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141変わり果てたハナ
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これは、サヨが鳴紡殿を出て馬車に乗り、西へ向かっていた頃の話である。
どこか、薄暗い場所。ハナは、侍女が持ってきた掌ほどの大きさの姿見を床へ乱暴に叩きつけていた。大きな音を立てて砕け散り、銀色をした細かな刃の雪が床に降り落ちる。
「ハナ様?!」
驚いた侍女が金切り声をあげた。
「それは、お父上が生前くださった大切なものでは」
それでなくとも、姿見というのは大変貴重なものなのだ。ハナのような貴族の娘にしか手に入らない高級品。しかもこれは、帝国製で縁に異国風の紋様が刻まれた優美な品である。
「どうしてこんなことになってしまったのよ?! 私は精一杯やりきったわ。そうでしょ? なのに、こんな顔。こんな境遇。もう、たくさんよ!」
ハナが睨みつけると、侍女は今度こそ怯えたように後退ってしまった。それもそのはず。今のハナは、この世のものとは思えない程醜い。前日、華やかな園遊会の時の姿とは似ても似つかぬ姿だ。
肌という肌が、火傷をしたような爛(ただ)れを引き起こしている。体自体も、老婆のようにぎこちなくしか動いていない。目だけがギョロリと飛び出していて、爛々と輝いていて見えた。
完全に、呪われている。
否、神の祟を受けている。
主の癇癪には慣れているはずの侍女も、こんな化け物じみた者に凄まれては、もはや全てを投げ打って逃げ出したくなってしまった。
事の起こりは、昨年の夏前だった。例年通りに新たな楽師を募り、入団試験が行われ、三人の娘が入ってきた頃。
ハナは、それ以降、王から頻繁に勅書を受け取っている。初めは実家経由だったが、最近では直接彼女に届けられていた。
役人でもあるまいし、ましてや女であり、目の敵にされている楽師にも関わらず、勅書を得るということ。これは、彼女の誇りを著しくくすぐるものであった。
毎度、「王宮内は味方が少なく、頼れるのは愛しいそなただけだ」などと、恋文紛いの同情を誘う文が書き連ねられていて、いつしかハナは、自らこそが王の忠実な下僕であり、自らこそが、クレナの救世主であると信じ込むことになる。
そして、数日前にも届いた勅書には、これが最後の指示だと書かれてあった。ずばり、いよいよコトリを帝国へ遣ることが決定したという内容である。
ハナは、もうこれで王から直接言葉を貰う機会がないのかと思うと落胆した。同時に、この最後の任務さえ完璧に遂行すれば、また次の新たな仕事が下されるのではないか。もしくは、ここまで懇意にしてきた、うら若き乙女を、妻として召し上げてくれるのではないか。と期待してしまったのである。
ハナは、俄然張り切りだした。
コトリは、王女の癖にやたらと図太いところがある。どうすれば、あの平然とした麗らかな顔を敗北や絶望の色に染めることができるだろうか。
あれこれと考え抜いた結果、まずはカヤを呼び出した。そして、コトリ達が演奏する曲の譜面を書かせて、自らの傘下の者へ死に物狂いで叩き込む。さらには王の名を使い、王宮へ実家と縁ある者を送り込んで、女官の役目を与えた。
これで、後は手筈通りに本番を迎え、コトリが悔しがって泣く顔を見る予定だったのに。
事前の仕込みは全て上手く行った。いや、本番その時まで全てが予定通りに運んだ。にも関わらず、あのコトリは、数ある困難をものの見事に乗り越えて、正々堂々と戦いを挑んできたのだ。
そういった潔さが、ハナの目には愚かに映っていたが、最後は正妃の登場で全てが覆されてしまう。さすがのハナも、国中の女の頂点に立つ者を相手にすると、屈することしかできなかった。
そうして、ハナは、約束されていたはずの栄光、首席という座を取り逃がすことになる。
けれど幸い、王はハナを責めることなどしなかった。正妃からの呼び出しから鳴紡殿へ戻る道中、王からの使いの者が渡してきた走り書き。そこには、労りの言葉と、今夜は予定通りに、とあったのだ。
ハナは、以前侍女を通じ、ソラで入手していた帝国の薬を使うことになっていた。そこで、コトリが一人きりなのを確認した上で部屋へ招くと、何の躊躇いもなくやってくる。さらには、毒味されているかも確認せずに、薬の入った茶を甘いと言って飲み干してしまった。あまりの呆気なさに、ハナは笑いすら漏らしたものだ。
その後は実家の者を呼び寄せて、荷箱の中にコトリを詰める。華奢な娘なので、膝を抱くような格好に体を小さく折り畳んでやると、すっぽりと入ってしまった。ついでに、彼女のシェンシャンも重ねて入れる。蓋をしっかりと閉めると、そのまま、園遊会の片付けに追われる下働きの列に潜り込み、王宮外へ運び出してしまった。
ここまで来れば、もうあと一息。
家紋がついていない粗末な荷車へ乗せると、商人のフリをした手の者が引っぱって、一気に都の外へ出る。しばらく街道を進み、完全に人気が無くなったところで、待ち合わせていた帝国の者達に引き渡すのだ。
彼らは、クレナには無いような足腰の強い馬を使っている。コトリの入った箱は、金属製の頑丈な箱馬車の中に積み込まれ、あっという間に去っていった。
という報告を侍女伝手に聞かされたのは、日付が変わった丑三つ時の頃。コトリを実質上葬ることに成功したという達成感で、ハナは興奮のあまり眠れずにいたのだ。
それが油断になってしまったのだろうか。少し、魔が差してしまったのだ。
「そういえば、あの没収した神具はあるかしら?」
ハナは、身体検査を通じてコトリ達から強奪した、神気を見るための神具を、自らの部屋へ運び入れていたのだ。侍女は、命じられるがままに、それらを箱に入れてハナの前へ持ってくる。
どれを取っても、芸術作品とも言える美しい細工が施された装具だった。これらをコトリ達が衣に着けているのを見るのは、本当に忌々しかった、とハナは振り返える。
本来ならば、もっと早くヨロズ屋を手中に収めて、こういった神具に限らず、ハナを飾り立てるための様々な装具を作らせていたのに。
実は、カヤを、かの店に向かわせたのは駄目元だった。実は、別の方法でもヨロズ屋を掌握すべく動いていたのだが、どこぞの貴族の力が強く働き、さらには手の者が攻撃的な神具の餌食となって数を減らしたため、諦めざるをえなかったのだ。
「でも、コトリはもういない」
上客がいなくなれば、ヨロズ屋も態度を変えるだろうか。ハナはいやらしい笑みを浮かべながら、目の前にある神具の一つを手に取った。
そういえば、どうやって使うのだろうか。首を傾げながらも、ひとまず「神気を見たい」と心の中で唱えてみる。
それは、もう、あっという間の事だった。
神具から煙が吹き、何かが飛び出してきた。細長いもの。どこか、見覚えがある。そうだ。以前、ソラの王子がやってきた際にワタリ王子へ絡みついた黒い蛇のようなもの。
叫び声を上げる。
しかし、間もなくハナは気絶してしまった。それ程に、その煙は高熱で、さらには毒性が高かったのだ。
意識の無いハナの体は、黒蛇もどきに絡み取られ、あっという間に蝕まれていく。あまりの恐ろしさに逃げてしまっていた侍女が、忍び足で近づいていくと、そこには変わり果てたハナの姿があった。
そして、周囲の部屋で休んでいた、ハナの傘下の楽師達が次々に現場へ雪崩れこんできたのだ。
「ハナ様、どうかされました?!」
「叫び声が聞こえました」
しかし、そんな心配する声も、それを目にした途端に消えてしまう。ハナの今が、あまりにも酷すぎて、誰ももはや言葉にならなかった。
周囲のざわめきが刺激になったのか、ハナはゆっくりと目を開ける。身体全てが焼けるように熱く、経験したことのない痛みに覆われている。そして、人の気配がある方向へ首を振った。
「見たわね?」
ハナの視界には、ガタガタと震える仲間達がいる。その反応だけで、現在の自分の姿が、簡単に想像することができた。
「道連れにしてやる!」
ハナは、残りの神具を楽師達に投げつけ始める。もう怒りが頂点に達して収集がつかない。侍女はおろおろしながらも、ハナを背後から羽交い締めにし、その耳元で叫びをあげた。
「おやめください、ハナ様! ひとまず、ここを離れて傷を癒しましょう! 皆様も事情を知ってしまったからには、ご一緒に!」
どこか、薄暗い場所。ハナは、侍女が持ってきた掌ほどの大きさの姿見を床へ乱暴に叩きつけていた。大きな音を立てて砕け散り、銀色をした細かな刃の雪が床に降り落ちる。
「ハナ様?!」
驚いた侍女が金切り声をあげた。
「それは、お父上が生前くださった大切なものでは」
それでなくとも、姿見というのは大変貴重なものなのだ。ハナのような貴族の娘にしか手に入らない高級品。しかもこれは、帝国製で縁に異国風の紋様が刻まれた優美な品である。
「どうしてこんなことになってしまったのよ?! 私は精一杯やりきったわ。そうでしょ? なのに、こんな顔。こんな境遇。もう、たくさんよ!」
ハナが睨みつけると、侍女は今度こそ怯えたように後退ってしまった。それもそのはず。今のハナは、この世のものとは思えない程醜い。前日、華やかな園遊会の時の姿とは似ても似つかぬ姿だ。
肌という肌が、火傷をしたような爛(ただ)れを引き起こしている。体自体も、老婆のようにぎこちなくしか動いていない。目だけがギョロリと飛び出していて、爛々と輝いていて見えた。
完全に、呪われている。
否、神の祟を受けている。
主の癇癪には慣れているはずの侍女も、こんな化け物じみた者に凄まれては、もはや全てを投げ打って逃げ出したくなってしまった。
事の起こりは、昨年の夏前だった。例年通りに新たな楽師を募り、入団試験が行われ、三人の娘が入ってきた頃。
ハナは、それ以降、王から頻繁に勅書を受け取っている。初めは実家経由だったが、最近では直接彼女に届けられていた。
役人でもあるまいし、ましてや女であり、目の敵にされている楽師にも関わらず、勅書を得るということ。これは、彼女の誇りを著しくくすぐるものであった。
毎度、「王宮内は味方が少なく、頼れるのは愛しいそなただけだ」などと、恋文紛いの同情を誘う文が書き連ねられていて、いつしかハナは、自らこそが王の忠実な下僕であり、自らこそが、クレナの救世主であると信じ込むことになる。
そして、数日前にも届いた勅書には、これが最後の指示だと書かれてあった。ずばり、いよいよコトリを帝国へ遣ることが決定したという内容である。
ハナは、もうこれで王から直接言葉を貰う機会がないのかと思うと落胆した。同時に、この最後の任務さえ完璧に遂行すれば、また次の新たな仕事が下されるのではないか。もしくは、ここまで懇意にしてきた、うら若き乙女を、妻として召し上げてくれるのではないか。と期待してしまったのである。
ハナは、俄然張り切りだした。
コトリは、王女の癖にやたらと図太いところがある。どうすれば、あの平然とした麗らかな顔を敗北や絶望の色に染めることができるだろうか。
あれこれと考え抜いた結果、まずはカヤを呼び出した。そして、コトリ達が演奏する曲の譜面を書かせて、自らの傘下の者へ死に物狂いで叩き込む。さらには王の名を使い、王宮へ実家と縁ある者を送り込んで、女官の役目を与えた。
これで、後は手筈通りに本番を迎え、コトリが悔しがって泣く顔を見る予定だったのに。
事前の仕込みは全て上手く行った。いや、本番その時まで全てが予定通りに運んだ。にも関わらず、あのコトリは、数ある困難をものの見事に乗り越えて、正々堂々と戦いを挑んできたのだ。
そういった潔さが、ハナの目には愚かに映っていたが、最後は正妃の登場で全てが覆されてしまう。さすがのハナも、国中の女の頂点に立つ者を相手にすると、屈することしかできなかった。
そうして、ハナは、約束されていたはずの栄光、首席という座を取り逃がすことになる。
けれど幸い、王はハナを責めることなどしなかった。正妃からの呼び出しから鳴紡殿へ戻る道中、王からの使いの者が渡してきた走り書き。そこには、労りの言葉と、今夜は予定通りに、とあったのだ。
ハナは、以前侍女を通じ、ソラで入手していた帝国の薬を使うことになっていた。そこで、コトリが一人きりなのを確認した上で部屋へ招くと、何の躊躇いもなくやってくる。さらには、毒味されているかも確認せずに、薬の入った茶を甘いと言って飲み干してしまった。あまりの呆気なさに、ハナは笑いすら漏らしたものだ。
その後は実家の者を呼び寄せて、荷箱の中にコトリを詰める。華奢な娘なので、膝を抱くような格好に体を小さく折り畳んでやると、すっぽりと入ってしまった。ついでに、彼女のシェンシャンも重ねて入れる。蓋をしっかりと閉めると、そのまま、園遊会の片付けに追われる下働きの列に潜り込み、王宮外へ運び出してしまった。
ここまで来れば、もうあと一息。
家紋がついていない粗末な荷車へ乗せると、商人のフリをした手の者が引っぱって、一気に都の外へ出る。しばらく街道を進み、完全に人気が無くなったところで、待ち合わせていた帝国の者達に引き渡すのだ。
彼らは、クレナには無いような足腰の強い馬を使っている。コトリの入った箱は、金属製の頑丈な箱馬車の中に積み込まれ、あっという間に去っていった。
という報告を侍女伝手に聞かされたのは、日付が変わった丑三つ時の頃。コトリを実質上葬ることに成功したという達成感で、ハナは興奮のあまり眠れずにいたのだ。
それが油断になってしまったのだろうか。少し、魔が差してしまったのだ。
「そういえば、あの没収した神具はあるかしら?」
ハナは、身体検査を通じてコトリ達から強奪した、神気を見るための神具を、自らの部屋へ運び入れていたのだ。侍女は、命じられるがままに、それらを箱に入れてハナの前へ持ってくる。
どれを取っても、芸術作品とも言える美しい細工が施された装具だった。これらをコトリ達が衣に着けているのを見るのは、本当に忌々しかった、とハナは振り返える。
本来ならば、もっと早くヨロズ屋を手中に収めて、こういった神具に限らず、ハナを飾り立てるための様々な装具を作らせていたのに。
実は、カヤを、かの店に向かわせたのは駄目元だった。実は、別の方法でもヨロズ屋を掌握すべく動いていたのだが、どこぞの貴族の力が強く働き、さらには手の者が攻撃的な神具の餌食となって数を減らしたため、諦めざるをえなかったのだ。
「でも、コトリはもういない」
上客がいなくなれば、ヨロズ屋も態度を変えるだろうか。ハナはいやらしい笑みを浮かべながら、目の前にある神具の一つを手に取った。
そういえば、どうやって使うのだろうか。首を傾げながらも、ひとまず「神気を見たい」と心の中で唱えてみる。
それは、もう、あっという間の事だった。
神具から煙が吹き、何かが飛び出してきた。細長いもの。どこか、見覚えがある。そうだ。以前、ソラの王子がやってきた際にワタリ王子へ絡みついた黒い蛇のようなもの。
叫び声を上げる。
しかし、間もなくハナは気絶してしまった。それ程に、その煙は高熱で、さらには毒性が高かったのだ。
意識の無いハナの体は、黒蛇もどきに絡み取られ、あっという間に蝕まれていく。あまりの恐ろしさに逃げてしまっていた侍女が、忍び足で近づいていくと、そこには変わり果てたハナの姿があった。
そして、周囲の部屋で休んでいた、ハナの傘下の楽師達が次々に現場へ雪崩れこんできたのだ。
「ハナ様、どうかされました?!」
「叫び声が聞こえました」
しかし、そんな心配する声も、それを目にした途端に消えてしまう。ハナの今が、あまりにも酷すぎて、誰ももはや言葉にならなかった。
周囲のざわめきが刺激になったのか、ハナはゆっくりと目を開ける。身体全てが焼けるように熱く、経験したことのない痛みに覆われている。そして、人の気配がある方向へ首を振った。
「見たわね?」
ハナの視界には、ガタガタと震える仲間達がいる。その反応だけで、現在の自分の姿が、簡単に想像することができた。
「道連れにしてやる!」
ハナは、残りの神具を楽師達に投げつけ始める。もう怒りが頂点に達して収集がつかない。侍女はおろおろしながらも、ハナを背後から羽交い締めにし、その耳元で叫びをあげた。
「おやめください、ハナ様! ひとまず、ここを離れて傷を癒しましょう! 皆様も事情を知ってしまったからには、ご一緒に!」
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