126 / 214
125それぞれの正月
しおりを挟む
カヤは、杏子殿へ里帰りしていた。一応、都の中にはあるのだが、かなり外れの方である。街らしい華やぎよりも、廃墟のような様相が目立つ場所だ。
屋敷の塀は崩れかけ、門の瓦も年月を重ねていくうちに剥がれてしまった部分も多く、荒廃具合が甚だしい。寒空の下、乾いた風が吹き過ぎると、ますます虚しい出で立ちに見えた。
敷地の中も、大貴族のように正殿、脇殿、後殿などの建物が整然と並ぶでもなく、いくつかの家屋がバラバラに並び立ち、端に井戸が一つあるだけ。庶民と比べれば十分に立派なものであろうが、貴族を名乗る者としては恥ずかしい体裁なのである。
家の通名にもなっている庭の杏子も、今は蕾すら見えぬ枝だけの枯れ木。数カ月後には花をつけるだろうが、実を結べば、咳止めに効く薬を作って密かに庶民へ売ることとなるだろう。
その昔は、薬師の家系として名を馳せていた。だが、何代か前の当主が賭け事をした挙げ句、借金の形として様々な調薬法を売ってしまった。今はその道からは離れ、口伝てで引き継いでいる簡単な薬を僅かに作るのみである。
「万事ぬかりはございません。順調そのものです」
カヤは、目の前の両親に向かって報告をしていた。
「くれぐれもハナ様の機嫌を損ねるでないぞ」
両親は、力を込めてカヤに言い聞かせる。カヤは、無表情のまま頷くことしかできなかった。
杏子殿は、ハナの実家から支援を受けていて、これ失くしては貴族の体を保つことはできない。母親は花よ蝶よと育てられた中位の貴族の出で、父親も長いものに巻かれることしかできない頭の悪い男。どちらも生活の糧を稼いだり、政に通じて活躍したり、うまく世渡りするような事は期待できないのだ。代わりに、今、この家を支えているのは一人娘のカヤである。
彼女がハナと縁を持つようになったのは、シェンシャンがきっかけだった。幼い頃から奏での才があったのが幸いし、貴族の子女が集まる稽古に参加したところ、ハナの目に留まるところとなった。
大貴族に気に入られれば、いずれは王宮の女官になったり、高位の貴族の家へ嫁入りできるかもしれないと思い、積極的に取り入ったものの、結局流れ着いたのは楽師団。それでも、鳴紡殿では生活に困ることも無いばかりか、給料は家に入れることができるので満足していたのだが、この頃のクレナ、特に王の派閥は困窮を極めている。
カヤはまだ少女だ。可憐な見た目を活かして様々な所へ潜り込み、情報を収集するにしても、たかが知れている。気づいた時には、紫という勝ち組と敵対している立場にあったのだった。
さりとて、今更、主と仰ぐハナの元を離れることもできない。何しろ、杏子殿はハナの機嫌一つで取り潰しになってしまう状態なのだから。
そこでカヤは、ひたすらにハナの手駒として働き続けてきた。ハナの指示の元、コトリ達に取り入ったことも、その一つ。庶民の癖に不相応な神具を持っているので、売り元をハナの傘下に入れることも試みた。だが、これは失敗。けれど、そんな詳細を両親に打ち明ける必要はないだろう。
「お父様、お母様。今年こそもっと手柄を上げて、ハナ様を喜ばせてみせます。そうすれば、少しは暮らし向きも良くなるでしょう」
いよいよ、本格的な春が来る。つまり、園遊会がある。コトリの懐へ入りこむことに成功したカヤは、きっとハナの役に立てるはずだ。
ハナが、なぜコトリを目の敵にし、ソラの土産と称して監視の神具を手渡したりするのか、その理由は分からない。けれど、ハナが楽師団の首席になれば、きっとカヤにも良いことがあるはずである。
「私、がんばります」
カヤは、自分自身にそう誓った。
◇
一方のコトリ。サヨがカケルから託されたという贈り物を受け取り、感激に打ち震えていた。
「なんて綺麗」
それは、仄かに光る紅い石でできた勾玉。太陽に翳してみると、その煌めきはより強くなる。さらには、大量の神気が滲み出ていた。普通の赤い輝石ではないのは確かである。
「素晴らしいですね。クレナの姫にこれ以上似合う宝はないかと思われます」
貴族の子女として目が肥えているサヨも、掛け値なしの褒め言葉だ。このただならぬ気配、そしてソラの王から贈られた物とくれば、おそらく神具の一種にちがいない。機能や効果は不明だが、きっとコトリのためだけに創られた、この世で一つの特別な勾玉なのだろう。
コトリは、勾玉の穴に通された組紐を手に取ると、頭から被って首飾りとした。勾玉を中心として、ふわりと優しい気持ちが広がっていった。自然と涙が溢れてくる。
「サヨ、私」
「えぇ、姫様。カケル様はきっと、姫様のことを本気で想っていらっしゃるのでしょう」
父から突然命じられた帝国への嫁入り。それを跳ね除けて入った楽師団での緊張と努力、忍耐の日々。目を閉じれば、様々な出来事が蘇ってくるが、この思い切った選択をしたからこそカケルと再会し、カケルに見初められたのだとコトリは思うのである。
「これからも、信じた道を行きましょう」
サヨの言う通りだ。不遇の王女は今、ようやく希望の欠片を手にして、いざ羽ばたかんとしている。憧れていた空はもう、目の前にあるのだから。
そうして楽師達はそれぞれの正月を過ごし、再び鳴紡殿に戻ってくるのである。
梅の蕾がほころび始める季節まで、後少し。
屋敷の塀は崩れかけ、門の瓦も年月を重ねていくうちに剥がれてしまった部分も多く、荒廃具合が甚だしい。寒空の下、乾いた風が吹き過ぎると、ますます虚しい出で立ちに見えた。
敷地の中も、大貴族のように正殿、脇殿、後殿などの建物が整然と並ぶでもなく、いくつかの家屋がバラバラに並び立ち、端に井戸が一つあるだけ。庶民と比べれば十分に立派なものであろうが、貴族を名乗る者としては恥ずかしい体裁なのである。
家の通名にもなっている庭の杏子も、今は蕾すら見えぬ枝だけの枯れ木。数カ月後には花をつけるだろうが、実を結べば、咳止めに効く薬を作って密かに庶民へ売ることとなるだろう。
その昔は、薬師の家系として名を馳せていた。だが、何代か前の当主が賭け事をした挙げ句、借金の形として様々な調薬法を売ってしまった。今はその道からは離れ、口伝てで引き継いでいる簡単な薬を僅かに作るのみである。
「万事ぬかりはございません。順調そのものです」
カヤは、目の前の両親に向かって報告をしていた。
「くれぐれもハナ様の機嫌を損ねるでないぞ」
両親は、力を込めてカヤに言い聞かせる。カヤは、無表情のまま頷くことしかできなかった。
杏子殿は、ハナの実家から支援を受けていて、これ失くしては貴族の体を保つことはできない。母親は花よ蝶よと育てられた中位の貴族の出で、父親も長いものに巻かれることしかできない頭の悪い男。どちらも生活の糧を稼いだり、政に通じて活躍したり、うまく世渡りするような事は期待できないのだ。代わりに、今、この家を支えているのは一人娘のカヤである。
彼女がハナと縁を持つようになったのは、シェンシャンがきっかけだった。幼い頃から奏での才があったのが幸いし、貴族の子女が集まる稽古に参加したところ、ハナの目に留まるところとなった。
大貴族に気に入られれば、いずれは王宮の女官になったり、高位の貴族の家へ嫁入りできるかもしれないと思い、積極的に取り入ったものの、結局流れ着いたのは楽師団。それでも、鳴紡殿では生活に困ることも無いばかりか、給料は家に入れることができるので満足していたのだが、この頃のクレナ、特に王の派閥は困窮を極めている。
カヤはまだ少女だ。可憐な見た目を活かして様々な所へ潜り込み、情報を収集するにしても、たかが知れている。気づいた時には、紫という勝ち組と敵対している立場にあったのだった。
さりとて、今更、主と仰ぐハナの元を離れることもできない。何しろ、杏子殿はハナの機嫌一つで取り潰しになってしまう状態なのだから。
そこでカヤは、ひたすらにハナの手駒として働き続けてきた。ハナの指示の元、コトリ達に取り入ったことも、その一つ。庶民の癖に不相応な神具を持っているので、売り元をハナの傘下に入れることも試みた。だが、これは失敗。けれど、そんな詳細を両親に打ち明ける必要はないだろう。
「お父様、お母様。今年こそもっと手柄を上げて、ハナ様を喜ばせてみせます。そうすれば、少しは暮らし向きも良くなるでしょう」
いよいよ、本格的な春が来る。つまり、園遊会がある。コトリの懐へ入りこむことに成功したカヤは、きっとハナの役に立てるはずだ。
ハナが、なぜコトリを目の敵にし、ソラの土産と称して監視の神具を手渡したりするのか、その理由は分からない。けれど、ハナが楽師団の首席になれば、きっとカヤにも良いことがあるはずである。
「私、がんばります」
カヤは、自分自身にそう誓った。
◇
一方のコトリ。サヨがカケルから託されたという贈り物を受け取り、感激に打ち震えていた。
「なんて綺麗」
それは、仄かに光る紅い石でできた勾玉。太陽に翳してみると、その煌めきはより強くなる。さらには、大量の神気が滲み出ていた。普通の赤い輝石ではないのは確かである。
「素晴らしいですね。クレナの姫にこれ以上似合う宝はないかと思われます」
貴族の子女として目が肥えているサヨも、掛け値なしの褒め言葉だ。このただならぬ気配、そしてソラの王から贈られた物とくれば、おそらく神具の一種にちがいない。機能や効果は不明だが、きっとコトリのためだけに創られた、この世で一つの特別な勾玉なのだろう。
コトリは、勾玉の穴に通された組紐を手に取ると、頭から被って首飾りとした。勾玉を中心として、ふわりと優しい気持ちが広がっていった。自然と涙が溢れてくる。
「サヨ、私」
「えぇ、姫様。カケル様はきっと、姫様のことを本気で想っていらっしゃるのでしょう」
父から突然命じられた帝国への嫁入り。それを跳ね除けて入った楽師団での緊張と努力、忍耐の日々。目を閉じれば、様々な出来事が蘇ってくるが、この思い切った選択をしたからこそカケルと再会し、カケルに見初められたのだとコトリは思うのである。
「これからも、信じた道を行きましょう」
サヨの言う通りだ。不遇の王女は今、ようやく希望の欠片を手にして、いざ羽ばたかんとしている。憧れていた空はもう、目の前にあるのだから。
そうして楽師達はそれぞれの正月を過ごし、再び鳴紡殿に戻ってくるのである。
梅の蕾がほころび始める季節まで、後少し。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
裏切りの代償
志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。
家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。
連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。
しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。
他サイトでも掲載しています。
R15を保険で追加しました。
表紙は写真AC様よりダウンロードしました。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。
殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。
真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。
そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが…
7万文字くらいのお話です。
よろしくお願いいたしますm(__)m
そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる