琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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159時代の終わり

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 サヨとミズキがクレナへ帰ってきた。二人が以前よりも仲睦まじく見えるのは、やっと名の交換を行ったという噂が影響しているのかもしれない。普通、順番が逆じゃないかと思われがちだが、紫の中では大物同士の婚姻だ。こんなこともあるだろう、と周囲からは受け入れられている。

「時は来た」

 ミズキは、菖蒲殿当主、大神官スバルも立ち合いの元、社総本山の境内に造られた高舞台の上で、声を張り上げている。それは、拡声の神具によって、都中へ響いたかのように思われた。呼応するように、群衆が鬨の声を上げる。それらの多くは、紫に賛同した民達だ。

 今、都の中は以前のような清潔で整頓された美しい景観は見られない。東西南北の門が破壊され、外から流民や、そうでなくても貧しい者達が大量に押し寄せている。治安を守るはずの衛士の姿も、それらの波に埋もれてしまって、誰も制御ができていない。無法地帯とまではいかぬが、かなり雑多で荒れた様子に一変してしまった。

 帝国の襲来。

 ソラから紫の情報網を使ってもたらされた報せは、風のような速さにクレナ全土へ広まり、稲妻のような衝撃を持って受け止められた。幸いソラは帝国軍を押し返したようだが、その強大凶悪な軍事力は、クレナの民も知識としては知っている。明日にも自分の村が攻撃を受けて、命もろとも消し飛んでしまうのではないか。そういった恐怖感にかられ、民は、こうはしていられないと次々に立ち上がり始めた。


 どうして、帝国はクレナを目指して進軍してきたのか。

 ――――王のせいだ。王が、帝国に喧嘩を売ったのだ。

 どうして、こんなに貧しいのだ。
 どうして、生活は豊かにならないのだ。

 ――――王のせいだ。王が、シェンシャンや、各地の社からご神体を奪って、神具をないがしろにしたからだ。

 どうして、神は我らを助けてくれないのだ。

 ――――王のせいだ。王が、神をないがしろにするからだ。その罰が下っているのだ。

 王の居場所は都。都に直訴しに行こう。王をやっつけてしまおう。

 そういった機運は以前からあったが、此度の事件をもって、それは一気に膨れ上がることとなる。

 一方、紫の存在がますます際立ち始めた。

 ――――紫の長は、琴姫らしい。琴姫は、シェンシャンの奏でをもって、土地や民に恵をもたらしてくれる、奇跡の存在。

 ――――紫の実質的な頭は、庶民らしい。身分を超えて、実力ある者を登用し、頭であるにも関わらず派手な生活をしないばかりか、貧しい者に施しもしてくれる。紫は、庶民が死なないだけの生活を目指して、王などのお偉方と戦ってくれる英雄だ。

 ――――紫は、ソラにも広まっているらしい。数多くの神具師が時間や労力、金をつぎ込んで、クレナの民の生存のために力を尽くしてくれている。

 ――――紫は、ソラ王家の公認らしい。ソラは、クレナと違って豊かな国だ。今後はクレナも、ソラの支援を受けて豊かになれるだろう。

 民衆が、一斉に紫へ傾いていったのは、当然のこととも言えた。紫は、重い税や兵役に反対し、王や、贅沢三昧の一部貴族を完全に敵にまわしている。民衆の唯一の味方と思われた。

 その実質上の頭が、演説を続けている。
 日頃はハトが実務的な采配を振るっているが、今日ばかりは、ミズキ自身が表舞台で熱弁を振るっていた。

「王は、帝国が自分の味方だと思い込んでいた。だが、違った。王の味方は、もう、この都には存在しない。我々を阻む者は消え失せたんだ」

 ミズキは、瞳に力を宿した民衆たちをぐるりと見渡す。皆、闘志に燃えている。

「これ以上、王の悪政を許すわけにはいかない。今日こそ我らの手で、王を捕縛する! 王を討ちたい者は声をあげろ! 手をあげろ! これまでの苦しみを全てぶつけるんだ!」

 とは言え、すぐに殺すことはできない。何しろ、名目上とは言え、長はコトリである。王の実の娘でもあるコトリが不在で、カケル王が帰還していない今、一部の者の勢いだけで勝手に命をとってしまっては、今後にも関わるかもしれないのだ。

 ミズキに誘導された民衆は、ぐるりと王宮を取り囲み、ついには王宮のあらゆる門を打ち破って、中へ侵入を始めた。クレナで一番綺麗な建物や庭が、どんどん踏み荒らされ、破壊されていく。民は目を血走らせて、どこかにいるはずの王の姿を探し続けた。

 そんな中、ミズキは前もって、とある情報を掴んでいた。おそらく、見苦しいことが起こるので、サヨは菖蒲殿の屋敷に残してある。代わりに伴って歩くのは、菖蒲殿当主、ザクロだ。

「ここまで民を煽る必要はあったのですか?」

 ミズキが尋ねると、義父は呆れた顔をした。社での一件は、ザクロの指示だったのだ。

「庶民全てが、お前のように志があり、頭がまわるわけでもない。思う存分、鬱憤を発散する場を設けて、楽にさせてやるのも、上に立つ者の務めだ」

 ミズキ自身、今日ほど紫という組織の大きさを実感したことはなかった。上に立つ者、という言葉が胸に突き刺さると同時に、サヨの顔を思い出し、自然と気が引き締まる。

「ここだな」

 ザクロが立ち止まった。王は、自室ではなく、自身の宮の地下に造った空間に潜んでいるらしい。おそらく、有事の際の王族専用の隠し部屋なのだろう。

 それでも、王は危険を感じているのか、居場所へ通じる通路の前には、息子であるマツリを立たせていた。槍を持っているが、やる気は感じられない。一応、見張りと護衛役を仰せつかっているものと思われる。

 ミズキは、その姿を見たとたん、反射的に顔を強張らせた。自分が、この男からサヨを奪ったことを思い出したからだ。まさか、こんな時に初めて鉢合わせることになるなんて。これまでも紫の者としてやり取りはあったが、全て手の者を挟んで行い、できるだけ会わないようにしていたのだ。

 しかし、私事を気にして、なすべきことを仕損じることになっては、取り返しがつかない。王は、流民の手で勝手に殺されてしまう前に、きちんと捕縛し、しかるべき場所で監視しなければならないのだ。

「王はこの中だ」

 マツリは、さっと身を引いて隠し通路の扉の前を明け渡す。王は、マツリのことを味方だと信用したいたようだが、彼はとっくの昔に、紫寄りになっていた。

「戻ってきておられたのだな」

 ザクロがマツリに話しかける。つい先日まで、香山の新しい社の建設現場にいたはずが、こんなところで一介の衛士のような事をしているなんて、確かに不思議なことだ。マツリは僅かに表情を動かした。

「良い機会でしたので」

 武人の視線が、女と見まがう程の美しさを持つ男、ミズキに注がれる。完全に値踏みされていた。

「サヨは達者か」

 ミズキは顔をしかめる。通常であれば、ただの挨拶のような問いだ。しかし、サヨがつい先日まで拉致されて、帝国の手に渡っていたのは、この王子も知るところ。泣く泣く手放した女が、まさか大事にされていないなんて、怒りを覚えても仕方ないことだ。故に、奥方ではなく、サヨと名前で呼んできたのだろう。

 けれど、ミズキに非があったとは言い切れない。現に、あの帝国に手痛い報復をしかけた上、無事に妻を奪還することができた。ミズキは舌打ちしたくなるのを堪えて、言葉短かに返事する。

「妻は元気です」

 二人の間に、見えない地割れができあがった。

 そんなやり取りを、ザクロは薄笑いしながら眺めている。今は、王子と庶民という離れた身分の関係だが、新たな国では、それが拮抗、逆転するかもしれない。さて、自分はどのように立ち回って、どれぐらい高い地位を狙っていこうか。そういった算段を立てている男なのだ。

 ミズキは、扉に手をかけた。ソラでチグサ王女と面会した際に贈られた神具が、仄かに光る。ガチャリと硬質な音がして、鍵が開錠された。今いる面々に、わざわざ驚いたり、仕組みを尋ねたりするような者はいない。淡々と全員が扉をくぐって、暗い通路に入っていった。

 土と埃の匂いで息がつまりそうな細道を少し行くと、薄明りが見える。次の扉の下から漏れているのだ。中からは、「来るな、来るな」と慌てた風な男の声がしている。

 もちろん、そんな願いをきくミズキではない。ためらいも無く、扉を開けると、しっかりとした声で言い放った。

「貴様の時代は終わった。神に守られしこの国は、民こそが栄えて支える新時代に入る!」

 次の瞬間、どこからともなく、ぞわっと身の毛がよだつような、何とも言えない気味の悪い気配が、王を襲う。そして、世にも不思議な不協和音が地面を揺らす程に轟いた。

「シェンシャンだ」

 ミズキが呟く。

 クレナ、ソラにある、ありとあらゆるシェンシャンがひとりでに音を鳴らす。たった一音。だが、それは、古き時代の幕が閉じて、新たな世界が切り拓かれることを告げる声で。

 それら、無数の叫びにも似たものが全て、引きずり降ろされた元王である男に突き刺さる。男は、小さく呻くだけで悲鳴を上げることもできず、口から少し泡を吹いて倒れた。

「神の制裁だな」

 ミズキの言葉に、ザクロは頷いてみせる。

「牢へ運んでおこう」
「頼みます」

 ザクロの申し出に、マツリとミズキは頭を下げた。どこからともなく菖蒲殿の手の者と思しき者達が集まってきて、倒れた男を物のように担ぎ上げ、去っていく。マツリは、それをじっと何か言いたげに見つめていた。

「やはり、父親のあんな姿を見るのは堪えるものですか?」

 ミズキが尋ねると、マツリは首を振って否定する。

「いや。次は自分かと思ってな」
「貴方様は、紫に貢献されているばかりか、この王宮においても長年被害者であられたと聞いている。まさか、そんな」
「だが、目障りだろう?」

 もちろん、ミズキ個人にとって、という意味だ。ミズキは、こんな武人が自分に対して恐れを抱いたり、遠慮をするなど、あまりにおかしくて笑いがこみ上げてくる。

「いくら、因縁がある関係だと言え、そこまで狭量ではない。特に、サヨがずっと慕っていた方だ。しかも身分と力がある。簡単に死なないでもらいたい。貴方に何かあれば、俺がサヨに殺される」

 あまりにあけっぴろげな物言いに、ついにマツリも吹き出した。このミズキという男の前では、これまで培ってきた駆け引きの技術など全く役に立たないのだ。

「となると、次は兄上か」
「ワタリ様、ですね」

 マツリとワタリは同じ兄弟ではあるが、これまで成してきた事を思うと、天と地程の差ができる。マツリは、国のために王に隠れて神具を用いた武器の改良を行い、軍事強化に努めてきた。もちろん、シェンシャンの有効性も、神の存在も認めている。

 一方、ワタリは、本当に救いようのない男だった。長男であることを鼻にかけ、偉そうに振る舞うだけに飽き足らず、父親から言われるままに村の虐殺をはじめ、数々の横暴で残虐な所業を重ねてきたのだ。

「兄上はずっと香山にいるそうだが」
「いえ、既に移動しているようです」
「こんな時だけ、鼻が効くのだな」

 心底嫌そうに顔をしかめるマツリだが、実際はそうでもない。

「いえ。紫からの間者が時間をかけて王子を垂らし込み、帝国へ拉致しました。今頃、素敵なおもてなしを受けているかと」

 ワタリは王に次ぐ重罪人だ。それを公の場で処刑をせずに、二度とまみえる事のできない土地へ放逐することは、本来ならば許されるものではない。

 しかし、ただ処刑されるよりも苦しめることはできそうだった。ミズキも庶民感情としては、こちらの方がしっくり来る故に、カンナという女のやり方を認めることにしたのだ。

「そうか」

 マツリは、何の感慨も沸かないらしく、冷ややかなままだ。

「次の代は、新たな時代は、いったいどうなるのだろうな。私は武人で、その辺りは明るくない。だが、くれぐれも」
「分かってます。サヨが泣くような世にはならないよう、努めますよ」

 刃物を贈られた時には、一生恨まれるのではないかと肝が冷えたものだが、今はもう、この男を嫌いになんてなれそうもない。ミズキは懐から持ち歩いていた紫の布を取り出すと、すっとマツリに差し出した。



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