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125それぞれの正月
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カヤは、杏子殿へ里帰りしていた。一応、都の中にはあるのだが、かなり外れの方である。街らしい華やぎよりも、廃墟のような様相が目立つ場所だ。
屋敷の塀は崩れかけ、門の瓦も年月を重ねていくうちに剥がれてしまった部分も多く、荒廃具合が甚だしい。寒空の下、乾いた風が吹き過ぎると、ますます虚しい出で立ちに見えた。
敷地の中も、大貴族のように正殿、脇殿、後殿などの建物が整然と並ぶでもなく、いくつかの家屋がバラバラに並び立ち、端に井戸が一つあるだけ。庶民と比べれば十分に立派なものであろうが、貴族を名乗る者としては恥ずかしい体裁なのである。
家の通名にもなっている庭の杏子も、今は蕾すら見えぬ枝だけの枯れ木。数カ月後には花をつけるだろうが、実を結べば、咳止めに効く薬を作って密かに庶民へ売ることとなるだろう。
その昔は、薬師の家系として名を馳せていた。だが、何代か前の当主が賭け事をした挙げ句、借金の形として様々な調薬法を売ってしまった。今はその道からは離れ、口伝てで引き継いでいる簡単な薬を僅かに作るのみである。
「万事ぬかりはございません。順調そのものです」
カヤは、目の前の両親に向かって報告をしていた。
「くれぐれもハナ様の機嫌を損ねるでないぞ」
両親は、力を込めてカヤに言い聞かせる。カヤは、無表情のまま頷くことしかできなかった。
杏子殿は、ハナの実家から支援を受けていて、これ失くしては貴族の体を保つことはできない。母親は花よ蝶よと育てられた中位の貴族の出で、父親も長いものに巻かれることしかできない頭の悪い男。どちらも生活の糧を稼いだり、政に通じて活躍したり、うまく世渡りするような事は期待できないのだ。代わりに、今、この家を支えているのは一人娘のカヤである。
彼女がハナと縁を持つようになったのは、シェンシャンがきっかけだった。幼い頃から奏での才があったのが幸いし、貴族の子女が集まる稽古に参加したところ、ハナの目に留まるところとなった。
大貴族に気に入られれば、いずれは王宮の女官になったり、高位の貴族の家へ嫁入りできるかもしれないと思い、積極的に取り入ったものの、結局流れ着いたのは楽師団。それでも、鳴紡殿では生活に困ることも無いばかりか、給料は家に入れることができるので満足していたのだが、この頃のクレナ、特に王の派閥は困窮を極めている。
カヤはまだ少女だ。可憐な見た目を活かして様々な所へ潜り込み、情報を収集するにしても、たかが知れている。気づいた時には、紫という勝ち組と敵対している立場にあったのだった。
さりとて、今更、主と仰ぐハナの元を離れることもできない。何しろ、杏子殿はハナの機嫌一つで取り潰しになってしまう状態なのだから。
そこでカヤは、ひたすらにハナの手駒として働き続けてきた。ハナの指示の元、コトリ達に取り入ったことも、その一つ。庶民の癖に不相応な神具を持っているので、売り元をハナの傘下に入れることも試みた。だが、これは失敗。けれど、そんな詳細を両親に打ち明ける必要はないだろう。
「お父様、お母様。今年こそもっと手柄を上げて、ハナ様を喜ばせてみせます。そうすれば、少しは暮らし向きも良くなるでしょう」
いよいよ、本格的な春が来る。つまり、園遊会がある。コトリの懐へ入りこむことに成功したカヤは、きっとハナの役に立てるはずだ。
ハナが、なぜコトリを目の敵にし、ソラの土産と称して監視の神具を手渡したりするのか、その理由は分からない。けれど、ハナが楽師団の首席になれば、きっとカヤにも良いことがあるはずである。
「私、がんばります」
カヤは、自分自身にそう誓った。
◇
一方のコトリ。サヨがカケルから託されたという贈り物を受け取り、感激に打ち震えていた。
「なんて綺麗」
それは、仄かに光る紅い石でできた勾玉。太陽に翳してみると、その煌めきはより強くなる。さらには、大量の神気が滲み出ていた。普通の赤い輝石ではないのは確かである。
「素晴らしいですね。クレナの姫にこれ以上似合う宝はないかと思われます」
貴族の子女として目が肥えているサヨも、掛け値なしの褒め言葉だ。このただならぬ気配、そしてソラの王から贈られた物とくれば、おそらく神具の一種にちがいない。機能や効果は不明だが、きっとコトリのためだけに創られた、この世で一つの特別な勾玉なのだろう。
コトリは、勾玉の穴に通された組紐を手に取ると、頭から被って首飾りとした。勾玉を中心として、ふわりと優しい気持ちが広がっていった。自然と涙が溢れてくる。
「サヨ、私」
「えぇ、姫様。カケル様はきっと、姫様のことを本気で想っていらっしゃるのでしょう」
父から突然命じられた帝国への嫁入り。それを跳ね除けて入った楽師団での緊張と努力、忍耐の日々。目を閉じれば、様々な出来事が蘇ってくるが、この思い切った選択をしたからこそカケルと再会し、カケルに見初められたのだとコトリは思うのである。
「これからも、信じた道を行きましょう」
サヨの言う通りだ。不遇の王女は今、ようやく希望の欠片を手にして、いざ羽ばたかんとしている。憧れていた空はもう、目の前にあるのだから。
そうして楽師達はそれぞれの正月を過ごし、再び鳴紡殿に戻ってくるのである。
梅の蕾がほころび始める季節まで、後少し。
屋敷の塀は崩れかけ、門の瓦も年月を重ねていくうちに剥がれてしまった部分も多く、荒廃具合が甚だしい。寒空の下、乾いた風が吹き過ぎると、ますます虚しい出で立ちに見えた。
敷地の中も、大貴族のように正殿、脇殿、後殿などの建物が整然と並ぶでもなく、いくつかの家屋がバラバラに並び立ち、端に井戸が一つあるだけ。庶民と比べれば十分に立派なものであろうが、貴族を名乗る者としては恥ずかしい体裁なのである。
家の通名にもなっている庭の杏子も、今は蕾すら見えぬ枝だけの枯れ木。数カ月後には花をつけるだろうが、実を結べば、咳止めに効く薬を作って密かに庶民へ売ることとなるだろう。
その昔は、薬師の家系として名を馳せていた。だが、何代か前の当主が賭け事をした挙げ句、借金の形として様々な調薬法を売ってしまった。今はその道からは離れ、口伝てで引き継いでいる簡単な薬を僅かに作るのみである。
「万事ぬかりはございません。順調そのものです」
カヤは、目の前の両親に向かって報告をしていた。
「くれぐれもハナ様の機嫌を損ねるでないぞ」
両親は、力を込めてカヤに言い聞かせる。カヤは、無表情のまま頷くことしかできなかった。
杏子殿は、ハナの実家から支援を受けていて、これ失くしては貴族の体を保つことはできない。母親は花よ蝶よと育てられた中位の貴族の出で、父親も長いものに巻かれることしかできない頭の悪い男。どちらも生活の糧を稼いだり、政に通じて活躍したり、うまく世渡りするような事は期待できないのだ。代わりに、今、この家を支えているのは一人娘のカヤである。
彼女がハナと縁を持つようになったのは、シェンシャンがきっかけだった。幼い頃から奏での才があったのが幸いし、貴族の子女が集まる稽古に参加したところ、ハナの目に留まるところとなった。
大貴族に気に入られれば、いずれは王宮の女官になったり、高位の貴族の家へ嫁入りできるかもしれないと思い、積極的に取り入ったものの、結局流れ着いたのは楽師団。それでも、鳴紡殿では生活に困ることも無いばかりか、給料は家に入れることができるので満足していたのだが、この頃のクレナ、特に王の派閥は困窮を極めている。
カヤはまだ少女だ。可憐な見た目を活かして様々な所へ潜り込み、情報を収集するにしても、たかが知れている。気づいた時には、紫という勝ち組と敵対している立場にあったのだった。
さりとて、今更、主と仰ぐハナの元を離れることもできない。何しろ、杏子殿はハナの機嫌一つで取り潰しになってしまう状態なのだから。
そこでカヤは、ひたすらにハナの手駒として働き続けてきた。ハナの指示の元、コトリ達に取り入ったことも、その一つ。庶民の癖に不相応な神具を持っているので、売り元をハナの傘下に入れることも試みた。だが、これは失敗。けれど、そんな詳細を両親に打ち明ける必要はないだろう。
「お父様、お母様。今年こそもっと手柄を上げて、ハナ様を喜ばせてみせます。そうすれば、少しは暮らし向きも良くなるでしょう」
いよいよ、本格的な春が来る。つまり、園遊会がある。コトリの懐へ入りこむことに成功したカヤは、きっとハナの役に立てるはずだ。
ハナが、なぜコトリを目の敵にし、ソラの土産と称して監視の神具を手渡したりするのか、その理由は分からない。けれど、ハナが楽師団の首席になれば、きっとカヤにも良いことがあるはずである。
「私、がんばります」
カヤは、自分自身にそう誓った。
◇
一方のコトリ。サヨがカケルから託されたという贈り物を受け取り、感激に打ち震えていた。
「なんて綺麗」
それは、仄かに光る紅い石でできた勾玉。太陽に翳してみると、その煌めきはより強くなる。さらには、大量の神気が滲み出ていた。普通の赤い輝石ではないのは確かである。
「素晴らしいですね。クレナの姫にこれ以上似合う宝はないかと思われます」
貴族の子女として目が肥えているサヨも、掛け値なしの褒め言葉だ。このただならぬ気配、そしてソラの王から贈られた物とくれば、おそらく神具の一種にちがいない。機能や効果は不明だが、きっとコトリのためだけに創られた、この世で一つの特別な勾玉なのだろう。
コトリは、勾玉の穴に通された組紐を手に取ると、頭から被って首飾りとした。勾玉を中心として、ふわりと優しい気持ちが広がっていった。自然と涙が溢れてくる。
「サヨ、私」
「えぇ、姫様。カケル様はきっと、姫様のことを本気で想っていらっしゃるのでしょう」
父から突然命じられた帝国への嫁入り。それを跳ね除けて入った楽師団での緊張と努力、忍耐の日々。目を閉じれば、様々な出来事が蘇ってくるが、この思い切った選択をしたからこそカケルと再会し、カケルに見初められたのだとコトリは思うのである。
「これからも、信じた道を行きましょう」
サヨの言う通りだ。不遇の王女は今、ようやく希望の欠片を手にして、いざ羽ばたかんとしている。憧れていた空はもう、目の前にあるのだから。
そうして楽師達はそれぞれの正月を過ごし、再び鳴紡殿に戻ってくるのである。
梅の蕾がほころび始める季節まで、後少し。
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