琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

文字の大きさ
上 下
152 / 214

151脅しとはったり

しおりを挟む
 サヨは、すっかり肩が凝ってしまっていた。くるりと首を回すと歪な音が鳴るほどに。少し離れたところにあるのは、全身が映る大鏡。その中に佇んでいるのは、やや青みがかった緑の衣を纏った女だ。

 腰から足元まで覆うたっぷりとした布地は傘のように大きく膨らんでいるのに対し、上半身はやけに身体にぴったりと沿っていて、若干窮屈。しかも胸元だけは妙に露出していて、文化の違いだと言われても理解しきれない服装だった。

 この石造りの帝国邸宅風の屋敷に監禁されて、もう十日以上になる。窓辺に垂れ下がる日除けの布も、床に敷かれた贅沢すぎる絨毯も、毎日体を清めて香油を他人から裸体に塗りたくられるというのも、一向に慣れる様子はない。

 だが、食べ物は悪くなかった。箸が無いのは不便だが、ここの食器は作法さえ守れば使いやすいものばかり。屋敷で働く者達も、言葉はほとんど通じないが気の良い者ばかりで、いつも先回りしてサヨの意に沿うことをしようと努力してくれる。

 つまり、快適だった。いつか、王宮の侍女時代に小耳に挟んだ、帝国の姫とはこういう生活をしているのではないかと思われる。王女の侍女でこの待遇ならば、コトリも大方贅沢させてもらっているのではなかろうか。

 それにしても、とサヨは思う。いつまでここに留め置かれるのだろうか。まさか、ずっとここに住まわされるとは考えられない。コトリの侍女として、帝都へ送られるか。もしくは、紫のミズキの妻として――――。

 その時、戸を叩く音もしないままに、部屋の大扉が開け放たれた。

「そろそろ心は決まったかな?」
「セラフィナイト」

 サヨも、敵方の男にわざわざ敬称をつけて呼んだりはしない。今も、不遜な視線でねめつけている。

「うん、そういうところが、いいんだよね」
「何を言われても、私はあなたの女にはなりません」

 セラフィナイトが、執拗にサヨを口説き始めたのは、数日前からだ。それまでも、サヨの何かが彼の琴線に触れてしまったらしく、面白い女だと連呼されては猫可愛がりされていたが、突然それが急加速し始めた。

 サヨがコトリの事を尋ねても、はぐらかすばかりで、珍しい菓子や、いくつもの衣装、輝石をふんだんに使った装飾品などを与えてくるばかり。きっと、クレナと帝国の間で何か新たな展開があった故のことだろうが、何も情報が入ってこないのは、サヨを酷く苛つかせていた。

「そうだね。ツンツンしているのに、本当は寂しがりやなところとか、すごく虐めがいがあって楽しいよ。だけど、俺もそろそろストレスが限界なんだよね」
「我が国が、何か良い仕事をしたようですね」

 セラフィナイトが微笑む。少し、部屋の気温が下がった気がした。彼は静かに怒っている。クレナ風の衣の上から羽織ったマントの端を千切れそうな程強く握りつぶしているのだ。

「それより、サヨ。夫がいるそうだな?」
「それが、何か?」
「その夫とやらが、我が軍に壊滅的な被害をもたらしてくれてね。もちろん、クレナにはしっかりとお礼をさせて貰うつもうつもりだけど、彼自身にも何らかの仕返しをしたいんだ。でもせっかくだし、普通に戦うのじゃ面白く無いから、君を貰うことにした」

 それは、さも決定事項のようで。
 これまでのセラフィナイトとの会話から、帝国軍の砦がこの屋敷から遠くないことは分かっている。サヨは、ミズキが近くまで来てくれたのかと思うと、自然と胸が熱くなった。

「あれ? そんなに夫を捨てるのが嬉しいの? もっと嫌がる君を見たかったのに」
「勘違いも甚だしい。私をものにするなど、千年早いですわ」
「どうせ何もできないのに強がっちゃって。でも、たまにはデレておかないと、今後辛い事が待ってるかもしれないよ」

 セラフィナイトは、一歩、一歩、ゆっくりとサヨに近づいてくる。サヨは、今日こそこの男に触れられるかもしれないと、冷や汗を流していた。サヨに触れていいのはミズキと、コトリだけだ。事態を打開したくて、必死に考えを巡らせる。

「本当にそうかしら? 私に何もできないなんて、決めつけるのは良くないわ」

 セラフィナイトは片眉を上げて、立ち止まった。サヨの様子が、突然落ち着いたものになったからだ。

「あなた、神具というものはご存知?」

 サヨは、目の前の澄ました男の顔が瞬時に凍りついたのを確認する。どうやら、以前神具絡みで痛い目にあったことがあるのだろう。完全にはったりだったが、勝算が見えてきた。

「私の体には、そういったものが仕込まれているの。発動させた時には、私も命は無いでしょうが、この屋敷ぐらい簡単にぶっ飛ばせるでしょうね。あなたは、その巻き添えで死ぬことをお望みなのかしら?」

 いつの間にか、すっかり立場は逆転していた。今度はサヨが一歩セラフィナイトに近づいてみせる。

「あなたのような侵略者に陵辱されるぐらいならば、死を選ばせてもらうわ。私にはその覚悟がある。さぁ、もっとこちらへ来なさいな。一緒に死んであげるから」

 サヨの堂々たる風体と、妖艶な笑み。座りきった眼差しからは本気度の高さが伺える。セラフィナイトは、つい先日ミズキから受けた手痛い襲撃を思い返していた。

「夫婦揃って小癪な」

 そこへ、廊下から誰かの走る足音が近づいてくる。伝令の兵だった。

「緊急事態につき、失礼します!」

 兵は、部屋の入り口でさっと膝を付き、高らかに述べる。

「ソラへ侵攻していた部隊の一部が砦へ帰還してきました。作戦は失敗し、村の占拠も叶わず、死傷者も多数の模様。精神的におかしくなった者も多く、もはや隊の体をなしていないそうです」
「何だ、その有り様は? ただの小さな村だったのだろう?」

 兵は、セラフィナイトの威圧に怯えて震えている。それでも絞り出した言葉はこうだった。

「しかし、あそこはソラです。神具にやられました」
「どいつもこいつも!」

 セラフィナイトが悪態をついて、近くにあった陶器の置物を蹴り飛ばす。クレナでも相当な値の付きそうな高級品。派手に割れて、砕け散った破片が、床の絨毯の上に散らばったのを、サヨと兵は目を丸くして眺めることしかできない。

「と、砦では、復興の確認と工事に関する承認を待っております。一度、お戻りください」

 兵は用件を言い終えたらしく、来た時よりも速い走りで去っていった。暫し無音になる室内。

 後退るようにして部屋を出ようとするセラフィナイトに、サヨは声をかけた。

「あら、逃げるの?」
「まさか。夜には戻る。覚えてろよ」

 いかにも小悪党が吐きそうな捨て台詞を残し、去っていくセラフィナイト。その足音が聞こえなくなって、ようやくサヨは人心地がついた。しかし、問題がある。

「夜まで、何とかしなくちゃ」

 サヨは神具など持っていない。いや、今の彼女にはクレナ由来の物など何一つ無い。元々着ていた衣すら、取り上げられてしまったのだ。もちろん、神具の知識も無い。はったりだったのが明らかになれば、どんな仕打ちを受けるだろうか。想像すると怖くなって、自分の肩をぎゅっと抱いた。すると――――。

「サヨ、もう大丈夫だ」

 愛しい人の、声がした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

君を愛するつもりはないと言われた私は、鬼嫁になることにした

せいめ
恋愛
美しい旦那様は結婚初夜に言いました。 「君を愛するつもりはない」と。 そんな……、私を愛してくださらないの……? 「うっ……!」 ショックを受けた私の頭に入ってきたのは、アラフォー日本人の前世の記憶だった。 ああ……、貧乏で没落寸前の伯爵様だけど、見た目だけはいいこの男に今世の私は騙されたのね。 貴方が私を妻として大切にしてくれないなら、私も好きにやらせてもらいますわ。 旦那様、短い結婚生活になりそうですが、どうぞよろしく! 誤字脱字お許しください。本当にすみません。 ご都合主義です。

妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放されました。でもそれが、私を虐げていた人たちの破滅の始まりでした

水上
恋愛
「ソフィア、悪いがお前との婚約は破棄させてもらう」 子爵令嬢である私、ソフィア・ベルモントは、婚約者である子爵令息のジェイソン・フロストに婚約破棄を言い渡された。 彼の隣には、私の妹であるシルビアがいる。 彼女はジェイソンの腕に体を寄せ、勝ち誇ったような表情でこちらを見ている。 こんなこと、許されることではない。 そう思ったけれど、すでに両親は了承していた。 完全に、シルビアの味方なのだ。 しかも……。 「お前はもう用済みだ。この屋敷から出て行け」 私はお父様から追放を宣言された。 必死に食い下がるも、お父様のビンタによって、私の言葉はかき消された。 「いつまで床に這いつくばっているのよ、見苦しい」 お母様は冷たい言葉を私にかけてきた。 その目は、娘を見る目ではなかった。 「惨めね、お姉さま……」 シルビアは歪んだ笑みを浮かべて、私の方を見ていた。 そうして私は、妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放された。 途方もなく歩いていたが、そんな私に、ある人物が声を掛けてきた。 一方、私を虐げてきた人たちは、破滅へのカウントダウンがすでに始まっていることに、まだ気づいてはいなかった……。

義妹ばかりを溺愛して何もかも奪ったので縁を切らせていただきます。今さら寄生なんて許しません!

ユウ
恋愛
10歳の頃から伯爵家の嫁になるべく厳しい花嫁修業を受け。 貴族院を卒業して伯爵夫人になるべく努力をしていたアリアだったが事あるごと実娘と比べられて来た。 実の娘に勝る者はないと、嫌味を言われ。 嫁でありながら使用人のような扱いに苦しみながらも嫁として口答えをすることなく耐えて来たが限界を感じていた最中、義妹が出戻って来た。 そして告げられたのは。 「娘が帰って来るからでていってくれないかしら」 理不尽な言葉を告げられ精神的なショックを受けながらも泣く泣く家を出ることになった。 …はずだったが。 「やった!自由だ!」 夫や舅は申し訳ない顔をしていたけど、正直我儘放題の姑に我儘で自分を見下してくる義妹と縁を切りたかったので同居解消を喜んでいた。 これで解放されると心の中で両手を上げて喜んだのだが… これまで尽くして来た嫁を放り出した姑を世間は良しとせず。 生活費の負担をしていたのは息子夫婦で使用人を雇う事もできず生活が困窮するのだった。 縁を切ったはずが… 「生活費を負担してちょうだい」 「可愛い妹の為でしょ?」 手のひらを返すのだった。

モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました

みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。 ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。 だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい…… そんなお話です。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

病弱令嬢は結婚一年で離婚を告げられる

杉本凪咲
恋愛
公爵家との愛ある縁談。 それは夢のような幸せ。 しかし彼は私を不当に働かせて、挙句の果てには離婚を宣言する。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...