琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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176神具師の語らい

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 ソラの都。かつて王宮と呼ばれていた広大な敷地に並び立つ建物群は、今やそれ自体が巨大な工房と化していた。

 その最奥にある古めかしい佇まいの宮は、政のほとんどの機能を新国、紫に放り投げてからというもの、半ば倉庫のような有様になっている。各地から運び込まれた神具素材や木箱が積み上げられ、空気は薄っすらと土臭い。

 貴人をもてなすための大広間であった場所には、作業用の卓が整然と並ぶ。そこには、武人と見紛うほどの屈強さがありながら、職業は神具師と名乗る猛者達が、もくもくと手を動かしていた。戦支度さながらの緊張感が漂っている。

「ご苦労」

 そう言って、下男から文を受け取ったのは、カケルの名代としてここを取り仕切っているゴスだ。

「どうした。間に合わんかったんか?」

 隣で作業していたテッコンは、からかう様な口調でゴスの手元を覗き見た。しばし、書き連ねられた報告に目を走らせる。

 カケルから、ソラの国境沿いの河川に毒が仕掛けられる可能性について連絡を受けたのは二日前のことだ。早速手の者を放って、今のところ毒が撒かれていないことを確認し、近隣の村にも注意喚起して、毒消しの布と呼ばれる神具で濾した水しか口にしないよう通達したのである。

 さらには、川の神や薬の神、風の神などを崇める儀式や奉奏を行い、もしもに備えることとなっていた。

「なんや、間に合ったんか」

 テッコンはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

「残念そうにしないでください。縁起でもない。何かが起きてからでは遅いのですから」

 ゴスにとってテッコンは、直接の師ではないものの、やはり年齢的にも経験的にも、それに近いものがある。嗜めるような口調も、どこか畏まっていた。

 対するテッコンは、王宮であろう、自宅であろうと、いつも通りである。初めこそは世間知らずな子供のように浮ついていたが、いざ神具師の仕事が始まると、余計なことは考えなくなるらしい。

「あぁ、そう言えば、カツ坊が作ったとかいう、疾風の布があったんやったな。あれやったら、確かに馬も速いし、カケルとのやり取りも早い。世の中も変わるはずや。儂は若い才能が羨ましい」

 テッコンは、まるで自分が役立たずの老害かのように言う。だが、それは完全なる間違いだ。この老人の神具師としての腕は、未だにカケルに匹敵する高さがあることをゴスは知っている。

「そういうテッコンも、とんでもないもの、神具にしてるじゃないですか」

 ゴスは、天井の梁からぶら下げられた鳥籠にいる、青い鳥を指差してみせた。首には、複雑な文様が描きこまれた黒光りのする輪がはめられている。

「自分の魂を鳥に乗せて飛ぶなんて、尋常じゃありません」

 通常、神具は木や金属、石といった素材を加工するものだ。それが生きた動物なんて、そんな発想すらゴスは思いついたことがない。

 テッコンは、気を良くしたらしく豪快に笑ったかと思うと、急に真面目腐った顔をしてゴスと触れる程に接近する。

「ここだけの話やで」

 その真剣な声色に、ゴスは文を折り畳んで卓の端に追いやった。

「実は、正月頃に、死にかけとったんや」
「誰がですか?」
「だから、儂や。ほら、暁が紫になって皆忙しくしとるやろ? ユカリ様もいなくなって、誰も儂が工房から出てこんかったかて、ぜんぜん気にしてくれへんからな」
「もしかして、飲まず食わずで何日も工房に籠もってたんですか?」

 テッコンはきまりが悪そうに頭を掻いている。それが答えだ。もう年だというのに無茶をする。ゴスは思わず溜息をついた。

「ほんでな、頭くらくらして、力も入らんで、儂も神具作りながら死ぬんやったら本望やとか思いながら、ぼんやりしとったら、鳥が一羽工房の中に入ってきよった。それが、アレや」

 ゴスは、改めて鳥を見る。なんの変哲もない、普通の鳥だ。唯一特別なことと言えば、その美しい青い色だろうか。

「まぁ、普通の鳥なんやけどな。何の巡り合わせか、その時たまたま神気がぶわーっと膨れて、ざーって大量に工房に入ってきたかと思ったら、ばさーってこの鳥が羽ばたいてこっちに向かってくるんや。これは老衰とか飢餓とかやなくて、鳥に殺される思たんやけど、そうはならんかった。えらいことなったんや」

 この老人、昔からなのだが、相変わらず説明が雑だなと思いつつ、ゴスは興味津々で続きを促す。

「で、何が起きたんですか?」
「たぶん、あれは神の声かなんかやな。鳥が口開いて、その嘴の奥からどーんって何か光が出てきて、この辺りに当たったんや」

 テッコンは自らの心の臓辺りを丁寧に撫でまわす。

「なんか、痛そうやろ? それがな、そうでもないんや。で、気づいたら、視界がおかしい。でも、まぁ、三つ数えるうちには理解できた。儂は鳥になったんやって」

 テッコン曰く、鳥になってそのまま空高くに舞い上がり、正月特有の清涼な気でソラが満たされるのを目にしたらしい。

「それでな、儂は新しい神に見初められたんとちゃうかって思って、作ったんがあの神具よ。あれから、あの鳥、頼み込んでも乗せてくれへんし、こうするしかなかったんや」

 やはり説明の仕方に難がある気がするが、ゴスはようやく合点がいくものがあった。

 神具師は、手先の器用さや、祝詞の発想だけで腕は決まらない。最後は生来の素養、いかに様々な神に広く深く愛されるかにある。

 神具師がよく素材探しと称して旅に出るのも、これ所以だ。旅先の失敗や出会い、発見の中で、人としての経験値を積み、その度に何らかの光を浴びる。もしくは見ることになる。この光は、神から道具へ降ろすことの許しのようなものだ。もちろん、光を受けずとも神具は作れるのだが、その効果や性能のほどは、そうでないものと比べると桁違いだ。

「俺は、最近新たな神に出会えていないなぁ」

 思わずゴスがボヤくと、テッコンは痛い程に強くその背中を叩きまくった。

「神なら、すぐ近くにおるやないか。カケルは、いずれ神具師の神になる!」

 そんなカケルを弟子として育てたのはゴスだ。誇らしくて、ついつい口元がにやけてしまう。

「よーし。じゃ、俺も神の師として立派な仕事をしないとな」

 カケルからは、帝国が土地を殺す土が撒かれる恐れがあるとも知らされている。その対策として、風の神を降ろした特別な神具を作っているところなのだ。国境沿いに神具を配置して、帝国から悪しきものが入ってきても風の力で吹き返す作戦である。

「そやな。発想力はカケルに軍配が上がるかもしれへん。でも、量産型の神具の設計は、あんたが一番や」

 事実、ヨロズ屋で販売されている汎用的な神具の設計は全てゴスだ。調達がしやすく安価な素材を使い、できるだけ簡単な手間で時間をかけずに完成させる。もちろん、使い勝手も良く、女子供でも手軽に使えるものばかり。つまり、民の生活と懐事情に寄り添った商品の開発が得意なのだ。

 対するカケルは、一点物や特注品を得意としていた。そちらの方がどうしても華々しい物が出来上がるが故に、神具師としての名はカケルの方が有名になってしまっているが、テッコンのような者からすれば、どちらも別の高い山を上り詰めたところに立つ覇者である。

「もっと誇ってえぇと思う。それに、新しい国が作るこれからの世の中は、もっとアンタの力が活きてくるはずや」

 ここまで来ると、もはや褒め殺しである。ゴスは笑みを一旦引っ込めた。

「今日は妙に持ち上げてくれますね。もしかして、何か頼み事でもあるんですか?」
「うわぁ、バレてしもたか。実はな」

 紅社の社では、神具の力を底上げするような特別な祝詞があるらしく、それを刻んだ鏡や、刺繍した布を各地に送っているらしい。しかし、巫女達も暇ではない。

 そこで、神具師界の重鎮であるテッコンにお声がかかり、クレナの民にも神具師の手習いをさせて、特別な祝詞の神具を量産させてほしいという話が出ていると言う。

「ほら、儂は人に物を教えるのが得意な方ではないのは知ってるやろ? そこで」
「俺か」

 テッコンは大きく頷く。

「儂はええもん完成させとくから、頼んだで」

 紅社の頼みを聞くことは、引いては国の底力を上げることにも繋がる。カケルの文には、神具の力で帝国を討つとあった。では、側近の一人として、これは引き受けねばならないのだろう。

「分かりました。では、後は頼みましたよ」
「任せとき。もし毒撒かれても、浄化の神具は作ってあるし、いざとなればミロクとかいう男の奉奏を使う手もあるんやろ? それに、もう鷹飼共とも話はつけてるんや。次はデカイ鳥に神具つけて、空から帝国脅しにいったるわ」

 テッコンは、獣の神と空の神、飛翔の神を味方につけたので、また新たな神具を作る気らしい。帝国式の武器を鳥からぶら下げるのも面白そうだとか、既に自分の世界に入り込んでブツブツ言っている。

 取り残されたゴスは、自らの工具を片付け始めた。

 帝国を真似た小型の飛び道具の神具は、もう量産が始まっている。これは、国境を守ることになるソラ出身の有志や、クレナからやってくる軍隊にも配られることになる。

 風の神具も、後少しで完成しそうだ。後はここの工房の者に引継げば、勝手に量産されて、適切な場所へ配置されるだろう。

「さて、いい加減帰るとするか。カケルのところへ」

 工具箱の蓋を閉めた。その木箱を飾る焼印。ヨロズ屋の紋である。

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