵によるものだという噂で持ち切りなのだ。その逆賊と少しでも似たような風貌をしていれば、多少美しかろうと、何をされるか分かったものではない。こうした危険は帝都に入る前から分かりきっていたことだが、カンナには用事があった。いや、用事は建前で、どうしても確認しておきたいことがあるのだ。
「あったわ」
カンナは目当ての建物を探し当てると、裏路地に回り、黒い金属製の扉に手をかけた。鍵はかかっていない。足音を忍ばせ、慎重に中へと滑り込んでいく。
入ってすぐの階段は、地下へ繋がっていた。夜のような暗さの中、微かに聞こえる人の声に聞き耳を立てながら降りていく。
「その暁には、必ずや私を紫の王にしてくださいね。約束ですよ」
ふてぶてしい声は、どこか懐かしくもある。同時に、それは何も変わっていないことの証左でもあり、やはり残念に思うカンナなのであった。
「それは、ワタリ。お前の働き次第だな。あの御方のお役に立てば、そのような僥倖もあるかもしれん」
「では、早く王子の元へ行かせろ!」
「行かせてください、だ。馬鹿野郎。相変わらず、口のきき方も知らないようだな。今夜、改めて身体に叩き込んでやろうか」
「そ、それだけはご勘弁を」
ワタリに高圧的な言葉をかけているのは、カンナの知り合いの商人、ダフォディルである。帝国圏で手広く商売をしていて、成金趣味の服と出張った腹からは、彼がかなり稼いで裕福であることが伺えた。
出会いは、昔、カンナが旅芸人として各地を回っていた際、たまたま巡り合わせで宴会の盛り建て役として踊り子の舞を見せたことだった。なぜか気に入られ、今日の日まで縁があるのだが、おそらくカンナが若い男を定期的に彼へ紹介しているが故の贔屓と思われる。ちなみに、この生業の世界では、彼が男色なのは有名な話だ。
カンナは、そろそろ頃合いかと思い、靴音を立てて彼らに近づいていった。
「ダフォディル商会長」
声をかけると、商人はにっと下衆な笑みを浮かべる。その次の瞬間、夜の躾に怯えてうなだれていたワタリが、ふと頭を上げた。カンナとワタリ。二人の視線が交差する。
「お、お前……!」
ワタリをダフォディルに売ってから、面と向かって顔を合わせるのはこれが初めててになる。何度か、物陰から確認したことがあったが、こうして間近に見ると、思いの外大切に飼われていることが伝わってきた。
奴隷などとは程遠い、艷やかで滑らかな生地で作られた衣を纏っている。似合っているかはさておき、髪も切られたらしく、帝国風にされていた。それを横目にみとめつつ、カンナはダフォディルに微笑みかける。互いに、完全なる商売取引用の表情になっていた。
「よく来たな、カンナ」
「ごきげんよう。帝都は相変わらず華やかですわね」
「そうだな。確実に時代は動乱の時代へ戻った。変化したのは、貴族共の勢力図だけではない。人や物、そして金がめまぐるしく動いている」
「商売人としては、稼ぎ時と」
「そうだ。さて、れいのものは?」
「もちろん、お持ちしましたわ」
そこへ、金属がかち合うような、苦しそうな音が割り入ってくる。
「お前、無視する気か?! よくも私を……!」
ずっと除け者のようにされていたワタリが、痺れを切らせたのだ。暴れようとしたが、足についた鎖がそれを阻んで彼を地面に縫い止めている。
「ワタリ、私の客に何という口をきいているのだ。やはり、自分の立場というものが理解できていないようだな」
「分かっていないのは、お前の方だ。私は、本来ならば一国の王として」
「どの口がそれをほざくか。本当に自覚が無いのはどこの誰だ? 数多の民に手をかけ、むざむざと死なせた罪は、たとえ生まれ直しても消えることはない。それを魂に刻み込んでやるには、アレしかあるまいな」
ダフォディルは怒りを露わにしていたが、やがて気色の悪い笑みでワタリに近づくと、彼の顎に指を滑らせる。
「アレとは……?」
ワタリの声は、あからさまに震えていた。顔色も悪い。きっとこれまでも、さまざまな方法でダフォディルに遊ばれ、いいようにされて、恐れを抱く程に彼の自尊心や、男としての尊厳を奪ってきたのだろう。
「特別に、恥辱と快楽の大舞台を用意してやろう。せいぜい気を失わぬよう、注意することだな」
「そ、そんなこと許されぬぞ! せめて、ひと思いに殺してくれ。頼む!」
もはや、土下座のような格好で懇願するワタリ。しかしダフォディルは、灰汁の強い顔面を、さらにニタつかせるだけだった。
「馬鹿が。生きて、償え」
ワタリが俯くと、足首に絡みついた重い鎖が、再び悲し気な音を立てる。カンナは、音を立てずに溜息をついた。
先程からの遣り取りを見るに、ダフォディルは、亡き皇帝の王子と懇意にしているようである。どうやら、ワタリを王子に宛てがう算段があるようだ。ワタリ本人には希望をもたせるような言い方をしているが、おそらくは悪意そのものだろう。
ダフォディルは、性癖は普通ではないが、商売をさせたら頭は切れるし、その他については、まともな感覚も持ち合わせた男である。カンナから、ワタリの過去については教えられている上、独自の情報網でも彼の悪政や酷い評判が十分に掴んでいるにちがいない。そしてそれを、決して許しはしない厳しさがある。
それを期待して、ワタリを託したのだが、ここに来て、それが今後どのように転ぶかと考えると、一抹の不安が拭えなかった。
これで本当に良かったのか、と。
現在、ダフォディルとは、妓女が使う秘薬を卸している間柄だ。かれこれ付き合いは長いが、政について語る関係にはない。
今や、カンナは紫の人間だ。先日、王宮から送られてきた密書にあった、セラフィナイトを皇帝として擁立する動きを考えると、今目の前にある火種が見過ごせなくなってくる。
もし、元王族であるワタリが、帝国の王子の誰かに気に入られ、知らぬ間に紫が帝国に売られやしないだろうか。これ以上ワタリに悪さをしてほしくないのもある。せっかく立った新国が危機に陥るのも辛い。だが、それ以上に、ワタリが自分の目の届かないところへ、どんどん行ってしまうのが許せない気がした。
カンナは、ワタリの隣でしゃがみこむと、くどいぐらいに妖艶な笑みを浮かべてみせる。
「ワタリ様、死なないでくださいね」
ワタリは、一瞬呆気にとられていたが、すぐにはち切れんばかりの怒りを爆発させた。長い鎖が彼の身体に乱れ打ちして、それでも暴言を吐き続けて、まるで野生の犬のよう。ダフォディルは、仕方なく使用人を呼び、ワタリを奥の部屋へ連れていくよう命じていた。
「さて、どうしようかしら」
カンナは、薬を机の上に置くと、あらかじめ用意されていた金の入った袋を手にとって懐にしまう。
「やはり、あの方にもご相談しようかしら」
ワタリについては、自分でも驚くほどに執着してしまっている。さらには、彼をこの状態に貶めた本人であるにも関わらず、どうにかして救いたいと思ってしまうのだ。
もうこれ以上、手を汚してほしくない。元々そんな大きな器ではないのだから、身の丈にあった暮らしをし、ひっそりと死んでほしい。それをこっそりと見届けたい。そんな気持ちに駆られてしまう。
けれど、今も昔もこれからも、ワタリという駄目な男には、カンナの言葉など真の意味で届くことはないのだろう。それが分かっているからこそ、カンナは、最後の頼みの綱に縋ろうと思うのである。
「一度は死んだという、あのお方ならば、きっと」
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