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128工房の師弟
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雨が降っていた。もう春だというのに、風も強くて少し寒い。そんな天気のせいか、昼下りの大通りは心なしか人もまばらで、ぼんやりとした薄曇りの空から注ぐ雨粒が、ミズキの頬に当たって散らばっていた。
「今日は、楽師団がお休みなのですね」
ヨロズ屋の奥にある工房へ入ると、中にいたカケルがミズキに声をかけてきた。
ミズキもここへ通い始めて随分と経つ。まずはラピスから一通りの座学を受け、その後は神具の基本である火の神、水の神を降ろすための、箱状をした道具作り。慣れぬ工具で些か手指を傷つけたりもしたが、シェンシャンを扱うだけあって、ミズキは不器用な方ではない。まだまだ半人前にも届かぬ出来栄えだが、ようやくそれらしい形になってきたこの頃だ。
「六日に一度は休みなんだ。今日は夜まで邪魔するぞ」
いつもは、鳴紡殿が寝静まった頃に、こっそりとここへやってきては、寝ぼけ眼のラピスの監督の元、練習をしているミズキ。今日は、サヨにも紫関連の用事があるように匂わせてから出かけてきているので、時間を気にせずに神具と向き合うことができそうだ。
「どうぞごゆっくり。ラピスは近所へ使いに出てますけど、気兼ねなく練習してください」
そう言うと、カケルはミズキの手元を覗き込んだ。薄い板には、菖蒲の花と思われる絵が描かれている。見事だ。ミズキは奏者でありながら、他の芸事にも才能があったらしい。
「これは、サヨ様のことを想って?」
「当たり前の事を聞くな」
師弟関係になったにも関わらず、ミズキの物言いには遠慮が無い。少し照れたように俯くと、早速板の縁を丸くする加工を始めた。その時、カケルの胸元に何か光るものが見える。何だろうと顔を上げると、カケルはそれを首から外して差し出してきた。
「綺麗でしょう?」
「そうだな」
これには、肯定するしかない。あまりにも美しい青の勾玉。店の奥、殆ど外の光が届かない場所にいるにも関わらず、それ自体が輝いているかのように眩いのだ。さらには、既視感もある。
「これ、姫さんのと」
「そう。色違いで、対になってるんです」
コトリに渡した勾玉は、テッコンがユカリが持たせた勾玉を参考にして、以前チヒロの村から持ち帰った赤の石を加工し、カケルが創り出した新たな神具。
そして、これはソラの王宮にある国の礎の石を切り出し、同じように加工して作った勾玉だ。コトリのものと同じく、とてつもない量の神気が常に滲み出て、辺りへ流れ出している。
「神気が凝縮されてるのか?」
ミズキが尋ねると、カケルは重々しく頷いた。
これは、ソラ王宮の古い文献を調べて分かった事だが、礎の石は民の祈りや信仰、想いが具現化したもの。こうして削り出しても、民が神のことを忘れない限り、時間が立てばまた石が成長して大きくなるのだ。
そして、クレナとソラにある礎の石は、元々一つであったかとか。そこには、とある力のある神が宿っていたらしいが、二国に別れた際に、その神が行方不明になっている。それでも、その神にまつわる神気は今もこうして存在するのだ。
「それにしても、ミズキ様も難なく神気が見えるようになったのですね」
「あぁ。世話になった」
ミズキは素直に礼を言う。実は神具師を目指すにあたり、神気を目視できるようになる必要があった。そこで、通例通り社へ出向いて神との対面を試みることになったのだが、ミズキはクレナの民である。ラピスの時と同様、一筋縄にはいかなかった。
そこで、苦肉の策としてコトリからシェンシャンの弾片を拝借してくることで琴姫との繫がりを示し、さらにはカケルの工具を見せることで、キキョウ神の加護下にある者だという証明をするという荒業を決行。神との対面に成功した後は、サヨへの想いを語り、神具師にならねばならぬ必要性を熱心に説くことで、やっと神気が見れるようになったのだった。
ミズキは、カケルの手にある勾玉を見る。絶対に口には出さないが、羨ましくて仕方がなかった。
サヨにも、何か贈ってやりたい。
単純に夫婦の証となるものが欲しいだけではない。こういったものを創れるだけの力が欲しい。
ミズキが、あまりにもじっと見ているので、カケルはふっと苦笑いした。
「焦らなくていいですよ」
「でも」
「ミズキ様。神具というものは、信念、想いを込めて創るものです。あなたには、そういった大切な『素材』や『才能』が既にある。あなたが生み出す物の見た目は、まだ荒いかもしれません。けれど、きっとすぐに『本当に良いもの』を作れるようになりますよ」
「よく言う。何もかも持ってる人に言われてもな」
カケルは、力無く溜息をつく。
「確かにそうかもしれません」
カケルは王である。神具師としての腕もあれば、王としての才覚も、権力もある。
「けれど、一番欲しいものは、未だに手に入っておりません」
切なげに目を細めるカケルを見て、ミズキは気不味くなってしまった。
ミズキにはサヨがいる。鳴紡殿に帰れば、迎えてくれる。朝方部屋へ戻ると、サヨがミズキの寝台へ横になって、彼の衣を抱きしめながら眠っていることもある。
でも、カケルは――――。
カケルは、ミズキがサヨと夫婦になれるよう、菖蒲殿の当主に働きかけをしてくれた。お陰で、一番気掛かりだった障害が取り除かれた。今も、見返りを求めずに工房を貸しだし、弟子に指示をして、ミズキの面倒を見てくれている。
なのに自分ときたら、コトリとカケルの事を面白おかしく上流階級の恋愛として傍観しているだけだったのだ。今となっては悪趣味だったなと反省せざるをえない。
今からでも、できる事はないだろうか。ミズキは、握っていた工具を卓の上に置いた。
「なぁ、店主さん。いや、ソラ王に、この際伝えておきたいことがある」
ミズキは、ずっと迷っていて、カケルに話せていないことが一つあった。
「あらたまって、どうしたのですか?」
カケルも作業していた手を止める。ミズキは、ゴクリと唾を飲み込んだ。たぶん、今これをカケルに伝えられる立場にあるのは、自分しかいないのだ。
「姫さんは、あんたのこと、ずっと前から好きなんだ」
ミズキは、自分だけが幸せになろうとしていたことに、気づいてしまった。と同時に、このおせっかいで、不器用で、優しい変わり者の王にも、人並みの幸せを掴ませてやりたいと、ガラにもなく願ってしまった。
「あんたに会いたくて、あんたのものになりたくて、ただそれだけのために、王女を辞めようとしてるんだよ」
カケルは、呆然としている。
「それは……なぜ、あなたが」
「サヨから聞いた」
「そうですか」
驚きすぎたのか、声に力が無く、反応が薄い。その時、ミズキは、ある事を思いついた。
「なぁ、店主さんよ。もうすぐ春の園遊会だ。そこで、楽師団の次の首席が決まる。姫さんは、今回首席になれなかったら、強制的に帝国へ送られてしまうだろう」
「そんなこと、させない」
「でもな、知っての通り姫さんは真面目な女だ。クレナ王との約束を守って、正攻法であんたの所へ行く自由を勝ち取ろうとしてる。外野が、とやかく言うもんじゃない。それに」
ミズキは、最近のコトリ達の練習風景を思い出す。皆、身を削るようにして稽古しているのだ。
「姫さんは負けたりしない。ちゃんと自分で欲しいものを掴み取って、あんたの所へ駆け寄ってくるさ。あれで、案外負けず嫌いみたいだし、それだけの才能と実力があるからな。どうか、信じてやってほしい」
これだけ言われれば、カケルも手出しは無用だと理解するしかなかった。
「そうか。良い報告を待っている。私の代わりに、どうか彼女を支えてやってほしい」
「そんなの言われずとも、やっている。それよりか、一つ頼まれてくれ。姫さんを励ましてやってはくれないか?」
「では、文を書きます」
一介の商人としては、用も無いのに度々文を送ることも憚られて、近頃は控えていたカケルだった。けれど、こうして後押ししてもらえれば、募る気持ちを書き記すことができる。
「じれったい奴だな。そんな遠回しなことしなくても、あんたが鳴紡殿へ来て、姫さんと直接会ってもいいんじゃないか?」
「そうしたいのは山々です。でも今の私は、ソウですから。彼女には、カケルを好いてほしいんです」
「頑固で難しい奴だな。そんな妙な遠慮をしていたら、誰かに姫さん取られちまうぞ」
「縁起でもないことを言わないでください。言葉は言霊なのですからね」
「悪い悪い」
ミズキは、口ではそう言いながらも、全く悪びれた風ではなく、必死になるカケルから手元の神具へと視線を戻した。
「今日は、楽師団がお休みなのですね」
ヨロズ屋の奥にある工房へ入ると、中にいたカケルがミズキに声をかけてきた。
ミズキもここへ通い始めて随分と経つ。まずはラピスから一通りの座学を受け、その後は神具の基本である火の神、水の神を降ろすための、箱状をした道具作り。慣れぬ工具で些か手指を傷つけたりもしたが、シェンシャンを扱うだけあって、ミズキは不器用な方ではない。まだまだ半人前にも届かぬ出来栄えだが、ようやくそれらしい形になってきたこの頃だ。
「六日に一度は休みなんだ。今日は夜まで邪魔するぞ」
いつもは、鳴紡殿が寝静まった頃に、こっそりとここへやってきては、寝ぼけ眼のラピスの監督の元、練習をしているミズキ。今日は、サヨにも紫関連の用事があるように匂わせてから出かけてきているので、時間を気にせずに神具と向き合うことができそうだ。
「どうぞごゆっくり。ラピスは近所へ使いに出てますけど、気兼ねなく練習してください」
そう言うと、カケルはミズキの手元を覗き込んだ。薄い板には、菖蒲の花と思われる絵が描かれている。見事だ。ミズキは奏者でありながら、他の芸事にも才能があったらしい。
「これは、サヨ様のことを想って?」
「当たり前の事を聞くな」
師弟関係になったにも関わらず、ミズキの物言いには遠慮が無い。少し照れたように俯くと、早速板の縁を丸くする加工を始めた。その時、カケルの胸元に何か光るものが見える。何だろうと顔を上げると、カケルはそれを首から外して差し出してきた。
「綺麗でしょう?」
「そうだな」
これには、肯定するしかない。あまりにも美しい青の勾玉。店の奥、殆ど外の光が届かない場所にいるにも関わらず、それ自体が輝いているかのように眩いのだ。さらには、既視感もある。
「これ、姫さんのと」
「そう。色違いで、対になってるんです」
コトリに渡した勾玉は、テッコンがユカリが持たせた勾玉を参考にして、以前チヒロの村から持ち帰った赤の石を加工し、カケルが創り出した新たな神具。
そして、これはソラの王宮にある国の礎の石を切り出し、同じように加工して作った勾玉だ。コトリのものと同じく、とてつもない量の神気が常に滲み出て、辺りへ流れ出している。
「神気が凝縮されてるのか?」
ミズキが尋ねると、カケルは重々しく頷いた。
これは、ソラ王宮の古い文献を調べて分かった事だが、礎の石は民の祈りや信仰、想いが具現化したもの。こうして削り出しても、民が神のことを忘れない限り、時間が立てばまた石が成長して大きくなるのだ。
そして、クレナとソラにある礎の石は、元々一つであったかとか。そこには、とある力のある神が宿っていたらしいが、二国に別れた際に、その神が行方不明になっている。それでも、その神にまつわる神気は今もこうして存在するのだ。
「それにしても、ミズキ様も難なく神気が見えるようになったのですね」
「あぁ。世話になった」
ミズキは素直に礼を言う。実は神具師を目指すにあたり、神気を目視できるようになる必要があった。そこで、通例通り社へ出向いて神との対面を試みることになったのだが、ミズキはクレナの民である。ラピスの時と同様、一筋縄にはいかなかった。
そこで、苦肉の策としてコトリからシェンシャンの弾片を拝借してくることで琴姫との繫がりを示し、さらにはカケルの工具を見せることで、キキョウ神の加護下にある者だという証明をするという荒業を決行。神との対面に成功した後は、サヨへの想いを語り、神具師にならねばならぬ必要性を熱心に説くことで、やっと神気が見れるようになったのだった。
ミズキは、カケルの手にある勾玉を見る。絶対に口には出さないが、羨ましくて仕方がなかった。
サヨにも、何か贈ってやりたい。
単純に夫婦の証となるものが欲しいだけではない。こういったものを創れるだけの力が欲しい。
ミズキが、あまりにもじっと見ているので、カケルはふっと苦笑いした。
「焦らなくていいですよ」
「でも」
「ミズキ様。神具というものは、信念、想いを込めて創るものです。あなたには、そういった大切な『素材』や『才能』が既にある。あなたが生み出す物の見た目は、まだ荒いかもしれません。けれど、きっとすぐに『本当に良いもの』を作れるようになりますよ」
「よく言う。何もかも持ってる人に言われてもな」
カケルは、力無く溜息をつく。
「確かにそうかもしれません」
カケルは王である。神具師としての腕もあれば、王としての才覚も、権力もある。
「けれど、一番欲しいものは、未だに手に入っておりません」
切なげに目を細めるカケルを見て、ミズキは気不味くなってしまった。
ミズキにはサヨがいる。鳴紡殿に帰れば、迎えてくれる。朝方部屋へ戻ると、サヨがミズキの寝台へ横になって、彼の衣を抱きしめながら眠っていることもある。
でも、カケルは――――。
カケルは、ミズキがサヨと夫婦になれるよう、菖蒲殿の当主に働きかけをしてくれた。お陰で、一番気掛かりだった障害が取り除かれた。今も、見返りを求めずに工房を貸しだし、弟子に指示をして、ミズキの面倒を見てくれている。
なのに自分ときたら、コトリとカケルの事を面白おかしく上流階級の恋愛として傍観しているだけだったのだ。今となっては悪趣味だったなと反省せざるをえない。
今からでも、できる事はないだろうか。ミズキは、握っていた工具を卓の上に置いた。
「なぁ、店主さん。いや、ソラ王に、この際伝えておきたいことがある」
ミズキは、ずっと迷っていて、カケルに話せていないことが一つあった。
「あらたまって、どうしたのですか?」
カケルも作業していた手を止める。ミズキは、ゴクリと唾を飲み込んだ。たぶん、今これをカケルに伝えられる立場にあるのは、自分しかいないのだ。
「姫さんは、あんたのこと、ずっと前から好きなんだ」
ミズキは、自分だけが幸せになろうとしていたことに、気づいてしまった。と同時に、このおせっかいで、不器用で、優しい変わり者の王にも、人並みの幸せを掴ませてやりたいと、ガラにもなく願ってしまった。
「あんたに会いたくて、あんたのものになりたくて、ただそれだけのために、王女を辞めようとしてるんだよ」
カケルは、呆然としている。
「それは……なぜ、あなたが」
「サヨから聞いた」
「そうですか」
驚きすぎたのか、声に力が無く、反応が薄い。その時、ミズキは、ある事を思いついた。
「なぁ、店主さんよ。もうすぐ春の園遊会だ。そこで、楽師団の次の首席が決まる。姫さんは、今回首席になれなかったら、強制的に帝国へ送られてしまうだろう」
「そんなこと、させない」
「でもな、知っての通り姫さんは真面目な女だ。クレナ王との約束を守って、正攻法であんたの所へ行く自由を勝ち取ろうとしてる。外野が、とやかく言うもんじゃない。それに」
ミズキは、最近のコトリ達の練習風景を思い出す。皆、身を削るようにして稽古しているのだ。
「姫さんは負けたりしない。ちゃんと自分で欲しいものを掴み取って、あんたの所へ駆け寄ってくるさ。あれで、案外負けず嫌いみたいだし、それだけの才能と実力があるからな。どうか、信じてやってほしい」
これだけ言われれば、カケルも手出しは無用だと理解するしかなかった。
「そうか。良い報告を待っている。私の代わりに、どうか彼女を支えてやってほしい」
「そんなの言われずとも、やっている。それよりか、一つ頼まれてくれ。姫さんを励ましてやってはくれないか?」
「では、文を書きます」
一介の商人としては、用も無いのに度々文を送ることも憚られて、近頃は控えていたカケルだった。けれど、こうして後押ししてもらえれば、募る気持ちを書き記すことができる。
「じれったい奴だな。そんな遠回しなことしなくても、あんたが鳴紡殿へ来て、姫さんと直接会ってもいいんじゃないか?」
「そうしたいのは山々です。でも今の私は、ソウですから。彼女には、カケルを好いてほしいんです」
「頑固で難しい奴だな。そんな妙な遠慮をしていたら、誰かに姫さん取られちまうぞ」
「縁起でもないことを言わないでください。言葉は言霊なのですからね」
「悪い悪い」
ミズキは、口ではそう言いながらも、全く悪びれた風ではなく、必死になるカケルから手元の神具へと視線を戻した。
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