193 / 214
外伝7 馬鹿二人
しおりを挟む
チグサは、もう何日もセラフィナイトの元へ通っていた。せっかく様子を見に行ってやっているというのに、捕らえられているセラフィナイトは自分に媚びもしない。冷たい壁にもたれまま、気だるげに見つめ返してくる視線は、まるで懐かない猫のようだ。
だから、何も話してやらない。視線だけ交わして、期待させて、そして最後に裏切ってやりたい。そんな黒い欲望が浮き沈みし続けていたが、ついにミズキからあるお達しが届いてしまった。
『いつまでも、サヨを害した男を紫国内に置いておきたくはない。かと言って殺してしまえば、帝国側から後々難癖をつけられても困る。早く良い使い道を見つけて、追い出してしまえ』
セラフィナイトを見つけ出し、拾ってきたのはチグサだ。カツが率いる間諜を拝借してのことだったが、飼い主は間違いなくチグサである。
「さて、もう躾の時間はお終い。そろそろ役に立ってもらおうかしら」
チグサは、いつもと変わらないフリを気取って、セラフィナイトのいる牢へと向かう。地下は、屋敷の中よりは寒いが、外と比べるとまだ我慢できる冷え方だった。
セラフィナイトは、器用にも片目だけを開けてチグサをみとめると、面倒くさそうに再び狸寝入りをする。どうせまた、無言で帰ると思い込んでいるのだろう。そんな姿を目にすると、なんとも言えない優越感がチグサを満たしていくのだった。
「ねぇ、死ぬ前にしておきたいことは、何かあるかしら?」
セラフィナイトは、驚いたように顔を上げた。だが、次の瞬間には壁と一体化するように気配を沈めてしまう。
そう、セラフィナイトは一筋縄にはいかない。チグサのような深窓の元王女に、翻弄されてくれるわけがないのだ。 地を這うような低い声が嗤っている。
「何が面白いのよ? せっかく来てあげたというのに、失礼だわ」
チグサは噛み付くように叫ぶ。予定通りに運ばない未来が見えて、焦っていた。
「笑わずにはいられるか。殺すのかと思えば殺さない。勝手に死ぬのを待ってるのかと思えば、ぎりぎり生きられる程度に寒い牢屋に入れる。飯も、出る。挙句の果てに、やり残した事を尋ねるなんて、こんな親切で馬鹿な国、なかなか無いだろうな」
「馬鹿はあなたよ。自分の価値を知らないんだわ。簡単に死なせてたまるものですか。ちゃんと働いていただきますからね」
チグサは、言うべきことを言えたとばかりに、ふと肩の力を抜く。セラフィナイトは、それを完全に見切っていた。
「先に質問に答えようか」
「え、何なの」
「そちらが聞いたんだろうが。聞きたくないなら、質問するな」
「あなたに命令される謂われはないわ。本当に……嫌な人」
チグサの頬はいつの間にか真っ赤に染まっていた。恥ずかしさと怒りと、いつの間にか自分を支配していた目の前の男への執着心が、ゆらめいて燃えている。
負けてなるものか、と精一杯足を踏ん張るが、真正面から漂うただならぬ王者の気配は強い。次第にチグサは、気圧されていった。
「そうだな。せめて死ぬ前に、最高の女を抱きたい」
「なっ」
ここで初めて、チグサは一人でここへ来たことを後悔する。何かが身体を突き抜けて、瞬間的に脳内が沸騰したが、ニ、三呼吸の合間にかろうじて声を出せるようになった。
「慎みのない男」
絞り出すような呟きで、自らへ言い聞かせる。そうだ。この男は、この期に及んでチグサを軽んじて辱めようとしている逆賊である。決して、心が熱くなっただとか、嬉しさの欠片を抱いてしまっただとか、気づかれてはならない。
だが、目だけは雄弁だ。視線はセラフィナイトへ吸い込まれて、いつになってもそこから逸らすことができない。まるで我慢比べのようだった。見えない蔦が少しずつ蔓を伸ばして、チグサを絡め取ろうと近づいてくる。
セラフィナイトは満身創痍で、ボロを纏い、とても見れたものではなかった。それなのに、チグサが抗えない程の魅力が光を放つようにして、一人の女を捕らえて離さない。
チグサは唇を噛み締めていたが、いつしか膝をついていた。
崩れるようにして、うなだれる。その瞬間、頭頂を何かが勢いよく貫いたようだった。
胸元へ流れ込んだ黒髪を後ろへやって、再び相手と目を合わせる。なぜだろう。そこには、本人ですら信じられない程に、全てを吹っ切った女、チグサその人がいた。
「最期の望みがそれならば、叶えてさしあげてもよくってよ」
一歩、セラフィナイトへ歩み寄る。
「ほら、来なさいよ」
浮かび上がるは妖艶な笑み。誰にも見せたことのない姿だ。
セラフィナイトも、この態度には虚を突かれたようで、戸惑った面持ちで固まっている。
「さぁ、何を迷っているの? 私以上に最高の女なんて、この世にいないわ。そうでしょう?」
こんな大胆な台詞、吐いたことがない。いつしか、一世一代の大勝負となっていた。
「でも、条件があるわ。あなた、皇帝になりなさい。それさえ約束すれば、抱かれてあげても良いと言っているの」
今度こそ、やり切った。チグサは胸元で両手を結び、静かにセラフィナイトの答えを待つ。破廉恥な問をした後とは思えないほど、無垢で、清やかな眼差しが向けられていた。
しかし囚人は、チグサの心をまたもや、へし折るのである。
「なぜ? なぜあなたは、また笑うの?」
セラフィナイトは、声を出さず、こらえるようにして腹を抱えていた。
「お前、正気か? 思ってたよりも、根性あるじゃないか」
「そちらこそ、頭がおかしくなっているのではなくて? 私の要求の大きさが分からないなんて、やっぱり馬鹿なのかしら」
「何度言わせる? 馬鹿は、どっちだ?」
すぐさま、チグサの怒りは膨れ上がっていった。自分の貞操をかけた交渉は、これ以上ないぐらいに重い意味を持っている。なのに、この男ときたら。
「あなた、今の自分の立場を全く理解していないようね。主導権は、私にあるのよ。間違えないで!」
「でもなぁ」
「何よ。そんなに早く抱きたいならば、さっさとやりなさい!」
セラフィナイトは、呆れ半分でチグサを舐め回すように眺める。
これは、ソラに長く潜伏していたから分かることだ。この女は神具師としても腕がありながらも、職人気質とは一線を画す華やかさがある。見事な絹織物の衣を品よく組み合わせていて、日頃であれば決して隙を見せない凛とした出で立ちの美人であり、賢女。生半端な男では、まず踏み入ることのできない、秘密の花園のよう。
それが今、彼を自ら迎え入れようとしている。
あまりにも甘美な誘い。
セラフィナイトは、一瞬唾を飲み込んで考えた。だが、答えは変わらなかった。
「自暴自棄になっている女は、最高とは言えない」
「なっ」
またもや声を失くすチグサ。そこへセラフィナイトが畳みかける。
「こちらにも条件がある」
この時には、どうしてかセラフィナイトもすっかり腹が座っていた。ずっと牢屋の中で一人、これまでのこと、今のこと、これからのことについて考えてきたが、ようやく覚悟が決まった瞬間である。
だから、何も話してやらない。視線だけ交わして、期待させて、そして最後に裏切ってやりたい。そんな黒い欲望が浮き沈みし続けていたが、ついにミズキからあるお達しが届いてしまった。
『いつまでも、サヨを害した男を紫国内に置いておきたくはない。かと言って殺してしまえば、帝国側から後々難癖をつけられても困る。早く良い使い道を見つけて、追い出してしまえ』
セラフィナイトを見つけ出し、拾ってきたのはチグサだ。カツが率いる間諜を拝借してのことだったが、飼い主は間違いなくチグサである。
「さて、もう躾の時間はお終い。そろそろ役に立ってもらおうかしら」
チグサは、いつもと変わらないフリを気取って、セラフィナイトのいる牢へと向かう。地下は、屋敷の中よりは寒いが、外と比べるとまだ我慢できる冷え方だった。
セラフィナイトは、器用にも片目だけを開けてチグサをみとめると、面倒くさそうに再び狸寝入りをする。どうせまた、無言で帰ると思い込んでいるのだろう。そんな姿を目にすると、なんとも言えない優越感がチグサを満たしていくのだった。
「ねぇ、死ぬ前にしておきたいことは、何かあるかしら?」
セラフィナイトは、驚いたように顔を上げた。だが、次の瞬間には壁と一体化するように気配を沈めてしまう。
そう、セラフィナイトは一筋縄にはいかない。チグサのような深窓の元王女に、翻弄されてくれるわけがないのだ。 地を這うような低い声が嗤っている。
「何が面白いのよ? せっかく来てあげたというのに、失礼だわ」
チグサは噛み付くように叫ぶ。予定通りに運ばない未来が見えて、焦っていた。
「笑わずにはいられるか。殺すのかと思えば殺さない。勝手に死ぬのを待ってるのかと思えば、ぎりぎり生きられる程度に寒い牢屋に入れる。飯も、出る。挙句の果てに、やり残した事を尋ねるなんて、こんな親切で馬鹿な国、なかなか無いだろうな」
「馬鹿はあなたよ。自分の価値を知らないんだわ。簡単に死なせてたまるものですか。ちゃんと働いていただきますからね」
チグサは、言うべきことを言えたとばかりに、ふと肩の力を抜く。セラフィナイトは、それを完全に見切っていた。
「先に質問に答えようか」
「え、何なの」
「そちらが聞いたんだろうが。聞きたくないなら、質問するな」
「あなたに命令される謂われはないわ。本当に……嫌な人」
チグサの頬はいつの間にか真っ赤に染まっていた。恥ずかしさと怒りと、いつの間にか自分を支配していた目の前の男への執着心が、ゆらめいて燃えている。
負けてなるものか、と精一杯足を踏ん張るが、真正面から漂うただならぬ王者の気配は強い。次第にチグサは、気圧されていった。
「そうだな。せめて死ぬ前に、最高の女を抱きたい」
「なっ」
ここで初めて、チグサは一人でここへ来たことを後悔する。何かが身体を突き抜けて、瞬間的に脳内が沸騰したが、ニ、三呼吸の合間にかろうじて声を出せるようになった。
「慎みのない男」
絞り出すような呟きで、自らへ言い聞かせる。そうだ。この男は、この期に及んでチグサを軽んじて辱めようとしている逆賊である。決して、心が熱くなっただとか、嬉しさの欠片を抱いてしまっただとか、気づかれてはならない。
だが、目だけは雄弁だ。視線はセラフィナイトへ吸い込まれて、いつになってもそこから逸らすことができない。まるで我慢比べのようだった。見えない蔦が少しずつ蔓を伸ばして、チグサを絡め取ろうと近づいてくる。
セラフィナイトは満身創痍で、ボロを纏い、とても見れたものではなかった。それなのに、チグサが抗えない程の魅力が光を放つようにして、一人の女を捕らえて離さない。
チグサは唇を噛み締めていたが、いつしか膝をついていた。
崩れるようにして、うなだれる。その瞬間、頭頂を何かが勢いよく貫いたようだった。
胸元へ流れ込んだ黒髪を後ろへやって、再び相手と目を合わせる。なぜだろう。そこには、本人ですら信じられない程に、全てを吹っ切った女、チグサその人がいた。
「最期の望みがそれならば、叶えてさしあげてもよくってよ」
一歩、セラフィナイトへ歩み寄る。
「ほら、来なさいよ」
浮かび上がるは妖艶な笑み。誰にも見せたことのない姿だ。
セラフィナイトも、この態度には虚を突かれたようで、戸惑った面持ちで固まっている。
「さぁ、何を迷っているの? 私以上に最高の女なんて、この世にいないわ。そうでしょう?」
こんな大胆な台詞、吐いたことがない。いつしか、一世一代の大勝負となっていた。
「でも、条件があるわ。あなた、皇帝になりなさい。それさえ約束すれば、抱かれてあげても良いと言っているの」
今度こそ、やり切った。チグサは胸元で両手を結び、静かにセラフィナイトの答えを待つ。破廉恥な問をした後とは思えないほど、無垢で、清やかな眼差しが向けられていた。
しかし囚人は、チグサの心をまたもや、へし折るのである。
「なぜ? なぜあなたは、また笑うの?」
セラフィナイトは、声を出さず、こらえるようにして腹を抱えていた。
「お前、正気か? 思ってたよりも、根性あるじゃないか」
「そちらこそ、頭がおかしくなっているのではなくて? 私の要求の大きさが分からないなんて、やっぱり馬鹿なのかしら」
「何度言わせる? 馬鹿は、どっちだ?」
すぐさま、チグサの怒りは膨れ上がっていった。自分の貞操をかけた交渉は、これ以上ないぐらいに重い意味を持っている。なのに、この男ときたら。
「あなた、今の自分の立場を全く理解していないようね。主導権は、私にあるのよ。間違えないで!」
「でもなぁ」
「何よ。そんなに早く抱きたいならば、さっさとやりなさい!」
セラフィナイトは、呆れ半分でチグサを舐め回すように眺める。
これは、ソラに長く潜伏していたから分かることだ。この女は神具師としても腕がありながらも、職人気質とは一線を画す華やかさがある。見事な絹織物の衣を品よく組み合わせていて、日頃であれば決して隙を見せない凛とした出で立ちの美人であり、賢女。生半端な男では、まず踏み入ることのできない、秘密の花園のよう。
それが今、彼を自ら迎え入れようとしている。
あまりにも甘美な誘い。
セラフィナイトは、一瞬唾を飲み込んで考えた。だが、答えは変わらなかった。
「自暴自棄になっている女は、最高とは言えない」
「なっ」
またもや声を失くすチグサ。そこへセラフィナイトが畳みかける。
「こちらにも条件がある」
この時には、どうしてかセラフィナイトもすっかり腹が座っていた。ずっと牢屋の中で一人、これまでのこと、今のこと、これからのことについて考えてきたが、ようやく覚悟が決まった瞬間である。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
裏切りの代償
志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。
家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。
連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。
しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。
他サイトでも掲載しています。
R15を保険で追加しました。
表紙は写真AC様よりダウンロードしました。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる