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169これが私の選ぶ道
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鳴紡殿。そこは、かつてと変わらぬ佇まいと、穏やかな時の流れがあった。敷地外では建国にまつわる騒ぎが続いているというのに、ここは平時と変わらず女官が楚々と渡り廊下を行き交い、時折シェンシャンの音が漏れい出ている。
コトリは大広間の上座に座らされて、アオイと相対していた。
「アオイ様もご健勝で何よりです」
まずコトリは、サヨにも告げた話だが、うかつにハナの元へ行き、自ら危険に飛び込んでしまい、皆に心配と迷惑をかけたことを侘びた。
そして、コトリが鳴紡殿を離れていた間、皆が恙無く暮らせていたかと気を配り、ソラからの土産である風を起こす神具を引き渡すのである。これから暑くなる季節。重宝するはずだ。
「私達はずっとここにおりましたから、外の動乱には全く関与せず、巻き込まれず、でした」
アオイは垂れていた頭をたおやかに上げる。サヨの計らいで紫と通じるようになったらしく、コトリの動向や建国にまつわる話も、一通り把握していると話した。
ちなみに、ミズキの性別についても、既に他の楽士達の知るところとなっている。もちろん、大きな驚きと衝撃をもって受け止められ、一部の者からは非難がましい声もあがったようだが、今はアオイのとりなしで落ち着いている様子だ。
「先程の勅は、こちらでも拝聴することができました」
ミズキは、またも拡声の神具を使っていたので、おそらくこの辺りの人間は全てその内容を聞き取ることができたであろう。アオイ以外の楽師も、それぞれに頷いてみせた。
「さて、琴姫、コトリ様。勅にもありました通り、改めて我ら楽士団は、首席としてコトリ様をお迎えし、その存在を頂いて恥じない奏でをこれからも続けることを誓います」
ミズキは建国に先駆け、元クレナ王家の王女であるコトリの立ち位置、そして元ソラ王であるカケルの今後についても、話の中で触れていた。
ミズキはサヨや、紫の他の幹部とも相談の結果、今後は民が政に参加できることに加え、コトリが率いる楽士団、カケルが率い、クロガ、カツ、チグサも所属することになる神具省は、政とは一線を画すものの、国の基盤、礎となる最重要機関であることを告げたのだ。
同時に、この二つの存在と政務機関は互いに不可侵を約束するが、民の生活を根本的に支える奏でと神具にまつわる特別な職にある者は、かつての王家にも並ぶ尊い扱いとなることも定めたのである。
「元々、我々楽師達の身分は、比較的高いものでありましたが、今後もそれが約束されたのは、ひとえにコトリ様のお陰にございます」
アオイは再び恭しく頭を下げたが、コトリはかつてと逆転してしまった立場に未だ不慣れである。若干挙動不審になりながらも、顔を上げるように伝えつつ、改めて首席という肩書の重みを感じるのであった。
「それにしても、少しお疲れのようですね」
アオイの指摘に、コトリはヒヤリとする。久方ぶりなので元気な顔を見せようと気を張っていたものの、アダマンタイトの城を抜け出して以来、ずっと慌ただしくしていたのだ。
しかも、父親が死んだ。かつて生まれ育った王宮が焼けた。いつも傍にいてくれたサヨが、いよいよコトリの元を離れて王妃の座についた。確かに、心身ともに疲労は蓄積しているかもしれない。
「皆様忘れがちですけれど、コトリ様はまだ御年十七。しかも、常に努力を惜しまず、真面目な方だからこそ、あれこれと悩んでしまうこともおありなのでしょう」
「いえ、そんな大層なものではありません」
コトリは慌てて言い募るが、他の楽師達も肯定するように笑顔になる。
「ここ鳴紡殿は、琴姫様の家でもあります。自分の屋敷でぐらい、寛いでください。いくら憎くとも、身内が大勢亡くなったのですから、ずっと気丈に振る舞い続けるのはお辛いはず」
「ありがとう」
コトリは、感極まって声を詰まらせた。
なしたこと。なされたこと。今後も、過去を忘れることはできないだろう。もちろん、失くしたものも多いが、コトリの思いや志は、誰にも奪われずにここまで来れた。これもひとえに、周りの者達がコトリを守り、支え、受け入れてくれたお陰だ。
アオイ達も、共に多くの時を過ごしてきたハナを筆頭とする楽師達が王宮と運命を共にして消え去り、何かと思うところもあり、内心穏やかとは言えないだろうに。そんな最中、コトリを温かく迎え入れる彼女達は、逞しく、あまりに頼もしい。
コトリは、そんな素晴らしい懐の深さを持つ彼女達の筆頭、首席になれることを誇りに思えるのだ。
そこへ、ずっと先程からそわそわしていたナギが話しかけてきた。
「それにしても、これでようやく嫌な縁談から逃れることができて、恋を成就させたのよね?」
すると、マツ、タケ、ウメの三人組も、まるで捕獲者の如き怪しげな光を目に宿して近づいてきたではないか。
「そうよ! 何よりも、そこの辺りの説明をしてもらわないと」
「で、カケル様とはいつから、そういう間柄になってますの? やはり、こちらにいらっしゃった際に見初められて?」
「二人で手を携えてソラまで帰ってらっしゃったという噂を聞いたわ。どこまで進んだの?」
やはり恋愛事には皆関心が高いらしく、あっという間に「教えなさいよ!」「聞かせなさいよ!」の大合唱となる。コトリは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしつつ、大雑把な行動歴のみを掻い摘んで話して聞かせた。
それは、楽師達の想像を遥かに超えた過酷なものである。少々の色事の話まで期待していた女達も、次第に冷静になり、最後には眉をひそめて強く拳を握りしめている者までいた。
「帝国は、もうそこまで迫っているのですね。しかもコトリ様をそのように扱うなど、許されるものではありません」
アオイの声も自然と固いものになる。
「実は、私達も前々から帝国の脅威について、薄々感じるところはありました。さらには、琴姫様が拉致されて……。そこで、私達もできる事がないかと、皆で相談したのです」
ナギがそう切り出して、アオイに目配せをする。
「私達だけが、この快適な鳴紡殿でぬくぬくと過ごすことなんてできません。ですから、新たな曲を作り、練習していたところなのです」
幸い、昨今は王家も貴族も皆ごたついていたので、どこかの宴に招かれるようなこともなく、時期的にも遠征が無いことから時間を持て余していたのだと言う。
コトリは、春の園遊会の楽曲もアオイの世話になったことを思い出していた。
「まぁ! アオイ様は作曲がお上手だもの。どんな曲なのですか?」
暗に弾いてみせてほしい。譜面を見せてほしいとせがんでいるのである。それを察してか、アオイはすぐに侍女に指示を出し、自室から譜面とシェンシャンを広間に運びこませた。
「今回も、いくつかの組に別れて、別々の奏でを一度に奏でる形式のものです。いずれは、私達楽師団の者だけでなく、広く弾いてもらえるものになるよう、難しいものにはしておりません」
コトリは、アオイの説明を受けながら、早速譜面に目を落とした。
「これは、もしかして『琴姫の調べ』を元にされてらっしゃる?」
「えぇ。そこに、なるべく効率よく、多くの神気を呼び起こして拡散できるよう、様々な調整と工夫をしております」
確かに譜面には、たくさんの色名が並んでいた。これは、神気の色を現すものである。
「発祥が楽士団だから、曲の出だしは『鳴紡の若葉』の旋律も入っているのよ」
なんと、タケも作曲に参加していたらしく、鼻息荒く話に入ってきた。
「最後の盛り上がりは、あなたがカケル様の前で弾いた格式高い雰囲気のアレを参考にしたんだから」
「紫玉弥栄節ですね」
「そんな名前がついてるんですか」
コトリが答えた、やたらと目出たそうな名前に、皆目を丸くする。
「ともかく、旋律の美しさと神気の動きを最大限に配慮しつつ、シェンシャン初心者でも挑戦できるようなものに仕上げたのです」
アオイの言葉からは、自信の程が見て取れた。コトリは、良い意味で背中がぞくぞくとするような興奮が高まっていく。
「つまり、ただの楽曲ではなく、帝国に対抗できる奏でとなるのですね」
「少なくとも、私達はそう信じています」
琴姫が弾くに相応しい優美さと、土地に恵みをもたらす強い力を携えた曲。これは、奇跡の一曲になるとコトリは確信した。
「初見なので、上手くいくかは分かりませんが、早速皆で弾いてみませんか? おそらくは、今の都……いえ、この街を、この曲で浄化することもできると思うのです」
「つまり、特に青や白、黒の神気には気を配れば良いのね」
コトリがナギに頷いてみせると、皆待ってましたとばかりに各々のシェンシャンを手にとって構え始める。
すぐ近くに権力者や聴衆がいるわけではないが、全員が所謂本番さながらの心境になり、一気に顔を引き締める。
墨色の御簾は、全て女官達によって巻き上げられて、建物の扉という扉も開け放たれた。
これできっと、奏でと、それによってもたらされる神の声は、遠く、遠くまで響きわたることだろう。
「皆様、よろしくて?」
コトリの問いかけに、全員が応じる。
演奏がはじまった。
後に、伝説と呼ばれる紫国楽士団の初めての奏で。あらゆるところから立ち上る神気が、ふわりと人々や物を包み込んでいく。耳心地の良いシャラシャラした音が、大通りを走り抜けて、街を清涼な爽やかさで満たしていった。
神気が見える者の目には、まるで神の国にある川のような煌めきだと感じたかもしれない。
奏でから生まれた神の手が、荒廃した元都のあらゆる門から外へ飛び出して、四方八方に散っていく。
その行方が目に見えずとも、コトリは自らのシェンシャンの本領が発揮されているのを実感していた。
土地が富めば人の暮らしも楽になる。暮らしが良くなれば、心にゆとりができて、笑顔が生まれる。つまり、帝国に踏みにじられないような底力が期待できる。
ようやく手にした自由。自分の願いを叶えるために、ある種、父親の想いを踏みにじり、無理やり殻を突き破って得た地位。
ふと第三者的な視点に立てば、あまりに我儘で心無く、非道な事をやり遂げてしまったのかもしれない。けれど、これがコトリの選んだ道だ。せめて、元王女としての責務を果たさんと、精一杯に奏で続ける。
政略結婚から逃げるばかりの弱い王女は、もういない。
一際強い神気を放ち続ける少女は、大人になった。欲しいものは、なりたい自分は、全力で勝ち取りにいく。
人生、長くて四十年か、五十年。
決して後悔なんて、しないように。
コトリは大広間の上座に座らされて、アオイと相対していた。
「アオイ様もご健勝で何よりです」
まずコトリは、サヨにも告げた話だが、うかつにハナの元へ行き、自ら危険に飛び込んでしまい、皆に心配と迷惑をかけたことを侘びた。
そして、コトリが鳴紡殿を離れていた間、皆が恙無く暮らせていたかと気を配り、ソラからの土産である風を起こす神具を引き渡すのである。これから暑くなる季節。重宝するはずだ。
「私達はずっとここにおりましたから、外の動乱には全く関与せず、巻き込まれず、でした」
アオイは垂れていた頭をたおやかに上げる。サヨの計らいで紫と通じるようになったらしく、コトリの動向や建国にまつわる話も、一通り把握していると話した。
ちなみに、ミズキの性別についても、既に他の楽士達の知るところとなっている。もちろん、大きな驚きと衝撃をもって受け止められ、一部の者からは非難がましい声もあがったようだが、今はアオイのとりなしで落ち着いている様子だ。
「先程の勅は、こちらでも拝聴することができました」
ミズキは、またも拡声の神具を使っていたので、おそらくこの辺りの人間は全てその内容を聞き取ることができたであろう。アオイ以外の楽師も、それぞれに頷いてみせた。
「さて、琴姫、コトリ様。勅にもありました通り、改めて我ら楽士団は、首席としてコトリ様をお迎えし、その存在を頂いて恥じない奏でをこれからも続けることを誓います」
ミズキは建国に先駆け、元クレナ王家の王女であるコトリの立ち位置、そして元ソラ王であるカケルの今後についても、話の中で触れていた。
ミズキはサヨや、紫の他の幹部とも相談の結果、今後は民が政に参加できることに加え、コトリが率いる楽士団、カケルが率い、クロガ、カツ、チグサも所属することになる神具省は、政とは一線を画すものの、国の基盤、礎となる最重要機関であることを告げたのだ。
同時に、この二つの存在と政務機関は互いに不可侵を約束するが、民の生活を根本的に支える奏でと神具にまつわる特別な職にある者は、かつての王家にも並ぶ尊い扱いとなることも定めたのである。
「元々、我々楽師達の身分は、比較的高いものでありましたが、今後もそれが約束されたのは、ひとえにコトリ様のお陰にございます」
アオイは再び恭しく頭を下げたが、コトリはかつてと逆転してしまった立場に未だ不慣れである。若干挙動不審になりながらも、顔を上げるように伝えつつ、改めて首席という肩書の重みを感じるのであった。
「それにしても、少しお疲れのようですね」
アオイの指摘に、コトリはヒヤリとする。久方ぶりなので元気な顔を見せようと気を張っていたものの、アダマンタイトの城を抜け出して以来、ずっと慌ただしくしていたのだ。
しかも、父親が死んだ。かつて生まれ育った王宮が焼けた。いつも傍にいてくれたサヨが、いよいよコトリの元を離れて王妃の座についた。確かに、心身ともに疲労は蓄積しているかもしれない。
「皆様忘れがちですけれど、コトリ様はまだ御年十七。しかも、常に努力を惜しまず、真面目な方だからこそ、あれこれと悩んでしまうこともおありなのでしょう」
「いえ、そんな大層なものではありません」
コトリは慌てて言い募るが、他の楽師達も肯定するように笑顔になる。
「ここ鳴紡殿は、琴姫様の家でもあります。自分の屋敷でぐらい、寛いでください。いくら憎くとも、身内が大勢亡くなったのですから、ずっと気丈に振る舞い続けるのはお辛いはず」
「ありがとう」
コトリは、感極まって声を詰まらせた。
なしたこと。なされたこと。今後も、過去を忘れることはできないだろう。もちろん、失くしたものも多いが、コトリの思いや志は、誰にも奪われずにここまで来れた。これもひとえに、周りの者達がコトリを守り、支え、受け入れてくれたお陰だ。
アオイ達も、共に多くの時を過ごしてきたハナを筆頭とする楽師達が王宮と運命を共にして消え去り、何かと思うところもあり、内心穏やかとは言えないだろうに。そんな最中、コトリを温かく迎え入れる彼女達は、逞しく、あまりに頼もしい。
コトリは、そんな素晴らしい懐の深さを持つ彼女達の筆頭、首席になれることを誇りに思えるのだ。
そこへ、ずっと先程からそわそわしていたナギが話しかけてきた。
「それにしても、これでようやく嫌な縁談から逃れることができて、恋を成就させたのよね?」
すると、マツ、タケ、ウメの三人組も、まるで捕獲者の如き怪しげな光を目に宿して近づいてきたではないか。
「そうよ! 何よりも、そこの辺りの説明をしてもらわないと」
「で、カケル様とはいつから、そういう間柄になってますの? やはり、こちらにいらっしゃった際に見初められて?」
「二人で手を携えてソラまで帰ってらっしゃったという噂を聞いたわ。どこまで進んだの?」
やはり恋愛事には皆関心が高いらしく、あっという間に「教えなさいよ!」「聞かせなさいよ!」の大合唱となる。コトリは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしつつ、大雑把な行動歴のみを掻い摘んで話して聞かせた。
それは、楽師達の想像を遥かに超えた過酷なものである。少々の色事の話まで期待していた女達も、次第に冷静になり、最後には眉をひそめて強く拳を握りしめている者までいた。
「帝国は、もうそこまで迫っているのですね。しかもコトリ様をそのように扱うなど、許されるものではありません」
アオイの声も自然と固いものになる。
「実は、私達も前々から帝国の脅威について、薄々感じるところはありました。さらには、琴姫様が拉致されて……。そこで、私達もできる事がないかと、皆で相談したのです」
ナギがそう切り出して、アオイに目配せをする。
「私達だけが、この快適な鳴紡殿でぬくぬくと過ごすことなんてできません。ですから、新たな曲を作り、練習していたところなのです」
幸い、昨今は王家も貴族も皆ごたついていたので、どこかの宴に招かれるようなこともなく、時期的にも遠征が無いことから時間を持て余していたのだと言う。
コトリは、春の園遊会の楽曲もアオイの世話になったことを思い出していた。
「まぁ! アオイ様は作曲がお上手だもの。どんな曲なのですか?」
暗に弾いてみせてほしい。譜面を見せてほしいとせがんでいるのである。それを察してか、アオイはすぐに侍女に指示を出し、自室から譜面とシェンシャンを広間に運びこませた。
「今回も、いくつかの組に別れて、別々の奏でを一度に奏でる形式のものです。いずれは、私達楽師団の者だけでなく、広く弾いてもらえるものになるよう、難しいものにはしておりません」
コトリは、アオイの説明を受けながら、早速譜面に目を落とした。
「これは、もしかして『琴姫の調べ』を元にされてらっしゃる?」
「えぇ。そこに、なるべく効率よく、多くの神気を呼び起こして拡散できるよう、様々な調整と工夫をしております」
確かに譜面には、たくさんの色名が並んでいた。これは、神気の色を現すものである。
「発祥が楽士団だから、曲の出だしは『鳴紡の若葉』の旋律も入っているのよ」
なんと、タケも作曲に参加していたらしく、鼻息荒く話に入ってきた。
「最後の盛り上がりは、あなたがカケル様の前で弾いた格式高い雰囲気のアレを参考にしたんだから」
「紫玉弥栄節ですね」
「そんな名前がついてるんですか」
コトリが答えた、やたらと目出たそうな名前に、皆目を丸くする。
「ともかく、旋律の美しさと神気の動きを最大限に配慮しつつ、シェンシャン初心者でも挑戦できるようなものに仕上げたのです」
アオイの言葉からは、自信の程が見て取れた。コトリは、良い意味で背中がぞくぞくとするような興奮が高まっていく。
「つまり、ただの楽曲ではなく、帝国に対抗できる奏でとなるのですね」
「少なくとも、私達はそう信じています」
琴姫が弾くに相応しい優美さと、土地に恵みをもたらす強い力を携えた曲。これは、奇跡の一曲になるとコトリは確信した。
「初見なので、上手くいくかは分かりませんが、早速皆で弾いてみませんか? おそらくは、今の都……いえ、この街を、この曲で浄化することもできると思うのです」
「つまり、特に青や白、黒の神気には気を配れば良いのね」
コトリがナギに頷いてみせると、皆待ってましたとばかりに各々のシェンシャンを手にとって構え始める。
すぐ近くに権力者や聴衆がいるわけではないが、全員が所謂本番さながらの心境になり、一気に顔を引き締める。
墨色の御簾は、全て女官達によって巻き上げられて、建物の扉という扉も開け放たれた。
これできっと、奏でと、それによってもたらされる神の声は、遠く、遠くまで響きわたることだろう。
「皆様、よろしくて?」
コトリの問いかけに、全員が応じる。
演奏がはじまった。
後に、伝説と呼ばれる紫国楽士団の初めての奏で。あらゆるところから立ち上る神気が、ふわりと人々や物を包み込んでいく。耳心地の良いシャラシャラした音が、大通りを走り抜けて、街を清涼な爽やかさで満たしていった。
神気が見える者の目には、まるで神の国にある川のような煌めきだと感じたかもしれない。
奏でから生まれた神の手が、荒廃した元都のあらゆる門から外へ飛び出して、四方八方に散っていく。
その行方が目に見えずとも、コトリは自らのシェンシャンの本領が発揮されているのを実感していた。
土地が富めば人の暮らしも楽になる。暮らしが良くなれば、心にゆとりができて、笑顔が生まれる。つまり、帝国に踏みにじられないような底力が期待できる。
ようやく手にした自由。自分の願いを叶えるために、ある種、父親の想いを踏みにじり、無理やり殻を突き破って得た地位。
ふと第三者的な視点に立てば、あまりに我儘で心無く、非道な事をやり遂げてしまったのかもしれない。けれど、これがコトリの選んだ道だ。せめて、元王女としての責務を果たさんと、精一杯に奏で続ける。
政略結婚から逃げるばかりの弱い王女は、もういない。
一際強い神気を放ち続ける少女は、大人になった。欲しいものは、なりたい自分は、全力で勝ち取りにいく。
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