琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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161腹を割って話そう

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 関所の入り口に立つと、山陰から猛烈な速さで近づいてくる黒い箱がいくつか見えた。

「来たわ!」

 はやる気持ちを胸に、今にも飛び出さんとするサヨ。ミズキは、危ないと言って、その両肩を引き寄せると、近づいてきた土煙と四頭建ての馬車の列に目を細めた。

 関所の両脇に集結している衛士達は見事に整列していて、その最中に滑り込むようにして、まずは一台が入国してくる。

 おそらくは、香山の関で最も偉い者なのだろう。赤い飾りのついた兜の男が馬車に進み出ると、ソラ王家の紋章が入っていることを確認の上、御者と木簡を取り交わす。そんな手続きを終えると、ようやく黒い箱の扉が開け放たれた。

「サヨ!」
「姫様!」

 二人の娘が勢いよくぶつかるようにして抱き合っている。再会の喜びを噛みしめているのだ。

「よくぞご無事で」
「カケル様が助けに来てくださったの」

 続いて、別の馬車からも次々と人が降りてきた。それらの者を見て、サヨは驚きのあまり口が半開きになってしまう。

「サヨ様、しばらくぶりです。コトリを追っていたところ帝国に拉致されたとか。ご苦労されましたね」

 カケルは、王族らしい上品な佇まいで近づいてきたのだ。しかし、被り布をしていない。

 ここは、衛士もたくさんおり、庶民であるミズキ達、紫の人間もたくさんいる。そんな中で、王とあろうとも人が素顔を晒すとは前代未聞のことだ。

 よくも、危険を知らせるはずの神具が上手く働かず、コトリを危険に晒したな。コトリとの二人旅では無体を働いていないだろうな? さらには、ソウとして長きに渡り正体を偽っていたことへの不満も、全部全部ぶつけるはずだったのに。

 こんなことをされてしまっては、言いたかったはずのことが消し飛んでしまい、畏れ多すぎて頭を下げるしかなくなってしまう。

「いえ、こちらこそご心配をおかけいたしました。お陰様で、夫に助け出されて無事にございます。また、夫には怪我の手当てもしてくださったとのこと。感謝申し上げます」
「サヨ様、そんなにしおらしくしないでください。いつもと同じの方が落ち着きます」

 カケルは、ソウであった時と変わりない口調で落ち着いているようだ。サヨは視線を地面に下ろしたまま、むくりと起き上がった苛立ちのやり場に困ってしまう。やはりこの王には、一言言っておいた方が良いかもしれない。

「さて、ソラ王。うちの姫様とは……」

 そこへ口を挟んできたのはコトリだ。

「あ、サヨ。聞いて! あのね、私、カケル様と名の交換をしたの」
「名の、交換、ですって?」

 サヨは、ついに自分の中の堪忍袋の緒が切れた気がした。

「アダマンタイトのお城で、カケル様から言ってくださったのよ!」

 コトリが、ずっとカケルに片思いしてきたことは知っている。だからこそ、こうして最上の幸せを手にしている主を見れたのは、それこそ天にも昇る喜びだ。しかし、こうまで異例づくめだと、生粋の貴族令嬢であるサヨは黙っていられない。

「敵地で、しかも、カケル様から、ですか?」
「いけませんか?」

 答えるカケルは、どこまでも涼しげで。まさか、よその国の王を相手に、「そんなの駄目です。おかしいです」と言えるわけもなく。さらには、自分なんて婚姻の儀式後に夫婦で名の交換を行った身だ。それを完全に棚上げすることもできない。

 それが分かっているのか、カケルはさりげなくコトリと手を繋いで満面の笑み。もはや、憎らしくて堪らないサヨなのである。

 しかし大切な主を取られたからと、不貞腐れてばかりもいられない。高貴な気を纏う面々が、さらにやって来たからだ。

「兄上、こちらの方々をご紹介いただいてもよろしくて?」

 見た目は、コトリとそう歳の変わらないと思しき少女だった。しかし、圧倒的な威厳と風格があることから、かなり大人びて見える。

「チグサ。あ、クロガとカツもこちらへおいで。紹介しよう」

 カケルが何気なく呼んだ名は、全てソラ王家の人物だ。しかも、揃いも揃って被り布をしていない。

「こちらがミズキ様。その奥方のサヨ様。あちらにはハト様と……ユカリ様は知ってるよね?」

 カケルの兄弟も、それぞれに名を名乗り、挨拶を交わすが、本来、このような場所でするような事ではないはずだ。ミズキも焦ったようで、大きな声を出した。

「皆様、長旅お疲れ様でございました! まずは離宮に移りまして、お休みになられた後、改めて……」
「ミズキ様」

 ミズキは、カケルに肩を叩かれると、我に返ったように目を大きく見開いた。

「あなたも、いつも通りでいいですよ」

 高貴な人物達を前に、かなり緊張していたのを見抜かれてしまったらしい。ミズキは決まりが悪そうに、へらっと笑った。そこへ歩み寄ってきたのが、クロガとカツである。

「同じ神具師で、同じく国の今後を憂う者として、仲良くできたらと思っています」
「顔を晒して、びっくりさせてしまったな。けど、これがソラ王家の覚悟だ。もう、庶民とか貴族とか関係ない。今日こそ、腹を割って話そう」

 カツの言葉に、ミズキは胸が熱くなるのを感じた。彼ら、ソラ王家は、庶民と同じ目線になるという誓いを体現しているのだ。こんな無茶は、クレナ王家であれば絶対にありえないだろう。ほとんどが卑しい身分で構成されている紫への、最大の配慮とも思える。

「そうだな。よろしく頼む」

 返事したミズキは、どこか吹っ切れたような晴れやかさと、これからの期待に満ち溢れていた。

 そうして行われた、クレナ、ソラ両国の話し合い。ソラ側は、カケルの兄弟四名。クレナ側は、コトリ、サヨ、ミズキ、ハト、ユカリの五人だ。

 結論から言って、対帝国の共同戦線を張ることは、すぐに互いの同意を得ることができた。特に、帝国がこのまま引き下がるわけがないという読みは、全員の一致するところである。

 また、あくまで抗戦するのであり、帝国を侵略したり、倒したりする意図がないことも確認できた。そんなことまでしでかす国力が無いことは周知の事実である上、皆野心も無いのである。

 ざっくりとした戦略も決まった。次回も、既に実績のある、神具を使った戦法を取ることになる。神具の制作はソラで行うが、使うのはクレナとソラ、両国の兵が担当する。

 神具は、神気の流れの濃さや強さでその威力を高められるため、クレナからはソラの国境近くへ楽師団を派遣。負傷した兵は、シェンシャンの奏でによる癒やしも施す予定だ。

 そして、旗頭はカケルとコトリに決定。名の交換で、暫定夫婦になった二人は、王と琴姫という最強の組み合わせである。これならば、誰もが崇拝し、協力する気になれるだろうという思惑である。

「ところで、帝国を負かした後はどうしますか?」

 こんなことを言い出したのは、クロガであった。彼の中では勝つことが既に決定事項になっているのである。まだそこまでの考えに至っていないクレナ側は、皆一様に顔を見合わせるばかりだったが、代表してミズキが口を開いた。

「クレナは、まず王家の解体が必要だと思っている」
「それには同意します。此度の戦の勝利を待つよりも、なるべく早く行ったほうが良ろしいかと」

 ユカリが畳み掛けてきた。ハトは、目線だけで「本当に良いんだな?」と尋ねてくるが、ユカリは笑顔で頷く。彼女も親と国に実質捨てられてしまってから、随分と経つ。母親との再会、さらには死を乗り越え、ハトという庶民の伴侶を持ち、様々に考えを巡らせた上での決意であり、進言なのである。

 ミズキも大きく頷いてみせた。

「紫は、二国の統一を目指している。それを分かった上で、コトリ姫の兄達は、今日ここへ来るのを辞退し、我々に一任してくれた」
「兄上達が、そんなことを」

 コトリが驚いている。そんな彼女を横目に、ミズキはいよいよ腹に力を溜めて、姿勢を正すのである。

「故に、ソラ王。このクレナという国、コトリ姫と一緒に、貰ってくれないか」

 この提案は、都から香山の関までの道中、文字通り関係者が膝を突き合わせて相談し、悩みに悩んで出した結論だった。

 クレナがソラに吸収されれば、母国というものが消える。どれだけ駄目な国でも、それは足元から崩されるような喪失感が拭えない。けれど、感傷で腹は膨れないのが人間だ。

 生まれてきた限りは、生きていきたい。少しでも美味いものが食いたい。マシな格好をしたい。隙間風が吹かない家は住心地が良い。好きなことをしたい。愚痴も文句も不満も、喜びも賛美も自己に秘めたる想いも、自由に表現して開放されたい。できれば、シェンシャンをかき鳴らして、たまに酒でも飲めるような時間と余裕と健康も欲しい。

 そういったものが、ソラにはある。
 既に、ある。

 そしてクレナ側は、カケルという人物についても、よく知っていた。基本的に神具馬鹿で、コトリに一途。彼女が泣くようなことは、今後もしないだろう。さらには真面目で、お人好しで、身分による差別視もなく、偉そぶったこともしない。そんな人の下にならば、ついていっても良いと思えたのだ。

 本来ならば、王の処刑後に王子の中でマシなものを王座に据え、紫が政に介入していく形が筋かもしれない。けれど、王子達にやる気が無いのだ。クレナ王家という名自体も、今や悪の権化の象徴のようになっている。ここは、もう全て仕切り直した方が良いという話になった。

「嫁入り道具と言うには大きすぎるし曰く付き。持参金と言うには安すぎるかもしれない。けれど、我々紫が考えうる最上の形が、これなんだ」

 ミズキは、向かいに座るカケルを真っ直ぐに見据える。縋るような気持ち。それでいて、負けないという心意気で挑む。

 しかし――――。

「断る」

 平時であれば、正月にしか使われることのない豪華絢爛な広間。そこから、音という存在や概念が消えたかのように、静まり返ってしまった。

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