琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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133衝撃の

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 辺りに、はっと息を飲む声が広がった。

 楽師達が知る琴姫と言えば、二人いる。一人は、先日の国内遠征で流民達と遭遇した際、奇跡の奏でを披露したカナデ。もう一人は、ソラ遠征中に社総本山で行われた祭りで、この世のものとは思えぬ程の美しい旋律を響かせたと噂のクレナ王家の姫、コトリ。コトリは、昨今都で頭角を現し、その勢力を日に日に拡大している紫という組織の長とも言われている。

 つまり、サヨの言が真だとすると、この二人は同一人物ということになるのだ。

 皆が一斉にコトリの方を見た。
 確かに、品がある娘なのだ。田舎の出だと思い込んでいたが、これまでの事を振り返れば納得のいく事ばかり。絶対に庶民には出せない高貴な佇まいと、完璧な礼儀、芸事の技量の高さ。そして、類まれなシェンシャンの奏で。正妃とのことを思い出しても、互いに既知の雰囲気があった。

 王女であり、琴姫である。そう言われても、違和感が無いのだ。

「事情がありまして、今、これ以上の事はお話できません。すみませんが、詮索はしないでください。皆さまを悪い意味で裏切ることは絶対にしませんから」

 サヨはそう一気にまくしたてると、皆の動揺を打ち消すかの如く、数度強く手を叩く。すると、シェンシャンが消えた時点で密かに呼び寄せていた、菖蒲殿付きの彼女の配下が現れた。下働きのような地味な格好をした男である。

「サヨ様、申し訳ございません。シェンシャンは、さも当然と言う風に部屋から運ばれていきました。念のため女官達に確認しましたが、出番の舞台袖へ持っていくと言われまして。実際は、追手を放って調べたところ、地下に隠されてしまったようです。特殊な鍵がかかっていますので、開錠は難しく、このままでは本番に間に合いません。第二計画を進めてもよろしいでしょうか?」
「今は、あなたの落ち度を咎めて、時間を無駄にすることはできません。第二計画を許可します。敵方も容赦ありませんから、こちらもここからは本気で参りましょう。使える人員は総動員して、今すぐ使えるシェンシャンをここへ運んできなさい」
「はっ」

 次の瞬間、不思議な音が出る笛が鳴らされた。その音は王宮の敷地内のあちらこちらで、次々と鳴らされていく。それは、静かな水面に広がっていくさざ波のよう。これは計画の変更と、行動の指示を含む合図だったのである。

 今となっては、王宮内にも紫に連なる人間は多数いる。その笛の音を聞くや否や、女官、侍女、侍従、文官、武官、身分問わず、己の責務を果たさんと一斉に動き始めた。

 そして、あっという間に楽師達の元へ、由緒正しく、見目も音も一流のシェンシャンが届けられたのである。

 コトリは、その中に見慣れたシェンシャンが一つあるのに気が付いた。誰よりも先にそれへ手を伸ばし、その身に抱きしめる。

「サトリ兄上、ありがとうございます」

 それは、王女の身分を捨て、楽師を志すべく入団試験を受ける朝、サトリに託した国宝のシェンシャン。おそらく、王に取り上げられたのではなく、こうなった事態に備え、他のシェンシャンと一緒に楽師団向けとして準備してくれていたのだろう。その辺り、彼はサヨ以上に、未来予測と準備に抜かりのない人物なのである。

 王女時代の愛器を取り戻したコトリの周りでは、楽師達が次々と自身の相棒を選びぬいていく。もう、時間はほとんど残されていない。直感的にどのシェンシャンにするかを決めたら、早速調弦にかかる。一刻も早く「新しい子」に慣れねばならないのだ。

 部屋の中は、あっという間に練習場の様相となった。あちらこちらから上がるシェンシャンの音。どれも、優美で、自信に満ち溢れている。楽師、誰もが、その日出会ったばかりのシェンシャンとは思えぬ、息の合いように感激していた。

 そこへ、やや顔を引き攣らせた一人の女官がやって来る。さっき、シェンシャンが消えた部屋を案内した者だ。おそらく、「敵方」と繋がる者。

 対応するのはコトリだ。

「あなた、何を驚いているの? 本番は、もっと大きな感動で驚かせてみせますわ」

 おっとりとほほ笑んだ後、さりげなく後を振り返る。

「皆様、そうよね?」

 全員が、肯定の意を口にだす代わりに、同時にシェンシャンをかき鳴らす。たちまち、キラキラとした光が溢れだしたかのような煌めく和音が広がっていった。対する女官は、よよと倒れそうになりながら後ずさる。コトリはそれにも目をくれず、号令をかけた。

「さ、いよいよ出番よ。神と努力は、決して私たちを裏切らないわ。いざ、参りましょう!」


 ◇


 春は、庭園のあちらこちらに訪れていた。大きな池の水面に、ほんのりと桃色がかった花が映りこんでいる。風がそよぐと散り行く花びら。高く舞い上がって、宮の瓦をゆうゆうと超えて流れていく。その儚さこそが美と、赤い敷物の上に座す貴族達はそれぞれに空を仰ぎ見て、暖かな日差しをその身に受けていた。

 既に食事は終えて、酒も進み、歌会も済んでしまったようで、どこか安心しきったような顔ぶれも多い。そんなまったりとした場の奥まった舞台に、楽師団がぞろぞろとやってきたのである。

 コトリは、目を凝らして、遥か遠くにいる王族の席を見た。サトリは、真っ先に気づいたらしく、こちらへ向かって頷いてみせる。コトリも、シェンシャンをぎゅっと抱きしめて、小さく黙礼した。

 王もいるようだが、何やら常以上に存在感が薄く、どのような様子かはよく分からない。コトリも、目が合ったりしても気まずいので、もうそちらの方は見ぬことにした。

 さて、現在コトリ達が居るのは、舞台の右側。ハナ達は左側だ。コトリ達の方が人数が多く、通例であれば上位となるのだが、なぜか女官には下位となる右側へ誘導されてしまった。サヨは明らかに不満そうだが、これ以上事を荒立てるのは演奏に差し支えてしまう。ミズキは、こっそりとサヨの手を握って、たしなめていた。

「先に演奏するのは、ハナ様達ね」

 ナギが、コトリの横にやって来た。今、庭園では楽師達の演奏が始まることに気づいている者はほとんどいない。こんな状態で奏でを始めねばならぬのは、楽師としてはやり切れないものがあるが、相手は貴族。そして、シェンシャン嫌いの王だ。こんな事だろうと思っていたコトリは、小さく肩をすくめるだけだった。

「つまり、トリは私達。絶対に、皆さまの心に残る奉奏を超えた演奏にしましょう」

 コトリ達が控える天幕の布の隙間から、舞台上が見える。今日のために誂えられた、木製の立派な高舞台。そこへ、ハナ達が次々に上がっていくのが見えた。

「さぁ、お手並み拝見ね」

 サヨはどこまでも好戦的だ。ミズキと力を合わせて降りかかる災厄を打ち払い、ようやく辿り着いた本番。後は全力を出し切るだけ。

 故に、もう、何も起こるはずはなかったのだ。

「へっ?」

 コトリの喉から、変な声が漏れた。
 ハナを筆頭とした、その派閥の楽師達が舞台上に勢ぞろいし、一斉にシェンシャンを構え、演奏が始まった、その瞬間のことだ。

「何、これ」
「嘘でしょう?」
「どうして」

 皆が口々に告げる。
 これは、もしかすると、この日一番の驚きと衝撃だったかもしれない。

「どうしてハナ様達が、私達が作った曲を弾いているの?」

 
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