琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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外伝4 ミズキの奇策

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 それから間もなく、ミズキは案の定、王宮からの使いに回収されてしまった。その後、彼が向かったのは神具省である。長官のカケルが不在の今、またもや兄の埋め合わせをさせられている、あの男と会うためだ。

「僕、ですか?」

 驚きのあまり、一人称を私にすることができていないことにすら気づいていない。ミズキは、神妙な顔をして声を潜ませる。

「そうだ。これでも随分悩んだんだぞ? だが、やはりクロガ様以外に考えられない」

 クロガは、これまでも損な役まわりばかりだった。

 琴姫への恋も芽生えたと同時に破れ、王と同等の才覚があるにも関わらず影武者を務め上げるだけで地位は得られず。神具師としての腕も良いはずなのに、その界隈の話となると変人の粋に入る兄や弟がいるせいで霞んでしまう。

 とにかく、どこか報われないことばかりなのに、文句一つ言わずに周囲の期待に答えてしまう真面目な人間だ。そして、こういった者は、得てして頼み事は断れない性なのだ。

「王直々にお越しになってのご依頼、謹んでお受けいたします」

 拝命の証として、ひとまず頭を下げたクロガだが、次に上げた顔には、隠しきれない戸惑いがあった。

「しかし、まずは事情をお聞かせいただかない限りは」
「もちろんだ」

 ミズキは、楽師団内の派閥争いが激化していることを掻い摘んで話した。それには首席として経験の長いアオイですら手を焼いているという状況である。

 クロガも、楽師が不穏な空気を背負っていては、神の声たるシェンシャンの音や合奏にも支障がでて、引いては国力の低下に繋がることをすぐに理解できた。しかし、である。

「念の為確認しますが、僕は別の省に異動し、文官として鳴紡殿に詰めながら、彼らの不仲を解いていくということでしょうか?」

 クロガは、あくまで当たり前のことを確認したつもりだった。故に、まさかこんな返答を得ることになるとは思いもよらなかったのである。

「いや、楽師として入ってもらう。部屋は、首席代行のアオイと一緒だ。彼女にも、同居人が増えることは連絡済みだから安心しろ。間もなく久方ぶりの入団試験が行われるから、潜入する時期としても不自然ではない」

 ミズキは、自分の考えが完璧だと言わんばかりに胸を張る。そして、おもむろに自らの髪に挿しっぱなしだった赤い簪を抜き去った。

「これを貸そう。誰にもクロガ様だと悟られることなく、動けるはずだ」

 クロガは、目の前が真っ白になった。ミズキの簪がこの世に二つとない神具であり、女に化けられるものであることは知っている。つまり、正体不明の女楽師としての潜入を命じられていることは理解できるのだが、頭が全く追いつかなかった。

「俺の経験上、色恋沙汰以外で女と対等に渡り合いたいならば、女になるのが一番だ。そして男は、見目が良くて幼い女、それも身分が低いとくれば、気を許しやすい。たくさん本音を引き出して、それを糸口に懐柔すれば、そう長い時間もかからないだろう」

 ミズキの話には一理も、二理もある。だが、これでもつい半年前までは一国の王子として、周囲に崇められてきた存在なのだ。急に庶民の女として生活しろと言われるなんて、青天の霹靂。けれど、何ということか。この話は、既に一度は承諾してしまっている。

 クロガは、必死でこれを避けられないかと思案した。しかし、頭の中に浮かび上がるのは今も活躍中の、兄弟達の姿ばかりだ。

 兄、カケルは身を呈して対帝国戦の最終兵器となった。弟のカツは、神具の領域で奇人の域に在るだけでなく、この国最強、かつ間諜に特化した部隊を上手く率いている。そしてチグサは、女同士の情報網や人脈を駆使して、元ソラの貴族達に大きな影響力を持ち、最近はサヨの側近たる侍女スズにまで頼りにされている様子。

 では、自分は――――。

 クロガはしっかりと目を瞑って自問自答した。

 兄の代理を務め上げているだけだ。いくら代わりをしても、本人になれるわけでもなく、地位を乗っ取れるわけでもなく、そこまでする欲も沸かなければ、何となく周囲に求められることを卒なくこなしているだけ。

 それでいいのだろうか? ともう一人の自分が言う。

 ミズキは、何かを確信しているかのように、落ち着いてクロガを見つめ続けていた。それが若干癪に障るのだが、気づくとクロガは、目の前に置かれた赤い簪に手を伸ばしていたのである。

「決意してくれて恩に着る。苦労することも多いだろうが、自分ではない自分になって、何かを開放するのも一興だと思ってほしい」
「はい」

 と、ここで、クロガはハッとした。

「あの、一つ問題があります」
「何だ?」

 用が済んだとばかりに、ミズキは席を外しかけたところだった。クロガは、遠慮がちに口を開く。

「僕は、シェンシャンが弾けません」

 ミズキの目が点になる。
 時が氷ったようだった。

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