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外伝1 それから
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夜が明けると、辺りは土と草の香りが一層立ち込めて、自らが森の一部となったようだった。伸ばしっぱなしのベタくつ長い髪を紐で縛りあげると、苔に覆われた岩瀬から静かに立ち上がる。すると、すぐに足元で転がっていた少年が身動ぎを始めた。思わず舌打ちが出る。
「父ちゃん、どこ行くの?」
寝ぼけ眼故か、いつも以上に舌足らずで幼く見えた。
「俺はお前の父親じゃない」
何度となく繰り返してきた会話だ。それでも、痩せた白い髪の少年のもつ赤眼を通すと、目の前に立つ男はそのように映るらしい。
「お前を拾っちまったのは、魔が差したからだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「でも、飯食わせてくれるじゃないか。笛の吹き方だって!」
少年、ハクトは大きな勘違いをしている。男が少年を生かしているのは、稀有な業をこの国に残すためだ。
「神苑の笛吹は、絶えるわけにはいかないからな」
男の村は、先の王に焼かれてしまった。一族の生き残り最後の一人となってしまった今、どこかの女と番って子をなして、その者に受け継がねばならないのが本筋。しかし男は、どこまでもやさぐれていた。
「神の庭であるこの国の獣を従えるためだけに吹くなんて、そんなつまらないこと、もうたくさんだ。笛は……シャオは、シェンシャンを凌ぐ力がある。俺は奏でを極めることにした」
「じゃ、本当に仲間を探しにいっちゃうの?」
「そうだ。奏でと真剣に向き合っている者を探す。シャオが、いかに優れたものなのか、世に知らしめるんだ。だから、もう着いてくるな? お前とはここで、おさらばだ」
本当ならば、少年が眠っている間に姿を消すつもりだったのだ。ならば、もっと深く眠り込んでいる夜中に離ればいいものを、ついつい朝になるまで待ってしまった。この異端な見た目の少年が、建国の動乱の中で暗躍している野党共に襲われ、無意味に命を散らすのはることを恐れたためだ。
せっかく仕込んだ弟子をつまらないことで失くすわけにはいかない。そんな優しくもない言い訳で、男はただ少年を淡々と見つめている。これが、見納めだとばかりに。
「じゃぁな」
歩き始めたが、小さな足音が後ろをついてきた。振り払うように走る。すると、ハクトの呻き声がした。反射的に振り向いてしまい、すぐさまそれを後悔する。派手に転んで、額から血を垂らしていた。森を駆けるのは、笛吹の基本だというのに、この少年はいつになってもそそっかしい。男は仕方なくハクトの元へ向かうと、手をとって立ち上がらせてやった。
「わかった。もう好きにしろ。だが、2つ約束してもらう。ひとつ、シャオは捨てるな。お前が継ぐんだ。もうひとつ、俺が何をしても邪魔するな。絶対だ」
つまり、ついて行っても良いということだ。
「うん、守るよ、父ちゃん!」
男は大袈裟に溜め息をつく。
「何度言ったら分かる? だから、お前の親じゃない。俺はエンジュだ。いい加減、名前で呼んでくれ」
そう言いながらもエンジュは、ハクトの頭についた落ち葉を丁寧に摘んで取ってやり、手拭いで額を清めてやる。そして自分の非常用にと携えていた懐の中の干し芋を、半分に千切って持たせてやるのである。
「甘い」
ハクトは笑みを浮かべて、それを頬張っていた。少し前には、仏頂面のまま、歩幅を狭めて先を行くエンジュの背中があった。
◇
あれから半年。元王の自決と、琴姫に神が憑依するという事件を経て、帝国軍を追い払った紫国。すっかり寒くなって、朝は部屋に炭を入れる日もでてきた。
香山は、一段と都らしくなっている。建国直後から、紫の傘下に入った貴族達の屋敷の建設が一斉に始まり、商人や職人も多く住み着くようになった。旅籠屋や食い物屋もかなり増えたとか。もちろん職人街や、楽師のための屋敷も新たに用意され、それはそれは活気がある。
一方、かつてのクレナやソラの都は、そのまま旧国の名を冠することとなり、今や都と言えばこの土地を指すようになっていた。
そんなある日。王宮のすぐ外側にある立派な屋敷の一つに、珍しい客が訪れていた。
「それで、かの姫君はまだ帰ってくださらないと?」
チグサは、やれやれと肩をすくめてみせた。目の前に座す女、スズは、この紫国の王妃であるサヨに仕える侍女である。
彼女は庶民であるものの、長らく菖蒲殿で勤め上げ、当主からの信頼も厚い。サヨの裏の側近としての顔も持つため、建国前の紫の中では地位が高く、今も下手をすればチグサ以上の発言力があるかもしれない。
よって、下手に追い返すこともできず、かと言って上座に座らせるには元王女としての矜持が許さず、ひとまず眺めの良い部屋で向き合っているのだった。
「困ったものね。サヨ様を差し置いて、我が国の正妃になりたいなんて。いったい何を考えているのかしら」
チグサの呟きに、スズは大きく頷いて同意する。
事の発端は、一ヶ月も前のことであった。
敵対していたアダマンタイト国から、停戦と和睦のための使者が送られてきたのである。その中にいたのが、アダマンタイトの王女であり、死んだ皇帝の元妻の一人でもある娘、アイラだったのだ。
「父ちゃん、どこ行くの?」
寝ぼけ眼故か、いつも以上に舌足らずで幼く見えた。
「俺はお前の父親じゃない」
何度となく繰り返してきた会話だ。それでも、痩せた白い髪の少年のもつ赤眼を通すと、目の前に立つ男はそのように映るらしい。
「お前を拾っちまったのは、魔が差したからだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「でも、飯食わせてくれるじゃないか。笛の吹き方だって!」
少年、ハクトは大きな勘違いをしている。男が少年を生かしているのは、稀有な業をこの国に残すためだ。
「神苑の笛吹は、絶えるわけにはいかないからな」
男の村は、先の王に焼かれてしまった。一族の生き残り最後の一人となってしまった今、どこかの女と番って子をなして、その者に受け継がねばならないのが本筋。しかし男は、どこまでもやさぐれていた。
「神の庭であるこの国の獣を従えるためだけに吹くなんて、そんなつまらないこと、もうたくさんだ。笛は……シャオは、シェンシャンを凌ぐ力がある。俺は奏でを極めることにした」
「じゃ、本当に仲間を探しにいっちゃうの?」
「そうだ。奏でと真剣に向き合っている者を探す。シャオが、いかに優れたものなのか、世に知らしめるんだ。だから、もう着いてくるな? お前とはここで、おさらばだ」
本当ならば、少年が眠っている間に姿を消すつもりだったのだ。ならば、もっと深く眠り込んでいる夜中に離ればいいものを、ついつい朝になるまで待ってしまった。この異端な見た目の少年が、建国の動乱の中で暗躍している野党共に襲われ、無意味に命を散らすのはることを恐れたためだ。
せっかく仕込んだ弟子をつまらないことで失くすわけにはいかない。そんな優しくもない言い訳で、男はただ少年を淡々と見つめている。これが、見納めだとばかりに。
「じゃぁな」
歩き始めたが、小さな足音が後ろをついてきた。振り払うように走る。すると、ハクトの呻き声がした。反射的に振り向いてしまい、すぐさまそれを後悔する。派手に転んで、額から血を垂らしていた。森を駆けるのは、笛吹の基本だというのに、この少年はいつになってもそそっかしい。男は仕方なくハクトの元へ向かうと、手をとって立ち上がらせてやった。
「わかった。もう好きにしろ。だが、2つ約束してもらう。ひとつ、シャオは捨てるな。お前が継ぐんだ。もうひとつ、俺が何をしても邪魔するな。絶対だ」
つまり、ついて行っても良いということだ。
「うん、守るよ、父ちゃん!」
男は大袈裟に溜め息をつく。
「何度言ったら分かる? だから、お前の親じゃない。俺はエンジュだ。いい加減、名前で呼んでくれ」
そう言いながらもエンジュは、ハクトの頭についた落ち葉を丁寧に摘んで取ってやり、手拭いで額を清めてやる。そして自分の非常用にと携えていた懐の中の干し芋を、半分に千切って持たせてやるのである。
「甘い」
ハクトは笑みを浮かべて、それを頬張っていた。少し前には、仏頂面のまま、歩幅を狭めて先を行くエンジュの背中があった。
◇
あれから半年。元王の自決と、琴姫に神が憑依するという事件を経て、帝国軍を追い払った紫国。すっかり寒くなって、朝は部屋に炭を入れる日もでてきた。
香山は、一段と都らしくなっている。建国直後から、紫の傘下に入った貴族達の屋敷の建設が一斉に始まり、商人や職人も多く住み着くようになった。旅籠屋や食い物屋もかなり増えたとか。もちろん職人街や、楽師のための屋敷も新たに用意され、それはそれは活気がある。
一方、かつてのクレナやソラの都は、そのまま旧国の名を冠することとなり、今や都と言えばこの土地を指すようになっていた。
そんなある日。王宮のすぐ外側にある立派な屋敷の一つに、珍しい客が訪れていた。
「それで、かの姫君はまだ帰ってくださらないと?」
チグサは、やれやれと肩をすくめてみせた。目の前に座す女、スズは、この紫国の王妃であるサヨに仕える侍女である。
彼女は庶民であるものの、長らく菖蒲殿で勤め上げ、当主からの信頼も厚い。サヨの裏の側近としての顔も持つため、建国前の紫の中では地位が高く、今も下手をすればチグサ以上の発言力があるかもしれない。
よって、下手に追い返すこともできず、かと言って上座に座らせるには元王女としての矜持が許さず、ひとまず眺めの良い部屋で向き合っているのだった。
「困ったものね。サヨ様を差し置いて、我が国の正妃になりたいなんて。いったい何を考えているのかしら」
チグサの呟きに、スズは大きく頷いて同意する。
事の発端は、一ヶ月も前のことであった。
敵対していたアダマンタイト国から、停戦と和睦のための使者が送られてきたのである。その中にいたのが、アダマンタイトの王女であり、死んだ皇帝の元妻の一人でもある娘、アイラだったのだ。
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