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183ソラの怒り
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もう、どれだけの時間が経過したのか、誰にも分からなかった。何度か朝が来て、夜が来て。明るくなるか暗くなるかの違いで、空はずっと紫。
そうして全ての楽士達が力尽きて事切れて、ついにはコトリも奏でを止めた。
薄れいく意識の中、気がかりなのは帝国のこと。やるだけやったは良いが、どれだけ致命的な傷を負わせて、紫国を守ることができたのかは、さっぱり分からない。願わくば、一時でも良いので、人々の平和な暮らしが長く続きますようにと、カケルの命懸けの祈りが届きますようにと、コトリは心に念じながら、今度こそ意識を手放した。
故に、これは疲れが見せる異常な夢だと思っていた。
なぜかコトリは、これまでに何度か来たことのある白い世界に立っていた。不思議と疲労も気力も回復している。それでいて、その空間に流れる風が少し乱れたコトリの紅い髪を揺らしているのを認められる程には、現実感もある。
さらには、大いなるものの気配。神の存在が、漠然と感じられた。
首から下がる勾玉を手で探る。やはり、紅い。しかも、いつの間にかカケルそのものであるシェンシャンが、腕の中から消えていた。そこはかとない孤独感が足元からよじ登ってきて、コトリの首を絞めようとする。
その時、目の前の空間に亀裂が入った。
いよいよ、役目を終えて命を落とした自分が、カケルのいる所へ向かう時なのかもしれない。今度こそ、彼とずっと共に在れますようにと亀裂に向かって手を伸ばす。
すると、亀裂から男が一人這い出してきた。はっと息を呑むコトリ。
「カケル様……ではないわ」
しかし、あまりにもよく似ていた。彼がもう少し成長すればこうなるのではないかと思われる様。けれど、ちょっとした仕草や表情は別人なのである。となると、コトリの頭で思いつくのは、ただ一人。
「ソラ様?」
「よく分かったな」
それは、初代王ソラであり、今はソラ神となっている者の姿であった。死んだカケルの面影が強すぎて、コトリは今にも泣き叫びたい衝動に駆られてしまう。
「情けない。姉上と瓜二つの癖に、中身は全く違うではないか」
涙でぼやける視界の中、ソラ神はコトリを落ちこぼれを見るかのように蔑んだ視線を投げかけていた。
「お前は分かっているのか?」
そこから語られたのは、工具に神として降りていた彼が、カケルと出会い、カケルの相棒として数多くの神具を生み出し続けた日々。そして――――。
「カケルがずっと追い求めていたのは其方(そなた)であろう? あやつがどれだけ苦労していてお前の影を追っていたのか知ってるのか? 今、御前が存命なのも全てカケルの犠牲あってのものなのだからな。なのに、いつまでめそめそしているのだ!」
こんな状況なのに、存命なのか。コトリはそれを他人事のように受け止めながらも、意外にも強烈な物言いをするソラ神の訴えに胸が熱くなっていた。
確かにその通りなのだ。カケルが潔くをその身を神具として昇華させたことは、紫国を救う最強の手立てとなり、コトリを楽師として、元姫としても、奮い立たせてくれるものとなった。
だが、やはり。それでもコトリは。
「でも、それでも私は、共に生きたかった」
カケルがいない世界なんて、滅んでも構わない。なんて、口が裂けても言えないのは分かっている。けれど、コトリが幼少の頃から心を病まずに成長できたのは、彼の存在あればこそだ。
つい先日も、父王崩御の引き金を引き、誰かの犠牲の上に立つ自らの幸せについて、もう俯かずに自身の選択がもたらす自由と責任、代償を全て受け止め、前を向くのだと決めたばかり。目に見える鳥籠も、見えない束縛も、全て葬り去るのは自分次第だと知り、それに自信と覚悟をもてるまで支えてくれたのは、やはりカケルだった。
彼が、もう、いないなんて。
いや、いなくなったわけではないが、物言わぬシェンシャンは、やはり死人以上に無口である。きっと、コトリが引き留めるのを分かった上で、何も言わずに決死の作戦を実行してしまったのだろう。どれだけ悩み、苦しみ、辛かったろうか。
コトリの涙が、どこからともなく吹き付ける風に流されて、飛ばされていく。次第にソラは、おろおろし始めた。
「やめろ。あの、いつも毅然としていた姉上と同じ顔をした其方が泣くのを見るのは、さすがに堪える」
けれど、涙というのものは、止めろと言われて止められるようなものではない。特にコトリは、シェンシャンになったカケルを見た時点で取り乱さなかった分、反動が出たかのように今、制御できない感情が迸っているのだ。
「分かった。確かに、其方の存在があったからこそ、カケルは神具師の生ける神的な存在になった。そこは評価できる。しかも今も祝詞で姿を変えただけだから、もちろん、戻してやるのも吝かではない。だが、条件がある」
「戻せる?」
コトリは、瞳が零れるのではないかというぐらい、目を見開いた。
「姉上、クレナの、シェンシャンを聞かせてほしい」
クレナと呼ぶ声が、やけに艶やかな響きでコトリの耳に残った。同時に、頭の中がさらなる絶望の色で染まる。
「私は、クレナ様では、ありません」
コトリは、コトリ。いくら姿が似ていても、血を引いているのだとしても、どこまで行っても別人でしかないのだ。
兄弟の間柄であり、一国の王となって別の女と番ったにも関わらず、生涯を通して姉を愛し続けたと言われているソラ。神具師として大成したのも、最高の奏で手であるクレナにシェンシャンを贈るためだけに腕を磨いたからだともされている。
そんな人物に、紛い物の奏でが届くなんて、到底思えない。
「どうすれば……」
そうして全ての楽士達が力尽きて事切れて、ついにはコトリも奏でを止めた。
薄れいく意識の中、気がかりなのは帝国のこと。やるだけやったは良いが、どれだけ致命的な傷を負わせて、紫国を守ることができたのかは、さっぱり分からない。願わくば、一時でも良いので、人々の平和な暮らしが長く続きますようにと、カケルの命懸けの祈りが届きますようにと、コトリは心に念じながら、今度こそ意識を手放した。
故に、これは疲れが見せる異常な夢だと思っていた。
なぜかコトリは、これまでに何度か来たことのある白い世界に立っていた。不思議と疲労も気力も回復している。それでいて、その空間に流れる風が少し乱れたコトリの紅い髪を揺らしているのを認められる程には、現実感もある。
さらには、大いなるものの気配。神の存在が、漠然と感じられた。
首から下がる勾玉を手で探る。やはり、紅い。しかも、いつの間にかカケルそのものであるシェンシャンが、腕の中から消えていた。そこはかとない孤独感が足元からよじ登ってきて、コトリの首を絞めようとする。
その時、目の前の空間に亀裂が入った。
いよいよ、役目を終えて命を落とした自分が、カケルのいる所へ向かう時なのかもしれない。今度こそ、彼とずっと共に在れますようにと亀裂に向かって手を伸ばす。
すると、亀裂から男が一人這い出してきた。はっと息を呑むコトリ。
「カケル様……ではないわ」
しかし、あまりにもよく似ていた。彼がもう少し成長すればこうなるのではないかと思われる様。けれど、ちょっとした仕草や表情は別人なのである。となると、コトリの頭で思いつくのは、ただ一人。
「ソラ様?」
「よく分かったな」
それは、初代王ソラであり、今はソラ神となっている者の姿であった。死んだカケルの面影が強すぎて、コトリは今にも泣き叫びたい衝動に駆られてしまう。
「情けない。姉上と瓜二つの癖に、中身は全く違うではないか」
涙でぼやける視界の中、ソラ神はコトリを落ちこぼれを見るかのように蔑んだ視線を投げかけていた。
「お前は分かっているのか?」
そこから語られたのは、工具に神として降りていた彼が、カケルと出会い、カケルの相棒として数多くの神具を生み出し続けた日々。そして――――。
「カケルがずっと追い求めていたのは其方(そなた)であろう? あやつがどれだけ苦労していてお前の影を追っていたのか知ってるのか? 今、御前が存命なのも全てカケルの犠牲あってのものなのだからな。なのに、いつまでめそめそしているのだ!」
こんな状況なのに、存命なのか。コトリはそれを他人事のように受け止めながらも、意外にも強烈な物言いをするソラ神の訴えに胸が熱くなっていた。
確かにその通りなのだ。カケルが潔くをその身を神具として昇華させたことは、紫国を救う最強の手立てとなり、コトリを楽師として、元姫としても、奮い立たせてくれるものとなった。
だが、やはり。それでもコトリは。
「でも、それでも私は、共に生きたかった」
カケルがいない世界なんて、滅んでも構わない。なんて、口が裂けても言えないのは分かっている。けれど、コトリが幼少の頃から心を病まずに成長できたのは、彼の存在あればこそだ。
つい先日も、父王崩御の引き金を引き、誰かの犠牲の上に立つ自らの幸せについて、もう俯かずに自身の選択がもたらす自由と責任、代償を全て受け止め、前を向くのだと決めたばかり。目に見える鳥籠も、見えない束縛も、全て葬り去るのは自分次第だと知り、それに自信と覚悟をもてるまで支えてくれたのは、やはりカケルだった。
彼が、もう、いないなんて。
いや、いなくなったわけではないが、物言わぬシェンシャンは、やはり死人以上に無口である。きっと、コトリが引き留めるのを分かった上で、何も言わずに決死の作戦を実行してしまったのだろう。どれだけ悩み、苦しみ、辛かったろうか。
コトリの涙が、どこからともなく吹き付ける風に流されて、飛ばされていく。次第にソラは、おろおろし始めた。
「やめろ。あの、いつも毅然としていた姉上と同じ顔をした其方が泣くのを見るのは、さすがに堪える」
けれど、涙というのものは、止めろと言われて止められるようなものではない。特にコトリは、シェンシャンになったカケルを見た時点で取り乱さなかった分、反動が出たかのように今、制御できない感情が迸っているのだ。
「分かった。確かに、其方の存在があったからこそ、カケルは神具師の生ける神的な存在になった。そこは評価できる。しかも今も祝詞で姿を変えただけだから、もちろん、戻してやるのも吝かではない。だが、条件がある」
「戻せる?」
コトリは、瞳が零れるのではないかというぐらい、目を見開いた。
「姉上、クレナの、シェンシャンを聞かせてほしい」
クレナと呼ぶ声が、やけに艶やかな響きでコトリの耳に残った。同時に、頭の中がさらなる絶望の色で染まる。
「私は、クレナ様では、ありません」
コトリは、コトリ。いくら姿が似ていても、血を引いているのだとしても、どこまで行っても別人でしかないのだ。
兄弟の間柄であり、一国の王となって別の女と番ったにも関わらず、生涯を通して姉を愛し続けたと言われているソラ。神具師として大成したのも、最高の奏で手であるクレナにシェンシャンを贈るためだけに腕を磨いたからだともされている。
そんな人物に、紛い物の奏でが届くなんて、到底思えない。
「どうすれば……」
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